エレクトロクロミズム(EC)を利用する薄膜デバイスは、表示素子(ECD)としてばかりでなく、環境の明るさの制御と同時に省エネルギーを可能とする調光ガラスとして、その開発が強く望まれている。本論文は、湿式塗布可能な新しいEC材料を開発するとともに、そのリチウムインターカレーションの熱力学・動力学的特性について調べ、EC特性との関連を明らかにすることを目的として行った研究の成果をまとめたもので、7章から構成されている。 第1章は序論であり、エレクトロクロミズムに関するこれまでの研究状況を要約し、本研究の意義、位置付けを明らかにしている。 第2章では、過酸化ポリタングステン酸をスピンコーティングすることによって得られる非晶質酸化タングステン薄膜とリチウムイオン伝導性高分子固体電解質膜から成る全固体型ECセル(Li|固体電解質|WO3,ITO)を構成し、着消色反応(WO3膜中へのLiのインターカレーション)の動力学的研究を行った結果について記している。このセルに一定の階段状電圧を印加すると着色あるいは消色電流が生じるが、その過渡電流は固体電解質層の有する比較的大きな電気抵抗のため、電極反応が拡散支配であっても、通常のコットレルの関係式には従わない。回路に抵抗のあるときの過渡電流と時間の関係式を新たに導き、これによりWO3膜中のLiの化学拡散係数を5x10-12cm2/s(25℃)と決定することに成功している。なお、本章はEC膜やセルの作成法、さらに動力学の解析手法に関して、次章以降の研究の方法論的な基礎を成すものである。 第3章では、金属モリブデンとバナジウムに過酸化水素水溶液を作用させるという独自の手法を用いて混合金属ポリ酸を合成し、その組成および構造を熱分析、赤外分光などの分析手法を通じて明らかにしている。さらに、この水溶液を基板上に回転塗布することにより、所望の厚さ(0.1〜1m)を有する均質な酸化モリブデン・酸化バナジウム系複合酸化物非晶質薄膜が得られることを示している。調製直後の膜はポリアニオン、つまり金属酸化物クラスターが水和プロトンを介して凝集した一種のキセロゲルと考えられるが、熱処理を施すと水分を放出し緻密化が進行する。しかし、120℃までは多量の水を失うにもかかわらず膜厚の減少が見られないことから、メソポーラスな状態が生じているものと推定している。これより高温で処理すると急速に膜厚が減少するが、この過程を赤外分光法で追跡し、クラスターの熱縮合と膜の緻密化の関係を明らかにしている。 第4章では、上記の酸化モリブデン・酸化バナジウム系薄膜のEC特性について、過塩素酸リチウム/プロピレンカーボネート系溶液を電解質溶液とする3電極セルを用いて評価している。この膜は、リチウムのインターカレーションに伴い黄緑色と赤紫色の間で可逆的な色の変化を示すが、これは従来の単一酸化物膜には見られない特性である。また、膜の熱処理温度とEC特性の関連について調べ、メソポーラスな状態にある80〜120℃処理膜が最も優れた可逆性、応答性を示すことを見いだしている。さらに、リチウムの組成と平衡電位の関係を定電位間歇電気量計測法により精密に求め、平衡電位曲線が傾きの異なる2つの直線で表されるという興味ある結果を得ている。 第5章では、酸化モリブデン・酸化バナジウム系薄膜のリチウムインターカレーションについて、熱力学的ならびに動力学的考察を行っている。まず、格子ガスモデルを用いて膜中のリチウム組成と平衡電位の理論的関係式を導き、これと第4章の実験的に得られた平衡電位とを対比することにより、膜はモリブデンとバナジウムを同時に含む均質なクラスターからなり、その中にサイトエネルギーの異なる2種類のインターカレーション位置が存在することを明らかにしている。つぎに、この膜に高分子固体電解質を接合した固体電気化学系を構成し、階段状電圧を印加したときに誘起される過渡電流を第2章と同様に解析し、インターカレーションが拡散支配であることを示すとともに化学拡散係数の値を組成の関数として決定している。 第6章では、マイクロメカトロニクス分野等からマイクロ電池の開発が強く望まれていることに鑑み、上記の複合酸化物薄膜を薄膜リチウム二次電池の正極として評価している。モリブデンとバナジウムの比が1:9の組成では、50A/cm2という比較的大きな電流密度で充放電した場合でも600Ah/cm2を越える容量を確認し、本薄膜材料がこの用途にも適することを実証している。 第7章は本論文の総括であり、本研究で得られた成果を要約している。 以上述べたように、本論文はエレクトクロミック素子や薄膜電池に有用な新しい薄膜材料の合成法を示すとともに、そのリチウムインターカレーションの熱力学および動力学についても深く研究・考察し、興味深く工学的にも重要な知見を得ているので材料科学の進展に寄与するところ大である。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認めらる。 |