学位論文要旨



No 112223
著者(漢字) 鄭,義相
著者(英字)
著者(カナ) ジョン,イサン
標題(和) 適応テンプレートマッチング法による原子力発電所の異常事象の同定
標題(洋) Identification of Transient Event in Nuclear Power Plant Using Adaptive Template Matching
報告番号 112223
報告番号 甲12223
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3766号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,駿介
 東京大学 教授 中澤,正治
 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 助教授 大橋,弘忠
 東京大学 助教授 小川,雄一
 東京大学 助教授 古田,一雄
内容要旨

 原子力発電プラントの安全性、信頼性向上を目的として、運転員の異常診断を支援するシステムの研究が進められている。異常の最終的な診断は運転員に委ねられているとしても、誤診断を招くような情報を提供する可能性が小さく、情報の提供までにかかる時間が短い異常同定システムが求められている。原子力発電プラントは大規模で複雑なシステムであり、起こり得る全ての異常事象を予め考慮することは不可能なので、予め考慮できなかった異常事象は「知らない異常事象」と同定できる仕組でなければならない。また、異常同定支援システムが提供する情報に対して自ら確信度をつけてくれることは、運転員の誤診断を招く可能性をさらに減らすという意味で望ましい。

 本研究は従来の異常同定手法では上記の全ての条件を満足することができないということを示した後、適応テンプレートマッチング法を用いた新しい同定手法を提案する。この手法による異常同定システムは、同定しようとする各々の異常事象を受け持つモジュールが並列に接続された形をしている。一つのモジュールは適応テンプレートマッチングブロックとファジィー推論ブロックから成っている(図1)。

 適応テンプレートマッチングで使う基準テンプレートには多層型ニューラルネットワークを用い、入力を異常発生後の経過時間として、出力が各々の状態量の時間変化軌跡を近似するように学習させることによって作成する。適応マッチング法とは、この基準テンプレートの時間軸を適応的に移動しながら、その出力と状態量の測定値との距離が最短になるところを実時間で検出するアルゴリズムである(図2)。直前に入力された測定値だけでなく、過去の一定期間に入力された測定値の移動平均を利用するベクトル適応テンプレートマッチング法を用いると、信頼性が高い最短距離を検出できる。冷却材喪失事故のように異常の程度につれて変化様相が異なる事象に対しては、基準テンプレートの入力を異常発生後の経過時間と異常の程度の二つにし、代表的な異常程度の変化様相を学習させた二次元基準テンプレートを使う適応テンプレートマッチング法を用いることにより、最短距離と一緒に異常の程度も推定できる。

図1。異常同定システムの仕組(例示)図2。適応テンプレートマッチングの概念

 ファジィー推論ブロックではこの最短距離を入力にし、測定雑音の性質と誤同定許容値を考慮して、0から1までの数値で表わされる確信度を算出する。異常を表わす確信度が高いにもかかわらず、全てのモジュールが低い確信度を示す場合は「知らない異常事象」と同定する。

 本手法による異常同定システムの性能を軽水炉の19種類の異常事象(表1)を対象に計算機実験で調べ、雑音存在下でも迅速かつ正確に同定できることを確認した。同定にかかる時間は同一データを利用した専門家による同定実験の結果と比べ約4分の1ぐらいであり、学習させなかった異常事象や知らない異常事象も正確に同定でき、提案手法の有効性を立証した(表2)。

 本手法は過去の入力を繰り返し利用することで同定に必要な状態量の数が従来の手法より少なくて済み、ニューラルネットワークの汎化能力を生かして状態量の時間変化軌跡をそのまま学習させるので基準テンプレートの作成も容易である。また、システムの拡張に必要なモジュールだけを増設することで対応できる長所があり、原子力発電所の異常同定手法として適している。

表1。計算機実験で利用した軽水炉の19種類の異常事象表2。同定の結果
審査要旨

 原子力登電プラントの安全性、信頼性向上を目的として、異常発生時に運転員の異常同定作業を支援するシステムの研究が進められている。そこでは、運転員が異常原因の最終的な判断を行うことを前提に、迅速かつ誤判断を招く可能性の小さい情報の提供の可能な異常同定システムが求められている。現在までに、迅速性に優れているシステムがいくつか提案されているが、これらについてはなお、測定ノイズなどに対するロバスト性の向上とともに、予め考慮されていない異常を「知らない異常」として同定できる機能や、提供情報に確信度をつけることのできる機能について、向上が必要とされている。

 本論文はこれらの要件を満たすことができるシステムを探索し、適応テンプレートマッチング法を用いた新しい同定手法を提案して、これに基づく異常同定システムを作成し、その性能を計算機実験で検証した研究の成果をとりまとめているもので、8章から構成されている。

 第1章は、研究の背景および従来の異常同定手法の長短について考察し、望ましい異常同定システムの備えるべき要件を明らかにしている。

 第2章は、入力が時系列データの場合について異常同定問題を数式化してロバストな同定の条件を示し、その実現方策について検討している。具体的には、従来手法が状態量の数を増やし異常軌跡間の距離を大きくする方策をとっているのに対し、過去の入力を再利用してノイズの分散を小さくする方が、また、軌跡上の有限個の点だけでなく連続的な軌跡をそのまま利用する方が、よりロバストな同定につながるとしている。

 第3章は「知らない異常事象」を同定するための従来手法の問題点を分析し、改良の方針を述べている。具体的には、状態量の測定値からなるベクトルと既定の異常の軌跡の近さを表すには、予め用意した関数にそのベクトルを入力して近さを読み取る従来の手法に比べて、そのベクトルと軌跡の間の距離を直接検出する手法の方が効率的であるとしている。

 第4章は、同定のロバスト性を向上させるため、第2章で述べた過去の入力を再利用する方策の一つの実現として、適当な状態量の時間積分を実時間の代わりに用いることを提案し、その有効性を例題を用いて示している。同時に、この場合、適当な状態量の存在が前提条件であり、また確信度の算出方法が明瞭でないという短所もあることを述べている。

 第5章は、以上の検討結果を踏まえて提出された適応テンプレートマッチング法の概念とその実現のためのアルゴリズムについて述べている。これは多層型ニューラルネットワークを用いて異常の軌跡を近似した基準テンプレートを作成し、その時間軸を適応的に移動することで、過去の一定期間に入力された測定値の移動平均と基準テンプレートとの最短距離を実時間で検出する方式に基づくものであり、さらにこの手法を拡張した二次元適応テンプレートマッチング法により異常の程度をも推定するものである。

 第6章は、前章で提案された手法に適する同定確信度の算出方法を検討しており、適応テンプレートマッチング法によって検出された最短距離を入力にして、知らない異常を含む異常同定の確信度を、測定ノイズの分散と誤同定許容値を考慮しながら0から1までの数値で算出するべく、異常を識別する変数、ある異常の軌跡と測定値との近さに関係する変数、それと一番類似な他の異常の軌跡との近さに関係する変数の三つのファジィー変数からなる論理式を提案している。

 第7章は、本手法による異常同定システムの性能を確認するため、軽水炉の19種類の異常事象を対象に計算機実験を行った結果を従来の手法による結果と比べて述べているもので、雑音存在下でも迅速かつ正確に異常を同定できること、未学習の異常や知らない異常も正確に同定できることから、提案した手法の有効性が立証されたとしている。第8章は結論で、以上を要約している。

 以上のように、本論文は、原子力発電プラントの異常同定システムについて、既存システムの特性分析に基づいて設計要件を検討し、これを満たす手法の探索と提案を行い、提案の手法を用いた異常同定システムが要求性能を満足することを計算機実験で確認しているもので、時系列信号のパターン認識に関する学術と運転支援システム機能の高度化、ひいては原子炉安全工学に有益な寄与をなすもので、システム量子工学の進歩に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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