学位論文要旨



No 112131
著者(漢字) 小野寺,卓郎
著者(英字)
著者(カナ) オノデラ,タクオ
標題(和) スクラムジェットエンジンの不始動遷移及びモジュール間干渉に関する研究
標題(洋)
報告番号 112131
報告番号 甲12131
学位授与日 1996.04.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3711号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梶,昭次郎
 東京大学 教授 佐藤,淳造
 東京大学 教授 棚次,亘弘
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 助教授 渡辺,紀徳
内容要旨 1序論

 近年,極超音速機や宇宙往還機用の推進機関の1つとして,NASA Langley型と呼ばれる機体組み込み型スクラムジェットエンジンが有望視されている.これは,インレット,燃焼室,ノズルから構成されるモジュールと呼ばれるものを複数個機体下面の後方に並べて装着する形態のエンジンである.このタイプのスクラムジェットエンジンでは,可動部分がないので簡略化・軽量化できる,エンジン前方の機体表面を利用することより大量の空気を吸い込むことができる,エンジンに要求される圧縮仕事が軽減される,低マッハ数域を含む広いマッハ数領域で良好な性能を示す,などの多くの利点が挙げられる.

 しかし,機体組み込み型スクラムジェットエンジンに特有の問題点もいくつか考えられる.まず,機体下面に沿って発達する境界層を吸い込むことによるエンジン性能の低下である.さらに,モジュールを互いに隣接しているために,あるモジュール内で生じた擾乱が他のモジュールへ伝播する可能性がある.

 現在,国内外でおこなわれているスクラムジェットエンジンに関する研究は,モジュールを構成する各要素を対象としたものが多くを占めている.さらにそれらの要素を単独で扱っている場合がほとんどであるので,複数のモジュールの間の干渉という問題は考慮されていないのが実情である.

 したがって,本研究では,複数のモジュールが並べられた状況において,1つのモジュールが不始動状態に遷移した場合を想定し,その遷移過程及びその時の他のモジュールへ与える影響を,風洞実験と数値解析によって解明・評価することを目的としている.

2風洞実験

 1つのエンジンモジュールが不始動状態に遷移した場合に,他のモジュールがどのような影響を受けるか,さらにどの程度の影響ということを調べるために実験をおこなった.実験は設計マッハ数3の超音速風洞を使用した.モジュール模型を不始動状態に遷移させる方法として,スロートの後方に剛体棒を挿入することによって流路断面積を小さくし,流れをチョークさせた.計測方法は光学計測(シュリーレン法),定常及び非定常の圧力計測である.不始動状態に遷移する時間は,数msecと短いので,圧力の非定常計測は模型に直接埋め込んだ圧力センサを使っておこなう.

 実験ではカウルの長さを3通りに変化させて,カウル長さの違いによる隣接モジュールが受ける影響の程度の変化を調べた.さらに,燃焼によるスロート後方の静圧の上昇を模擬するために,あらかじめ,すべての模型のスロート後方の剛体棒をある程度流路内に挿入した状態で実験をおこなって,これによる相違を調べた.

 光学計測や定常及び非定常壁面圧計測から,モジュールが不始動状態に遷移した場合には他のモジュールへもその影響が及ぶ,ということがわかった.モジュールが不始動に遷移すると,そのモジュールの上流側に弱い衝撃波が発生して,隣接するモジュールのインレット入口の上流にまで広がり,それに伴って機体面やモジュール側壁の壁圧が上昇する.

 これらの変化はカウルが長くなる(カウル前縁が上流側にある)時ほど大きくなる.つまり,モジュールの上流に現れる衝撃波は,カウルが長くなるほど上流へ移動して横方向に広がって,さらに強い波となる.機体面やモジュール側壁の圧力もカウルが長くなるほど不始動時に大きな変化を受ける.

 非定常計測の結果から,不始動遷移した場合の擾乱が隣接するモジュールへ伝播するのに要する時間は,実験に使用した模型の場合10msec程度であった.また,不始動遷移したモジュールにおいて,スロートの前後で擾乱の伝播速度に差があり,スロートよりも上流側の方が擾乱が速い.擾乱の伝播速度についてはカウルの長さによって明確な違いは見られなかった.さらに,いくつかの場合の非定常計測結果から,不始動遷移による擾乱はモジュール側壁の前縁を回り込む以外に側壁の底面を伝わって隣接するモジュールへ届く,ということが考えられる.

33次元数値計算方法

 エンジンモジュールが不始動状態に遷移する過程,及びその時の影響が隣接するモジュールどのように及ぶか,ということを詳細に知るために数値計算をおこなった.実験ではモジュールを不始動状態に遷移させるために剛体棒を挿入してモジュール内の流量を制限する方法を用いたが,数値計算では剛体棒を挿入する代わりにスロート後方にある程度の熱量を与えて流れ場をチョークさせ不始動状態への遷移を実現させる,という方法を使用した.流れ場は圧縮・非粘性であると仮定したので,支配方程式にはエネルギ式に加熱の効果を考慮したオイラー方程式を用いる.スキームには,流れ場の不連続面などを明確に捕らえられるTVDスキームと呼ばれるものうちで,Yeeの中心型(sym metric)のもの使用して,これを陽的に解いた.

 実験では,主にカウルの長さを変化させてこれによる影響を調べたが,数値計算ではカウルの長さを固定した.流入境界条件として,モジュールの高さ方向に流れ場が一様なものと,モジュールに流入する境界層を模擬するためにモジュールの高さの10%の厚みを持つ剪断流を使用して,これらによる相違を調べた.

4計算結果と考察

 まず,計算結果を実験から得られた結果と比較した.定常的な始動状態における機体面の中心線上及びモジュール側壁の中心線上の壁圧分布は,疑似境界層がある場合の方が,定性的に実験結果に近い結果が得られた.

 熱閉塞によって生じる衝撃波が上流へ移動していく過程において,カウル前縁の前方から下方へ向かう空気の漏れが増大し,モジュールの流量捕獲率や全圧回復率などは著しく悪化する.上流へ移動する衝撃波は,一旦上流へ移動した後,インレット部で上下流方向に振動する.これは疑似境界層がない場合に特に顕著であった.

 さらに,疑似境界層の有無によって熱閉塞時のモジュール内の流れ場の変化の様子が異なることがわかった.つまり,疑似境界層がない場合には熱閉塞が起こるとまず衝撃波が発生して,それが上流へ移動していく過程において衝撃波後方に逆流領域が発生・発達する.一方,疑似境界層がある場合には熱閉塞が起こると逆流領域が発生し,それによって疑似境界層内に垂直衝撃波が生じて疑似境界層の厚みが急激に増加する結果,モジュール内に斜め衝撃波が作られる.

 隣接モジュールへの影響については,疑似境界層がない場合には,熱閉塞による衝撃波が瞬間的にモジュール側壁の前縁に達したとき隣接モジュールへの影響が見られたが時間的に平均すると,ほとんどないと言える.しかし,疑似境界層がある場合には,熱閉塞による衝撃波がモジュール前方に吐出され,隣接モジュールの流れ場に影響が及ぶことが明らかになった.また,疑似境界層の有無にかかわらず,モジュールが不始動状態に遷移した場合にインレット内に発生する衝撃波がモジュールの下方にまで伸びる結果,モジュール側壁の底面にできる衝撃波を介して擾乱が隣接するモジュールへ伝播する様子が捕らえられた.

5結論

 スクラムジェットエンジンの不始動遷移及びモジュール間の干渉について,風洞実験と3次元の圧縮・非粘性計算によって次のことが明らかになった.

 (1)モジュールが不始動に遷移する際の擾乱の伝播速度は,スロートの後流側よりも上流側(インレット部)において,より大きい.

 (2)1つのモジュールが不始動状態に遷移すると,隣接するモジュールあるいはさらに隣のモジュールのインレット部やモジュールの機体面(風洞側壁面)の壁圧にその影響が現れる.また,隣接モジュールの側壁前縁から生じる斜め衝撃波の衝撃波角も大きくなる,というような影響が現れる.

 (3)モジュールが不始動状態に遷移したことによる非定常的な変動が隣接するモジュールのインレット部に到達するのに要する時間は10msecのオーダーである(モジュール模型の全長は220mm).

 (3)モジュールが不始動状態になると,そのモジュールの上流側の機体面(風洞側壁)上に弱い衝撃波が形成され,それが隣接するモジュールのインレットも覆う.

 (4)以上のような,モジュールが不始動状熊へ遷移した場合の他のモジュールへの影響は,カウルが長くなる(カウル前縁が上流側にある)ほど,強く現れる.

 (5)定常始動状態において,非粘性流れを仮定しても流入条件に適当な速度プロファイルを付けると,定性的には実際の流れの特徴を再現することができる.

 (6)流入条件が一様である場合と,一様でない場合では,熱閉塞の結果生じる斜め衝撃波の発生機構が異なる.

 (7)熱閉塞の結果モジュール内に生じる斜め衝撃波の位置は,一定せず,主流方向に振動する.

 (8)一様流入の場合には,不始動状態に遷移した影響が一時的には伝わるが,時間的に平均すれば影響はほとんど見られない.

 (9)これに対して非一様流入の場合には,疑似境界層を通して,隣接するモジュールへかなり大きな影響が現れる.

 (10)影響の規模としては大きくはないけれども,側壁の前縁を回り込むような影響の伝播経路の他に,モジュール側壁の底面に生じる衝撃波を介する影響の伝播経路が存在する.

審査要旨

 修士(工学)小野寺卓郎提出の論文は,「スクラムジェットエンジンの不始動遷移及びモジュール間干渉に関する研究」と題し,5章から成っている.

 極超音速機や宇宙往還機用の推進機関の1つとして機体組み込み型のスクラムジェットエンジンが有望視されているが,これは空気取入口,燃焼室,ノズルから構成されるモジュールを複数個機体下面に並べて装着する形態のエンジンである.可動部分がなく簡略・軽量化できること,機体の機首衝撃波を有効に利用できること,低マッハ数域を含む比較的広いマッハ数領域で良好な性能を示すこと等の好ましい性質を有する反面,機体境界層のエンジン内吸い込みが余儀ないこと,可動部分がないため熱閉塞を起こし易く,また,空気取入口の安定性確保が難しいこと,モジュールが並置されるため,1つのモジュールが不始動遷移した場合その影響が隣接モジュールに波及すること,等の問題点も伴っている.特に不始動遷移によるモジュール間の干渉は,エンジンシステム全体に壊滅的な影響を与える可能性があり,エンジン制御上極めて重要な問題である.

 この点に注目した著者は本研究において,風洞実験と数値解析により,不始動遷移による複数モジュール間の相互干渉に関し,現象の実体を把握することを試みた.

 第1章は序論であり,まず,ラム・スクラムジェットエンジンの発達の経緯を述べ,機体組み込み型スクラムジェットエンジンに関する研究を概観し,研究目的の記述において複数モジュールを対象とした研究の重要性を指摘している.

 第2章は「風洞実験」と題し,マッハ数3の超音速風洞にモジュールの模型を取り付けて行なった実験について,その方法と結果,考察を述べている.実験では,同一形状の模型を3個並置し,不始動遷移させる模型を順次変えながら,シュリーレン法による光学計測,圧力センサによる壁面圧力の定常及び非定常計測により,流れ場の状況を捉えている.可視化映像により,1つのモジュールが不始動遷移した場合,流路閉塞による溢流に起因する衝撃波のほかに,空気取入口上流で機体境界層との干渉に起因する衝撃波が発生することを見出している.この衝撃波は,隣接モジュール上流にも達し,隣接モジュールの流れに影響を及ぼすことになる.また,非定常圧力計測から,不始動遷移による擾乱は,モジュール側壁の前縁を回り込むほかに,側壁の底面を越えて隣接モジュールに達する経路の可能性もあることを示唆している.

 第3章は「数値解析法」と題している.対称性を仮定してモジュール1個半を計算領域に選び,3次元オイラー方程式を陽的に解く手法を説明している.エンジン内の燃焼は加熱項の付加によって模擬し,中央のモジュール内でステップ状に加熱量が増加した後,内部で発生した衝撃波が吐出される状況等流れ場の変化を時間進行法で解いている.

 第4章は,「数値計算の結果及び考察」と題し,計算結果を述べるとともに,実験結果との比較を行なっている.計算では全温,静圧が主流と等しくマッハ数が主流より低い流れを疑似境界層と称して導入し,機体境界層の影響を見積もっている.その結果,疑似境界層の導入により実験に近い壁面圧力分布が得られること,一様流の場合とは不始動遷移の過程が大きく異なること,また,一様流の場合に比べ隣接モジュールに対してかなり大きな影響が及ぶこと等を明らかにしている.また,計算においても,側壁前縁を回り込む擾乱の伝播経路のほかに,モジュール側壁の底面に生じる衝撃波を介しての伝播経路があることを確認している.

 第5章は結論で,風洞実験と数値解析により得られた結果をまとめている.

 以上を要するに,本論文は,機体組み込み型スクラムジェットエンジンの複数モジュールを対象に,風洞実験と数値解析を通じてその不始動遷移過程に関する有用な知見を得るとともに,モジュール相互間の干渉の機構及び影響の程度を明らかにしたもので,航空宇宙工学上貢献するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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