本研究は焼畑農耕民ティン族の生計適応を、特に農耕活動における社会および行動規制システムに着目して解明することを目的とした。調査地は、タイ北部ナーン県ボークルア郡パッカム村で、調査期間は、1回目が1992年9月から1993年9月、2回目が1994年6月から1995年2月、3回目が1995年4月から6月で、延べ20ヶ月間であった。調査終了時の世帯数は17、人口は156人(男性79人、女性77人)で、結果は下記のとおりであった。 1.健康状態の把握は、身体測定と尿検査を指標に行った。平均身長は、成人男性で157.7cm(SD4.7)、成人女性で150.5cm(SD3.9)、平均体重は、それぞれ53.1kg(SD5.1)、47.8kg(SD1.1)であった。BMI(Body Mass Index:体重/身長2)は、それぞれ21.3(SD1.1)、21.1(SD2.1)で、FAO/WHO/UNU(1985)による望ましい範囲(男性18.7-23.8、女性20.1-25.0)に含まれていた。尿検査は濾紙法を用いて、クレアチニン・尿素窒素・ナトリウム・カリウムを測定し、尿素窒素/クレアチニン比(以後、UN/Cr)をSimmons(1972)の結果をもとに、対象者の1日当たりの蛋白質摂取量を推定したところ、体重当たり男性が1.5g/kg、女性が1.4g/kgとなり、FAO/WHO(1975)が示す安全値0.75g/kgを十分に超えることが示唆された。その結果、健康状態は、良好と判断された。 2.食物摂取調査を生産と消費の基本的な単位である世帯を対象に、10日間ずつ3回、インタヴュー調査を行った。1回目は、トウモロコシの収穫の終了間近で、トウモロコシの摂取頻度が66%で、コメは20%にとどまった。2回目は、コメの収穫後で、根茎類の収穫時期にあたり、コメが95%、コメと根茎類の組み合わせを含めると98.5%になった。3回目は、トウモロコシ・コメの収穫前でタロの収穫の初期で、コメが91%、コメとタロの組み合わせが7.5%であった。その結果、彼らの行う焼畑農耕は、陸稲に依存するものの収穫時期の異なるトウモロコシ・根茎類の混合栽培により、食糧の安定供給に寄与していることが示された。このような持続的環境利用と食糧の安定供給のなかで、人々の健康が維持されてきたと判断された。 3.活動調査は、15歳以上の村人全員を対象に、それぞれの人がどこに何の活動をしに出かけたかを訊ねた。得られた回答から、食物消費に直接的にまたは間接的に(換金をとおして)関係するものとして農耕、狩猟・採集、茶摘み、購入・交換、日雇い労働の5つ、及び家に残ることを加え、計6つのカテゴリーについてJMP(マッキントッシュ用)を用いて分析を行った。活動分析のために個人、そして特に世帯ごとの生産者単位(以後、P.U.)、消費者単位(以後、C.U.)を用いた。P.U.の同定には既存の方法に本調査集団の特性から修正したものを、C.U.の同定には、FAO/WHO/UNU(1985)による性・年齢別エネルギー必要量と体重を用いた。世帯レベルでのP.U.とC.U.は、非常に高い有意な相関を示した(p<0.001)。各世帯の畑で働いた人数を労働投入量として求め、自分の世帯メンバーと他の世帯メンバーに分けて分析した結果、ティン族の伝統的社会システム(拡大家族制・婚姻規制・行動規制など)は、労働力の確保に貢献し、かつ世帯間の相互扶助につながっていることが示された。特に拡大家族制は、C.U.とP.U.の比を小さくする点で、婚姻・行動規制(慣行)による世帯間の労働の扶助は、世帯間の投入労働力の差を小さくする点で、有効に作用していると判断された。また、主食を生産する農耕以外の生計活動は、個人によって多様であり、個々人の特性によっていることが示された。狩猟・採集は女性に比べ男性に、またP.U.の高い人に、茶摘みはP.U.の高い人に、日雇い労働はより若い男性に、家に残るのは、女性そしてP.U.の低い人に有意に多かった。パッカム村のような社会における世帯やコミュニティ全体での労働力については、近代化の影響により、特に若い男性が日雇い労働など農耕以外に携わる時間が増えることが、これまでの持続的な生産性を低下させることが問題と考えられた。 これらの結果は、発展途上国で伝統的な社会システムを維持している農村社会において、近代化の影響が強まる中で将来の食糧生産を中心とする適応機構を予測するうえで示唆的と考えられる。 以上、本論文は焼畑農耕民ティン族の生計適応を、特に農耕活動における社会および行動規制システムに着目して明らかにした。本研究はこれまで報告の少ない、焼畑農耕民ティン族の健康状態を把握し、それを支えている生計活動適応の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |