学位論文要旨



No 112199
著者(漢字) 逢澤,正行
著者(英字)
著者(カナ) アイザワ,マサユキ
標題(和) 落水表情の予測手法とデザインに関する研究
標題(洋)
報告番号 112199
報告番号 甲12199
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3742号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 助教授 天野,光一
 東京大学 助教授 河原,能久
 東京大学 助教授 堀,宗朗
 東京大学 助教授 大野,秀敏
内容要旨 1、背景と目的

 水の流れ、特に「落水表情」は、日常生活に潤いを与えてくれるとともに、我々日本人の美意識担うを代表的な要素の一つである。にもかかわらず、その理論的解析はもとより、その工学的なデザイン方法論も未だ明らかではなく、流れのデザインにおいてはデザイナー個人の経験や事例毎に模型実験によって仕様を決めているのが現状である。著者は、数年来、CG(コンピュータグラフィック)を単なる表現の道具としてではなく、デザインそのものの道具として位置づける必要性を提唱してきた。地形、樹木、空気遠近法等の自然の景観形成要素の表現法が具体的なアルゴリズムによって解明されてきたなかで(図-1参照)、水の表情のみが未開のフロンティアとして残されていることに注目した。

図-1 CGによる景観形成要素の例

 落水表情が理論的には水理学または流体力学に支配されるものであり、その本質から解き明かさなければその固有の特徴を把握することはできず、更には、理論的根拠を有するデザイン方法論の確立も不可能であると考えた。

 研究の目的

 本研究の目的は次の2点である。

 (1)落水表情の水理学的特性:落水表情とはどのような現象であるのかを明らかにする。

 (2)落水表情のデザイン方法論:落水表情の水理学的特性を基に落水表情を予測する手法を開発し、その予測手法を基にデザインに展開する為の方法論を明らかにする。

 デザインを前提に考えていることから本研究には次の2つの要件を充たすことが要求される。

 (1)公園の滝などの装置からダムまでの落水表情の連続的な変化のメカニズムを一貫した論理で解明するものでなければならない。

 (2)落水表情が、見る方向や光源の影響を受けることから、光学的に視覚化することを前提に、表面形状を物理的に再現しなければならない。

 研究の方法

 落水表情のデザインを可能とすることを目標に、落水表情の水理学的特性の解明において、理論面からの演繹法的アプローチおよび実規模実験による帰納法的アプローチを行う。落水表情のデザイン方法論においては予測手法の確立および視覚化方法論の確立を行う。

 研究の対象

 落水表情およびその流体力学的特性から研究の対象を図-2に示す、

 (1)自由落下型

 (2)越流型

 (3)開水路

 の3種類とした。

図-2 落水表情の分類

 既往の研究と本論文

 落水に関する研究の視点としては次のようなものがある。

 (1)表情の現象分類の対象としての落水(日本庭園における滝等)

 (2)構造物に対する外力としての落水(ナップ部の負圧や着水部の減勢工等)

 (3)公害の発生源としての落水(騒音、振動等)

 (4)表情の水理学的解明

 (1)〜(3)は既往の研究で行われてきたものであるが、(4)の落水表情に対する水理学的アプローチは、本研究のオリジナルである。

 水理学または流体力学における既往の研究については、関連箇所で後述する。ただ、この場合もそれらの研究目的はデザインに関するものではなく、また、そのほとんどは別の目的で約半世紀前になされたものである。

2、落水表情の水理学的特性

 水脈の自由表面に外力が加わるとその自由表面は復元しようとする(図-3)が、レイノルズ数による層流と乱流の区分を除けば、その復元力としては重力によるもの(図-4)と表面張力によるもの(図-5)の2種類が考えられる。両者の違いは水脈が固定床によって支持されているか(supported)、支持されていないか(unsupported)にある。

図-3 自由表面と外力図-4 重力による復元力図-5 表面張力による復元力

 よって、微小擾乱が加えられた時にこの復元力により自由表面を安定に保てるか否かにより表面の形状が決定されるものと考えられる。このように落水表情を自由表面の不安定問題、すなわち、微小擾乱の成長問題と考えることにより、落水表情の発生条件および特性を無次元化された物理量であるフルード数(Fr:慣性力/重力)とウェーバー数(We:慣性力/表面張力)によって表現することが可能となる。これに加え、流量増加に伴うレイノルズ数(Re:慣性力/粘性力)の増加により、上述の自由表面の不安定問題としてよりも流れの乱れの問題として扱うことが必要になると考えられ、無次元化した自由落下型と越流型の基本式は次式のようになる。(この分類によれば開水路型は越流型に含まれる)

 

 このように考えることによって落水表情の水理学的特性を包括的に扱うことができるとするのが本項の結論である。

 この点について、YORK等(1953)は渦状のスプレーノズルからの水脈について、HAGERTY等(1955)は布状の水脈について、水脈を重力を無視した等速落下する非粘性ポテンシャル流と考えることにより不安定限界振動数と振動増幅率を求めているが、これらは、初期の強制振動に対して水脈が安定するか否かの判定であり、我々の自由落下型の水脈のばらけ位置の特定に直接用いることはできない。尚、本論文において「ばらけ」とは、水脈が不安定になり水滴に分散する現象(Break-Up)を意味する。CHEN等(1964)は円管から水束が高速で放出される場合について模型実験を行い、次元解析を行うことによりばらけ位置の無次元数をウェーバー数の関数として表しているが、円管の水束と布状の水脈では条件が異なり、定性的には似たような傾向を示しても、定量的にはそのまま用いるわけにはいかない。また、土研の水脈の研究(1981-1995)においては、本研究との着眼点の違いから放出部の粗度が高めになっており、もともと乱れた状態で放出されることよりばらけ位置は流量の変化に伴ってほとんど変化していない。よって、自由落下型については、ばらけ位置を含めた形で落水表情の解析または実験を行った事例は本研究の前には存在しないことになる。

 また、フルード数については、岩佐等(1953、1955)が転波列の波形を基礎方程式の解を衝撃条件によって結合し不連続周期解として表しているが、これは、波高一定となる最終状態のものであり、越流型のように発達状態についてのものではない。

3、実規模実験

 実験目的

 本研究における実規模実験は、力学的観点からは前述した理論化の枠組みに対して次元解析のための具体的な物理常数を与えるものであり、幾何学的観点からは後述するのデザイン方法論の為の基礎データを提供するものである。

 実験方法

 落下高さ5mの実規模模型を作製し(自由落下型および越流型2種)、単位幅流量0.003〜0.500m3/sで落水させることにより、流量変化に対する落水表情の写真撮影とVTR撮影を行った(図-6参照)。越流部は、標準型越流頂形状とした。

図-6 実規模実験模型

 実験結果

 図-7〜8に流量増加に伴う落水表情の変化を示す。

図-7 越流型(勾配60度、右方が流量大)図-8 自由落下型(右方が流量大)

 自由落下型について

 図-9より、自由落下型においては、安定して落下していた水脈がばらけ位置で一気に不安定となっていることがわかる。これは、前述したように、ばらけ位置において慣性力と表面張力による復元力とのバランスがくずれ、擾乱が脈状振動の形で指数関数的に増幅していくことによる。

図-9 自由落下型ばらけ位置

 ウェーバー数によって越流頂よりばらけ位置までの距離Lを無次元化した形で表すと次式となる。

 また、流量の増加(Reの増加)に伴い、全体が次の3領域に分けられる。

 (1)流量増加に伴いばらけ位置が下降する領域

 (2)流量増加にかかわらずばらけ位置が一定の領域

 (Re=約2.2×104以上)

 (3)全体が瀧状となりばらけ位置の識別困難な領域

 (Re=約1.0×105以上)

 越流型について

 図-10より、流量の増加に伴い、乱流境界層が自由表面に到達するまでの距離が増加してきていることがわかる。この現象はRe=105付近まで続くが、それ以上のReでは流れの乱れの影響の方が大きくなり一定の値を中心にばらつき出す。

図-10 乱流境界層の成長

 また、流量の増加(Reの増加)に伴い、全体が次の3領域に分けられる。

 (1) 転波が発生する領域

 (2) 全体が均質な波形となる領域(Re=約1.5×104以上)

 (3) 表面の乱れが顕著になる領域(Re=約3.0×104以上)

 このように自由落下型(unsupported)と越流型(supported)とでは個々の具体的な表情は異なるが、Reの比較的小さいときには自由表面の安定問題となり、Reの増加に伴って全体の様相が不連続そして多段階に変化するという点では共通の定性的性質を有する。

4、デザイン方法論

 以上により、落水表情における表情の領域区分がFr、We、Reといった無次元化されたパラメータによって表されることが判明した。また、実験で実際に計測した写真とVTRはそれ自体がスケールや時間軸を有する上記の無次元量の相似則の中で展開可能なビジュアルデータといえる。

 1)これらの結果をデザインに用いる一つの方法は必要な範囲で相似則を仮定した上で無次元量を流量といった有次元なパラメータに置き換えて落水表情を予測する方法である。

 2)また、これらのデータをCGの3次元空間上で展開し、事情に視覚化することにより、落水表情の予測を構造物のデザインにフィードバックさせることが可能となる。

 図-11に自由落下型の写真データを水脈の中心線に沿って3次元に展開した事例を、図-12に緩勾配の事例として津和野川落差工の視覚化の例を示す。

図-11 写真データの3次元空間での展開図-12 CGによる視覚化の事例

 3)ここで、CGによる視覚化(Visualization)においては、静止画については、実際の水面形状を物理的に再現(写真の高速シャッター撮影に該当)した上で、人間の目に見える状態に補正(写真の低速シャッター撮影に該当)することが、動画については、現状のVTRのコマ数(1秒間に30コマ)を基準に計算し、静止画と同様の補正を行うことが重要となる。

 4)また、構造物との関係においては、三次元空間上でパラメータを共有することにより複数の側面(機能面、構造面、景観面)の同時決定がデザイン方法論的に可能となる。

5落水表情についての基本スキーム

 全体のまとめとして、図-13〜15にレイノルズ数の増加に伴う落水表情の連続的変化についての基本スキームおよびその自由落下型と越流型への適用例を示す。また、図-16に落水表情の理論的根拠がデザインに反映されるまでの流れについての基本スキームを示す。

図-13 落水表情の連続的変化についての基本スキーム図-14 落水表情の連続的変化についての基本スキーム(自由落下型落水表情)図-15 落本表情の連続的変化についての基本スキーム(越流型落水表情)図-16 落水表情における理論的根拠からデザインまでのプロセスについての基本スキーム流体力学的根拠に基づいて物理的現象として発現した落水表情は、視覚的に認知され、落水表情のイメージとしてとらえられる、このイメージに基づいて落水表情と構造物のデザインが行われる。
6結論

 落水表情とはどのような現象であるのか、落水表情を予測し、デザインするにはどのように考えればよいのかを明らかにすることができた。このことによって、落水表情を構造物を含めた設計の具体的な対象として評価できるようになり、また、落水表情を理論的観点から考察するための基礎を確立できたものと考える。

審査要旨

 水の流れ、特に「落水表情」は、多くの公共構造物に用いられ、日常生活に潤いを与えてくれるとともに、我々日本人の美意識を代表する重要な要素の一つである。にもかかわらず、その理論的解析はもとより、その工学的なデザイン方法論も未だ明らかではなく、落水のデザインにおいてはデザイナー個人の経験や事例毎に模型実験によって仕様を決めているのが現状といえる。そこで、落水表情の水理学的メカニズムを解明した上で、予測手法とデザイン方法論を明らかにすることは、落水表情と公共構造物をデザインする上で非常に重要な課題となっている。

 本研究においては、落水表情についての水理学的メカニズムが明らかにされ、それに伴う落水表情の予測手法およびデザイン方法論が開発されている。これにより、公共構造物のデザインにおいて最重要課題の一つである落水表情のデザインを工学的かつ客観的に行うことが可能となる。

 序論では、公共構造物のデザインにおける落水表情の重要性について説明した上で、落水表情の連続的変化を包括的に説明するような既存の論理的枠組みが存在しないことを述べている。また、水理学的観点から落水表情を分類することにより、研究対象として自由落下型と越流型を抽出している。そして、水理学および流体力学の理論的な裏付けを有するデザイン方法論の必要性と、それを目的とする本論文の内容を述べている。

 第1章では、放出部で層流域、遷移域、乱流域に区分した後、乱流域について流量変化に伴う表情変化が自由表面の安定問題となる第1領域、遷移領域となる第2領域、全面が乱れる第3領域に区分し、第1領域において自由表面の安定問題となることを示した上で、落水表情の表情変化の境界及び表情の特性が水理学の無次元量によって表現されることを示している。このことにより、様々な落水表情を包括的な枠組みにより表現することが可能となる。

 第2章では、落水表情の実規模実験を行うことにより、第1章の流量変化に伴う落水表情の連続的変化のメカニズムが検証され、乱流域における落水表情が、自由落下型については膜・ばらけ、2次元乱れ、全面乱れの3領域に区分されること、また、越流型については転波、微小波、全面乱れの3領域に区分されることが明らかとなった。また、それぞれの境界値が具体的な数値で示された。このことにより、落水表情の連続的変化を定性的及び定量的に把握する事が可能となる。

 第3章では、落水表情そのものが幾何学的にどのような形状であるについて、自然の幾何学であるフラクタル幾何学および落水表情の主観的再現である絵画との関係において述べられている。

 第4章では、落水表情の水理学的特性を用いれば落水表情のデザインが可能であること、落水表惰のデザインにおいては物理的現象から落水表情のイメージに至るまでのプロセスが重要であること、実規模実験の結果そのものがスケールと時間を有するデータとして意味を持つことが明らかにされている。これらにより、具体的な設計事例において構造物と落水表情をデザインすることが可能となる。

 以上の研究成果を要するに、公共構造物のデザインにおいて重要な位置を占める落水表情について水理学的観点からの包括的な把握が可能となり、そのことによって、落水表情を構造物を含めた設計の具体的な対象として評価できるようになり、また、落水表情を理論的観点から考察するための基礎を確立できたものと考えられる。この成果は、社会人大学院生である論文提出者が出身企業において関連研究を始め、博士課程大学院生としての2年間に研究を継続・完成させることによって得られたものであり、この分野での研究に大きく貢献するとともに、実務における応用にも用いられることが期待される。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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