本論文は現代中国官僚制およびそれとかかわり合う公共性の分析を介して、現代中国における生産性と一般成員の自律性の現状、並びに両者の関係を究明したものある。発展途上国ににおいては生産性と自律性とのアンティノミー的関係が指摘されるが、本論文では、現在進められている中国的「近代化」(「現代化」)がこの両者の統合の必然性を論じている。 計画経済期における社会体制は、全人類の平等のため個人の自由は抑制されるべきというイデオロギーによてって正当化が図られたが、この体制では生産性が向上せず、むしろ経済が混乱状況に陥り、正統性の危機と体制の危機におちいった。そこから一般成員の権利と義務とが統一された「責任制」という新たな正統化イデオロギーが導入された。ここに、理念志向的公共性から現実志向的公共性への移行がなされたとする。それは理念的概念としての「人民」概念から現実的概念としての「公民」への移行、支配者の「超越的代表」制から「代理的代表」への移行、組織利益本位から成員利益本位への移行となって具体的には現れた。 このよう変化は同時に現代官僚制に大きな変動をもたらした、とする。第一に、ヘルと官僚との主体関係においては、ヘルの二重権力化傾向並びに官僚の自律化の増大が現れた。第二に、官僚機構が、身分的「級別」ヒエラルキーから職位ヒエラルキーへ移行し、それに伴いイデオロギー官僚、生産官僚がそれぞれ比較的に独立した機構を構成した。官僚の知的構造は、体制的イデオロギー的知識から専門知識へと転換しつつある。しかし第三に、官僚の行為は普遍的な法にもとずくものでない。「無責任的行動パターン」、「非能率的行動パターン」、「私利至上的行動パターン」、「干渉主義的行動パターン」という中国の伝統文化と現行の体制とが融合して形成された[人情renqing」的行動が全体をおおっている。つまり官僚制の行為の構造は実質合理性でもなく、価値合理性でもないしさりとて形式合理性を形成し得ているわけではない。 体制が正統性の根拠としたイデオロギーが政策や制度に具体化されないと、正統性は危機的となり、著しくその変容を迫られる。このことは次の官僚制と公共制の関わり方の転換を示唆する。それは第二の転換といえる権力主義的官僚制・公共制から権限主義的官僚制・公共制への政治的権力の転換である。この転換が実現されたとき、現代中国は合法的支配、形式的合理性が現実味を帯びるだろう、とする。 本論文は、現代中国の官僚制と公共性を、生産性と自律性の関わりで社会学的に正面から取り組んだ論稿であり、著者独自の公共性概念を構成して、かつそれを武器として中国の現状分析を多くの資料とともに実証的に行った意欲的な研究といえる。したがってこの研究は学会に大きく貢献するものと高く評価されよう。とって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。 |