学位論文要旨



No 112170
著者(漢字) 相馬,りか
著者(英字)
著者(カナ) ソウマ,リカ
標題(和) 非定常運動時のCO2生成量推定方法の開発
標題(洋)
報告番号 112170
報告番号 甲12170
学位授与日 1996.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第50号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 助教授 市川,伸一
内容要旨

 ヒトの安静時に必要なエネルギーの多くは、糖、脂質等の酸化により得られる。この定量には、エネルギー基質の燃焼により生じるエネルギーと、ヒトの身体での酸化により生じるエネルギーが等しいことを利用する。すなわち、呼吸商からエネルギー基質を求め、酸素摂取量からそれらのエネルギー基質が酸化された量を算出する。ヒト全身の運動時にこの方法を適用する場合には、CO2生成量(以下RaCO2)あるいは酸素消費量を組織レベルで測定する必要があるが、実際には不可能である。そこで、CO2排出量(以下VCO2)はRaCO2と、酸素摂取量は酸素消費量と等しいという前提のもとに、一般には呼気の分析を行い、VCO2と酸素摂取量の測定を行い、この結果をもとに酸化によるエネルギーの生成量を算出する。酸素については、身体組織における貯蔵量が少ないことから、酸素摂取量と酸素消費量のあいだに大きな差はみられないと考えられる。しかしCO2は、水に対する溶解度が高く、身体中に常にある程度貯蔵されている(以下CO2pool)。身体中のCO2は、pH低下の場合には、pH調整のための緩衝機能として、生成量とは独立して排出される。また、換気の変化によっても貯蔵量は生成量とは無関係に変化し得る。したがって、このような条件のもとではRaCO2とVCO2は一致しない。非定常運動時にはこういった状態が連続的に生じていると考えられるため、RaCO2とVCO2が必ずしも一致しないと考えられる。そこで、本研究では、非定常運動時のエネルギー消費量算出のために、ヒト全身のRaCO2を推定する方法を新たに開発し、その妥当性を検討した。

方法

 本研究では、CO2のトレーサーとして、NaH13CO3を投与する。天然同位体である13Cは、地球上に存在する全ての炭素化合物に約1.10%ほど存在しており、は、放射性同位体ではない。そこで、13Cを濃縮したNaH13CO3をトレーサーとして静脈から投与する。投与されたNaH13CO3は、身体中では電離し、身体で生成したCO2と同様に振る舞うと考えられる。

 CO2pool中のトレーサー存在比として、呼気13CO2/12CO2(=E(t))を定義する。まず、安静時に一定速度でのNaH13CO3の投与のもとでE(t)が一定となる状態まで、NaH13CO3を投与する。この状態では、身体で生成したCO2と投与された13CO2の比は一定である。そこで、CO2pool中の13CO2/12CO2をVp13/Vp12、NaH13CO3投与速度をInf(t)、12CO2生成量をRaCO213CO2生成量をRa13CO2、NaH13CO3投与前の呼気13CO2/12CO2をEB、12CO2排出量をV12CO2とすると

 

 である。この両辺を微分すると、E(t)の変化は以下の微分方程式になる。

 

 したがって、(1)式より

 

 ここで13CO212CO2それぞれのpoolの変化については、

 

 の関係が成り立つ。したがって、(2)、(3)、(4)式より、

 

 を得る。これを解けば、RaCO2が算出できるのであるが、Vp12の評価は困難である。そこで(5)式の左辺を0、すなわち、E(t)を常に一定とすると、

 (Inf(t)+Ra13CO2-E(t)・Ra12CO2)=0

 ここで、Ra13CO2=EB・Ra12CO2の関係が成り立つことから、

 Inf(t)+EB・Ra12CO2-E(t)・Ra12CO2=0

 変形して

 

 である。そこで、

 

 となる。(7)式では、Inf(t)、EB、E(t)全てが測定可能であり、この関係を用いて、CO2poolの影響なくRaCO2を推定することが可能になる。

 このための条件は、dE(t)/dt=0が常に維持できるよう、NaH13CO3の投与量が調節されることである。これを実現するためには、E(t)の変化に応じて、Inf(t)を変化させる負のフィードバック制御システムを作成する必要がある。しかしながら、フィードバック制御システムに不可欠な、E(t)の連続測定は今まで行われていない。そこで、本研究では、まず、E(t)の連続測定すなわち、E(t)の一呼吸毎(breath-by-breath)測定を行うために新たに質量分析計を試作し、その信頼性を確認した。次にフィードバック制御の資料とするため、CO2poolの特性をNaH13CO3のパルス状の投与に対するE(t)の応答から求めた。これをもとに、非定常運動時にE(t)を一定に維持するための、NaH13CO3投与量のフィードバック制御法を開発した。

 本実験では人体に投与するNaH13CO3には、生理食塩水に1mol/lの濃度で溶解し、エンドトキシン試験、細菌試験、真菌試験を行い、無菌状態が確認したものを用いた。なお、被検者には実験の目的、方法、起こりうる危険について十分説明を行ったのちに、文面による同意を得た。

結果と考察

 試作された質量分析計では、濃度感受性、動特性ともにbreath-by-breathのE(t)測定に耐えることが示された。また、クランプを行う際のE(t)変動の限界範囲は、±0.25‰が適切であると判断された。安静時のNaH13CO3のパルス状投与に対するE(t)の応答は表1のような結果となり、被検者毎に差がみられた。

表1 安静時のNaH13CO3パルス状の投与に対する応答むだ時間:トレーサーのパルス状投与を開始してから、E(t)がEBよりも大きくなった時点。半減期:E(t)の最大値の1/2となった時刻。ピーク時刻:NaH13CO3パルス状投与開始からE(t)が最大値を記録するまでの時間。ピーク値:NaH13CO3パルス状投与後のE(t)の最大値。

 被検者間で応答が大きく異なったので、非定常運動時におけるNaH13CO3投与量の制御は、バラメトリックには行わず、ファジイ制御を試みた。

 非定常運動の例として、として、漸増負荷自転車駆動を行ったときのE(t)、

図1 呼気13CO2/12CO2(E(t))およびNaH13CO3投与量(Inf(t))クランプ開始を時刻0として8分から10w/minの自転車駆動を開始した。 NaH13CO3の投与量変化により、E(t)は±0.25‰の範囲内でほぼ一定値を維持した。図2 運動時VCO2、RaCO2、負荷クランプ開始8分後から10w/minの漸増負荷運動を開始した。VCO2とRaCO2は必ずしも一致しなかった。

 Inf(t)のフィードバック制御により、非定常運動時のE(t)は一定値に維持され、非定常運動時におけるRaCO2の算出が可能になった。この結果、RaCO2は、VCO2とは必ずしも一致しなかった。特に、安静時においてはRaCO2が、VCO2を上回っていた。安静時においては、CO2poolの大きな変動はあり得ないので、RaCO2は、生理的な要因によるものではなく、13Cの不均一な分布によるものであると思われる。クランプを行っているときには、見かけ上、E(t)は一定であり、E(t)は、CO2 pool全体のトレーサー存在比を表すと想定されている。ところが、CO2 poolは、実際にはCO2の潅流速度の遅い組織においては、クランプは達成できていない可能性がある。CO2の潅流の遅い組織へ移動する13Cは、呼気として回収されない13Cである。また、先行研究では、CO2の潅流の遅い組織として、安静時の筋あるいは皮膚が候補にあげられている。尿素合成も回収されない13Cの原因となる。そこで、投与されたNaH13CO3と排出された13CO2から、回収率を15秒ごとに算出した(図3)。安静時においては、回収率は、50%以下であった。つまり、安静時においては、CO2の潅流の遅い組織へ投与されたNaH13CO3が移動してしまう結果、RaCO2の過剰評価を生じていると考えられる。一方、運動開始により回収率は、100%ほどまで増加した。この原因として考えられることは、運動開始により、血流分布の変化が生じ、CO2の潅流の遅いと考えられている筋において、CO2の潅流が増加したため、回収率が増加したと考えられる。

図3 投与されたNaH13CO3の回収率安静時は50%程度であったのに対し、運動開始により100%前後に増加した。

 したがって、本研究で開発された方法では、RaCO2の評価には、現時点では過大評価が避けられない。しかしながら、非定常運動時における酸化によるエネルギー産生の定量への第一歩が開かれたといえよう。

審査要旨

 エネルギーを体内に摂取し、放出してヒトは生存している。体育やスポーツにおけるヒトの身体運動は、このエネルギー代謝を数倍にまで増大させる。ところで、エネルギー代謝の測定は、摂取された飲食物の量と体重の増減からおおむね推定することができる。生理学的には、主としてエネルギー基質である糖と脂肪が酸化されてCO2まで分解されるという現象に基づいて、エネルギーの代謝が測定されてきた。このためには、CO2生成量を測定する必要があるが、CO2生成量は直接測定することができない。そこで、これまではCO2生成量は呼気として体外に排出されるCO2の量すなわちCO2排出量をもってその推定を行ってきた。しかしながら、身体中にCO2が多量に存在し、その量は変動し得るため、CO2生成量と排出量が一致する条件は、安静時あるいは低強度の定常運動時に限られる。したがって、CO2生成量と排出量が一致しないと考えられる日常生活によくみられる非定常運動時のCO2生成量、ひいてはエネルギー消費量は正確には明らかになってはいなかった。本論文は、世界に先駆けて非定常運動時におけるCO2生成量の推定方法を開発しようとしたものである。

 この方法はNaH13CO3をトレーサーとして静脈中に継続的に投与し、その投与する速度とCO2生成量との比が一定であるという原理に基づいている。そこで、まず実験1では、呼気中13CO2/12CO2の測定器の信頼性の検討を行い、必要な測定器の精度が十分であることを確認している。次に、実験2ではNaH13CO3の投与量の調節法について検討するために、トレーサーを投与したときの呼気13CO2/12CO2の応答と、トレーサー投与速度を変化させずに運動を行った場合の呼気13CO2/12CO2の応答の測定を行っている。この結果に基づき、実験3では、CO2生成量推定を目的として、非定常運動時の呼気中の13CO2/12CO2存在比を一定に維持するためのトレーサー投与量の制御法の開発を行っている。以上の結果、運動強度が増加するように設定された自転車こぎにおいても、呼気13CO2/12CO2は運動中一定に維持され、CO2生成量が推定されることが確かめられた。

 このように本論文は、これまで、正確に求められてこなかった非定常運動時のCO2生成量を、新たな論理を用いて測定する方法を開発した点において、きわめて独創的といえる。今後、この方法によって、体育・スポーツにおける運動指導、あるいは医療における運動処方の場面で、運動強度の判定に信頼できる直接的な資料が得られると考えられる。以上により本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものであると判断された。

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