本論文は、七章より構成されており、機能性分子の薄膜において、異なる直線偏光照射による光電気化学ハイブリッド型分子変換の面内選択的制御が述べられている。第一章では問題の設定と研究の方向づけとがなされ、それに続く五つの章で具体的な研究成果が示されている。最後の章は全体の総括である。 第一章は序論であり、本研究の目的及び光化学活性と電気化学的活性の両方を有しているアゾベンゼン誘導体を用いた意義について述べられている。特にアゾベンゼン誘導体の光異性化反応と電気化学反応のハイブリット系の考え方がまとめられている。さらに、偏光照射により誘起された選択的光異性化反応の原理と最近行われだ研究例が整理されている。これまでの研究では単一な直線偏光照射のみが使われており、異なる方向の偏光照射により、特定の面内配向分子を選択的に光異性化する系はまだ報告されていないことが指摘されている。さらに、シス体アゾベンゼンの不安定性による、電気化学的分子変換の必要性が述べられている。 第二章では、Langmuir-Blodgett(LB)とSelf-assembly(SA)の成膜法によりアゾベンゼン誘導体薄膜が作成され、この二種類の膜の構造は、原子間力顕微鏡による分子像、吸収スペクトル及びフーリエ変換赤外スペクトルにより解析された。膜の法線に対して、LB膜中分子の平均傾斜度はSA膜中の平均傾斜度より高いことから、アゾベンゼン基の長軸方向の遷移モーメントが大きな膜面内投影成分を持つことが明らかにされ、このLB膜は光電気化学反応において偏光制御に最適と指摘された。また、これらアゾベンゼン膜の光化学活性も比較検討され、LB膜中の分子の活性がSA膜中の分子より高いことが明らかにされた。 第三章では、LB膜を用いて、膜中の同じ場所に異なる直線偏光を続けて照射することによって面内にほぼ等方的に配向するアゾベンゼンのうち、偏光面に分子長軸が配向した分子のみが選択的に光異性化することが明らかにされた。この面内選択的光異性化過程が分光学的方法と、原子間力顕微鏡を用いた微視的な薄膜構造変化によって直接確認されている。すなわち、アゾベンゼン長鎖誘導体において、トランス体が密に配列したLB膜を形成するのに対して、シス体ではねじれたコンホメーションをとるために膨脹型となり、分子占有面積が増大することより、面内選択的光異性化過程においてモルフォロジー変化を直接観察することができる。偏光照射による光異性化の選択性が非偏光照射による光異性化の等方性と比較することで、この現象の機構が解明されている。すなわち、各ドメイン中の分子配向が、偏光照射による光異性化反応を膜面内で選択的に誘起したものと結論されている。 第四章では、まず、シス体アゾベンゼンは熱的逆異性化反応を起こしやすいため、連続的偏光照射により誘起されたトランス体とシス体の面内分布を長時間保持することが難しいのに対して、シス体アゾベンゼンの電気化学的還元生成物であるヒドラゾベンゼンの安定性が述べられている。次に、シス体アゾベンゼンとヒドラゾベンゼンの電気化学的分子変換において、偏光照射を併用することによって面内選択的トランス体-シス体-ヒドラゾベンゼンの光電気化学反応がサイクリックボルタモグラムとin situ分光電気化学測定によって確認されている。さらに、この面内選択的分子変換系は、情報記録素子への応用の一つとして、膜中の同じ場所に異なる直線偏光により多重記録が可能となることが示唆されている。 第五章では、長時間の偏光照射の場合、偏光面に分子長軸が配向した分子のみが選択的に光異性化することと共に分子は偏光面と垂直の方向に再配向することが明らかにされている。この再配向の機構としては、長時間照射より異性化反応する分子の数が多いこと、シス体はトランス体より分子占有面積が大きいことなどにより、膜全体に高い立体障害が誘起されることになり、分子の再配向が起こるものと説明されている。 第六章では、in situフーリエ変換赤外スペクトルとin situ吸収スペクトルの測定により、SA単分子膜中のアゾベンゼン-ヒドンゾベンゼンにおける電気化学的分子変換の挙動が検討されている。分極電位をカソード電位とアノード電位に繰り返し変化させた時の差スペクトルの変化から、可逆的電気化学反応によるアゾベンゼン-ヒドラゾベンゼン系の相互変換とともに、可逆的分子再配向も誘起されたものと考察されている。 第七章は、全体の総括である。 以上述べたように、本論文ではアゾベンゼン誘導体の膜構造の詳細な検討に基づいて、異なる偏光照射による微小領域の光電気化学反応の面内選択性という新しい概念が提出されており、新規な分子変換システムが構築された。このシステム及び関連した知見は物理化学や界面科学の分野への今後の発展に寄与するものと認められる。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |