学位論文要旨



No 112160
著者(漢字) 矢島,律子
著者(英字)
著者(カナ) ヤジマ,リツコ
標題(和) 明代五彩の草創と展開
標題(洋)
報告番号 112160
報告番号 甲12160
学位授与日 1996.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第152号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,裕充
 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 助教授 佐藤,康宏
 恵泉女子学園大学 教授 長谷部,楽爾
内容要旨

 一度高温焼成した磁器胎に様々な顔料で絵付けをして再度低温焼成した陶磁器を「五彩」と呼ぶ。「五彩」は明代景徳鎮において隆盛し、日本にも数多くもたらされ鑑賞されてきたが、この明代景徳鎮五彩の草創と展開については、近・現代の中国陶磁研究の進展にも関わらず、ここ二十年来深く研究されたことがない。しかし、最近では景徳鎮珠山官窯祉の発掘調査をはじめとして、明代五彩に関わる新資料が増えている。そこで、本稿では、こうした新資料を加えて、明代五彩の展開を考察する。

 五彩が中国陶磁史に登場した背景には、古来から存在した華やかな色彩装飾への希求がある。高火度単色釉陶が唐代から宋代にかけて白磁や青磁という形で一応の完成をみると、文様と色彩による器表装飾への欲求が即座に表面化し、最も多彩な焼造活動を展開していた磁州窯に於て「宋赤絵」を生んだ。この技術は急速に発展しつつあった元代景徳鎮窯に間もなく導入され、元代景徳鎮民窯で五彩の焼造が始まった。

 明代に入ると、民窯では元代以来の赤・緑・黄を主体とする五彩=「赤絵」が焼造された。また、生産機構から生産される磁器の様式までを政府が掌握した官窯=御器厰が珠山に築かれ、様々な釉法を駆使して多様な器表装飾の磁器が焼造された。特に宣徳期の青花五彩は細かな文様と色彩を結合させており、この技法が成化年間に高められ、成化青花五彩に結実した。この時期、民窯においても上質の民窯五彩=赤絵が焼造された。民窯五彩ではこの赤絵が主流であったのに対し、官窯では青花五彩を堅持して赤絵を焼造することがなかったが、弘治・正徳期に至ると官窯でも赤絵が焼造されるようになった。

 16世紀は明代五彩の量的な展開期であり、変容と過熟が進んだ時代である。その背景には、官窯生産体制が行き詰まり、民窯への委託焼造が導入されるなど、陶磁生産の主体が民窯に移っていったことがある。官窯では文様表現の省略と平板化が著しくなる一方、文様構成と色彩配置は複雑且つ過剰になっていく。民窯では「赤絵」の特性である赤・緑・黄の単純且つ強烈な色彩効果を最大限に引き出すべく特有の様式が生み出される。大きく単純な幾何学形によって器面を区画し、各々の区画を細かな地文や色釉でうめたり、白抜き文様の多用によって色彩を引き立たせるといった、多量の色彩を投入するための画面構成が工夫された。更にはこの新様式に究極の加飾法である金彩を組み合わせた「金襴手」を作り出した。このような状況は嘉靖後期に現れたと考えられる。これは色彩の持つ表現力に重きを置いた明代五彩の極限の姿ともいえ、その後は「赤」を主体とする五彩は徐々に減退する。替わって、黒・緑・翠青といった寒色の比重が高い別の趣を持った五彩が登場する。

 明代五彩を象徴する色彩は「赤」である。ベンガラの「赤」は個性の強い色であり、単に技術的な必要性からだけでは、なかなか多用されないはずである。官窯への「赤絵」の導入が遅かったことや、次の清朝五彩の色調との違いがこのことを物語っている。この強烈な色彩が好んで使われた点に明代五彩の特質がうかがわれるように思われる。そこに現れる美は、中国陶磁の正統と目されている宋代陶磁や清朝陶磁の対極にある、極めて現世的で単純・明快なものである。完全無欠で統一と均整のとれた静的な美の対極にある、不完全で奔放な、動的な美を指向したとみることができる。精神性の高い高火度灰釉陶に対して、純粋に目を喜ばせるもの、色彩の快楽を求める低火度再釉唐の流れ、これもまた中国陶磁史を動かした重要な要因である。

審査要旨

 本論文は、従来、明確ではなかった明代五彩の成立と展開とについて、包括的に論じた最初の成果であり、陶磁器に関する古典的文献の再考察、官窯及び茶器偏重であった伝世品の再評価、近年行なわれた考古学的調査による出土品の考察、以上の三点を柱とする。

 五彩とは、釉薬をかける以前に青や黒の下絵具で文様を描くものと、描かないものとからなり、ともに高火度焼成した後、赤・黄・緑などの上絵具で文様を加え、さらに低火度で焼きつける、多彩な磁器を指す。本論文は、第一に、「豆彩」「闘彩」「染付」「赤絵」というように、陶磁器に関する日中の古典的文献や、伝世品を中心とする鑑賞史で個々別々の磁器として理解されてきたものを、「五彩」というやはり古典的文献に登場する用語の観点から統一的に捉えるべきことを主張する。例えば、我国で「豆彩」、中国で「闘彩」と呼び習わされてきた明代官窯で制作された磁器は、成化年間に行なわれた青の下絵具で文様を描き、上絵具で仕上げる青花五彩、すなわち、成化青花五彩というように把握することで、中国陶磁史の流れに正当に位置づけることができるようになると指摘する。

 本論文は、第二に、この五彩が、宋代における青磁や白磁といった単色釉磁器の完成と、漢代緑釉や唐三彩以来の文様と色彩とによる器表装飾への希求を前提として、宋・金代磁州窯の単色の「鉄絵」や多色の「赤絵」に始まったこと、元代景徳鎮窯で技術的な基盤が確立されたことを明らかにする。言い換えれば、明代五彩は、単数・複数の色釉や、線刻や型押による文様を含めた器表装飾の展開の中で把握することにより、宋元以前の中国陶磁史との連続性を見出すことができる。また、清代の「粉彩」という絵画性の極めて高い磁器への連続性をも明らかにしたことにより、清代陶磁史への継続性をも示すことにも成功している。

 本論文の主たる論点は、第三のものにある。すなわち、官窯及び茶器偏重であった中国及び我国における伝世品評価の再考察、あるいは、中国景徳鎮市珠山御器廠祉から近年大量に出土した完形に近いものも含まれる明代官窯磁器片の考察によって、釉薬の上下の絵具という複雑な彩色技法に即しつつ、「染付」も「赤絵」も含んだ明代五彩の成立と展開について総合的な分析が可能になることを指摘する。我国では、あたかも別種の磁器であるかのように認識されてきた、明代五彩のうちの「染付」と「赤絵」は、下絵具の青と白のみからなる「染付」と、赤中心の上絵具のみで作る「赤絵」という意味では、むしろ同種であり、器表装飾に関わる絵画性において何ら変わりはない。また、釉薬をかける以前に青の下絵具で文様の輪郭を鉤勒する、青花五彩を基調する官窯五彩は、「染付」と「赤絵」を融合したものと言えるからである。しかも、宣徳期に始まり、成化期に完成した青花五彩は、明代中期までは官窯のみで制作され、官民が峻別される一方、官窯においても「赤絵」が焼造されるようになる後期ですら、様式的な差異が残存しているのを認めることができる。これは、民窯の伝世品を中心に組み立てられてきた、我国における従来の陶磁史や、官窯の作例のみに注目してきた中国における伝統的な陶磁観に反省を迫る論点として、注目される。

 本論文は、以上のように、明代五彩の研究に様々の新たな視点を導入し、官窯のみや茶陶のみに偏った従来の陶磁史では解明し得なかった、官窯と民窯の連続性と不連続性とを両つながらに実証しつつ、明代五彩を包括的に捉え、宋元陶磁史と清代陶磁史を繋ぐものとして、中国陶磁史の中に正当に位置づけた点で、画期的な業績であり、高く評価し得る。

 とはいえ、本論文にも問題点がないわけではない。宋代の青磁や白磁に対する明代五彩の磁器としての特性は、その絵画性にあるにもかかわらず、絵画的表現の造形的分析やその淵源に関する考察が殆どなされてはいない点がそれである。しかしながら、釉薬の上下彩という陶磁技法に即しつつ明代五彩の成立と展開について包括的に考察し、成化官窯を改めてその技術的完成の極致として再認識することが本論文によって明確になった現在、それは今後の課題としてさらなる考察が進められる可能性と称すべきものであり、一概に本論文の欠陥と看做すのは妥当ではない。以上の点から、本論文は博士(文学)の学位を授与するにふさわしい業績であると認められる。

 なお、本論文の主要部分は、『中国の陶磁9明の五彩』(平凡社、1996年)として既に刊行済みであり、一般公開性についても適切な処置がとられていることを補足しておきたい。

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