学位論文要旨



No 112110
著者(漢字) 白井,朋之
著者(英字)
著者(カナ) シライ,トモユキ
標題(和) 離散的シュレーディンガー作用素に対するスペクトル解析と跡公式
標題(洋) Spectral analysis and trace formula for discrete Schrodinger operator
報告番号 112110
報告番号 甲12110
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第45号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 岡本,和夫
 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 助教授 長田,博文
 京都大学 教授 高橋,陽一郎
内容要旨

 この論文では離散的なシュレーディンガー作用素のスペクトラムに対して,大きくわけて二つの問題について論ずる.

 まず,第一は,あるグラフG上で定義されるラプラシアンのスペクトラムがグラフに変形を施こすとどのように変化するか,というものである.ある種のグラフ理論的な変形については具体的にその関係がわかることを示す.

 第二は,一次元散乱理論に関連したある跡公式をある程度一般の離散状態空間上のマルコフ過程に対して拡張することである.さらに,その中で使う補題を用いて,物理でグッツウィラーの跡公式とよばれるものの離散版を示す.

 1)Gは無限グラフ,L(G)はそのライングラフとする.ただし,L(G)はGのedgeをvertexとするグラフで,Gにおいてvertexを共有しているとき隣接しているものとする.[1]ではG上の単純酔歩が非再帰的ならばL(G)上の単純酔歩も非再帰的であることを示されている.この事実に関連してG上のラプラシアンとL(G)上のラプラシアンのスペクトラムの間にどのような関係があるか考えよう.

 G上のl2-空間を次の内積から定まるものとする:

 

 ただし,m(x)は点xにつながるedgeの本数(点xの次数)を表す.

 l2(G)上で次のラプラシアンのスペクトルを考える:

 

 ただし,N(x)はxの近傍を表す.

 またGをL(G)として同様にライングラフ上でラプラシアンのスペクトルを考えることができる.Spec(-G)=Spec(G)と書くことにする.

 Gをd-正則グラフ(i.e.,m(x)≡d)とするとき,次の結果を得る.

 定理1d3とする.このとき,

 

 ただし,は無限多重度の固有値.

 同様のことは,(d1,d2)-半正則グラフについても言える.ただし,(d1,d2)-半正則グラフとは任意の辺xy∈E(G)に対してm(x)=d1,m(y)=d2またはm(x)=d2,m(y)=d1を満たすものである.

 定理2Gを(d1,d2)-半正則グラフとする.また,d1d23もしくはd1>d2=2とする.とし,さらにとおく.このとき,

 

 ここで,S⊂f±で,1が-Gの固有値であるかないかに従って,S≠0もしくはS=0であるかが決まる.

 この定理にあらわれる集合Sを特徴づけるためにはグラフのもう少し詳しい構造が必要になる.一般にはSの可能な4通り0,,のすべての場合が起り得る.

 これらのスペクトラムの関係式は二つの作用素GL(G)との関係式から従う.例えば,定理1は次の関係式が本質的である.

 補題3次の関係を満たす有界線型作用素:l2(G)→l2(L(G))が存在する.

 

 ただし,*の共役作用素.

 上の二つの定理を証明するテクニックを用いると細分グラフ,パラライングラフと呼ばれるグラフについても同様の結果を証明することができる.

 細分グラフとは元のグラフのedgeを長さが2のpathで置き換えたものである.これをS(G)と呼ぶことにすると次の定理が導かれる.

 定理4Gをd-正則グラフでd3とする.また,とおく.このとき,

 

 ここで,1は無限多重度の固有値.

 パラライングラフとは各点を完全グラフで置き換えてできるグラフであるが,これは無限グラフのある種の被覆と考えられる.これをp-L(G)と書くことにする.パラライングラフはグラフGの細分グラフのライングラフと見ることができるので,前の二つの定理2,定理4を用いるとp-L(G)のスペクトラムについて大体のことはわかる.ただし,定理2にあらわれる集合Sについては空でないことしかわからない.しかし,もう少し具体的にパラライングラフの構造を用いて解析することにより次の定理を得る.

 定理5d3とする.Gをd-正則グラフで,p-L(G)をそのパラライングラフとする.また,とおく.さらに,とする.このとき

 

 ここに1とは無限多重度の固有値.

 また,これらの定理を応用すると,いくらでも多くのgapを持つグラフを構成することができる.

 2)L=-G+Vというシュレーディンガー作用素と一点でディリクレ条件を課した作用素の差のトレースについて,特にVが周期ポテンシャルのとき

 

 という関係式が得られるが,これはHill’s theoryでよく知られている等式である.Craigは[3]でこの結果を周期ポテンシャルを含むreflectionlessとよばれるポテンシャルのクラスに拡張し,Simon等は[4]でスペクトラムのシフトをあらわす散乱量を用いて,関連する結果を統一的に扱った.これらの結果はいずれもR1上の作用素Lに対する結果であるが,これを可算集合上の離散的シュレーディンガー作用素Lと有限集合A上でディリクレ条件を置いた作用素LAに対して拡張する.

 Gは可算無限集合とし,P={p(x,y)}x,y∈Gを推移確率とする.ただし,Pとしてはsupx∈G|{r∈G;p(x,r)>0}|<∞を満たすものを考えることにする.以下,Gの有限部分集合Aを固定し,Vは実数値有界関数とする.l2(G)上のラプラシアンを

 

 で定義し,シュレーディンガー作用素L=-G+Vに対して次の二つの問題を考える.

 

 と

 

 ただし,これら二つの作用素の定義域はそれぞれD(L)=l2(G),D(LA)={f∈l2(G);f()=0∀a∈A}とする.この作用素に対するレゾルベント(L-)-1,(LA-)-1の積分核(グリーン関数)を(x,y),(x,y)とする.また,L,LAに対応する熱方程式の基本解をそれぞれ,pV(t,x,y),pVA(t,x,y)とおく.さて,ここで∈Rに対して

 

 と定義する.ただし,は|A|×|A|行列で成分が()a,b(a,b)なるものである.この量()はa.e.∈Rで存在する.このとき,次の定理を示すことができる.

 定理6Vを実数値有界関数とする.このとき,

 

 ただし,0,はそれぞれLのスペクトラムの下限と上限.

 さらに,上定理の左辺のt→0での漸近挙動を調べることにより,次の系を得る.

 系7Vを実数値有界関数とする.このとき,

 

 また,0,はそれぞれ作用素Lのスペクトラムの下限と上限である.

 この系はポテンシャルやグラフが特別な場合には更にきれいな形で書くことができる.例えば,GをZ1,Vを周期関数とする.有限集合Aは一点{a}にとる.このとき,Lのスペクトラムは一般に有限個の閉区間の和集合になることが知られている.それを[2k,2k+1]とする.ただし,2n+1.また,グリーン関数(a,a)はレゾルベント集合(2k-1,2k)上狭義単調増加だからその零点は高々一つで,それをkとする.もし,零点がない場合はその正負に従ってk2k-1,k2kとする.このとき,

 定理8Vを実数値有界関数とする.このとき,

 

 これは始めに述べた関係の離散アナロジーである.

 さて,これらの定理の証明の際に用いた補題で次のようなものがある.

 補題9∈C\[0,]とする.このとき,

 

 上式の右辺を展開するためにG×G上の関数として

 

 を考える.これは,G上の距離となる.このとき,

 定理10ある∈Rが存在して,<のとき,次のような展開がある.

 

 ただし,(x,x)は(LA-)に対するグリーン関数,は有限集合A上の素な周期軌道に対する和,()はG上の距離で測ったの長さ,∈Nはの周期.

 とおく.このとき,(ただし,Onは有界領域)を離散化したものであると見なすと,物理の分野でグッツウィラー跡公式と呼ばれる関係の一つの離散アナロジーと見ることができる.

References[1]Y.Higuchi.Isoperimetric inequality and random walks on an infinite graph and its line graphs.in preparation.[2]B.Mohar and W.Woess.A survey of spectra of infinite graphs.Bull.London Math.Soc.21(1989),209-234.[3]W.Craig.The Trace Formula for Schrodinger Operators on the Line.Commun.Math Phys.126(1989),379-407.[4]F.Gesztesy,H.Holden,B.Simon.Absolute Summability of the Trace Relation for Certain Schrodinger Operators.Commun.Math Phys.168(1995),137-161.[5]M.C.Gutzwiller.Chaos in Classical and Quantum Mechanics.Springer Verlag,Berlin,1990.
審査要旨

 本論文ではグラフ上の離散的シュレーディンガー作用素に関する二種類の問題を論じている。まず、グラフ及びその双対グラフの上の離散的なラプラシアンのスペクトルの関係について論じた。今、グラフGの上の離散的スペクトルのラプラシアンのスペクトルをSpec(G)で表すことにする。グラフGが与えられているとき、その辺を点と見なし、2辺が共有点をもつとき、点が結ばれていると考えることで、新たなグラフを作り出すことができる。このようなグラフをグラフGの線グラフと呼び、L(G)で記す。本論分の最初の主たる結果は以下のようなものである。

 定理1グラフGがd-正則グラフで、d3とする。この時

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 であり、112110f35.gifは無限多重度の固有値となる。

 他に半正則グラフも論じ同様な定理を得ている。

 次に、Gを可算無限集合、{p(x,y);x,y∈G}を対称な推移確率とし、supx∈G|{y∈G;p(x,y)>0}|<∞を仮定する。VはG上の実数値有界関数とする。Gの有限部分集合Aを固定して以下考える。

 G上の関数fに対して、

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 により作用素Lを定める。この時、Lはl2(G)上の対称作用素となる。また、l2A(G)={f∈l2(G);f(x)=0,x∈A}上の作用素LA

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 で定義する。そして、(x,y)(x,y)をレゾルベント(L-)-1(LA-)-1の積分核、pV(t,x,y),pVA(t,x,y)をL,LAを生成作用素とする発展方程式の基本解とする。∈Rに対して

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 と定義する。ただし、は行列{(a,b);a,b∈A}を表す。この時、次の結果を得ている。

 定理20をそれぞれ作用素Lのスペクトルの下限と上限とする。この時、次が成り立つ。

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 またこの定理の系として次の結果を示している。

 系1

 112110f40.gif

 最後に実数に対しG×G上の関数

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 で定めると、G上の距離となり、次が成り立つことが示されている。

 定理3∈Rが存在し、<に対して

 112110f42.gif

 ただし、p.p.o.はA上の素な周期軌道を表し、()は距離で測った軌道の長さ、は軌道の周期を表す。

 これらの結果はEuclid空間から有界な領域を除いた部分でのシュレージンガー作用素にたいして知られている結果の離散版と見なせるもので、他に例を見ないものである。

 以上のように本論文は独創性のあるきわめて質の高いもので、論文提出者白井朋之は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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