学位論文要旨



No 112127
著者(漢字) 佐々木,文夫
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,フミオ
標題(和) 積分作用素に適合した双直交ウェーブレットとその応用
標題(洋) Biorthogonal Wavelets adapted to Integral Operators and their Applications
報告番号 112127
報告番号 甲12127
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第62号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 教授 三村,昌泰
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 助教授 山本,昌宏
 広島大学 助教授 大木谷,耕司
内容要旨

 ウェーブレット解析は時間と周波数の情報を不確定性関係の範囲内で取り出せることから、地震記録などの非定常データの解析にとって欠くことのできない解析手法となりつつあり、主にデータ処理の分野で急速な発展を遂げている。これに対して、ウェーブレットによる微分方程式の数値解析への応用は、比較的緩やかな進捗となっている。現在まで提案されている数値解析手法の大部分はウェーブレットーガレルキン法に基づいており、一般にこの手法では作用素の表現行列に対する逆行列演算が必要とされ、計算時間の意味であまり実用的とはいえない。そのため近年、いくつかの提案がなされ始めている。Qianらは、解に周期境界条件を仮定することによりFFTを用いて、行列演算をベクトル演算に置き換えて計算することを提案している。またより基本的な対策として、方程式系に適合するウェーブレットを構成する方法が考えられる。この考え方としてDahlkeらは、偶数階線形微分作用素(d2n/dx2n)の表現行列をブロック対角とするような新しいウェーブレットの構成法を示した。一般に微分作用素の表現行列をブロック対角化するには、完全正規直交ウェーブレットではできないことから、彼らは直交条件をゆるめて双直交ウェーブレットによりブロック対角化を行った。さらにWilliamsらはその行列がほとんど対角行列となることを明らかにし、それによってオーダーnの高速の処理手続きで解が得られることを示した。

 本論文では、彼らの手法を拡張し積分作用素への適用を行う。また、表現行列がブロック対角可能な積分作用素を用いることにより、奇数階微分方程式の解がオーダーnの処理手続きで得られることを示す。さらに本手法をデータの補正に関する実用的な問題に適用する。

 方程式Au(t)=f(t)(A:線形作用素、u:未知関数、f:既知関数)を解くことを考える。一般に双直交ウェーブレットは、双直交性を考慮にいれた二つの多重解像度による、基本および共役シンボルm0()、()を与えることにより構成可能である。そこでウェーブレットーガレルキン法による作用素Aの表現行列がブロック対角化されるための、m0()と()に関する条件を求める。

 あるスケールjでのウェーブレットーガレルキン表現は、作用素Aの表現行列Kj(サイズ2j×2j)と、スケールjでの基本および共役スケール関数によるu(t)とf(t)の展開係数ベクトルcjを用いて、

 

 と表される。さらにスケールjからスケールj-1への分解を行うと、行列Kjは、次のようにそれぞれがサイズ2j-1×2j-1の4つの行列に分解できる。

 

 左辺の行列がブロック対角(i.e.j-1j-1=0 ∀j∈Z)となるためにはまず00=0が必要であり、このためには基本シンボルm0()と共役シンボル()の間に

 

 の関係が成り立てばよい。但し、g()は作用素Aに付随する関数

 

 でありかつ、g()=またはig()が実関数であればよい。

 いま線形作用素Aとして

 

 を満たす(スケール変換に不変)ものを考えると、

 

 となる。これらのことより、以下の3つの条件を満たす場合は、作用素Aの表現行列がブロック対角化されることがわかる。

 (i)作用素Aがスケール変換に不変であること。

 (ii)共役シンボル()が発散しないこと。

 (iii)作用素Aに付随する関数g()が、g()=またはig()が実関数であること。

 次に積分作用素に適合する双直交ウェーブレットの例を与える。

 (a)Rieszポテンシャル

 但し ()=(/2)/((1-)/2)でありはGamma関数。作用素に付随する関数g()はでありRieszポテンシャルは(i)から(iii)の条件を満たし、この積分作用素の表現行列は作用素に適合する双直交ウェーブレットによって、ブロック対角化される。

 (b)Hilbert変換の1階微分 但しpは主値

 作用素H’に付随する関数g()はでありHilbert変換の1階微分は(i)から(iii)の条件を満たし、この積分作用素の表現行列も作用素に適合する双直交ウェーブレットによって、ブロック対角化される。

 (c)Abel変換

 作用素Aに付随する関数g()はでありAbel変換は(i)と(ii)の条件は満たすものの(iii)の条件を満たさない。そのため、この積分作用素の表現行列は作用素に適合する双直交ウェーブレットによって、半ブロック対角(j-1=0 andj-1≠0 for all j∈Z)となる。

 次に奇数階線形微分作用素に対して、その解を得る処理手続きがオーダーnとなるような手法を提案する。

 Hilbert変換や奇数階微分作用素は、共役シンボル()が発散してしまうために、作用素に適合する双直交ウェーブレットを構成することができない。そこでまず、Hilbert変換の作用素(H)に対し、

 

 として得られる作用素(H+)を考えると、この作用素は条件(i)から(iii)を満たし、その表現行列は適合する双直交ウェーブレットによってブロック対角化できることがわかる。次に奇数階線形微分作用素(A=dl/dxl:l奇数)の逆作用素A-1が、作用素(H+)とRieszポテンシャルの作用素()によって、

 

 と表現されることに注意すると、作用素(I1/2)2lH+および(I1/2)2lの表現行列が、それらの作用素に適合する双直交ウェーブレットによりブロック対角化可能であることから、逆作用素A-1はブロック対角化可能な2つの作用素の線形結合として表現できることがわかる。これら2つの表現行列の行列要素の値は、その対角要素から離れるに従い指数的に減少するため、表現行列をバンド行列で近似することができる。従って、実用的な解を得る全体の処理手続きはオーダーnとなる。

 最後に、実用的な問題への応用として上で得られた双直交ウェーブレットを用いて、データの補正を行いさらに積分処理を実行する一連の手法を提案する。

 高層建物など固有周期の長い建築物に対して、地震観測などによって得られた加速度データに積分処理を実行して、速度データを求めることは重要な課題である。しかし実際に観測される加速度データには、種々の高周波あるいは低周波成分のノイズが混在したり、理論的にはあり得ないDC成分が生じる場合がある。そこで本手法のモデルデータ(継続時間は0から1秒)として、ある限られた範囲(データの中心0.5秒付近)に高周波成分のノイズが混在し、かつDC成分が生じているようなデータを考え、前章で得られた双直交ウェーブレットを用いて、時間一周波数領域でそれらの除去・補正を行い積分処理を実行する一連の処理を行う。初めに双直交ウェーブレットにより時間一周波数領域へのモデルデータの展開を行い、そこでのウェーブレット係数j,kでスケールjが最大でかつk/2j0.5のものをj,k=0として、ノイズの除去を実行する。次にDC成分の除去のため、線形作用素Fを双直交ウェーブレットj,kに対し

 Fj,k=(1/Bj,k)但しBj,kは(j,k)に依存した正の定数によって定義し、また新ノルム<・,・>Nとして

 

 を導入して、除去前x(t)と除去後xap(t)のデータのノルム

 

 が、時刻t<0及びt>1でx(t)=0の条件のもとで、最小となるようにLagrangeの未定乗数法を用いて補正を実行する。このとき双直交ウェーブレットを用いることにより、時間一周波数に依存した重み係数Bj,kを導入することができ、より現実に即した補正が可能となっている。さらに補正後のデータの積分処理を行い、得られたデータを理論的に得られるデータと比較することにより、本手法の有効性を確認した。

 以上本論文で得られた成果は、次のように要約することができる。

 (1)ある特徴を有する積分作用素の表現行列は、その作用素に適合する双直交ウェーブレットによりブロック対角化できる。

 (2)奇数階線形微分作用素の逆作用素を、ブロック対角化可能な積分作用素の線形結合で表現することにより、解を高速で得ることが可能である。

 (3)積分処理を伴うデータ補正を双直交ウェーブレットを用いて行うことにより、従来困難であった時間一周波数領域でのデータ処理を可能にした。

審査要旨

 ウェーブレット解析は、時間と周波数に関して同時に局在化した情報を取り出せることから、近年、地震記録など非定常データの解析手法として一般的になりつつあり特にデータ処理分野での進展が著しい。しかし、微分方程式の数値解析への応用は、微分作用素のウェーブレットによる行列表現を実用的な形にすることが難しく、試用の段階に留まっている。また同じ理由から、微積分演算を含むデータ処理への応用も顕著な進展が得られていないのが現状である。

 本論文において申請者は、まず、スケール不変な作用素に対し、以下のような、行列表現をブロック対角化あるいは半ブロック対角化する双直交ウェーブレットの構成法を提案した。この方法は、DahlkeとWeinreich(1991)が偶数階微分作用素に対し用いたものを、スケール不変な作用素に対する処方として拡張したものである。一般に双直交ウェーブレットは、双直交性を考慮した2つの多重解像度解析に関する基本および共役なシンボルm0(),()を与えることによって構成可能である。いまAu(t)=f(t)とすると、この方程式の基本および共役スケーリング関数によるスケールjにおけるウェーブレットーガレルキン表現は、作用素Aの表現行列Kj、および関数u(t),f(t)の展開係数ベクトルcj,を用いて、

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 となり、さらにスケールj-1への分解を行なうと、行列Kjは次のようにサイズが半分の4つの行列によって表される。

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 いまj=1に対し左辺の行列がブロック対角になるためにはまず00=0が必要であり、このためには基本シンボルm0()と共役シンボル()の間に、

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 の関係が成り立てばよい。ここでg()は作用素Aに付随する関数

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 である。これらのことから、一般のjに対して作用素Aの表現行列がブロック対角化されるためには、(1)作用素Aがスケール不変、(2)共役シンボルが発散しない、(3)g()が実または純虚の関数、であればよいことが分かる。またこれらの条件のうち(1)と(2)だけが成り立つときには、表現行列は半ブロック対角化される。

 申請者はこの方法を実際にRieszポテンシャル

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 および微分Hilbert変換に対して適用し、それぞれに適合した双直交ウェーブレットとそれによる作用素のブロック対角行列表現を数値的に構成した。また同じ方法を用いることでAbel変換の半ブロック対角表現を数値的に得ている。さらに申請者は、奇数階微分作用素(dl/dxl,lは奇数)に対する逆問題を扱うため、Ricszポテンシャルを用いて逆作用素を

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 のように表現し(H+[u]=H[u]+iu,HはHilbert変換)、ここに現れる2つのスケール不変な作用素(I1/2)2lH+と(I1/2)2lに対して先の手続きを適用して、それぞれのブロック対角表現を構成した。これにより(dl/dxl)-1の作用は2つのブロック対角行列を用いて計算可能となり、しかも、それらの行列の行列要素の値は対角要素から離れるに従い指数的に減少するため、数値計算においてはこれらの行列をバンド行列で近似することが可能となる。従って実用的な解を得るための手続き回数はO(n)となり高速アルゴリズムを与えていることが分かる。

 以上の結果のデータ処理への応用の一例として、申請者は、データ補正と積分処理を行なう一連の方法を提案している。ここで提案された方法は地震の加速度記録データを念頭においたものであり、雑音除去・基線補正、および速度データを得るための積分操作を実行するものである。

 一般に観測データには、種々の高周波・低周波成分あるいは直流成分をもつ雑音が混入することが多い。これらの雑音はしばしば時間周波数面において局在しているため、直流成分以外の雑音については、対応するウェーブレット展開係数をゼロとおく対策がある。一方、地震加速度データは直流成分を含んではならないため、観測データからは直流成分も除去しなければならない(基線補正)が、この補正は、地震の開始時刻と終了時刻に影響を与えてはならないという条件のもとに行なわなければならず、容易ではない。この問題に対し申請者は、まず一階微分作用素の逆作用素に適合する双直交ウェーブレットによって観測データを展開し、それを最もよく近似しかつ直流成分を含まないデータを、展開係数に関するLagrangeの未定乗数法を用いて構成する方法を提案している。この方法は、積分操作に適合したウェーブレットを用いて行なうため、速度データを得る積分の手続きが簡単化され、またノルムを調整することによって近似の性格を変更できる柔軟性を持っている。申請者はこの方法を実際にいくつかのデータに適用し基線補正の効果を検証して、建築物に対する地震の影響を調べる際に要求される精度は十分得られることを確認している。

 以上のように、申請者の論文においては、地震波記録に対する応用を念頭におきながら、必要となる双直交ウェーブレットを構成し、さらにそれに対する高速アルゴリズムを作成して、実際にデータ処理に適用する、という一連の研究が行なわれている。この論文で得られた双直交ウェーブレットおよびそれに関する高速数値アルゴリズムは、一般のデータ処理に関しても広い応用が予想されるものであり、またここで論じられている地震加速度記録の処理法も、これまでにない全く新しい手法で有望な結果を得ている点で高く評価できるものである。

 よって、論文提出者佐々木文夫は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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