学位論文要旨



No 112144
著者(漢字) 長谷川,通
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,トオル
標題(和) 航空運賃の規制緩和と現状に関する研究
標題(洋)
報告番号 112144
報告番号 甲12144
学位授与日 1996.05.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第104号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 植草,益
 東京大学 教授 藤原,正寛
 東京大学 教授 金本,良嗣
 東京大学 教授 國友,直人
 東京大学 教授 西村,清彦
内容要旨

 ・従来のエアライン・エコノミクスの実証研究では、イールド、単位費用、有効トンキロ、営業利益率といったマクロ的な経済・財務指標が主に用いられ、個々の運賃水準・体系が正面から取り上げられることはなかった。しかしながら、イールドが個々の運賃水準・体系と一致しないように、マクロ的な指標だけからではみえてこない現象、いいかえれば、運賃水準・体系そのものを分析してはじめて明らかになる問題も多い。本稿は、そうした諸問題に焦点を当てる最初の試みであり、具体的な分析課題は、規制緩和された航空市場において、航空会社がいかなる運賃設定行動をとり、結果として、どのような運賃水準・体系が実現されているのかを解明する、というものである。

 ・第1章では、本論に入る前に、航空市場の現状とその特有の性質を、需要と費用の2側面に分けて述べる。次に第2章では、分析課題に接近する理論視角について一定の整埋を行う。第3章から第7章では、国(地域)別に、分析課題に取り組む。第3章は1980年代のアメリカ国内線、第4章は1990年代のアメリカ国内線、第5章はアメリカ発着国際線、第6章はヨーロッパ(EU)域内路線、第7章は日本の国際線と国内線運賃を扱う。最後に第8章で本稿を要約し、いくつかの政策含意を述べる。さらに補章としてIATA運賃調整に関する小論を付す。

 ・第2章 分析課題の理論的整理:価格差別に関する複数の理論モデルを基礎として、次のような航空会社の運賃設定行動に関するシナリオを導き出した。航空会社は、大型機材による多便数運航を実現するために、ビジネス旅客向けの普通運賃を平均費用を上回る水準、観光客向けの特別運賃を平均費用を下回る水準にそれぞれ設定する。この普通運賃へのマークアップ付けは、多便数運航に伴う費用回収を目的とする場合に許容されるが、航空市場には運賃情報に通じた[探索者」の数が少なく、かつ航空会社は探索者を識別可能できるために、普通運賃には、特別運賃の引き下げ戦略を支えるための内部補助分も上乗せされてしまう。その結果、特別運賃は短期限界費用近似の競争価格、普通運賃は独占価格の方へそれぞれ偏った価格分布で均衡することになる。しかも、競争が進展するにつれて、観光客の交差価格弾力性が大きくなるので、特別運賃は多様化しながら全体として大幅に下落し、その裏返しとして普通運賃に対するマークアップ率が大きくなる。こうして競争が激しさを増すほど、運賃体系が多様化しつつ、運賃間の上下格差・内部補助が深刻化することになる。

 ・第3章 アメリカ国内線運賃(その1):規制緩和後のアメリカ国内線は、市場構造の変化によって、1979年-1980年代前半の第1局面、1980年代半ば-1991年の第2局面、1991年以降の第3局面の3つの時期に分けることができる。その第1局面では、新規参入が相次ぎ集中度が低下するとともに、平均運賃水準が実質的に低下した。第2局面になると、イールド・マネジメントの採用、CRSによる流通支配、FFPの浸透、ハブ・アンド・スポーク型へのネットワーク再編といった大手航空会社が採用した競争戦略によって、低運賃を売りとする参入企業は次々に淘汰され、平均運賃水準が上昇した。この第1局面と第2局面を対象とした計量分析の結果、空港の搭乗旅客シェアが運賃水準に及ぼす影響が、時期と伴に変化していることが明らかになった。すなわち、航空会社が運賃水準へプレミアムを上乗せする力は、空港の搭乗旅客シェアの高まりとともに増大するが、その影響力は、ハブ・アンド・スポーク型ネットワークへの再編途上にある1980年代半ばに最も強くなり、1980年代後半にはむしろ低下している。その理由は、ハブ・アンド・スポーク型ネットワークが完成したことで、ハブ経由の乗り継ぎ便の競争力が増し、中長距離路線で競争が激しくなったことによる。

 ・第4章 アメリカ国内線運賃(その2):規制緩和の第3局面になると、ハブ・アンド・スポーク型ネットワークの成熟によって、大手航空会社間の運賃競争が中長距離路線で激しさを増す一方、短距離路線では、低費用・低運賃・多便数運航を特徴とするサウスウエスト航空や新規参入企業が、大手航空会社のマーケット・シェアを浸食するようになった。その結果、第3局面の大手航空会社は、ハブ空港における搭乗旅客シェアを拠りどころとして運賃にプレミアムを上乗せする力を完全に喪失した。また、別の計量分析によって、第3局面の特別運賃は、ノン・ストップ便だけでなく乗り継ぎ便との競争によっても引き下げられているが、高額な普通運賃は、乗り継ぎ便から有意な影響を受けていないことを実証した。さらに、競争が激しい都市間路線ほど、設定される運賃の種類・数が多くなっているか、同じく競争が激しさを増すにつれて上下格差が拡大しているかどうか、を計量的に検証したところ、おおむね肯定的な結果を得られた。

 ・第5章 アメリカ発着国際線運賃:国際線市場では規制と競争が併存しているので、最初にアメリカ運輸省の2つの規制について概説した。そして最も規制緩和が進展しているアメリカ発EU行きをサンプルとして計量分析を行い、次の結果を得た。第1に、アメリカ国内線とは異なり、ノン・ストップ便との競争が特別運賃とYクラス普通運賃を有意に引き下げ、乗り継ぎ便との競争がFクラス・Cクラス普通運賃を小幅ながら引き下げている(ノン・ストップ便の競争によって低下した特別運賃を内部補助するために、普通運賃が引き上げられていることはなかった)。長距離国際線ではビジネス旅客に占める乗り継ぎ客の比率が高いので、彼らが主に利用するFクラス・Cクラス普通運賃は、乗り継ぎ便から競争圧力を受けるのである。それに対して、運賃水準が低い特別運賃とYクラス普通運賃の大半は、精算実収を高めるためにインターライニングを実質的に制限しているので、乗り継ぎ便ではなく、ノン・ストップ便から強く影響を受けることになる。第2に、競合企業数の増加が、運賃体系の多様化・上下格差の拡大を促進している。しかし、その影響力は、アメリカ国内線ほど大きなものではない。その理由は、国際線にはIATA協定運賃が存在し、航空会社がこのIATA協定運賃を基準に据えて独自の割引を行っていることによるものと推察する。

 ・第6章 ヨーロッパ(EU)域内運賃:前半では、パッケージIIIが規制廃止ではなく、セーフガード付きの自由化を指向したものであることを論じた。後半では、前半の制度分析を基礎として、EU域内の運賃水準・体系を計量的・定性的に分析した。その結論は、EU域内では、ノン・ストップ便同士の競争によって、特別運賃が有意に引き下げられているが、その低額な特別運賃を内部補助するために、競合する航空会社数が多い路線の普通運賃が割高となり、運賃間の上下格差が大きく拡大しているというものである。これは、第2章のシナリオとほぼ一致する。ただし、設定運賃数と競合企業数の間には有意な相関関係をみいだすことはできなかった。また、チャーター便の低額なフラット運賃が、定期輸送航空会社の特別運賃を引き下げる役割を果たしてきたという仮説は妥当しておらず、チャーター便との競争は、定期便の運賃水準には影響せず運賃体系を多様化させる役割を果たしているにすぎない。さらに、記述データをみるかぎり、ブリティッシュ・ミッドランド航空によるベーシック・フェアの引き下げや、英国航空のWorld Offer運賃など、一部で規制緩和の効果が散見されるものの、パッケージIIIはEU域内の運賃構造をドラスティックに変化させるに至っていない。

 ・第7章 日本の国際線・国内線運賃:国際線には、非公式な格安航空券が存在するので、まずその発生理由を理論的に明らかにした。格安航空券が蔓延した理由を一言でいうと、硬直的な運賃認可制度(と二国間航空協定)が、損益分岐点に基づく運賃決定方式によって生みだされた空席に対する廉価販売を厳しく排除していたからである。ここ数年、運賃認可制度の弾力化により、特別運賃が引き下げられ、格安航空券と特別運賃の価格差は縮小傾向にあるが、それは、単に格安航空券が特別運賃に置き換えられているのではなく、普通運賃の引き上げを伴う運賃体系の再調整の一環として進展している。その結果、運賃間に著しい上下格差が発生した。このことは、部分的にしか運賃規制が緩和されていない市場であっても、第2章で提示したシナリオにそった形で航空会社の運賃設定行動が生じうることを意味している。一方、国内線運賃に関しては、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ブラジルの6カ国を国際比較し、普通運賃には6カ国でほとんど差がないが、特別運賃の場合、規制緩和されていない日本とブラジルが、規制緩和されている他の4カ国よりも、最大40-50%も割高でかつ多様化していないことを明らかにした。また、日本では、高密度のトリプル・トラック路線の方が低密度のダブル・トラック路線の運賃より高額であり、政府規制のもとで前者から後者へ路線間の内部補助が行われている。

 ・第8章 要約と展望:以上の分析結果を総合的にながめると、規制緩和された航空市場では、特別運賃に関しては競争が有効に機能しているが、普通運賃には競争効果がほとんど及んでいないことが分かる。そこで、普通運賃での競争促進策として、FFPやCRSなどに対する諸規制を論じた。

審査要旨

 長谷川通氏から提出された博士論文は、アメリカ、EUおよび日本の航空産業において実施されてきた規制緩和の推移を分析し、競争の導入がそれぞれの国の国際線と国内線における運賃の水準と体系にどのような変化をもたらしたかを、計量的に分析した研究である。従来の規制緩和に関する研究がおもに市場構造の変化に焦点をあててきたのに対して、長谷川氏の研究は価格の水準と体系の変化に焦点をあて、従来の経済学研究にはない新たなファクト・ファインディングを提示している。

 以下では、まず論文の各章の内容を手短に要約する。次いで、当論文の評価を述べる。

 提出論文の概要

 第1章(航空市場の現状とその性質)では、本論に入る前の序論として、航空市場の現状を分析するとともに、この市場の固有の特徴を需要(需要の成長性、需要の価格弾力性等)と費用(費用構成、規模の経済性等)の両面にわたって分析している。

 第2章(分析課題の理論的整理)では、規制の根拠、規制緩和への転換とその理論的根拠(コンテスタビリティ論)を検討した後に、従来の価格形成に関する理論(原価主義、価格差別論、情報の探索者モデル、寡占競争モデル等)をレビュウし、規制緩和後における競争の導入が航空市場に与える影響を分析するための仮説を提示している。仮説の主要なものを紹介しておこう。(1)競争が激しい路線ほど運賃水準(各種運賃の平均水準)が低い。他方で、航空会社は、市場支配力が行使できる独占的な市場では高い平均運賃を付けることができる。(2)運賃体系では、需要の価格弾力性が低いビジネス客用の運賃が平均費用を上回り、需要の価格弾力性が高い観光客用の運賃が平均費用を下回る。(3)運賃電子管理システム(ETF)の発達によって航空会社は需要実態の細部を知ることができるので、運賃体系が極めて多様化する。(4)競争の進展につれて、特別運賃は短期限界費用近似の競争価格、普通運賃は独占価格にそれぞれ接近し、普通運賃と特別運賃との上下格差が拡大する。

 第3章(アメリカ国内運賃-その1-)では、まず規制緩和後のアメリカ国内線が、市場構造の変化によって、第1局面(1979年-1980年代前半)、第2局面(1980年代後半-1991年)、第3局面(1991年以降)に分けられることを指摘して、第1局面と第2局面について上記の仮説を検証している。第1局面では新規参入が相次ぎ集中度が低下するとともに、平均運賃水準が低下した。第2局面では大手航空会社のハブ・アンド・スポーク型ネット・ワークの形成等の多様な競争戦略によって低運賃の参入企業が淘汰され、運賃水準が上昇したことが実証されている。これらの実証結果は従来の研究とほぼ一致している。

 第4章(アメリカ国内運賃-その2-)では、アメリカ国内線の第3局面を分析対象としている。この時期にはハブ・アンド・スポーク型ネット・ワークの成熟によって大手航空会社間の競争が中距離路線で激しくなり、さらに短距離路線では低費用・低運賃・多数便を特徴とする新規参入企業が大手会社のシェアを浸食して競争が激化した。この結果、運賃水準が以前よりも一層低下するとともに、運賃数の拡大および運賃の上下格差の拡大が顕著になったことが実証されている。この研究は従来のアメリカにおける研究にない新たな研究結果である。

 第5章(アメリカ発着国際線運賃)では、まず規制と競争が併存する状況を分析し、次に規制緩和が最も進展したアメリカ発EU行き便を事例として計量分析している。その結果、第1に、ノン・ストップ便との競争が特別運賃とエコノミー・クラス運賃を引き下げ、乗り継ぎ便との競争がファースト・クラスとビジネス・クラスの普通運賃を引き下げていること、第2に、競合企業数の増加が運賃体系の多様化・上下格差を拡大していることを明らかにしている。

 第6章(EU域内運賃)では、EUにおいては規制緩和の第3段階(パッケージIII)においても、規制緩和がアメリカほど徹底していない状況を分析した後に、ノン・ストップ便との競争によって特別運賃が有意に低下したが、低額の特別運賃を内部相互補助するために普通運賃が引き上げられ、運賃の上下格差が拡大したことが明らかにされている。

 第7章(日本の国際線・国内線運賃)では、まず国際線における「格安航空券」の氾濫状況を説明するモデルを提示し、この実態を理論的に解明している。近年、運賃認可制度の弾力化によって特別運賃が低下したため、特別運賃と格安航空券の価格差は縮小傾向にあるが、それに伴って普通運賃が引き上げられてきており、運賃の上下格差が拡大していることを解明している。規制緩和が部分的にしか実施されていない市場でも、上記の仮説が実証されると指摘している。

 次に、国内線では日本と他の5ヵ国の運賃の比較分析によって、普通運賃では6ヵ国でほとんど差がないが、特別運賃では、規制緩和が進んでない日本とブラジルが、規制緩和の進んでいる4ヵ国に比較して、最大40-50%も割高であり、運賃の多様化が進んでない現状を分析している。また、日本では需要が高密度な路線の方が低密度路線よりも運賃が割高であり、この内部相互補助が政府規制の下で実施されていることに疑問を投げかけている。

 第8章(要約と展望)では、全体を要約した後、運賃の上下格差拡大による内部相互補助問題を解決する方策を提示している。

 補論(IATAの運賃調整)では、これまで実態が明らかにされていないIATA(国際航空運送協会)の組織、運賃調整の実態、各国政府の規制とIATAの関係などを解明している。

 提出論文の評価

 以上が、長谷川通氏の提出した博士論文の要約である。この論文のメリットを挙げると、第1に、アメリカ、EUおよび日本における国内線・国際線の比較研究を通じて、規制緩和の進展度合いが運賃水準や運賃体系の変化に差をもたらしながらも、競争の進展によって運賃の平均水準の低下と上下格差の拡大というプライス・リバランスが急速に進んだことを鮮明に分析している。しかも、航空市場においては電子情報システム(特に運賃電子管理システム)の利用拡大によって、路線別・需要種別の詳細な需要実態が刻々把握できるため、需要の実態にあわせた運賃の多様化が急速に進むと同時に、内部相互補助を伴った運賃形成が一般化するメカニズムを解明していることも印象的である。

 第2に、膨大な数の政府関係および航空関係の資料収集によって、アメリカ、EUおよび日本の国内線および国際線の両方について制度の詳しい実態を分析し、一般には入手困難な多数のデータを収集して多くの計量分析を実施し、多くの新しいファクト・ファインディングを提示したことは敬服に値する。なかでも、第4章(アメリカの国内線第3局面)、第5章(アメリカ国際線)、第6章(EU域内運賃)および第7章(日本の国際・国内線)の計量分析結果は、長谷川氏独自の新たな研究結果であり、航空産業分析の新たな知見である。

 第3に、この制度分析および計量分析の結果を踏まえて、今後の競争導入の方向と規制のあり方を示唆している点も興味深い。すなわち、規制緩和による競争の進展は運賃の平均水準を低下させるが、運賃の上下格差を拡大させ、利用者間の内部相互補助を強化する問題について、理論的観点からsubsidy-freeの運賃体系を提案している。

 他方、デメリットとしては、本研究が実証研究に力点を置いているためか、理論編(第2章)がやや浅薄であると指摘しなければならない。とくにベルトラン・モデルの説明は不十分であるし、情報の探索者モデルについては情報の探索コストを入れた最近の研究をもっと紹介・摂取すべきである。また、この章における理論サーベイを踏まえた仮説の提示の仕方もやや唐突であり、本研究で分析された計量分析モデルとの関連でみると、もっと詳細な説明を伴った仮説の提示が必要である。

 また、論文の随所で政策提言に言及しているが、政策提言の根拠となる理論的解明の少ない点も不満である。

 以上述べたように、長谷川氏の研究は特に理論面に物足りない面を指摘しなければならないが、気鋭の研究者として精力的に取組んだ実証研究は、その分析結果の豊富さと斬新性において、航空産業経済学に大きな貢献となっている。特に、規制緩和によって価格がどのように変化するかをこれほど詳細に分析した研究はなく、本研究は今後の規制緩和に関する研究および政策論議に大きな影響を与えるであろう。以上の評価を踏まえて、長谷川通氏が提出した博士論文は、博士(経済学)の学位に値するものと認められる。

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