学位論文要旨



No 112226
著者(漢字) 李,勇明
著者(英字) LI,Yong-ming
著者(カナ) リ,ユウメイ
標題(和) 遷移金属混合系ポリ酸から得られるスピンコート薄膜のエレクトロクロミック特性とインターカレーション動力学に関する研究
標題(洋) Study on Electrochromic Properties of Spin-coated Thin Films from Mixed Transition Metal Peroxo-polyacids and Their Intercalation Dynamics
報告番号 112226
報告番号 甲12226
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3769号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 講師 岸本,昭
内容要旨

 エレクトロクロミズムとは、電気化学的な酸化・還元反応に伴って物質の色が可逆的に変化する現象をいう。例えば三酸化タングステン薄膜は、希硫酸中で電解還元するとプロトンがインターカレーションされるため青色に着色し、逆反応により無色の状態に戻る。1970年代に、この現象を利用する表示素子(エレクトロクロミックディスプレイ:ECD)が提案されて以来、製法を含む材料の開発や素子化技術に関する研究が広く行われ、一部で実用に供されるまでに至っている。また最近では、省エネルギー技術の有力な候補として、エレクトロクロミズム利用する調光ガラス(ECスマートウィンドウ)の研究が世界的に活発である。しかし、ECDやEC調光ガラスがわれわれの生活の中に普及するようになるには、多色ECを含む新材料の開発に留まらず、素子の寿命や応答性に関連して、着消色の機構に関する基礎的な研究も欠かせない。本研究では、混合金属系過酸化ポリ酸を前駆体として用いる独自のソフト化学的手法により、新規な多色EC薄膜を開発するとともに、それらのインターカレーション動力学の解明等を通じて、着色機構を深く理解することを目的としている。

 第1章は序論であり、エレクトロクロミズムに関するこれまでの研究状況を要約し、本研究の意義、位置付けを明らかにした。

 第二章では、過酸化ポリタングステン酸をスピンコーティングすることによって得られる非晶質酸化タングステン薄膜とリチウムイオン伝導性高分子固体電解質膜から成る全固体型ECセル(Li/固体電解質/WO3,ITO)を構成し、着消色反応(WO3膜中へのLiインターカレーション)の動力学的研究を行った。このセルに一定電圧を印加すると着色あるいは消色電流が生じるが、過渡電流(I(t))はコットレルの関係式には従わない。これは反応が拡散支配にありながら、セルの内部抵抗r(主として、固体電解質抵抗)が大きいためと考え、そのような場合に該当するI(t)の理論式を新たに導いた。実測のI(t)をこの式と比較したところ、きわめて良い一致が見られたことから、WO3膜中のLiの化学拡散係数を5x10-12cm2/s(25℃)と決定することができた。WO3膜が電解質溶液と接する場合では、膜中のプロトンと溶液中のリチウムイオンの交換により、インターカレーションが電荷移動律速になるとされるが、固体電解質界面ではイオン交換がおこらず、拡散律速となったものと理解される。なお、本章はEC膜やセルの作成、さらに動力学の解析に関して、次章以降の研究の方法論的な基礎をなしているものである。

 第三章は、新規な混合系ポリ酸、特にMoとV系のポリ酸の合成、また、これらの水溶液よりスピンコート薄膜の作製法について記した。本研究で合成した新規な(Mo/V)-HPA(Mo:V=0.5:0.5)は、TG測定と過マンガン酸滴定により、分子式がMo0.5V0.5O2.75・1.3H2O・0.04H2O2であることがわかった。この新規なポリ酸をシリコン基板上に成膜後、80℃〜350℃の間で熱処理した試料のIR測定を行った。熱処理温度が上昇するとともに、V=O(990cm-1)とMo=O(960cm-1)の吸収ピークが減少するが、これはポリアニオンが重合し、より大きなクラスターに成長することによるものと考えられる。この新規なポリ酸の水溶液から作製された回転塗布膜は非常に均一である。得られた膜の膜厚が回転速度の-1/2乗に比例し、回転速度によって、所望の膜厚を得ることができる。低温で熱処理する(80℃〜120℃)とともに、多量の沸石水が脱離するが、この際膜厚が変化しないことから、低温で得られた膜がスポンジのような構造を持つものと推定した。これをより高温で(150℃以上)熱処理すると、膜厚が急激に減少し、より緻密な構造になったと考えられる。これはタングステンやモリブデン酸化膜とはかなり違う結果である。

 第四章では、以上の方法によって得られたスピンコート薄膜、特にMoとVのモル比が0.5:0.5の膜のEC特性に関するの研究結果について述べた。三極セルを用いて、LiClO4/プロピレンカーボネート(PC)電解液中で電気化学的な測定を行ったところ、この膜はLiイオンの出入りによって黄緑色とバイオレットの二色変化を示し、可逆性も良好で、安定なEC特性を示した。CV曲線はMoまたはVのみ含む酸化物膜に対するものと異なる挙動を示した。または低温で(80℃〜120℃)熱処理した膜がより良いEC特性を示すことが分かった。より遅い掃引速度で測定したCV曲線では、酸化と還元電流でそれぞれ二つのピークが観察された。これはこの混合膜にはエネルギーが異なる二種類のリチウムのインターカレーションサイトが存在していることを示唆している。

 第五章は、Mo/V複合酸化膜の平衡電位とLi組成の関係についての理論的な検討、及びLiのインターカレーションの動力的な機構について調べた結果である。この複合酸化物膜の平衡電位(E)とLi組成(x)の関係を測定したところ、E-x曲線は二つの直線で近似され、LixMoyV1-yOzにおいてx=0.5で傾きが変化する。エネルギー的に異なる二種類のインターカレーションサイトがあると仮定し、格子ガスモデルを用いてE-xの理論関係式を計算したところ、実測E-x関係をよく説明することができた。この理論関係式からそれぞれのインターカレーションサイト数を計算した結果、一方のサイト数はyの値に関係なく一定となった。これはMoとVからなる均一なクラスター中に二つのサイトが共存していることを示している。また、リチウムイオン伝導性高分子固体電解質を用いた全固体型セルの定電位ステップに応答した過渡電流の解析から、Liイオンに関するインターカレーションの動力的な機構は拡散律速であり、拡散係数が1x10-11cm2/s(25℃)であることが分かった。

 第六章は、薄膜二次電池の測定結果についての報告である。100℃、1h熱処理したMo0.5V0.5O2.75膜の全固体型セルを用い、定電流で充放電の測定をした。2A/cm2の電流密度で得られた放電容量が平衡電位曲線(E-x)の値と一致している。しかも充放電容量の安定性は良く、充放電効率が100%であることが分かった。Mo対Vのモル比が0.1対1.0のポリ酸から非常に厚い膜(18m)が作製でき、Li/PC電解液中、50A/cm2で測定した放電容量は500〜600Ah/cm2であった、しかも安定な充放電特性が得られた。

 第七章は本論文の総括であり、本研究を要約し、得られた研究成果をまとめ述べた。

審査要旨

 エレクトロクロミズム(EC)を利用する薄膜デバイスは、表示素子(ECD)としてばかりでなく、環境の明るさの制御と同時に省エネルギーを可能とする調光ガラスとして、その開発が強く望まれている。本論文は、湿式塗布可能な新しいEC材料を開発するとともに、そのリチウムインターカレーションの熱力学・動力学的特性について調べ、EC特性との関連を明らかにすることを目的として行った研究の成果をまとめたもので、7章から構成されている。

 第1章は序論であり、エレクトロクロミズムに関するこれまでの研究状況を要約し、本研究の意義、位置付けを明らかにしている。

 第2章では、過酸化ポリタングステン酸をスピンコーティングすることによって得られる非晶質酸化タングステン薄膜とリチウムイオン伝導性高分子固体電解質膜から成る全固体型ECセル(Li|固体電解質|WO3,ITO)を構成し、着消色反応(WO3膜中へのLiのインターカレーション)の動力学的研究を行った結果について記している。このセルに一定の階段状電圧を印加すると着色あるいは消色電流が生じるが、その過渡電流は固体電解質層の有する比較的大きな電気抵抗のため、電極反応が拡散支配であっても、通常のコットレルの関係式には従わない。回路に抵抗のあるときの過渡電流と時間の関係式を新たに導き、これによりWO3膜中のLiの化学拡散係数を5x10-12cm2/s(25℃)と決定することに成功している。なお、本章はEC膜やセルの作成法、さらに動力学の解析手法に関して、次章以降の研究の方法論的な基礎を成すものである。

 第3章では、金属モリブデンとバナジウムに過酸化水素水溶液を作用させるという独自の手法を用いて混合金属ポリ酸を合成し、その組成および構造を熱分析、赤外分光などの分析手法を通じて明らかにしている。さらに、この水溶液を基板上に回転塗布することにより、所望の厚さ(0.1〜1m)を有する均質な酸化モリブデン・酸化バナジウム系複合酸化物非晶質薄膜が得られることを示している。調製直後の膜はポリアニオン、つまり金属酸化物クラスターが水和プロトンを介して凝集した一種のキセロゲルと考えられるが、熱処理を施すと水分を放出し緻密化が進行する。しかし、120℃までは多量の水を失うにもかかわらず膜厚の減少が見られないことから、メソポーラスな状態が生じているものと推定している。これより高温で処理すると急速に膜厚が減少するが、この過程を赤外分光法で追跡し、クラスターの熱縮合と膜の緻密化の関係を明らかにしている。

 第4章では、上記の酸化モリブデン・酸化バナジウム系薄膜のEC特性について、過塩素酸リチウム/プロピレンカーボネート系溶液を電解質溶液とする3電極セルを用いて評価している。この膜は、リチウムのインターカレーションに伴い黄緑色と赤紫色の間で可逆的な色の変化を示すが、これは従来の単一酸化物膜には見られない特性である。また、膜の熱処理温度とEC特性の関連について調べ、メソポーラスな状態にある80〜120℃処理膜が最も優れた可逆性、応答性を示すことを見いだしている。さらに、リチウムの組成と平衡電位の関係を定電位間歇電気量計測法により精密に求め、平衡電位曲線が傾きの異なる2つの直線で表されるという興味ある結果を得ている。

 第5章では、酸化モリブデン・酸化バナジウム系薄膜のリチウムインターカレーションについて、熱力学的ならびに動力学的考察を行っている。まず、格子ガスモデルを用いて膜中のリチウム組成と平衡電位の理論的関係式を導き、これと第4章の実験的に得られた平衡電位とを対比することにより、膜はモリブデンとバナジウムを同時に含む均質なクラスターからなり、その中にサイトエネルギーの異なる2種類のインターカレーション位置が存在することを明らかにしている。つぎに、この膜に高分子固体電解質を接合した固体電気化学系を構成し、階段状電圧を印加したときに誘起される過渡電流を第2章と同様に解析し、インターカレーションが拡散支配であることを示すとともに化学拡散係数の値を組成の関数として決定している。

 第6章では、マイクロメカトロニクス分野等からマイクロ電池の開発が強く望まれていることに鑑み、上記の複合酸化物薄膜を薄膜リチウム二次電池の正極として評価している。モリブデンとバナジウムの比が1:9の組成では、50A/cm2という比較的大きな電流密度で充放電した場合でも600Ah/cm2を越える容量を確認し、本薄膜材料がこの用途にも適することを実証している。

 第7章は本論文の総括であり、本研究で得られた成果を要約している。

 以上述べたように、本論文はエレクトクロミック素子や薄膜電池に有用な新しい薄膜材料の合成法を示すとともに、そのリチウムインターカレーションの熱力学および動力学についても深く研究・考察し、興味深く工学的にも重要な知見を得ているので材料科学の進展に寄与するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認めらる。

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