本論文は、従来、明確ではなかった明代五彩の成立と展開とについて、包括的に論じた最初の成果であり、陶磁器に関する古典的文献の再考察、官窯及び茶器偏重であった伝世品の再評価、近年行なわれた考古学的調査による出土品の考察、以上の三点を柱とする。 五彩とは、釉薬をかける以前に青や黒の下絵具で文様を描くものと、描かないものとからなり、ともに高火度焼成した後、赤・黄・緑などの上絵具で文様を加え、さらに低火度で焼きつける、多彩な磁器を指す。本論文は、第一に、「豆彩」「闘彩」「染付」「赤絵」というように、陶磁器に関する日中の古典的文献や、伝世品を中心とする鑑賞史で個々別々の磁器として理解されてきたものを、「五彩」というやはり古典的文献に登場する用語の観点から統一的に捉えるべきことを主張する。例えば、我国で「豆彩」、中国で「闘彩」と呼び習わされてきた明代官窯で制作された磁器は、成化年間に行なわれた青の下絵具で文様を描き、上絵具で仕上げる青花五彩、すなわち、成化青花五彩というように把握することで、中国陶磁史の流れに正当に位置づけることができるようになると指摘する。 本論文は、第二に、この五彩が、宋代における青磁や白磁といった単色釉磁器の完成と、漢代緑釉や唐三彩以来の文様と色彩とによる器表装飾への希求を前提として、宋・金代磁州窯の単色の「鉄絵」や多色の「赤絵」に始まったこと、元代景徳鎮窯で技術的な基盤が確立されたことを明らかにする。言い換えれば、明代五彩は、単数・複数の色釉や、線刻や型押による文様を含めた器表装飾の展開の中で把握することにより、宋元以前の中国陶磁史との連続性を見出すことができる。また、清代の「粉彩」という絵画性の極めて高い磁器への連続性をも明らかにしたことにより、清代陶磁史への継続性をも示すことにも成功している。 本論文の主たる論点は、第三のものにある。すなわち、官窯及び茶器偏重であった中国及び我国における伝世品評価の再考察、あるいは、中国景徳鎮市珠山御器廠祉から近年大量に出土した完形に近いものも含まれる明代官窯磁器片の考察によって、釉薬の上下の絵具という複雑な彩色技法に即しつつ、「染付」も「赤絵」も含んだ明代五彩の成立と展開について総合的な分析が可能になることを指摘する。我国では、あたかも別種の磁器であるかのように認識されてきた、明代五彩のうちの「染付」と「赤絵」は、下絵具の青と白のみからなる「染付」と、赤中心の上絵具のみで作る「赤絵」という意味では、むしろ同種であり、器表装飾に関わる絵画性において何ら変わりはない。また、釉薬をかける以前に青の下絵具で文様の輪郭を鉤勒する、青花五彩を基調する官窯五彩は、「染付」と「赤絵」を融合したものと言えるからである。しかも、宣徳期に始まり、成化期に完成した青花五彩は、明代中期までは官窯のみで制作され、官民が峻別される一方、官窯においても「赤絵」が焼造されるようになる後期ですら、様式的な差異が残存しているのを認めることができる。これは、民窯の伝世品を中心に組み立てられてきた、我国における従来の陶磁史や、官窯の作例のみに注目してきた中国における伝統的な陶磁観に反省を迫る論点として、注目される。 本論文は、以上のように、明代五彩の研究に様々の新たな視点を導入し、官窯のみや茶陶のみに偏った従来の陶磁史では解明し得なかった、官窯と民窯の連続性と不連続性とを両つながらに実証しつつ、明代五彩を包括的に捉え、宋元陶磁史と清代陶磁史を繋ぐものとして、中国陶磁史の中に正当に位置づけた点で、画期的な業績であり、高く評価し得る。 とはいえ、本論文にも問題点がないわけではない。宋代の青磁や白磁に対する明代五彩の磁器としての特性は、その絵画性にあるにもかかわらず、絵画的表現の造形的分析やその淵源に関する考察が殆どなされてはいない点がそれである。しかしながら、釉薬の上下彩という陶磁技法に即しつつ明代五彩の成立と展開について包括的に考察し、成化官窯を改めてその技術的完成の極致として再認識することが本論文によって明確になった現在、それは今後の課題としてさらなる考察が進められる可能性と称すべきものであり、一概に本論文の欠陥と看做すのは妥当ではない。以上の点から、本論文は博士(文学)の学位を授与するにふさわしい業績であると認められる。 なお、本論文の主要部分は、『中国の陶磁9明の五彩』(平凡社、1996年)として既に刊行済みであり、一般公開性についても適切な処置がとられていることを補足しておきたい。 |