長谷川通氏から提出された博士論文は、アメリカ、EUおよび日本の航空産業において実施されてきた規制緩和の推移を分析し、競争の導入がそれぞれの国の国際線と国内線における運賃の水準と体系にどのような変化をもたらしたかを、計量的に分析した研究である。従来の規制緩和に関する研究がおもに市場構造の変化に焦点をあててきたのに対して、長谷川氏の研究は価格の水準と体系の変化に焦点をあて、従来の経済学研究にはない新たなファクト・ファインディングを提示している。 以下では、まず論文の各章の内容を手短に要約する。次いで、当論文の評価を述べる。 提出論文の概要 第1章(航空市場の現状とその性質)では、本論に入る前の序論として、航空市場の現状を分析するとともに、この市場の固有の特徴を需要(需要の成長性、需要の価格弾力性等)と費用(費用構成、規模の経済性等)の両面にわたって分析している。 第2章(分析課題の理論的整理)では、規制の根拠、規制緩和への転換とその理論的根拠(コンテスタビリティ論)を検討した後に、従来の価格形成に関する理論(原価主義、価格差別論、情報の探索者モデル、寡占競争モデル等)をレビュウし、規制緩和後における競争の導入が航空市場に与える影響を分析するための仮説を提示している。仮説の主要なものを紹介しておこう。(1)競争が激しい路線ほど運賃水準(各種運賃の平均水準)が低い。他方で、航空会社は、市場支配力が行使できる独占的な市場では高い平均運賃を付けることができる。(2)運賃体系では、需要の価格弾力性が低いビジネス客用の運賃が平均費用を上回り、需要の価格弾力性が高い観光客用の運賃が平均費用を下回る。(3)運賃電子管理システム(ETF)の発達によって航空会社は需要実態の細部を知ることができるので、運賃体系が極めて多様化する。(4)競争の進展につれて、特別運賃は短期限界費用近似の競争価格、普通運賃は独占価格にそれぞれ接近し、普通運賃と特別運賃との上下格差が拡大する。 第3章(アメリカ国内運賃-その1-)では、まず規制緩和後のアメリカ国内線が、市場構造の変化によって、第1局面(1979年-1980年代前半)、第2局面(1980年代後半-1991年)、第3局面(1991年以降)に分けられることを指摘して、第1局面と第2局面について上記の仮説を検証している。第1局面では新規参入が相次ぎ集中度が低下するとともに、平均運賃水準が低下した。第2局面では大手航空会社のハブ・アンド・スポーク型ネット・ワークの形成等の多様な競争戦略によって低運賃の参入企業が淘汰され、運賃水準が上昇したことが実証されている。これらの実証結果は従来の研究とほぼ一致している。 第4章(アメリカ国内運賃-その2-)では、アメリカ国内線の第3局面を分析対象としている。この時期にはハブ・アンド・スポーク型ネット・ワークの成熟によって大手航空会社間の競争が中距離路線で激しくなり、さらに短距離路線では低費用・低運賃・多数便を特徴とする新規参入企業が大手会社のシェアを浸食して競争が激化した。この結果、運賃水準が以前よりも一層低下するとともに、運賃数の拡大および運賃の上下格差の拡大が顕著になったことが実証されている。この研究は従来のアメリカにおける研究にない新たな研究結果である。 第5章(アメリカ発着国際線運賃)では、まず規制と競争が併存する状況を分析し、次に規制緩和が最も進展したアメリカ発EU行き便を事例として計量分析している。その結果、第1に、ノン・ストップ便との競争が特別運賃とエコノミー・クラス運賃を引き下げ、乗り継ぎ便との競争がファースト・クラスとビジネス・クラスの普通運賃を引き下げていること、第2に、競合企業数の増加が運賃体系の多様化・上下格差を拡大していることを明らかにしている。 第6章(EU域内運賃)では、EUにおいては規制緩和の第3段階(パッケージIII)においても、規制緩和がアメリカほど徹底していない状況を分析した後に、ノン・ストップ便との競争によって特別運賃が有意に低下したが、低額の特別運賃を内部相互補助するために普通運賃が引き上げられ、運賃の上下格差が拡大したことが明らかにされている。 第7章(日本の国際線・国内線運賃)では、まず国際線における「格安航空券」の氾濫状況を説明するモデルを提示し、この実態を理論的に解明している。近年、運賃認可制度の弾力化によって特別運賃が低下したため、特別運賃と格安航空券の価格差は縮小傾向にあるが、それに伴って普通運賃が引き上げられてきており、運賃の上下格差が拡大していることを解明している。規制緩和が部分的にしか実施されていない市場でも、上記の仮説が実証されると指摘している。 次に、国内線では日本と他の5ヵ国の運賃の比較分析によって、普通運賃では6ヵ国でほとんど差がないが、特別運賃では、規制緩和が進んでない日本とブラジルが、規制緩和の進んでいる4ヵ国に比較して、最大40-50%も割高であり、運賃の多様化が進んでない現状を分析している。また、日本では需要が高密度な路線の方が低密度路線よりも運賃が割高であり、この内部相互補助が政府規制の下で実施されていることに疑問を投げかけている。 第8章(要約と展望)では、全体を要約した後、運賃の上下格差拡大による内部相互補助問題を解決する方策を提示している。 補論(IATAの運賃調整)では、これまで実態が明らかにされていないIATA(国際航空運送協会)の組織、運賃調整の実態、各国政府の規制とIATAの関係などを解明している。 提出論文の評価 以上が、長谷川通氏の提出した博士論文の要約である。この論文のメリットを挙げると、第1に、アメリカ、EUおよび日本における国内線・国際線の比較研究を通じて、規制緩和の進展度合いが運賃水準や運賃体系の変化に差をもたらしながらも、競争の進展によって運賃の平均水準の低下と上下格差の拡大というプライス・リバランスが急速に進んだことを鮮明に分析している。しかも、航空市場においては電子情報システム(特に運賃電子管理システム)の利用拡大によって、路線別・需要種別の詳細な需要実態が刻々把握できるため、需要の実態にあわせた運賃の多様化が急速に進むと同時に、内部相互補助を伴った運賃形成が一般化するメカニズムを解明していることも印象的である。 第2に、膨大な数の政府関係および航空関係の資料収集によって、アメリカ、EUおよび日本の国内線および国際線の両方について制度の詳しい実態を分析し、一般には入手困難な多数のデータを収集して多くの計量分析を実施し、多くの新しいファクト・ファインディングを提示したことは敬服に値する。なかでも、第4章(アメリカの国内線第3局面)、第5章(アメリカ国際線)、第6章(EU域内運賃)および第7章(日本の国際・国内線)の計量分析結果は、長谷川氏独自の新たな研究結果であり、航空産業分析の新たな知見である。 第3に、この制度分析および計量分析の結果を踏まえて、今後の競争導入の方向と規制のあり方を示唆している点も興味深い。すなわち、規制緩和による競争の進展は運賃の平均水準を低下させるが、運賃の上下格差を拡大させ、利用者間の内部相互補助を強化する問題について、理論的観点からsubsidy-freeの運賃体系を提案している。 他方、デメリットとしては、本研究が実証研究に力点を置いているためか、理論編(第2章)がやや浅薄であると指摘しなければならない。とくにベルトラン・モデルの説明は不十分であるし、情報の探索者モデルについては情報の探索コストを入れた最近の研究をもっと紹介・摂取すべきである。また、この章における理論サーベイを踏まえた仮説の提示の仕方もやや唐突であり、本研究で分析された計量分析モデルとの関連でみると、もっと詳細な説明を伴った仮説の提示が必要である。 また、論文の随所で政策提言に言及しているが、政策提言の根拠となる理論的解明の少ない点も不満である。 以上述べたように、長谷川氏の研究は特に理論面に物足りない面を指摘しなければならないが、気鋭の研究者として精力的に取組んだ実証研究は、その分析結果の豊富さと斬新性において、航空産業経済学に大きな貢献となっている。特に、規制緩和によって価格がどのように変化するかをこれほど詳細に分析した研究はなく、本研究は今後の規制緩和に関する研究および政策論議に大きな影響を与えるであろう。以上の評価を踏まえて、長谷川通氏が提出した博士論文は、博士(経済学)の学位に値するものと認められる。 |