内容要旨 | | VLSIデバイスの微細化やそれに伴う高密度化によって,半導体デバイスにおけるプロセス由来の機械的応力は,その特性に,より一層重大な影響を与えるようになってきた.シリコンデバイスを例に取ると,LOCOS構造,トレンチ構造,V構造などが素子分離のために用いられる.このようなノンプレーナ構造を用いるプロセスは,大きな局所的応力をデバイスにもたらす.殊に用いられる薄膜の物性に不連続がある場合は,この効果が顕著となる.Siは最もよく研究されている半導体であるため,Siプロセス技術の分野においては,プロセス由来の機械的応力の効果に関して数多くの報告がある.一方GaAsは,高周波デバイス,高温動作デバイス,耐放射線デバイス,光デバイスなど多くの分野でSiにとって代わることの出来る半導体材料と目されている.ガリウム砒素(GaAs)デバイスのプロセスの場合,熱処理中の砒素やガリウムのGaAs表面からの喪失の防止や表面不活性かの目的で,シリコン酸化膜(SiO2)やシリコンナイトライド(Si3N4)が保護膜として使用される.そのため膜中の応力や熱膨張係数差による応力がGaAs基板表面に蓄積する.そのためGaAs/絶縁膜界面の応力の本質やその応力がGaAsの半導体プロセスの基本的ステップに与えるメカニズムを理解することは,殊に重要である.しかし残念ながら,GaAs/絶縁膜界面に発生する応力やそのプロセスへの影響に関する系統的な研究の報告は,殆ど無いに等しい. 本研究では,熱処理によるGaAs/絶縁膜界面に発生する応力とその応力がGaAs中へのスズ(Sn)の拡散に及ぼす影響について,ラマン分光法及びフォトルミネッセンス分光法を用いて研究を行った.SnはGaAs中で最も一般的なドナーの一つで,これを研究することは,応力が他のドーパントのGaAs中での拡散に与える影響を明らかにする上でも有益な情報を与えることは間違いない. 本研究においてラマン分光法を用いた理由は,GaAs/絶縁膜界面の応力の測定とその表面におけるキャリヤ密度の評価が共に出来る為である.レーザラマン分光法はプローブにレーザ光を用いるため,レーザ光のスポット径程度の微少領域を非破壊で評価できるという利点を持っており,表面の研究に好都合である.スポット径はマクロラマンで100m,マイクロラマンで1m程度で,空間分解能がよい.ここでLOフォノン-プラズモン結合モードを用いたキャリヤ密度を測定するための新しい方法(ノーマライズドプラズモンインテンシティ法と称する)を提案し,一般的な評価法の一つであるL+モードの周波数による方法と共に用いる.この方法では,LOフォノンとプラズモンとの結合モードであるL-モードとLOフォノンの強度比により,キャリヤ密度を評価する.通常は,L+モードの周波数を用いる方法及びドープされた試料とアンドープの試料のLOフォノンの強度比を用いる方法が一般的である.前者は,L+モードの強度が小さいため2.0×1017/cm3以下の測定は困難であり,後者は二種類の試料を用いるため,その測定条件や試料の清浄度などの相違が誤差の原因となるなどの不都合がある.ここで提案する方法では,試料それ自身のL-とLOフォノンの強度を比較するため,試料間の表面状態の微妙な違いに影響されないという特徴を持っている. 本研究では,まず最初にGaAs/絶縁膜(SiO2,Si3N4)界面の応力の系統的評価を行った.絶縁膜をスパッタ法により堆積した後のGaAs表面には,応力は存在しない.しかしその試料を熱処理した後測定すると,GaAs表面には大きな応力が蓄積していることが,LOフォノンのピークシフトから明らかとなった.GaAs/SiO2界面ではGaAsに圧縮応力が蓄積しており,それはSiO2の厚みの増加と共に増加する.一方GaAs/SiO2/Si3N4構造では,SiO2層の厚みを一定してSi3N4の厚みを増加すると圧縮応力が徐々に減少し,ついには引っ張り応力に転ずる.これはSi3N4がGaAs表面に引っ張り応力もたらすということを示している.圧縮応力の増加に伴って,LOフォノンのピークシフトに加えて半値全幅(FWHM)の増加もまた観測された.これは,測定している領域内で応力の大きさが微視的に違いがある不均一な応力の増加が,スペクトルの半値全幅の増加をもたらしたと考えることが出来る.熱処理前にはGaAs表面応力の蓄積はなかったことから,応力は熱膨張係数の違いによって熱処理中に導入され,そしてその応力は冷却過程で完全には緩和せず一部残留したことを示している.また,GaAs/SiO2/Si3N4サンドイッチ構造を用いることにより,GaAs基板上の応力を制御することが可能なことが明らかとなった. 次にラマン分光法を用いてGaAs中のSnの拡散に対する応力の効果について評価行った.そのため次のような構造の試料を準備した.最初にGaAs上にパッド酸化膜を形成し,その上にSn層を堆積した後,キャップ層としてSiO2またはSi3N4を堆積したものである.このような試料に高温の熱処理を施した.SnとGaAsとの合金化を防ぐためのパッド酸化膜の厚みは全て同じである.プラズモンの測定結果から,次のような事柄が明らかとなった.キャップ層としてSiO2を用いてGaAsに圧縮性の応力がはたらいている場合,GaAs表面でのSn密度は,応力がはたらいていないか応力が小さい場合に比べて大きい.これに対して,キャップ層としてSi3N4を用いてGaAsに引っ張り応力がはたらいている場合,GaAs表面のSnの密度は,圧縮応力がはたらいている場合に比べて小さい. ここで応力のはたらいているGaAsへのSnの拡散についての次のようなモデルを考える.圧縮応力の増大は,GaAs中のSnの拡散係数を減少させる.その結果として,表面密度の増加をもたらす.一方圧縮応力の減少または引っ張り応力の増大は,拡散係数を増大させ,GaAs表面のSnの密度の減少をもたらす.このモデルによってパッド酸化膜を通してGaAs中のSnの拡散のシミュレーションを行うと,GaAs中のSnの拡散係数の減少はSnの表面密度の増加を,一方拡散係数の増大はGaAs表面でのSnの密度減少をもたらし,実験結果を正しく再現できることがわかった. いくつかの異なった応力下でのGaAs表面でのSnの密度のデータを使うと,シミュレーションによってそれぞれに対応する拡散係数の値を求めることが出来る.SiO2キャップの試料から,この方法によって求めた拡散係数は,圧縮応力の増加に対して指数関数的に減少することが判った.一方Si3N4キャップの試料から求めた拡散係数は,圧縮応力の減少及び引っ張り応力の増加に対して指数関数的に増大することがわかった.このことから拡散係数は,応力にリニヤに変化する活性化エネルギで応力に対して指数関数的に変化することが明らかとなった.これは,GaAs中の不純物拡散係数が指数関数的に変化することを実験から直接求めた初めての報告である. 次に応力によってGaAs中に生成する欠陥が,不純物拡散に及ぼす効果について調べた.ラマン散乱と同様に比破壊の光学的評価法であるフォトルミネッセンス(PL)法を用いて欠陥の評価を行った.PLスペクトルは,GaAs/SiO2の試料について12Kで測定した.試料は,850℃で1時間または45分熱処理し,SiO2の厚みは変化させてある.熱処理を施した試料からは,Gaのアンチサイトデフェクトからの1.46eVの発光が観測された.これは熱処理していない参照用の試料からは検出されなかった.このピークの強度はSiO2キャップ層の厚みの増加,言い換えればGaAs基板の圧縮応力の増加に伴って増大した.このことから,GaAs中の圧縮応力の増加は,Gaのアンチサイトデフェクトの増加をもたらす.Gaの原子半径はAsのそれより大きいので,Asの格子位置を占めるよりGa空孔にはいる方が容易である.そのためGaのアンチサイトデフェクトの増加は,Ga空孔の減少をも意味する.よってGaAs表面の圧縮性応力増大に伴ってGa空孔の相対的減少が起きる.これが圧縮応力下のGaAs中のSnの拡散係数を減少させる.そしてこれはGaAs中のSnの拡散の実験結果とも一致する. 1000℃で1時間熱処理したGaAs/Si3N4試料からのPLスペクトルには,1.46eVのピークは観測されなかった.77KでGe検知器を用いたより長波長側の測定によって,GaAs/SiO2の試料では見られなかった1.25eVのピークが観測された.このピークはGa空孔に由来するものである.Si3N4キャップ層の厚みが増加するとGaAs基板の引っ張り応力が増加することは,これまでに述べた.Ga空孔の密度がGaAsへの引っ張り応力の増加に伴って増加することは,やはりSnの拡散の実験から得られた結果と一致している.このようにPL法によって検出された欠陥が直接拡散に関連しているかどうかは直接的には明らかではない.しかし圧縮応力の増大が,応力のない場合またはあまり大きな圧縮応力がかかっていない試料と比べて,Ga空孔の相対的減少をもたらすことは明白である.応力がはたらいていないGaAs中の平衡値とくらべて応力のかかったGaAs中に過剰または不足したGa空孔がSnの拡散過程に影響を及ぼしているといって良い. 本論文中で為された研究が,応力がGaAs中の拡散過程に及ぼす機構の理解に多大な寄与をするものと期待する. |