学位論文要旨



No 112231
著者(漢字) 劉,長慶
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,チョウケイ
標題(和) 隣接基関与を利用した選択的炭素-炭素結合生成反応の開発
標題(洋) Selective Carbon-Carbon Bond Formation Controlled by Neighboring Group Participation
報告番号 112231
報告番号 甲12231
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3774号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 助教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 石井,洋一
内容要旨 [1]

 炭素-炭素結合の形成反応は従来より有機合成反応の中で主要な位置を占めているが,特にその位置及び立体制御は重要な研究テーマの一つである。隣接基関与は,加溶媒分解反応の立体化学や反応加速を引き合いにして多くの初歩的な有機化学の教科書に登場するほど普遍的現像であり,この特徴を活用すれば有機反応を効率的に制御できるものと期待される。しかし,隣接基関与は,1930年代に初めて見出されているものの,より一般的な有機合成反応の制御に積極的に取り入れた研究例は極めて少ない。当研究室では,隣接基関与の特徴を利用する位置或いは立体選択的合成反応を開発することを目的とし,これまでに様々な隣接基を用いて検討を行い,多様な位置或いは立体選択的合成反応を開発してきた。本研究では,スルフェニル基とアミノ基の隣接基関与を用いた新規選択的炭素-炭素結合生成反応の開発を行った。

[2]スルフェニル基の隣接基関与を利用した高立体選択的カチオン環化反応

 カチオン環化反応は,環状炭素骨格構築の有効な手法として,広くテルペン類の合成等に利用されている。しかし,円滑に反応を進行させるためには,安定な三級炭素陽イオンあるいはアリルカチオンを経由する必要があり,基質が限定されていた。そこで,-位にスルフェニル基を導入しその隣接基関与を利用すれば,二級炭素陽イオンの環化反応も円滑かつ立体選択的に進行するのではないかと考えた。

 まず,基質1aに対してTMSOTfを作用させたところ,高極性成分が生成した。さらに,この系にEt3Nを加えたところ,目的とする環化生成物が得られた。また,スルフェニル基としてよりかさ高い置換基を有する基質1bを合成し,同様の反応を行ったところ,極めて高いジアステレオ選択性が発現することが分かった(スキーム1)。

Scheme1

 この反応は,基質に対してルイス酸を作用させることにより,まずスルフェニル基が隣接基関与し,エピスルホニウムイオン中間体2を経由して,より安定な5,6-縮環中間体3を高極性成分として与えたものと考えられる。さらに,塩基を加えることによりプロトンが脱離し,環化生成物が得られたものと考えられる。図1に示すように,2からcis-3への遷移状態にはジメチル基とスルフェニル基との立体障害が存在し,かさ高いスルフェニル基はtrans体の生成により有利であると考えられる。

Figure1.Transition state for the formation of 3.

 続いて,基質1より不飽和度の高い基質7に対して同様の手法を適用したところ,この場合も環化反応は円滑に進行し,環化生成物が高収率で得られた(スキーム2)。このとき,原料の二重結合のcis,transを問わず環化が進行し,また,主生成物の立体配置はcisであることが分かった。

Scheme2

 この反応も,基質1と同様の経路で進行するものと思われる。その際まず,二重結合は環化可能なcis体へ異性化しつつ反応が進行する。また,図2に示すように,炭素鎖が堅固なので,cis-5,6-縮環中間体8を与える遷移状態の方が軌道とエピスルホニウムイオンの空軌道との重なりはtrans-5,6-縮環中間体を与える遷移状態より大きく,cis-5,6-縮環中間体8が優先的に得られたものと考えられる。

Figure2.Transition state for the reaction of 7.

 次に,基質1より炭素鎖が短い基質9に対して同じ手法を適用したところ,基質7と同じように,環化反応は速やかに進行し,環化生成物が高収率で得られた(スキーム3)。この場合も,主生成物の立体配置はcisであった。このcis選択性も基質1と同じような反応経路を考えることで説明できる。良く知られているように5,5-縮環系は,cis体の方が安定であり,trans体は安定に存在できない。このため,環化生成物はcis体のみが得られたものと考えられる。

Scheme3

 以上述べたように,スルフェニル基の隣接基関与を利用することにより,一般性の高い,高立体選択的環化反応を開発することが出来た。

[3]-スルフェニルエポキシドの位置び立体選択的開環反応

 エポキシドの求核剤による開環反応は,ビシナル二置換エポキシドについて特に立体及び電子効果の影響の差が小さい場合は,その位置選択性が低いために適用範囲には制限があった。そこで,位置選択性の制御を目的に,-位にスルフェニル基を有するエポキシドを合成し,種々の有機アルミニウム試薬との反応を試みた。その結果,位置及び立体選択的に開環生成物が得られることを見出した。すなわち,表1に示すように,一置換及び二置換1-フェニルスルフェニル-2,3-エポキシアルカンにトリアルキルアルミニウムを作用させたところ,位置選択的に2-位にアルキル化が起こり,なおかつ立体を保持した開環生成物が高収率で得られた。一方,アルケニルアルミニウムやアルキニルアルミニウム,あるいはDIBALを作用させた場合には,位置選択的に1-位に求核攻撃が起こり,スルフェニル基が立体反転を伴なって2-位に転位した開環生成物が得られた。

 いずれの反応も,スルフェニル基の隣接基関与によって生成したエピスルホニウムイオン中間体を経由して進行しているものと考えられる(スキーム4)。すなわち,エポキシドの酸素に対してルイス酸であるアルミニウム試薬が配位した後,-位のスルフェニル基が求核攻撃することにより,2-位の立体が反転してエポキシドが開環し,エピスルホニウムイオン中間体が生成する。次いで,さらにアルミニウム上の置換基から2-位或いは1-位に求核攻撃することで,開環反応が進行したものと考えられる。アルミニウム上の置換基がアルキル基の場合には,アルミニウム試薬の反応性が低いためエントロピー的に有利な分子内求核攻撃が優先的に起こり,求核剤が選択的に2-位に対して立体反転で求核攻撃することで,全体として立体保持でアルキル化が進行したものと考えられる。一方,アルミニウム上の置換基がアルケニル基やアルキニル基,或いはヒドリドの場合には,アルミニウム試薬の反応性が高いために分子間反応が可能となり,スルフェニル基の1,2-転位を伴う立体障害の小さい1-位への分子間求核攻撃が優先的に起こったものと考えられる。

Table1.The Reaction of trans-2,3-Epoxy-1-phenylsulfenylhexane with Various Aluminum ReagentsScheme4

 さらに,本反応とKatsuki-Sharpless不斉エポキシ化反応を組み合わせることにより,集合フェロモンの一種である(3S,4S)-3-メチル-4-オクタノール(13)の合成を行った。

 スキーム5に示すように,Katsuki-Sharplessの不斉エポキシ化反応により大量に得ることのできる光学活性エポキシアルコール10に対して,N-フェニルチオスクシンイミドを用いて立体反転でスルフェニル基を導入し,光学活性-スルフェニルエポキシド11を合成した。この光学活性-スルフェニルエポキシド11に対して,本反応を用いて2-位に立体保持でメチル基を導入し,ラネーニッケルでスルフェニル基を除去することにより,短行程,高収率でこのフェロモン13の不斉合成を行うことに成功した。

Scheme5

 以上述べたように,本反応は,基本的有機反応の一つであるエポキシド開環反応に新しい方向付けをすることが出来るものであることが分かった。

[4]3-アミノアルコールの位置及び立体選択的な合成

 3-アミノアルコールは,興味ある薬理活性を有し,多くの天然物中に存在する構造である。そのため,種々の合成方法が報告されているが,アミノ基の隣接基関与を利用したエポキシドの選択的開環反応による合成法は,報告されていない。

 アミノ基は隣接基関与可能であることが知られているが,エポキシドの開環反応の位置選択性を制御するためにアミノ基の隣接基関与を利用した報告例は極めて少ない。そこで,2,3-エポキシアルコールから-位にジベンジルアミノ基を有するエポキシドを合成し,種々の有機アルミニウム試薬との反応を試みた。その結果,スルフェニルエポキシドの場合と同様に,位置及び立体選択的に開環生成物が得られた(表2)。すなわち,表2に示すように,二置換-ジベンジルアミノエポキシドに各種の有機アルミニウム試薬を作用させたところ,位置選択的に2-位で開環反応が起こり,なおかつ立体を保持した開環生成物が高収率で得られた。

Table2.The Reaction of Various Epoxides with Various Aluminum Reagentsa

 この反応は以下に示すようにいくつの特徴が持っている。(1)エポキシドの立体は反応の選択性には影響しない。(2)スルフェニルエポキシドの場合と異なり,アルミニウム求核剤の種類も反応の位置選択性に影響しない。(3)オキシランの-位にあるアルキル基も反応の選択性に影響しない。

 いずれの反応も,アミノ基の隣接基関与によって生成したアジリジニウムイオン中間体を経由して進行しているものと考えられる(スキーム6)。このアジリジニウムイオン中間体がエピスルホニウムイオン中間体よりも安定なため,アルミニウム試薬の種類を問わず,分子間反応は起こらずにエントロピー的に有利な分子内求核攻撃が2-位に起こり,立体が保持した生成物が得られたものと考えられる。

Scheme6

 以上述べたように,アミノ基の隣接基関与を利用することにより,一般性の高い選択的エポキシド開環反応を開発することが出来た。開環反応により得られる3-アミノアルコールは多くの医薬品或いは天然物に含まれる構造であるため,この反応をKatsuki-Sharpless不斉エポキシ化反応と組み合わせることにより,これら天然物或いは医薬品の光学活性体の合成を極めて有効に行えるものと期待される。

発表状況

 1.Highly Stereoselective Cationic Cyclization Assisted by a Sulfenyl Group.Scope,Limitation,and Mechanism.Changqing Liu, Kazuaki Kudo,Yukihiko Hashimoto,and Kazuhiko Saigo,J.Org.Chem.1996,61,494.

 2.-Sulfenyl-Directed Ring-opening Reactions of Epoxides.1.Highly Regio-and Stereoselective Reaction with Organo-aluminum Reagents and Application to the Synthesis of an Aggregation Pheromone.Changqing Liu,Yukihiko Hashimoto,Kazuaki Kudo,and Kazuhiko Saigo,Bull.Chem.Soc.Jpn.1996,69,in press.

 3.Regio-and Stereoselective Ring-opening Reaction of 2,3-Epoxy Amines with Organo-aluminum Reagents Leading to 2-Substituted 3-Amino Alcohols.Changqing Liu,Yukihiko Hashimoto,and Kazuhiko Saigo,Tetrahedron Lett.,submitted.

審査要旨

 本論文は,スルフェニル基あるいはアミノ基の隣接基関与を利用した新規選択的炭素-炭素結合生成反応の開拓研究について述べたものであり,5章より構成されている。

 第1章は序論であり,有機合成化学における選択的炭素-炭素結合生成反応開発の重要性,硫黄及び窒素原子の特性,隣接基関与の基礎について述べるとともに,本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では,位にスルフェニル基を有するアルケノール誘導体のカチオン環化反応を試みた結果を述べている。種々の反応条件を検討した結果,ルイス酸を活性化剤として用いるとカチオン環化反応が円滑に進行して対応する縮環スルホニウム塩が生成し,これをトリエチルアミンで処理することにより,生成物が1)1,2-二置換-シクロヘキサン誘導体の場合にはトランス体が,2)3,4-二置換シクロヘキセンの場合にはシス体が,3)1,2-二置換-シクロペンタンの場合には条件によってシス体あるいはトランス体が,高ジアステレオ選択的に得られることを見出している。さらに,これらの反応を詳細に解析し,スルフェニル基の隣接基関与で生成するエピスルホニウム塩を経由していることを明らかにしている。また,それぞれの反応について動力学支配の反応であるか熱力学支配の反応であるかを明らかにするとともに,遷移状態計算の結果を基にこれらの反応の高ジアステレオ選択性を説明している。本成果は,従来カチオン環化できないとされていた二級アルコール誘導体でも,隣接基関与を巧みに利用することによって環化可能となることを初めて示した点で,意義深い。

 第3章には,スルフェニル基の隣接基関与を利用した位置及び立体選択的なエポキシドの求核開環反応について検討した結果が述べられている。2,3-エポキシ-1-スルフェニルアルカン類に対する反応について幾つかの活性化剤(ルイス酸)と求核剤との組合せを検討し,ルイス酸としての性質と求核剤としての性質を併せ持つ有機アルミニウム試薬が,極めて有効な反応剤であることを見出している。トリアルキルアルミニウムを用いるとC2位で開環した生成物が立体保持で得られ,アルケニル,アルキニル,及び水素化アルミニウムを用いるとスルフェニル基が立体反転でC2位に転位しC1位で反応した生成物が得られることを明らかにしている。このように有機アルミニウムの種類によって反応点が異なる理由は,有機アルミニウムの求核性と立体障害に依存した分子内反応と分子間反応の相違に起因するとしている。本炭素-炭素結合生成反応は,1)反応位置の制御が不可能とされていたビシナル二置換エポキシドについても位置選択的であり,2)2,3-エポキシ-1-スルフェニルアルカンの1位及び4位の立体障害,相対立体配置に全く影響されず位置及び立体選択的に進行する点が特徴であり,適用範囲の広い価値ある反応である。次いで,Katsuki-Sharpless不斉エポキシ化反応によって容易且つ大量に入手可能な光学活性3,4-エポキシ-2-オクタノールを出発原料とし,本反応を応用して3段階の反応でAfrican Palm Weevil集合フェロモンの光学活性体を好収率で得ており,本反応の有用性を示している。

 第4章では,アミノ基もスルフェニル基と同様に隣接基関与可能であることに着目し,1-アミノ-2,3-エポキシアルカン類の開環反応を検討した結果を述べている。この反応も有機アルミニウム試薬を用いると円滑に進行し,2,3-エポキシ-1-スルフェニルアルカンの場合と異なり有機アルミニウム試薬上の炭素求核剤の種類に関係なく全てC2位で選択的に反応が起こり,立体が保持された生成物が高収率で得られることを見出している。本反応は,エポキシドの求核開環による炭素-炭素結合生成反応の位置及び立体選択性をアミノ基の隣接基関与によって制御できることを明らかにした最初の例である。次いで反応機構について考察し,反応の中間にアジリジニウムイオンが生成し,これがエピスルホニウムイオンよりも安定であることからエントロピー的に有利な分子内反応のみが進行すると考えることによって,このC2位選択性を説明している。本反応の生成物である3-アミノアルコール骨格は各種天然物や生物活性物質に存在する基本構造の1つであり,本反応の応用に期待がもたれる。

 第5章は,本論文の総括であり,見出した反応の有用性,隣接基関与利用の有効性を述べるとともに,将来展望を述べている。

 以上のように,スルフェニル基およびアミノ基の隣接基関与の応用を種々検討し,1)ジアステレオ選択的カチオン環化反応,2)位置及び立体選択的エポキシド開環反応を見出している。これらの反応はこれまでに例のない新しい形式の選択的反応であり,その成果は有機合成化学および有機工業化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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