ダイオキシン類による環境汚染問題においては、発生源をはじめ発生源から土壌・底質などの環境への移行、さらに環境から生物への移行、食物連鎖による生物濃縮及びダイオキシン類の摂取による人体へのリスクの全ての段階において研究調査が必要である。 本研究では、ダイオキシン類による環境汚染問題の全体の中で、特に生物濃縮に重点をおいて、環境から生物への移行を定性・定量的に解析することを目的として以下のことについて検討を行った。 (1)解析に必要な0.1pg/gレベルの生物試料の分析方法の確立 (2)霞ヶ浦と東京湾の水生生物体中のダイオキシン類の汚染レベルの把握 (3)生物の種類、食物連鎖上の位置、棲息環境による濃縮特性 (4)魚介類の摂取による人体曝露のリスクの評価 本論文は、7章から構成されており、各章の概要は以下のようである。 第1章では、本論文の背景と目的について説明した。 第2章では、ダイオキシン類の一般的な性質をはじめ、生成機構や毒性についてまとめた。また、一般環境中での挙動や汚染レベルの調査例についてまとめた。 第3章では、生体試料中のダイオキシン類の分析方法について検討を行った。人のダイオキシン類による曝露の90%以上が魚類や肉類などを経由していることから生体試料中のダイオキシン類に対して、環境中での挙動と毒性影響について議論が可能なレベルを目標に分析方法を検討した。分析方法は、生体試料をKOHエタノール溶液によりアルカリ分解させた後、シリカ、アルミナ、活性炭カラムによりクリーンアップを行う方法を用いた。その結果、 (1)非2,3,7,8-置換体を含む4塩素化以上の全ての異性体に対して0.1pg/g(wet weight)以下を定量限界とする分析方法を確立した。 (2)DB-5カラムとDB-17カラムの2本のカラムを用いることによって毒性の観点から重要な2,3,7,8-置換体を他の異性体から完全に分離・定量することが可能になった。 第4章では、不純物質としてダイオキシン類を含むCNP(2,4,5-トリクロロフェニル-4’-ニトロフェニルエーテル)が流域で広く使われた霞が浦を調査対象地域に選び、魚類中のダイオキシン類の濃度分布を調べると共に、検出されたダイオキシン類の異性体のパターンからCNPの影響について考察を行った。試料は、西浦の湖心、高浜入り、天王崎と北浦の潮来町付近の4地点でエビ、ハゼ、シラウオ、ワカサギ、ピヒリ、コイ、ハス、ブルーギル、ブラックバスを採取した。3章で検討した方法によって4塩素化化合物から8塩素化化合物までの全てのダイオキシン類を対象に分析を行った。その結果、 (1)霞ヶ浦の魚類から検出されたダイオキシン類の総濃度は247.1〜3.8pg/g(wet weight)の範囲であった。また、生物体の種類によって同族体の構成比率は異なったが、低塩素化ダイオキシン類がより多く蓄積することがわかった。 (2)分析を行った全ての試料からは、CNP中に含まれている1,3,6,8-TCDDが高濃度で検出され、除草剤として広く使われたCNPの影響を強く受けていることが確認された。 (3)毒性換算係数(TEF)を用いて計算した2,3,7,8-TCDD等量(TEQ)は、InternationalのTEF(I-TEF)に基づく計算では0.18〜2.64pgTEQ/g(wet weight)、米国のEPAのTEF(EPA-TEF)に基づく計算では、0.13〜1.85pgTEQ/g(wet weight)の範囲でいずれも非汚染地域のレベルに近かった。しかし、EPA-TEFで計算したTEQ濃度では、非2,3,7,8-置換体の寄与率が2.7〜35.1%を占め、非2,3,7,8-置換体についての毒性評価の必要性が示唆された。 (4)底質中のPCDDs/PCDFs濃度の0.3%がTEQ濃度に相当する半面、魚類は、2.0〜11.0%がTEQ濃度に相当し、毒性評価の対象になっている2,3,7,8-置換体が底質より魚類に相対的に10倍のオーダーで濃縮されていることがわかった。 第5章では、ダイオキシン類の発生源として知られているゴミ焼却炉、火力発電所、製鉄所など様々な産業施設が位置している東京湾を調査対象地域に選び、魚介類中のダイオキシン類の汚染レベルの調査と発生源の影響について考察を行った。試料は、東京湾の内湾である蘇我沖、五井沖、姉崎海岸、盤州の4地点でメバル、ヒラメ、コチ、アカエイ、スズキ、ボラ、トリガイ、イシカニを採取し、4章の霞ヶ浦の試料と同じ方法でダイオキシン類の分析を行った。その結果、 (1)東京湾の魚介類から検出されたダイオキシン類の総濃度は1025.8〜6.7pg/g(wet weight)の範囲であった。また、プロファイルは霞ヶ浦の魚類に比べ低塩素化PCDFが高かった。 (2)ダイオキシン類の濃度分布は生物体の種類によって異なり、貝が底質のパターンをよく反映している半面、魚類では2,3,7,8-置換体が選択的に濃縮されていることが分った。 (3)東京湾の魚介類中のダイオキシン類のTEQ濃度は、I-TEFに基づく計算では、0.32〜3.65pgTEQ/g(wet weight)の範囲で霞ヶ浦の魚類よりは若干高かった。また、EPA-TEFに基づく計算では、0.21〜5.63pgTEQ/g(wet weight)であった。 (4)東京湾の魚介類は、霞ヶ浦の魚類に比べCNP以外にPCDFsを放出する発生源の影響を受けていることが示唆された。 第6章では、4章と5章の結果に基づき、水生生物体中のダイオキシン類の汚染状況の種による違いについて生物濃縮の観点から考察した。また、多変量解析の手法としてクラスター分析を用いて霞ヶ浦及び東京湾の魚介類中のダイオキシン類の濃度分布と濃縮パターンの差について解析すると共に魚介類の摂取による人間へのリスクについて検討を行った。すなわち、 (1)霞ヶ浦の底質中の濃度と生物体中の濃度を用いて生物濃縮係数を求めた結果、2,3,7,8-置換体が非2,3,7,8-置換体に比べ、生物体に選択的に濃縮されることが明らかになった。 (2)ダイオキシン類の濃縮係数は、食物連鎖上位の生物は低塩素化のものが、下位の生物は高塩素化のものがそれぞれ高かったため、食物連鎖の位置によって濃縮パターンが異なることがわかった。 (3)ダイオキシン類の生物体の濃縮係数とオクタノール・水分配係数(log Kow)との相関を検討した結果、log Kowの増加と共に濃縮係数が減少する傾向が観察された。log Kowが6以上の化合物が生物体で濃縮されないことは、以前の研究からも報告されたが、今回の研究結果から実際の環境中のダイオキシン類についてもこの一般的な傾向に適合することが明らかになった。 (4)生物体の棲息環境と食物連鎖上の位置による試料間の類似性を解析するため、魚介類中のダイオキシン類の濃度分布と濃縮パターンを変数としてクラスター分析を行った。その結果、異性体の相対濃度を変数としたクラスター分析の結果が、生物の種類と棲息環境及び食物連鎖上の位置による差を明確に示し、ダイオキシン類のような多変量データの解析に最も有効な手段であることが示唆された。 (5)霞ヶ浦と東京湾の魚介類中のダイオキシン類の濃度を用いて魚介類の摂取による発ガンリスクを計算した結果、2.9×10-5〜9.5×10-4の範囲であった。また、これらの魚介類を摂取した場合、食品から曝露されるダイオキシン類の量は1.47〜7.25pg TEQ/kg/dayであった。 第7章では、各章で得られた結果をまとめ、本研究の総括を行った。また、今後の研究課題について述べた。 |