学位論文要旨



No 112154
著者(漢字) 石田,壽一
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,トシカズ
標題(和) 低地オランダにおける17世紀都市型住居の研究 : 住居形態の帯状発展性に関する考察
標題(洋)
報告番号 112154
報告番号 甲12154
学位授与日 1996.07.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3720号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨 序章 研究の対象、目的、方法

 本論文は、17世紀を中心に、16世紀から18世紀にかけて、低地オランダの主要な水域隣接都市において建設された「ザール型」と呼ばれる都市型住居を対象とし、建築形態に関する物体形態および空間形態上の特徴を考察する。物体形態については、原型とその変形によって与えられる全体型の継時的発展形態について、類型的考察を加える。空間形態については、同時期に描かれた室内絵画から判読される主階空間の構成要素と空間的知覚形態の特徴について考察を加える。さらにここから導かれた認識を基に、ザール型住居の建築形態を統御する構造的要因について、同地域において中世以降形成された水域隣接型集落の形態構成的特徴との類似性に関する比較的視点から考察を試みる。

 同地域の17世紀を中心とした都市型住居の形成発展に対する関心は、以下認識に対する敷衍的考察と関連づけられる。即ち、従来、今世紀固有の様式として確立されたと解釈される、所謂、1920年代の「国際様式」成立過程において、集合住宅領域に顕著な貢献を投じたオランダの実践が、単に今世紀の革新的な建築的展開として、過去とは独立に理解されるのではなく、これに先行して存在した産業革命以前の都市、住居に関する実践的伝統からの少なからぬ影響関係を検証したうえでの評価が必要とされるという認識である。こうした視点は、機能主義理論擁護を背景にした近代建築運動の実践的展開の過中においても、すでに複数の識者によって取り沙汰されている。S.ギーディオンは、ミース・ファン・デル・ローエの住宅作品と低地オランダの都市型住居の空間構成の類似について指摘し、「清澄な雰囲気と、明確に組み立てられた壁体と開口部をもった低地オランダ17世紀の『室内』に見られる精神は、ミースの平坦な面の釣合と内面的な親近性を持っている」と強調している。また、都市と文化を包括的に捉えたルイス・マンフォードは、同時期の低地オランダの都市形成と住居空間の高度な先進性を高く評価し、「この時期の低地オランダの小規模な煉瓦住居の配置と快適性とは、概ね、当時の上流階級の住居より進んでいたばかりではなく、近代的住宅建設の優れた貢献のおかげで最近進歩した水準をすら抜くものがあった」と述べ、今世紀初頭の近代建築運動形成期へのオランダの革新的貢献に潜在する伝統的要因からの影響という両義的性格を浮かび上がらせている。このように、建築形態としての先進性と近代建築の形態言語の源泉としての重要性が、間接的に指摘される低地オランダの17世紀の都市型住居ではあるが、従来、この時期の事例に関する考察は部分的なものに留まり、建築形態としての特徴を包括的に理解する視点が欠落していた。本研究では、こうした視点を補完するべく、同時期の都市型住居の具体事例にあたり、またそれが建設される背景となった水域隣接都市の形成発展についても併せて参照し、固有の都市構成と、これに密接に連携して発展を遂げた17世紀低地オランダの都市型住居の形態構成的弁別性を明らかにすることを目的としている。

第I章低地オランダにおける水域隣接都市の形成とその類型及び構成的特徴

 同地域の水域隣接都市集落形態の形成の背景とその実体構成を理解する。また集落構成が、都市型住居の形成発展過程に及ぼした影響について、考察を加える。低地オランダの水域隣接都市に形成発展した都市集落は、周期的な周辺水域の氾濫と安定台地の欠落という集落成長上の基本要件を失した地域故に、人為的な堤防築造の技術発達が見られる12、3世紀以降に到るまで、限定された地域を除いて都市成長が見られなかった。したがって、中世ヨーロッパの都市発展においては、同地域は後発に属していたが、交易圏の拡大に伴う中世後期から、大洋間交易の開始される近世初頭にかけて急速な成長を遂げ、中世以前の状況から一転して、17世紀には「黄金の世紀」と呼ばれる文化・経済的に成熟した都市成長の時代を招来し、アムステルダムに代表される大規模な「運河巡囲型都市」を建設するに到る。同地域の都市集落は、限定された環境条件下に形成された初期集落型である小規模な「片面堤防型」から、大規模な「運河巡囲型」まで、堤防、堰、内港等、集落構成要素の配置上の差違によって、5類の分類が可能である。これらは規模と全体型の表層構成において異なっているが、各類型に認められる外的構成の差違は、基本的に水域の外的条件に起因しており、各集落類型を支える深層構成のレベルについて見ると、初期集落型である「片面堤防型」から最終的な「運河型」までが、同一の原型構成を変形させることによって、外的条件の変化に対応しつつ、発展を遂げていることが分かる。これは軸状要素と分散配置要素の複合からなる一定幅を持つ「帯」が原型構成となり、外的条件に対応して自在に伸縮延長されることによって、集落の外的構成が組み立てられ、表層構成上の差違に関わらず、同一の物体構成上の特徴が保存される形態変換運動によるものと見なされる。本研究では、低地オランダの水域隣接集落の形成に見られる、片面堤防型を「基本帯」とし、この「帯の織込み変換」によって集落の全体型が与えられる形態構成上の特徴を、「帯状発展性]とし、同地域の集落形態に固有な構成であることを確認する。低地オランダの都市集落に認められる原型構成上の同一性は、都市住居発展に観察される集団的性格の特徴を間接的に説明するものであり、次章以降の住居形態を考察する上での前提認識を与える。

第II章ザール型住居の変形・発展に関する類型的考察

 低地オランダ地域の都市型住居の形成発展過程に見られる連続的な住居型の展開過程の確認、及び住居形態の構成的特徴を、物体形態もしくは外部構成に注目し類型的考察を加える。16世紀から18世紀にかけての同地域の住居形態の発展過程は、1650年を前後して変化が見られる。前期は1500年から1650年にかけて、後期は1650年から1800年にかけて、原型的発展期から変形的発展期への移行が見られる。原型的発展期とは、異なった平面・断面構成の更新による類型の変化であり、変形的発展期とは、前期類型を原型にした付加的な変化である。このような変化はオランダの国勢の隆盛期/衰退期の変化に追随しており、17世紀中葉にかけての都市拡張と、これに伴う集中的な住居建設が見られる前期型と、英蘭戦争以降の商業権喪失による国勢の低下に付随した住居建設量の減少傾向を反映する後期型に分類される。住居の物体構成的変化は、その方向性の差違に従い、垂直・水平両方向の系列に分類される。初期原型は「ザール型」と呼ばれる一室構成が基本となり、垂直系は床面構成の増減によって、また水平系は付属居室の増減によって、類型全体が与えられる。初期原型である「Zaal型(Zp)」と後期発展型とは、垂直・水平、いずれの方向においても規模が異なり、表層構成的な差違が観察されるが、間口寸法に関しては、3世紀を通してあまり変化が見られない。また全体構成の変化については、初期住居型であるザール型住居の構成的特徴である、平行壁面による主階ヴォリュームの決定、スクリーン要素による建物長軸方向の分割、コア要素の分散的配置等の基本属性が保存されており、3世紀に渡る住居類型の変化の過程は、同一の原型構成による変形的類型発展と見なすことができる。また発展形式には、水域隣接都市に観察される、「片面型」「両面型」「運河型」同様の段階的発展が認められ、構成的類似性が伺われる。

第III章ザール型住居の内部空間構成に関する知覚形態的考察

 住居形態の「知覚空間形態」に注目し、主階の内部空間構成上の弁別性について考察する。17世紀を中心に描かれた都市型住居の内部空間に関する絵画を、運河空間に建つザール型住居の典型と見なされるHAH型を基本に、住居型を構成する居室ごとに分類し、各室の特徴と全体型に共通する構成的特徴を明らかにする。HAH型住居は、運河に面したストウープ、主屋を構成するフォアホイスとヴォンカマー、またアハターホイスを連結するビネンプラーツ、さらにアハターホイス後部のタインと呼ばれる裏庭からなる。17世紀室内絵画をそれぞれ居室毎に分類し、各室を分割するスクリーン要素、階段・暖炉・収納等のコア要素、さらにこれらを連続させる視線軸の関係に注目し、部分構成と全体構成に観察される空間知覚形態上の特徴について、HAH型を基本とする再構成モデルを仮説的に組み立てこれを考察する。考察は各スクリーン要素近傍に展開する視線軸構成の特徴を理解するため「空間層」を設定し、この層を交錯する視線軸と、その到達域の相関関係から、各室空間層の視線軸構成の特徴にについて事例考察する。ザール型住居は奥行き延長型の場合も間口寸法の限定された平行壁面によって主階空間ヴォリュームが決定され、運河空間から離れた居室からは、視線が外部に到達しにくいことが想像される。しかし、各層スクリーンに設けられた小規模な開口部要素と集約的なコア要素の分散配置によって、限定的な開口部から、運河巡囲型都市において、数街区先にまで視線軸が到達する。また外部光源の間接的導入のための様々な反射的光源導入の建築的装置の設置によって、対比的な明暗の場を生みだし、実体的には閉鎖的な住居になりがちな物体構成的特徴に心理的な距離の広がりを導入する補償的空間知覚の構成が認められる。本研究では、ザール型住居の空間形態に特徴的な視線軸と空間層による室内/室外に関わるこのような構成を、「層状連続性」とし、同地域の住居形態に弁別的な空間知覚構成であることを確認する。

第IV章住居形態の「帯状発展性」の考察

 第III章までの考察を前提に、水域隣接都市集落の原型構成と発展型について、またザール型住居の原型構成と発展型の相互の構成的比較を行い、都市/住居の物体構成的特徴と知覚構成的特徴に、レベルを超えた構造的同一性が認められることを確認する。物体構成については、水域隣接都市の場合、片面堤防型集落を原型とし、これを「基本帯」とする「帯の織込み」によってその発展型が与えられるが、これはザール型住居の変形発展に共通する、平行壁面による主階空間ボリュームの決定、これに直交するスクリーン要素による室分割、コア要素の分散的配置によって構成される住居形態の物体構成的弁別性に一致することが確認される。また、知覚空間構成については、都市/住居いずれもスクリーンを為す物体構成要素配置と、これに交錯する視線軸の複合化による層状連続性が認められる。さらに、集落構成と住居構成に一致する物体/空間形態は、「継起的展開」を誘発する建築的構造を同様に潜在させていることを明らかにし、都市構成の発展と、これに連携して成長を遂げたザール型住居の形態的変形に固有の「帯状発展性」の特性に関する定義を行う。また低地オランダにおける産業革命以前の都市/住居領域における実践的伝統が、少なからず、今世紀の近代建築運動における同地域の多産かつ実験的な実践に影響を与えた源泉的背景を為していたことを示し、本研究の結論とする。

審査要旨

 低地オランダ地方は、主として17世紀に、他のヨーロッパ諸国とは異なる独自の都市と都市型住宅をつくり出した。それ等は水際に位置し、かつ高密度に集合して建設され、都市居住のひとつの秀れた形式と見なされる。又この形式は、20世紀に入っていわゆる「インター・ナショナル・スタイル」の集合住宅の発展にも、大きな影響を与えたものである。しかしながら、これまでの建築意匠研究においては、このことが部分的に指摘されることはあっても、統合的な研究・考察の対象とされることは極めて稀であった。

 本研究は、この「低地オランダにおける都市型住居」を研究の対象としてとりあげ、数年にわたってオランダに研究員として滞在して実地に資料を収集し、また検証し、その特質を明らかにしようとしたものである。

 第一章において著者は、低地オランダの都市形成を、形態論的に考察する。中世においては、都市形成のほとんど見られなかったこの地域が、近世、特に17世紀に急激に都市を形成した状況を詳細に把握、分析した上で著者は、その発展形式が、初期の小規模な「片面堤防型」から、大規模な「運河型」までの5段階に分類し得ること、又それが、同一の原型の連続的な変形と見なされることを明らかにする。

 第二章においては、その都市を形成する基本単位である「ザール型」の都市住居の16世紀から18世紀にかけての形成過程が、類型学的に考察される。先ず、住居の物体構成的変化は、垂直方向への展開と水平方向への展開に分類される。そして全体構成の変化が、常に平行壁面による空間構成、スクリーンによる長軸方向の空間分割、コアの分散配置といった基本的特質を保存しつつ、その規模を増大させていく、ひとつの原型の連続的発展とみなされることを明らかにする。

 第三章においては、ザール型都市住居の内部空間構成が考察される。この時、17世紀における生活空間を把握する手段として著者は、当時のオランダ絵画に多数描かれた室内画を分析の対象とするという、極めてユニークで実り豊かな方法を用いている。著者はザール型のうちでも、その空間的特質が典型的に見られるHAH型住居を選び、17世紀室内絵画をそれぞれ居室類型毎に分類し直し、各室を分割するスクリーン、階段、暖炉、コアといった要素と、それに連続させる視線軸に注目して、その構成のモデルを作りあげる。そしてスクリーンに設けられた開口部、コアの分散配置、そして光を導入するための室内装置によって、基本的に閉鎖性の強い都市住居の内部に広がりと連続性の生み出される様相を明快に説明する。

 第四章においては、これまでの三つの章における考察を総合して、都市とその住居単位のそれぞれの構成形式において、構造的な同一性が存在していることが指摘される。すなわち、都市の物体構成において確認された、片面堤防型集落の原型が「帯の織込み」によって発展する形態が、ザール型住居の変形発展に共通する、平行壁面による主階空間ボリュームの決定、これに直交するスクリーン要素による室分割、コア要素の分散的配置によって構成される住居形態の物的構成に一致することが確認される。また、知覚空間構成においては、都市と住居のいずれにおいてもスクリーンを為す物体構成要素配置と、これに交錯する視線軸の複合化による層状連続性が認められる。さらに、集落構成と住居構成に一致する物体/空間形態は、「継起的展開」を誘発する建築的構造を同様に潜在させていることを明らかにし、都市構成の発展と、これに連携して成長を遂げたザール型住居の形態的変形に固有の「帯状発展性」の特性に関する定義が行われる。

 本研究は、低地オランダの各都市とその都市住居について、多数の図面,写真と付随する資料を集め、整理し、整然とした資料図集と分析図をつくり上げた。この資料だけ取り上げても、それが今後の研究に資するところは大きい。

 又その資料的価値に加えて、その都市と住居が、実際に形成された歴史的、生活的状況を克明に把握、分析した考察は、今後の都市居住を考える際に大きな示唆を与えるものと評価できる。又、その住居単位と都市空間に共通する空間の特質を導き出したその分析方法と結論は、今後の建築形態論の研究に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク