学位論文要旨



No 112201
著者(漢字) 張,松
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ショウ
標題(和) 中国歴史文化都市の保全計画に関する研究
標題(洋)
報告番号 112201
報告番号 甲12201
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3744号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 太田,勝敏
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 助教授 城所,哲夫
 東京大学 助教授 大方,潤一郎
内容要旨

 1979年以来、中国政府は四つの近代化建設方針を打ち出し、経済建設を中心とした「経済改革・対外開放」の政策が進められた。都市のインフラ施設の整備、住宅団地の開発、観光事業の発展などと同時に、「建設性破壊」と「開発性破壊」が、歴史的市街地や文化財に大きな影響を与えた。この現状に対して、中国は他の国の歴史文化財保全の経験を参考し、1981年に歴史文化都市制度を制定した。1982年11月19日に制定された『文化財保護法』の第2章第8条では「文化財が特に多く、重大な歴史的価値および革命意義を有する都市は、国の文化行政管理部門と都市・農村建設環境保護部門とが共同して国務院に報告し、国務院は審査決定の上公布して、歴史文化都市とする」と記されており、初めて歴史文化都市制度の法的根拠が明確にされた。その後、1982年、1986年、1994年に三回であわせて99の歴史文化都市が指定された。

 今日歴史文化都市を研究することの意義を次に記す。

 (1)高度経済成長に伴い都市の歴史的環境が大きく変貌するという事態に直面している中国では、いかにして歴史文化都市の保全を図っていくかが都市計画上

 (2)市場経済体制の推進という現状を踏まえ、歴史的環境保全の視点から中国の実情にふさわしい都市計画制度、理念、方法が探究される必要がある。

 (3)中国と日本との歴史的環境保全に関する法制度や計画手法を比較することも、非常に意義深く、中国にとっては、日本の歴史的環境保全制度を学んで参考にする必要がある。

 本論文は、大きくIII部に分けられる。第I部(序章、1章)は、歴史文化都市の全体像、すなわち歴史的環境の保全の過程、歴史的都市の類型などに関する整理と分析である。第II部(1〜5章)は、類型別の代表的な都市に関して具体的に考察をおこなった。主として伝統的な古都北京、近代植民地都市上海、江南地方における水郷都市および地方色濃い小城鎮の空間構成・文化的変容・保全計画手法などを論じた。第III部(結章)は、日中比較の視点から、中国歴史文化都市の保全制度の問題点の検討と今後の課題への提言である。

 第1章では、中国における歴史文化都市保全計画の在り方について考察することを目的としている。現行の歴史文化都市の指定基準、保全制度の形成過程について検討し、その上で、「歴史的現在」という視点から、現存しているフィジカルな要素の分析に基づく歴史文化都市の分類を提案した。

 第2章では、北京の形成の歴史、とくに社会主義時期において現代的変容のプロセスを解明し、比較研究を通して都市の文化的性格、空間的特徴、保全に関する論争を明らかにした。

 古代の北京は首都として規模の雄大さと巨大さをもつだけでなく、都市の配置にも『周礼』・「考工記」に現れた伝統的理想の追求をも十分に表したものである。整然とした街並みの中に自然の風景が挿入され、しかも互いに融合している。すなわち幾何学は儒教であり、非論理的な自然形が入り込んでいるのは道教である。この二つは北京の市街において融和している。

 近代の北京は、ヨーロッパのような都市計画で全体が大改造されていくということは、実は経験せず、北京は部分改造により変化をとげてきた都市だといえる。それほど大きく都市改造をおこなわず近代化を進めてきたが、1949年10月1日から、北京は新中国の首都とした後、都市の性格と機能は大きく変貌し、都市計画と建設方針にも根本的な変化が起こった。

 北京古城の保存に関する論争は、1950年代から展開されてきた。北京の歴史的つ全面的におこなわれたが、近年は、旧城内で高層ビルが次第に建てられて、歴史的景観を侵害している。

 第3章では、もっとも典型的な近代の急速的に形成された植民地都市--上海を対象として、その都市の空間構造、景観特徴を分析し、外灘(バンド)歴史地区を中心に、近代的都市の保全計画を試みている。

 近代上海の政治・経済的多元構造によって、都市の空間形態の典型的なコラージュ形式を作りだし、多元共存の空間景観を呈している。さらに、特異な近代洋風建築が、コラージュ・シティーの鮮明な個性を反映している。このような現況をふまえれば、都市の基本計画は、都市の各部分のもつ個性的な特徴を保存したほうが、都市景観保全に対して有効なのである。

 近代上海都市の変容を振り返ってみると、1990年代の浦東開発を中心とする上海再開発ブーム、経済制度の改革、外国資本の進出等の変化と共通する内容が多いことに驚かされる。こうした新たな段階に入ると、新しい市街地をどうコラージュするか、近代建築と歴史的街並みをどのように保存・再生していくかが今日の大切な課題となる。

 第4章では、蘇州を中心とし、江南地方における水郷都市の構造的特色、水景観の変貌および近年の再開発の波による「開発性破壊」を論述した。

 古代の中国では、風水の思想の影響を受けて、「蔵風得水」型の地形、すなわち風水の地の利を得られる山・水の辺の景観のすぐれた場所に多くの都市は建設された。長江下流域に位置する江南地方は、水利に優れた自然環境の中、多種多様な産物に恵まれ、華やかな文化を育んできた地域である。蘇州をはじめ水郷都市の特色は、水路と街路から構成された二重碁盤目状の都市骨格、「小橋・流水・人家」という快適な都市空間、雅致かつ素朴な蘇州民家と奥深い街巷、古典庭園と名勝古跡などである。水路や民家、街路、小橋はすべて小さいヴォリュームとし、人々に親しみや安定感を与えている。

 しかし、1949年以後、経済性・合理性を追求するために水路などを埋め立てることにより、水面の面積が減少してきた。これによって、水網は洪水調節、排水などの機能が衰退し、都市の個性を喪失し、都市環境に不利な影響を与えた。さらに都市の産業廃水、生活廃水が連年増加することによって、水質汚染が一層に深刻な問題になった。「水郷沢国」や「東洋のベニス」と呼ばれる蘇州は、「水の無秩序な再開発により都市構造及び水環境は大きく破壊されたのである。

 第5章では、比較的僻地における徽州村鎮、平遥・大理・麗江など、現代都市が失ってしまった優れた個性的な特色を見出すことができる地方小城鎮、集落に関する保全計画を研究した。「風水」によってつくられたそれらの景観は、自然と人間の共生する思想を体現している。

 風水は、決して千篇一律ではない各々の土地の特徴、場所の霊性を定義づけるひとつの試みと言えるだろう。これに対して、現代的な都市計画理論は、機能性と合理性を中心として、画一化した計画理論を適用してきたため新しく計画された都市は往々として没個性になった。とくに、近年の中国の開発ブームの中で、「北方の香港をつくろう」「国際大都会をつくろう」などのスローガンに基づいて、無個性な景観をもつ新開発区が建設されつつある。

 また、伝統的な街並みを歩いてみて一番印象に残ることは、同じタイプの要素が共有されていて、そのものが反復してあらわれることである。たとえば、徽州地区の村落の場合は、白い壁面の色彩や黒い屋根などが、連続して繰り返しあらわれる。昔はそれがあたりまえだったのだろうが、乱雑な要素がたくさん集まった現代の都市景観を見慣れた目からみると、驚異的な現象である。

 結章では、開発と保全、破壊と再建など問題点を分析してから、中国の歴史文化都市の保全と都市計画の改善などの面について提言した。

 中国は今、「社会主義的公有制を基礎として計画経済」から「社会主義市場経済」への転換期に、新旧の両制は、衝突、摩擦が複雑にからみ合うなかで、多くの矛盾と問題の根元になっている。都市計画の制度の改善や本格的な歴史的保全の展開は、経済発展による国力の増強が必要であるのは言うまでもなく、政治制度の改革、民主主義を推進しなければならない。

 中国の歴史文化都市は、時間論の視点からみると長い歴史の過程の中で、各都市の固有の空間感覚がつくり出された。空間論の視野から考察すれば、地域文化圏の中で、その都市のもつ歴史的場所の精神が創出された。都市の文化的性格に応じ、それぞれの歴史的都市のもつ個性的な魅力を維持する必要があり、さらに優秀な伝統的な都市計画思想・手法の継承が今後の中国の都市計画・デザインにおいてもっとも重要な課題である。

審査要旨

 1979年以来、中国政府は経済建設を中心とした「経済改革・対外開放」の政策が進められている。歴史的市街地や文化財の破壊も急速に進行した。これによって、中国は他の国の歴史文化財保全の経験を参考し、1981年に歴史文化都市制度を制定した。『文化財保護法』の第2章第8条には歴史文化都市指定が定められており、初めて歴史文化都市制度の法的根拠が明確にされた。その後、1982年、1986年、1994年に三回であわせて99の歴史文化都市が指定された。

 本論文は、大きくIII部に分けられる。第I部(序章、1章)は、上述の歴史文化都市の全体像、すなわち歴史的環境の保全の過程、歴史的都市の類型などに関する整理と分析である。第II部(1〜5章)は、類型別の代表的な都市に関して具体的な考察である。主として伝統的な古都北京、近代植民地都市上海、江南地方における水郷都市および地方色濃い小城鎮の空間構成・文化的変容・保全計画手法などを論じている。第III部(結章)は、日中比較の視点から、中国歴史文化都市の保全制度の問題点の検討と今後の課題への提言である。

 第1章では、中国における歴史文化都市保全計画の在り方について考察することを目的としている。現行の歴史文化都市の指定基準、保全制度の形成過程について検討し、その上で、「歴史的現在」という視点から、現存しているフィジカルな要素の分析に基づく歴史文化都市の分類を提案している。

 第2章では、北京の形成の歴史、とくに社会主義時期において現代的変容のプロセスを解明し、比較研究を通して都市の文化的性格、空間的特徴、保全に関する論争を明らかにしている。

 北京古城の保存に関する論争は、1950年代から展開されてきた。北京の歴史的保全の活動は、1982年の国家レベル歴史文化都市の指定を受けてから、本格的かつ全面的におこなわれたが、近年は、旧城内で高層ビルが次第に建てられて、歴史的景観を侵害している。このような都市のおいて現在提案されている保全計画の具体的内容とその妥当性が議論されている。

 第3章では、もっとも典型的な近代の急速的に形成された植民地都市-上海を対象として、その都市の空間構造、景観特徴を分析し、外灘(バンド)歴史地区を中心に、近代的都市の保全計画を試みている。

 近代上海の政治・経済的多元構造によって、都市の空間形態の典型的なコラージュ形式を作りだし、多元共存の空間景観を呈している。さらに、特異な近代洋風建築が、コラージュ・シティーの鮮明な個性を反映している。このような現況をふまえれば、都市の基本計画は、都市の各部分のもつ個性的な特徴を保存したほうが、都市景観保全に対して有効であると結論づけている。

 第4章では、蘇州を中心とし、江南地方における水郷都市の構造的特色、水景観の変貌および近年の再開発の波による「開発性破壊」を論述している。

 古代の中国では、風水の思想の影響を受けて、「蔵風得水」型の地形、すなわち風水の地の利を得られる山・水の辺の景観のすぐれた場所に多くの都市は建設された。長江下流域に位置する江南地方は、水利に優れた自然環境の中、多種多様な産物に恵まれ、華やかな文化を育んできた地域である。

 しかし、1949年以後、経済性・合理性を追求するために水路などを埋め立てることにより、水面の面積が減少してきた。これによって、水網は洪水調節、排水などの機能が衰退し、都市の個性を喪失し、都市環境に不利な影響を与えた。さらに都市の産業廃水、生活廃水が連年増加することによって、水質汚染が一層深刻な問題になっていることを明らかにした。

 第5章では、比較的僻地における徽州村鎮、平遥・大理・麗江など、現代都市が失ってしまった優れた個性的な特色を見出すことができる地方小城鎮、集落に関する保全計画を検討している。

 結章では、開発と保全、破壊と再建など問題点を分析し、現行の歴史文化都市保全計画の特質と今後の課題を考察している。

 資料入手の困難さ等があり、これまで中国の歴史文化都市の保全計画を横断的に研究した論文はなかった。本研究は情報入手の制約のなか、中国における歴史文化都市の現況とその保全計画の詳細な内容とを明らかにし、計画実施における今後の問題点ならびに課題を明らかにした労作といえる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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