学位論文要旨



No 112165
著者(漢字) 李,明伍
著者(英字) Li,Ming-Wu
著者(カナ) リ,メイゴ
標題(和) 現代中国官僚制の研究 : 官僚制と「公共性」の動態的展開
標題(洋)
報告番号 112165
報告番号 甲12165
学位授与日 1996.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第157号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 助教授 武川,正吾
 東京大学 助教授 佐藤,健二
内容要旨

 本論の主なねらいは現代中国官僚制及びそれと関数関係にある公共性についての分析を通じて、現代中国における生産性及び一般成員の自律性の現状、並びに両者の関係を明らかにしようとするものである。

 本論の分析枠組みに基づいて分析を行った結果、現代中国の公共性が権力主義的・通時性的公共性から権力主義的・共時性的公共性へと移行しつつあるということを確認することができた。その具体的な現れとして次のようなものをあげることができる。1.通時的概念としての「人民」から共時的概念としての「公民」への移行、2.「超越的代表」制から「代理的代表」制への移行傾向、3.組織利益本位から成員利益本位への移行傾向、など。このような変化に伴って現代中国官僚制は大きな変化を迎えることとなる。先ず官僚制の主体の関係構図においてはとりわけヘルの二重権力化傾向及び官僚の自律化の深化傾向が目立つ。通時性的公共性においては超越的なヘルの恣意によって官僚は大きく左右されていた。しかし共時性的公共性への移行と共に「公民」の代表機関が形式上のヘルとして登場することにより従来の「人民」の代表機関としてのヘルと二重権力構図を構成するようになってきた。このような二重ヘルの構図の下で官僚は一方においては従来のようなヘルの恣意から自らを守ることができるようになり、他方においては形式上のヘルに完全に束縛されずに済むことにより、自律性を強めている。次に官僚機構の性格についてであるが、例えば官僚のヒエラルヒーは従来の身分的「級別」ヒエラルヒーから職位ヒエラルヒーへの移行を見せており、そして官僚の知識構造も従来の体制イデオロギー的な教養知識からプラグマティックな専門知識へと構造転換を成し遂げつつある。また官僚の報酬システムにおいても、従来の不透明な、実物的色彩の強いものの供給から貨幣を中心とした、比較的計算可能なものの供給へと移行しつつある。更に任用システムにおいては、従来政党が自らへの「忠勤」の程度に基づいて官僚を直接任用していたものが、共時性的公共性への移行と共に政党の「推薦」に基づいて形式上の国家権力機関が任命することとなってきた。現代中国官僚制の行為の構造の面においては、行為の「対象=目的」はモノ的性格を若干帯びてきているとは言え依然ヒト的性格が強いものであると言わねばならない。従って、官僚の行為は依然普遍的な法に基づくものであるとは言えない。このような状況下において個別主義(particularism)的な「人情renqing」的行動パターンが官僚制において最も目立つ。このように現代中国官僚制は全体的に見て一見形式合理化の様相を見せてはいるものの、実質的には依然形式合理性を有するに至っているとは言えない。しかも価値合理性を有しているとも言えない。マックス・ウェーバーはその時代的限界により社会主義官僚制においても形式合理化が進展するだろうと推測したが、そのこともあって形式合理性がマックス・ウェーバー以降形式主義、杓子定規として解釈されるようにもなった。このような理由により社会主義官僚制を近代官僚制の一類型として位置づける傾向もあるが、しかし少なくとも現代中国官僚制に限って言えば、この両者には合理性という面において本質的な違いがあると言わねばならない。

 現代中国の官僚制と公共性の動態的な展開過程の分析を通じてわれわれは、中国社会が生産性を向上させるために、あるいは「現代化」を実現させるためにヘルの自律性を抑制し民衆の自律性を向上させざるを得なくなったが、ヘルの自律性抑制の不徹底さのために民衆の自律性よりも官僚の自律性の方が著しく向上していることを確認することができた。しかし官僚の自律性は如何なる意味においても正当性を欠くものであり、しかも生産性=「現代化」の原理に基づく民衆の自律性の着実な進展に伴って官僚の自律の領域が限定されつつあることも確認することができた。このような事実はG価値と近代化の因果関係を否定するものではない。むしろ民衆の自律性(少なくとも自発的な服従)があってはじめてG価値が社会の中心価値となり得るということを物語っていると受けとめるべきであろう。

審査要旨

 本論文は現代中国官僚制およびそれとかかわり合う公共性の分析を介して、現代中国における生産性と一般成員の自律性の現状、並びに両者の関係を究明したものある。発展途上国ににおいては生産性と自律性とのアンティノミー的関係が指摘されるが、本論文では、現在進められている中国的「近代化」(「現代化」)がこの両者の統合の必然性を論じている。

 計画経済期における社会体制は、全人類の平等のため個人の自由は抑制されるべきというイデオロギーによてって正当化が図られたが、この体制では生産性が向上せず、むしろ経済が混乱状況に陥り、正統性の危機と体制の危機におちいった。そこから一般成員の権利と義務とが統一された「責任制」という新たな正統化イデオロギーが導入された。ここに、理念志向的公共性から現実志向的公共性への移行がなされたとする。それは理念的概念としての「人民」概念から現実的概念としての「公民」への移行、支配者の「超越的代表」制から「代理的代表」への移行、組織利益本位から成員利益本位への移行となって具体的には現れた。

 このよう変化は同時に現代官僚制に大きな変動をもたらした、とする。第一に、ヘルと官僚との主体関係においては、ヘルの二重権力化傾向並びに官僚の自律化の増大が現れた。第二に、官僚機構が、身分的「級別」ヒエラルキーから職位ヒエラルキーへ移行し、それに伴いイデオロギー官僚、生産官僚がそれぞれ比較的に独立した機構を構成した。官僚の知的構造は、体制的イデオロギー的知識から専門知識へと転換しつつある。しかし第三に、官僚の行為は普遍的な法にもとずくものでない。「無責任的行動パターン」、「非能率的行動パターン」、「私利至上的行動パターン」、「干渉主義的行動パターン」という中国の伝統文化と現行の体制とが融合して形成された[人情renqing」的行動が全体をおおっている。つまり官僚制の行為の構造は実質合理性でもなく、価値合理性でもないしさりとて形式合理性を形成し得ているわけではない。

 体制が正統性の根拠としたイデオロギーが政策や制度に具体化されないと、正統性は危機的となり、著しくその変容を迫られる。このことは次の官僚制と公共制の関わり方の転換を示唆する。それは第二の転換といえる権力主義的官僚制・公共制から権限主義的官僚制・公共制への政治的権力の転換である。この転換が実現されたとき、現代中国は合法的支配、形式的合理性が現実味を帯びるだろう、とする。

 本論文は、現代中国の官僚制と公共性を、生産性と自律性の関わりで社会学的に正面から取り組んだ論稿であり、著者独自の公共性概念を構成して、かつそれを武器として中国の現状分析を多くの資料とともに実証的に行った意欲的な研究といえる。したがってこの研究は学会に大きく貢献するものと高く評価されよう。とって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。

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