学位論文要旨



No 112150
著者(漢字) 奥山,倫明
著者(英字)
著者(カナ) オクヤマ,ミチアキ
標題(和) エリアーデにおける自律的宗教学の展開 : 比較と歴史の統合
標題(洋)
報告番号 112150
報告番号 甲12150
学位授与日 1996.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第150号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 助教授 市川,裕
 東京大学 教授 鎌田,繁
 工学院大学 教授 鶴岡,賀雄
内容要旨

 インド留学とヨーガの実修を経験して祖国ルーマニアに帰国したエリアーデは、1930年代以降、独自の宗教研究を展開した。ヨーガ研究に加え、化学的技法としてではなく霊的技法としてのインド、中国、バビロニアの錬金術も彼の関心の対象となり、研究が進められてゆく。エリアーデはさらに、こうした東洋を対象とする研究に加え、ルーマニア・フォークロアを対象とする研究も進めてゆく。これらの研究の進展にともない、エリアーデは独特なシンボリズム論を展開してゆく。特に大宇宙と小宇宙の相応性の観念と、それと連関する非生命の世界を誕生、豊饒、死といった生命現象になぞらえて捉える有機的世界観は、エリアーデが特に注目する観念である。農耕の発見以降、月のリズムの下に一体化した、農耕、植物、豊饒性のシンボリズムは、循環する時間観念を共有することになる。循環的時間においては死は再生の前提の意味をもつ。同様の死に対する肯定的な理解は、魂が転移するものとし、供犠の生贄の生命が別の存在において生き続けるという観念にも見られる。建造物構築のための犠牲においては、死は創造的であるとさえ言える。犠牲的死のモデルになる宇宙創成説として、原初的存在の分裂により世界が創造されたとする神話がある。

 エリアーデはこうしたシンボリズム論に依拠した宗教比較論を、1940年代にはすでに展開していた。すでに複数の研究対象をもっていたというのみならず、特に方法的な意識を掲げて宗教比較の展開するようになるのが、戦後の『宗教学概論』以降である。また同書執筆の頃より、「形態学」と自らが呼ぶ「比較」と「歴史」との統合を自覚してゆく。『宗教学概論』自体は宗教比較論と捉える事ができるが、そこでは宇宙的ヒエロファニーと生物学的ヒエロファニーの緊張関係が多面的に描き出されている。これは特に農耕の発見以降の歴史的状況であり、天空神のひまな神への変貌とともに『概論』に見出せる歴史の考察になっている。

 エリアーデにおいては歴史の考察は、歴史的限定に関する考察でもあった。『宗教学概論』以降の彼の宗教史研究は、歴史の限定のなかに宗教的創造性を見出す試みでもあった。しかもそのような創造性の対象を、東洋の世界や、シャーマニズム、オーストラリア原住民の宗教といった始源的世界に求めることで、エリアーデは解釈学的な対話を実践していた。それはやがて、西洋世界の自己理解の深化にもつながってゆく。すなわちエリアーデはヨーロッパの民衆の世界において宇宙的典礼と理解されたキリスト教、彼の言う宇宙的キリスト教にも、民衆精神の創造的な現れを見出している。異なる生活経験を背景とする宗教者の出会いによる緊張関係もまた、宗教史的創造の契機となる。『世界宗教史』では、狩猟民の宗教、遊牧・牧畜民の宗教、農耕民の宗教の相互の関係についての考察も含まれていたのである。

 エリアーデの宗教研究は広大な領域にわたるものだが、宗教比較論と宗教史研究の相補性という自己の主張に沿って、進められたものでもある。実際の宗教叙述に即してエリアーデの宗教学を理解する時には、その宗教理論の特質もまた鮮明に浮かび上がることになるのである。

審査要旨

 奥山倫明氏の「エリアーデにおける自律的宗教学の展開--比較と歴史の総合」は今世紀最大の宗教学者であるミルチャ・エリアーデの宗教学の業績の全体像を明らかにしようとした、日本で最初の包括的なエリアーデ研究である。氏はエリアーデの初期の著述から、晩年の大著『世界宗教史』に至る多岐にわたる著作を詳細に検討し、エリアーデが宗教的なものを捉える際のいくつかの主要なモチーフの形成過程と、それらの相互関係を明確化する。その上で、それらのモチーフを総合する方法として、エリアーデ自身が「比較」と「歴史」、とりわけ後者をどのように理解していたかを問うている。また、比較や歴史叙述を通して、エリアーデが世界や人間の本質に対して、あるいは人類の未来について、どのような「神学」的ビジョンを描き出そうとしたかを明らかにしている。『宗教学概論』以来の、宗教における一神教的なもの天空的なものと、宇宙調和的なもの生命的なものの関係に対する関心が、エリアーデ自身の宗教に対する実存的関心に基づくものであり、彼のキリスト教や歴史に対する複雑な価値評価と深くからみあっていること、彼の宗教理論が「逆説と再統合」として理解できることなど、多くの創見が散りばめられている。エリアーデの構想がかかえている矛盾や方法論上の問題点があまり明らかにされていないこと、とりわけエリアーデ的な「自律的宗教学」の理念の妥当性の問題が十分に論じられていないことなど、さらに突っ込んだ論究がほしかったと思われる点はあるものの、丁寧な読解に基づき、着実で確かなエリアーデ理解を促す学説研究であり、博士の学位を授与するにふさわしい業績と判断される。

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