学位論文要旨



No 112140
著者(漢字) 魚田,雅彦
著者(英字)
著者(カナ) ウオタ,マサヒコ
標題(和) 走査トンネルDLTS顕微鏡の試作
標題(洋)
報告番号 112140
報告番号 甲12140
学位授与日 1996.05.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3714号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 竹内,伸
 東京大学 講師 伴野,達也
内容要旨 はじめに

 半導体中の深い準位を定量的に評価する手法として標準的なものにDLTS(Deep Level Transient Spectroscopy)法がある。これはSchottky接合またはpn接合のバイアス電圧を急激に変動させた時の、接合容量の過渡的応答の温度変化を測定し深い準位のエネルギーレベル、密度及び捕獲断面積を求めるものである。しかし、この手法には、電極の存在・平均化された情報・面内分布の分解能が低いという短所がある。この短所を補うために、STM(Scanning Tunneling Microscope=走査トンネル顕微鏡)を導入し、非接触で電極の存在しない、かつ空間分解能をディープサブミクロンまで高めたDLTS測定を行う装置を試作した。

測定原理

 STM測定において半導体試料では、特に表面準位によるFermi levelのpinningによりSTMバイアス電圧のほとんどがトンネル接合に印加される場合、普通のDLTS測定と同じバイアス電圧変動法は使えず汎用性という点で劣る。そこで光照射によるSPV(Surface Photovoltage=表面光起電力)をバイアス電圧の代わりとする。

 バンドギャップ以上のエネルギーの光照射により半導体中に生成した電子-正孔対は表面近傍のバンドベンディングにより分離され、表面ヘドリフトした少数キャリアによってSPVが発生する。STMの探針を半導体試料表面にトンネル領域まで接近させた状態で光を間欠的に照射すると、SPVの形成・消滅に伴ってトンネル電流が変化する(光トンネル電流と呼ぶ)のが観測される(図1)。表面ヘドリフトした少数キャリアは表面準位や表面直下にあるバルクのディープセンターに捕獲・再放出されるので、光照射のon/offに対する光トンネル電流の過渡応答には光DLTSと同様の情報が含まれる。トンネル電流により表面再結合速度が十分速いときには、

 

 すなわちSPVの時間差をSPVの大きさで割ったもの(SPV-DLTSと呼ぶ)は、深い準位の密度及び少数キャリアのlifetimeに比例する。トンネル電流-電圧特性がリニアな領域においてSPVは光トンネル電流に比例するので、光トンネル電流及びその時間差を、試料温度を変えて測定することでSPV-DLTSシグナルが得られる。さらに探針を走査すると、通常の凹凸像と同時にセンターの面内分布をも調べることが可能である。

図1 光トンネル電流の様子。温度により過渡応答時定数が変わる様子がはっきり見てとれる。図2 測定系概略図
実験装置

 超高真空STMを一から設計・製作し、測定原理を検証する研究を行った。装置の構成は図2の通りで、時定数の異なるフィードバックを2系統持つ超高真空用STMに、バンドギャップ超のエネルギーの光を照射、トンネル電流に重畳する光トンネル電流をLOCK-IN及びBOXCARでdetectする回路と、温度制御部分を追加したものである。

結果と考察

 試料として、Siドープn+-GaAs(n=1018cm-3)バルク結晶中に塑性変形により転位を導入したものを用意した。

図3 温度スペクトルa)光DLTS、b)SPV-DLTS

 図3a)は、この試料の(100)面にAuのSchottky電極を付けて780nmの励起光で測定した光DLTSスペクトル(時定数2.1ms)である。図3b)は、同じ試料を(110)面で劈開し、窒素雰囲気中でPt-Ir合金を探針にして測定した非接触DLTSスペクトルである。光DLTSスペクトルの350K付近に観察される少数キャリアトラップに対応するピークが、非接触DLTSスペクトルにも再現性良く現れている。

 スペクトルが一見noisyなのは、試料中のディープセンターが不均一に分布していて、空間分解能の高い探針が温度スキャン中に熱ドリフトしてこの不均一性を検出し、温度スペクトルに重畳するためと考えられる。これを検証するため、上とは異なる試料について室温でSTM観察しながら、各測定点においてSPVの振幅及び過渡応答を測定し面内分布を得た。

 結果を図4に示す。スキャン範囲1400Aのa)表面凹凸像、b)SPV振幅像、c)SPV-DLTS像(時定数4.1ms)である。b)はディープセンターの濃度が高いところが暗く、c)では明るく観察されているものと考えられ、試料面内のディープセンターの不均一な濃度分布が観測できた。

図4 室温におけるa)STM像、b)SPV振幅像、C)SPV-DLTS像
審査要旨

 近年の半導体デバイスの微細化は、リソグラフ技術によるミクロンスケールの加工から更に進み、分子線エピタキシーなど新しい結晶成長技術の導入によっていわゆるナノメートルスケールの領域にまで達しつつある。これに伴い、デバイスの特性を左右する結晶の不完全性、すなわち結晶欠陥の存在形態(欠陥種とその分布)の評価も、ナノメートルスケールの空間分解能をもって行う必要が生じてきた。半導体のエネルギーギャップ中に深い電子準位を持つ結晶欠陥を検出するためには、従来から容量過渡応答分光法(Deep Level Transient Spectroscopy: DLTS)が有効な測定法として用いられているが、DLTS測定には、ショットキー電極などの接触電極が必要であること、これがために空間分解能がこれまで最も良い場合でも1ミクロン程度と低いという欠点があった。本論文は、走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy: STM)を使ってDLTS測定を非接触かつ極めて高い空間分解能で行う新しい方法を考案し、そのための実験装置を試作し、試作装置を使って本手法の有効性を実証することを試みたものである。

 本論文は8章よりなる。

 第1章は序論であり、研究の背景として、上に述べたナノスケール微細構造における局所物性測定の必要性が述べられ、本研究の目的として、「走査トンネルDLTS顕微鏡」とでも呼ぶべき新しい原理にもとづく測定装置を試作することが述べられ、装置が機能的に満たすべき条件を列挙している。

 第2章は本論文のキーワードのひとつであるDLTS法と関連する諸概念に関する基礎的事項を説明している。特に走査トンネルDLTS顕微鏡に直接対比すべき光DLTS法と、非接触DLTS法のひとつで本研究と最も関係が深い表面光起電力(Surface Photovoltage:SPV)を使ったDLTS法について解説を加え、本研究の位置づけを行っている。

 第3章は本研究で考案した「走査トンネルDLTS顕微鏡」の原理とSPVの過渡応答に関する著者による理論的考察が述べられている。まずDLTSをSTMで行うにあたって、空乏層近似のもとでSPVの過渡応答がどのようなパラメータに依存するか、また表面固有なパラメータを消去して表面下にあるトラップセンター密度を抽出するためにはどのような量を測定すべきかを理論的に検討している。

 第4章は実験装置に関する説明で、STM装置とSTM-DLTS装置に分けて、各部の仕様と設計思想、試作した装置の構造と機能が述べられている。STM機構の主要部、制御回路系、制御用ソフトウェアはいずれも本論文提出者の自作で、市販装置にない操作上のフレキシビリティを備えている。STM-DLTS装置は、STM装置に断続光を照射する機構と試料加熱機構及び測定系を付加したもので、試料の温度スキャンによってDLTS温度スペクトルを、探針の試料面上スキャンによって諸信号の試料面内分布像を得ることができる。またこの章では、実験上発生する種々の偽情報を実験結果の解析の際にいかに考慮すべきかを定量的に検討している。

 第5章は試作した装置の性能を評価するための実験方法を記している。試料には室温よりわずか上にホールトラップのピークが検出されることが期待される塑性変形したn-GaAs単結晶を用い、光DLTS法によるトラップ存在の確認、非接触DLTS温度スペクトルの測定、DLTS信号等の試料面内分布像の観察を行うための手順が記されている。

 第6章は実験結果について述べられている。まず、本方法によって得られたDLTS温度スペクトルは光DLTS法で得られるものと基本的に良く一致することが示される。次に、DLTS信号とSPV信号が試料面内で分布を示すこと、さらに両者のあいだに空間的な相関が認められることを明らかにしている。また、DLTS信号の試料面内分布像の分解能は数十nm以上であった。

 第7章は実験結果に対する考察に充てられている。最初に、DLTS温度スペクトルに見られるデータ点の大きなばらつきは、単なるノイズではなくて、非常に鋭い探針が温度スキャンとともに熱ドリフトによって試料面上の異なる場所をプローブして行く結果、DLTS信号の温度変化のうえに試料面内分布による変動が重なってしまうためであることを、試料面内分布像のコントラストから定量的に示している。また、DLTS信号とSPV信号の空間的な相関からは、DLTS信号像のコントラストが表面下空乏層内に存在するホールトラップの密度分布を表したものであることを結論している。さらに、この結論にもとづき、本方法で実現する空間分解能を理論的に考察し、実験との良い一致を得ている。

 第8章は本論文のまとめで、試作した「走査トンネルDLTS顕微鏡」により、DLTS温度スペクトルが非接触に測定可能であること、表面下に存在する少数キャリアトラップが検出可能であること、数十nm以上の空間分解能を有すること、が実証されたと結論している。

 以上を要するに、本研究は、ナノメートルスケールの空間分解能でDLTS測定を非接触で行う新しい原理に基づく「走査トンネルDLTS顕微鏡」を考案・試作し、その基本的性能を試作機で実証したものである。これらの業績は、半導体工学における結晶評価技術に従来の限界を打ち破る新しい測定手法を提供するのみならず、結晶欠陥物理学の基礎的研究の発展にも寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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