学位論文要旨



No 112135
著者(漢字) 仲田,奈々子
著者(英字)
著者(カナ) ナカダ,ナナコ
標題(和) 北タイ焼畑農耕民ティン族の食糧生産とその社会生態・行動的規制
標題(洋) Socioecological and Behavioral Regulations in Food Production among the T’in Shifting Cultivators in Northern Thailand.
報告番号 112135
報告番号 甲12135
学位授与日 1996.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1124号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸井,英二
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 西垣,克
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
内容要旨 はじめに

 発展途上国の農村社会における食糧生産の持続可能な発展は、急激な人口増加、貨幣経済の浸透による大規模な森林伐採や都市への人口流出などと関連し、将来の人類の生存を考える上から最も注目されていることの一つである。また、人類生態学的視点から、食糧生産活動は集団としての人間の健康に関連する重大な要因の一つと考えられる。

 熱帯地域には多くの焼畑農耕民が存在し、調査地である北タイを含む東南アジアの山岳地域では、陸稲を主作物とする焼畑農耕が営まれてきた。KunstadterとChapman(1978)は、北タイにおける焼畑農耕を(1)短期耕作・短期休閑、(2)短期耕作・長期休閑、(3)長期耕作・超長期休閑、の3つに分類している。調査対象のパッカム村で行われている(2)のタイプの焼畑耕作は、最も持続可能な焼畑農耕とされる。

 北タイの焼畑農耕については、環境の利用あるいは維持という視点からの研究に比べ、社会規制や人々の行動パターンといった人間の側面に焦点をあてた研究は少ない。調査対象であるティン族では、稲魂信仰による水田耕作の禁止など、農耕活動に多くの社会的規制がみられる。また、母系制と拡大家族制に基づく世帯構成は、共同作業または相互扶助をとおして農耕活動と結びついている。さらに、ティン族の村々では、最近の近代化の過程で生計活動の適応機構に多様性がみられる。調査村となったパッカム村は、他の村に比べて伝統的ライフスタイルが保持されており、本研究結果は、近代化過程における焼畑農耕民の適応機構の変化と将来予測の理解に貢献すると考えられる。

 本研究は、パッカム村の人々の生計適応を、特に農耕活動における社会および行動規制システムに着目して解明することを目的とした。

対象

 ティン族は、言語学的にはモン・クメール系に属し、タイにおける総人口は2万〜3万人といわれている。調査地は、タイ北部ナーン県ボークルア郡パッカム村で、北緯19°14’、東経101°09’、標高約1,200mである。世帯数は、調査期間中に2世帯が分家し、15世帯から17世帯になった。人口は、調査終了時で157人(男性77人、女性80人)であった。調査期間は、1回目が1992年9月から1993年9月、2回目が1994年6月から1995年2月、3回目が1995年4月から6月で、延べ20ヶ月間であった。

 ティン族の社会・文化的特徴である、(1)妻方居住制および拡大家族制に結びついた母系社会システム、(2)精霊信仰(特に生計活動に強く結びつく稲魂信仰)、(3)伝統的文化に基づいた社会規制および行動規制は、農耕の方法をはじめ生計活動全般に強く影響している。

方法と結果1.健康状態

 身体測定は、体重と身長は5歳以上、上腕囲および皮下脂肪厚(上腕背後・肩胛骨下角点)は14歳以上の村人を対象として、1993年2月末から3月初めに行った。

 平均身長は、成人男性で157.7cm(SD4.7)、成人女性で150.5cm(SD3.9)平均体重は、それぞれ53.1kg(SD5.1)、47.8kg(SD1.1)であった。BMI(Body Mass Index:体重/身長2)は、それぞれ21.3(SD1.1)、21.1(SD2.1)で、FAO/WHO/UNU(1985)による望ましい範囲(男性18.7-23.8、女性20.1-25.0)に含まれていた。

 1995年2月1〜3日の3日間に、尿検査を14歳以上を対象に濾紙法を用いて行い、クレアチニン・尿素窒素・ナトリウム・カリウムを測定した。尿サンプルは、できる限り早朝尿を採取し、熊本大学医学部公衆衛生学教室に依頼し、分析された。

 尿素窒素/クレアチニン比(以後、UN/Cr)は、数日間の蛋白質摂取量をよく反映し、蛋白質摂取量の目安にされる。Simmons(1972)の結果を採用し、対象者の1日当たりの蛋白質摂取量を推定したところ、体重当たり男性が1.5g/kg、女性が1.4g/kgとなり、FAO/WHO(1975)が示す安全値0.75g/kgを十分に超えることが示唆された。

2.食物摂取調査

 パッカム村における生産と消費の基本的な単位である世帯を対象に、1回目が1994年8月28日から9月6日、2回目が1995年1月25日から2月3日、3回目が同年5月22日から31日、それぞれ10日間ずつインタヴュー調査を行った。

 1回目は、トウモロコシの収穫の終了間近で、トウモロコシの摂取頻度が66%で、コメは20%にとどまった。2回目は、コメの収穫後で、根茎類の収穫時期にあたり、コメが95%、コメと根茎類の組み合わせを含めると98.5%になった。3回目は、トウモロコシ・コメの収穫前でタロの収穫の初期で、コメが91%、コメとタロの組み合わせが7.5%であった。

3.活動調査

 活動調査は、食物摂取頻度調査と同時に3回、その他に1回(1994年9月7日〜16日)の計4回行った。ただし、3回目の調査期間は、他の3つの期間と労働の形態が異なったため、詳細な分析から除外した。調査方法は、15歳以上の村人全員を対象に、夕方各世帯を訪問し、それぞれの人がどこに何の活動をしに出かけたかを訊ねた。得られた回答から、食物消費に直接的にまたは間接的に(換金をとおして)関係するものとして農耕、狩猟・採集、茶摘み、購入・交換、日雇い労働の5つ、及び家に残ることを加え、計6つのカテゴリーについて分析を行った。

 分析はまず、食糧生産活動の中心である農耕について、自分の畑と他の世帯の畑の別に行った。次に、個人の判断によって行われる農耕以外の活動について、個人の特性との関係を分析した。分析にはJMP(マッキントッシュ用)を用いた。

 本研究では、活動分析のために個人、そして特に世帯ごとの生産者単位(以後、P.U.)、消費者単位(以後、C.U.)を用いた。P.U.の同定には既存の方法に本調査集団の特性から修正したものを、C.U.の同定には、FAO/WHO/UNU (1985)による性・年齢別エネルギー必要量と体重を用いた。

 世帯レベルでのP.U.とC.U.は、非常に高い有意な相関を示した(p<0.001)。また、各世帯の畑で働いた人数を労働投入量として求め、自分の世帯メンバーと他の世帯メンバーに分けた。その結果、他の世帯メンバーによる労働投入量は、自分の世帯メンバーだけによる労働投入量が少ない世帯にとっては増加に寄与し、世帯間の労働投入量を平均化していることが示された。

 狩猟・採集は女性に比べ男性が、また、P.U.の高い人がより多く行うことが示された。茶摘みはP.U.の高い人に、日雇い労働はより若い男性に有意に多くみられた。家に残るのは、女性そしてP.U.の低い人に有意に多かった。

考察と結論

 パッカム村の人々の健康状態は、BMIとUN/Crの値から、良好であることが示唆された。彼らの生計活動、特に焼畑農耕は、持続的な生計活動で、環境の持続的維持にも有効と判断された。ただし、彼らの行う焼畑農耕は、陸稲に依存するものの収穫時期の異なるトウモロコシ・根茎類の混合栽培により、食糧の安定供給に寄与していることが示された。このような持続的環境利用と食糧の安定供給のなかで、人々の健康が維持されてきたと判断された。さらに、ティンの伝統的社会システム(拡大家族制・婚姻規制・行動規制など)は、労働力の確保に貢献し、かつ世帯間の平均化につながっていることが示された。特に拡大家族制は、C.U.とP.U.の比を小さくする点で、婚姻・行動規制(慣行)による世帯間の労働の扶助は、世帯間の投入労働力の差を小さくする点で、有効に作用していると判断された。また、主として主食を生産する農耕以外の生計活動は、個人によって多様であり、個々人の特性によっていることが示された。

 近代化の過程で起こりうる変化を仮定した場合、拡大家族から核家族に移行すると、各世帯におけるC.U.に対するP.U.の割合(C/P)が多様化することが示唆された。また、パッカム村のような社会における世帯やコミュニティ全体での労働力については、特に若い男性が日雇い労働など農耕以外に携わる時間が増えることが持続的な生産性を低下させることが問題と考えられた。これらの結果は、発展途上国で伝統的な社会システムを維持している農村社会において、近代化の影響が強まる中で将来の食糧生産を中心とする適応機構を予測するうえで示唆的と考えられる。

審査要旨

 本研究は焼畑農耕民ティン族の生計適応を、特に農耕活動における社会および行動規制システムに着目して解明することを目的とした。調査地は、タイ北部ナーン県ボークルア郡パッカム村で、調査期間は、1回目が1992年9月から1993年9月、2回目が1994年6月から1995年2月、3回目が1995年4月から6月で、延べ20ヶ月間であった。調査終了時の世帯数は17、人口は156人(男性79人、女性77人)で、結果は下記のとおりであった。

 1.健康状態の把握は、身体測定と尿検査を指標に行った。平均身長は、成人男性で157.7cm(SD4.7)、成人女性で150.5cm(SD3.9)、平均体重は、それぞれ53.1kg(SD5.1)、47.8kg(SD1.1)であった。BMI(Body Mass Index:体重/身長2)は、それぞれ21.3(SD1.1)、21.1(SD2.1)で、FAO/WHO/UNU(1985)による望ましい範囲(男性18.7-23.8、女性20.1-25.0)に含まれていた。尿検査は濾紙法を用いて、クレアチニン・尿素窒素・ナトリウム・カリウムを測定し、尿素窒素/クレアチニン比(以後、UN/Cr)をSimmons(1972)の結果をもとに、対象者の1日当たりの蛋白質摂取量を推定したところ、体重当たり男性が1.5g/kg、女性が1.4g/kgとなり、FAO/WHO(1975)が示す安全値0.75g/kgを十分に超えることが示唆された。その結果、健康状態は、良好と判断された。

 2.食物摂取調査を生産と消費の基本的な単位である世帯を対象に、10日間ずつ3回、インタヴュー調査を行った。1回目は、トウモロコシの収穫の終了間近で、トウモロコシの摂取頻度が66%で、コメは20%にとどまった。2回目は、コメの収穫後で、根茎類の収穫時期にあたり、コメが95%、コメと根茎類の組み合わせを含めると98.5%になった。3回目は、トウモロコシ・コメの収穫前でタロの収穫の初期で、コメが91%、コメとタロの組み合わせが7.5%であった。その結果、彼らの行う焼畑農耕は、陸稲に依存するものの収穫時期の異なるトウモロコシ・根茎類の混合栽培により、食糧の安定供給に寄与していることが示された。このような持続的環境利用と食糧の安定供給のなかで、人々の健康が維持されてきたと判断された。

 3.活動調査は、15歳以上の村人全員を対象に、それぞれの人がどこに何の活動をしに出かけたかを訊ねた。得られた回答から、食物消費に直接的にまたは間接的に(換金をとおして)関係するものとして農耕、狩猟・採集、茶摘み、購入・交換、日雇い労働の5つ、及び家に残ることを加え、計6つのカテゴリーについてJMP(マッキントッシュ用)を用いて分析を行った。活動分析のために個人、そして特に世帯ごとの生産者単位(以後、P.U.)、消費者単位(以後、C.U.)を用いた。P.U.の同定には既存の方法に本調査集団の特性から修正したものを、C.U.の同定には、FAO/WHO/UNU(1985)による性・年齢別エネルギー必要量と体重を用いた。世帯レベルでのP.U.とC.U.は、非常に高い有意な相関を示した(p<0.001)。各世帯の畑で働いた人数を労働投入量として求め、自分の世帯メンバーと他の世帯メンバーに分けて分析した結果、ティン族の伝統的社会システム(拡大家族制・婚姻規制・行動規制など)は、労働力の確保に貢献し、かつ世帯間の相互扶助につながっていることが示された。特に拡大家族制は、C.U.とP.U.の比を小さくする点で、婚姻・行動規制(慣行)による世帯間の労働の扶助は、世帯間の投入労働力の差を小さくする点で、有効に作用していると判断された。また、主食を生産する農耕以外の生計活動は、個人によって多様であり、個々人の特性によっていることが示された。狩猟・採集は女性に比べ男性に、またP.U.の高い人に、茶摘みはP.U.の高い人に、日雇い労働はより若い男性に、家に残るのは、女性そしてP.U.の低い人に有意に多かった。パッカム村のような社会における世帯やコミュニティ全体での労働力については、近代化の影響により、特に若い男性が日雇い労働など農耕以外に携わる時間が増えることが、これまでの持続的な生産性を低下させることが問題と考えられた。

 これらの結果は、発展途上国で伝統的な社会システムを維持している農村社会において、近代化の影響が強まる中で将来の食糧生産を中心とする適応機構を予測するうえで示唆的と考えられる。

 以上、本論文は焼畑農耕民ティン族の生計適応を、特に農耕活動における社会および行動規制システムに着目して明らかにした。本研究はこれまで報告の少ない、焼畑農耕民ティン族の健康状態を把握し、それを支えている生計活動適応の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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