学位論文要旨



No 112142
著者(漢字) 下野,彰夫
著者(英字)
著者(カナ) シモノ,アキオ
標題(和) レーザー分光法を用いた微量大気化学種の大気 : 水界面への取り込み過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 112142
報告番号 甲12142
学位授与日 1996.05.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3716号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 秋元,肇
内容要旨

 昨今の大気環境問題の解明のため、大気化学における不均一反応の定量評価の重要性が指摘されている。大気環境での不均一反応の寄与を正確に見積もるためには、微量大気化学種の気相から液相あるいは固相への取り込みを平衡論のみにより扱うのではなく、速度論により扱う必要がある。微量大気化学種の取り込み過程はいくつかの素過程からなるが、この中で界面物質移動の流束を測定し、単位時間・単位面積当たり界面に衝突する分子のうち、液相あるいは固相に取り込まれる分子数を表す取り込み係数を測定することが重要な課題となっている。とりわけ、微量大気化学種が大気中に普遍的に存在する水表面に取り込まれる場合の取り込み係数を実験的に決定する必要があった。しかし、これ迄の報告はいくつかの素過程を含む取り込み現象を総括して扱い、取り込み前後の気相平均濃度の減少量の測定より、気相における輸送等の影響を差し引いて取り込み係数の決定を行っていたため、決定精度は気相における流れ場の確立とその解析に大きく依存するものであった。本研究者はもし界面近傍における微量大気化学種の濃度分布を観測できるならば、すなわち分子拡散により起こる界面物質移動の流束を直接的に観測できるならば、得られた界面近傍の濃度分布の直線近似における濃度勾配および気相界面濃度を表す切片値と、取り込み係数を介して気体分子運動論により定義される界面に衝突する分子数と界面における取り込みの流束を結合する式を用いて、取り込み係数を正確に決定しうると考えた。

 このような取り込み係数の直接測定法として、鉛直同軸上での気液の衝突流の場のモデルを検討し、数値解析を行って上述の理論を検証するとともに、濃度分布を検出する手段としてレーザー誘起蛍光法が適用できることを見出した。さらにこの直接測定法、インピンジング・フロー法は気相の流れ場の条件にほとんど影響を受けることなく取り込み係数を決定できることを実証した。インピンジング・フロー法は気液の接触時間10〜100ms程度の取り込み現象を観測し、取り込み係数10-1〜10-5の測定に適用可能である。またもう一つの直接測定法として、ラジカル等を光分解により生成し、その非定常状態における界面近傍の濃度分布から取り込み係数を決定するパルス生成法を提案し、数値解析により理論の検証を行うとともに、レーザー誘起蛍光法を適用して濃度分布を測定して取り込み係数の決定を行い、この方法が直接測定法として成立する可能性を明らかにした。

 ここに開発したインピンジング・フロー法を用いて、酸性雨生成に関与し、特に不均一反応の寄与が大きいとされるSO2について、供試する水の条件を変えて取り込み係数を測定し、そのpH依存性および濃度依存性が溶解したSO2の酸解離反応に起因することを示した。さらに取り込み係数の時間依存性の測定結果と併せて、取り込み係数が従来より知られる酸解離平衡反応の正方向反応速度定数を用いて説明できること、およびmsオーダーの観測時間における取り込み係数の極限値は0.028±0.08であることを示し、このことからSO2の場合は、大気環境において界面物質移動が総括の物質移動を制限することはほとんどないと結論した。

 SO2と同様、酸性雨生成と関係の深いNO2について、インピンジング・フロー法を適用して取り込み係数を測定し、そのpH依存性および濃度依存性から、取り込み係数は液相における酸解離反応の影響を受けないことを示した。取り込み係数の大きさは6×10-4前後であり、取り込み係数の時間依存性の測定結果および取り込み係数の示す正の温度依存性と併せて考察すると、従来より知られる液相化学反応およびヘンリー定数から予測されるよりも大きな値であり、取り込みの初期過程に関する新たなモデルを構築する必要があることを明らかにした。

 微量大気化学種の中でラジカルの気液界面過程はほとんど知られていない。そこで最も重要なラジカルであるOHについて、その生成に放電流通法を併用し、インピンジング・フロー法を適用して取り込み係数を測定した。取り込み係数は中性で低く、酸性およびアルカリ性で高いという特性を示した。OHの取り込み係数の大きさは4×10-3前後であり、従来より知られる液相化学反応およびヘンリー定数から予測されるよりも大きな値であり、この場合についても取り込みの初期過程に関する新たなモデルを構築する必要があることを明らかにした。

 以上をまとめて、気液の界面近傍の濃度分布の測定に基づく取り込み係数の直接測定法を開発し、その適用性を実証した。またその直接測定を用いて代表的な微量大気化学種であるSO2、NO2およびOHラジカルの大気-水界面における取り込み係数の実測を行い、得られた結果をそれらの液相化学と併せて考察した。

審査要旨

 本論文は「レーザー分光法を用いた微量大気化学種の大気-水界面への取り込み過程に関する研究」と題し、大気化学において重要な大気-水界面物質移動過程に関して、新規な手法を案出して、基礎的な側面から速度論的解明を試みたものである。このため、レーザー分光法の有する高い空間分解能を利用して、界面近傍の活性化学種濃度分布を直接的に追跡し、その過渡的挙動の解明と併せて微量大気化学種の水への取り込み係数の決定を行った。

 本論文は6章よりなる。第1章は序論であり、大気-水界面における微量化学種の取り込み過程の速度論的なモデルを示した後、取り込み係数の測定がその要諦をなすことを述べた。その上で、従来からの取り込み係数の測定法の相互比較を行い、それらの有する問題点について論じ、取り込み係数の直接測定法を案出することの重要性を示した。

 第2章はレーザー分光法による界面物質移動過程研究の方法論の開発について述べている。すなわち、微量大気化学種の大気-水界面への取り込み係数の測定法として、従来の測定法では取り込み係数の決定値が、気相の流れ場の確立と解析方法の影響を受けやすいという問題点を挙げ、それを解決する方法として、界面近傍の気相濃度分布を観測することにより直接的に取り込み係数を求める測定法が成立し得ることを示した。その上で、直接測定法として、レーザー分光法を用いて定常場の濃度分布測定を行うインピンジング・フロー法を提案し開発を試みた。この直接測定法においては、10-1〜10-5の範囲の取り込み係数が測定可能であり、観測可能な取り込み現象は10ミリ秒のオーダーであることを示した。この測定法では、界面物質移動が大気中における不均一過程において律速的に作用するか否かの境界となる10-3オーダーの取り込み係数値に対し、特に感度が高いことが利点である。さらに、開発した直接測定法により、SO2を対象として種々の因子に対する依存性を検討して、開発した直接測定法の実証を行い、取り込み係数が精度よく求まることを示している。インピンジング・フロー法の開発にあわせて、非定常場において活性種を生成するパルス法についても原理的な解析を行い、基本的なモデル実験による検証を行っている。

 第3〜5章では、インピンジング・フロー法を、大気化学において、その不均一反応過程の解明が重要な意味をもつ安定化学種のSO2とNO2、および極めて重要なラジカルであるOHラジカルに適用し、それらの取り込み係数の決定を行っている。

 第3章ではSO2に関して行った研究の結果が述べられている。気液界面接触時間が数10〜数100ミリ秒オーダーにおいてSO2の取り込み係数を測定し、急速な酸解離平衡達成直後の極限値として、293.45K、pH13.2の条件では、0.028±0.008であると求めている。この取り込み係数は、液相における溶解したSO2の酸解離平衡と、関連するバルクにおける液相反応速度定数を用いて説明できるとしている。さらに本研究のような低濃度の系においては、表面錯体が取り込み過程へ寄与する効果はごく小さいと結論している。

 第4章ではNO2に関して行った研究の結果が述べられている。気液界面接触時間が数10〜数100ミリ秒オーダーにおいてNO2の取り込み係数を測定し、代表的な条件下では、293.15Kの温度下で(5.5±2.0)×10-4と求めている。取り込み係数の濃度依存性は小さく、またpH依存性は認められていない。得られた取り込み係数の大きさおよびその時間依存性は、バルクにおける液相反応速度定数では説明できず、非常に速い表面に特有の反応が存在する可能性を指摘している。

 第5章ではOHラジカルに関して行った研究の結果が述べられている。この章では、ラジカル生成法として放電流通法を用い、測定にインピンジング・フロー法を適用し、気液界面接触時間が数10〜数100ミリ秒オーダーの測定を行っている。pH5.6の条件で取り込み係数は0.004程度の値を示し、酸性およびアルカリ性の両側へ向けて増大する傾向を見いだしている。酸性側で取り込みが増大することは、大気化学においては硫酸エアロゾルがシンクとして比較的重要となる可能性を示すものであると考察している。

 第6章は総括の章である。各章で得られた結論を総合して、新規に案出したレーザー分光法とインピンジング・フロー法の組み合わせによる直接的測定の利点を明らかにし、また得られた取り込み係数の持つ意味を大気化学の側面から論じている。さらに多くの化学種が本法の対象として考えられること、本法のより広い適用に関しても展望を示している。

 以上要するに、本論文は大気化学において重要な気液界面物質移動過程について、レーザー分光法を濃度分布測定に用いるインピンジング・フロー法を案出して測定法として確立するとともに、いくつかの重要な微量大気化学種に適用して取り込み係数を求め、その意味を明らかにしたものであり、化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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