学位論文要旨



No 112239
著者(漢字) アリセ マユミ,タケウチ
著者(英字)
著者(カナ) アリセ マユミ,タケウチ
標題(和) レトロウイルスベクターを用いた海馬神経様細胞に対する不死化に関する研究
標題(洋) Immortalization of hippocampal neural precursor cells by retrovirus vector-mediated oncogene transfer
報告番号 112239
報告番号 甲12239
学位授与日 1996.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1724号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 脳神経組織は成熟すると多種・多様の神経細胞・グリア細胞から構成される。これらの多様な分化細胞は全て胎子の前駆細胞が源となっている。これらの多様な分化細胞の相互作用を明らかにすることは非常に困難であり、それらの多様な細胞そのものを不死化して、限られた種類の神経細胞の機能を解析する必要が有る。この方法が確立されてはじめて、神経細胞の相互作用が分子レベルで明らかにされよう。その様な理由から、種々の神経組織の培養が試みられている。しかし、これらの培養法は種々の細胞が混合されて居り、ある特種な神経細胞を充分に集められない欠点が有る。ある特種な機能や性状を持った細胞を大量に回収できて初めて、その後の分子生物学や分子遺伝学の研究が可能となる。

 これらの問題を解決する一つの方法として神経細胞の不死化操作が挙げられる。我々はその方法として、癌遺伝子を導入したレトロウイルスベクターを合成し、神経幹細胞に導入することによる不死化を行った。この方法は最近の数年間に発達して来た方法で、様々な神経細胞およびグリア細胞のクローン(株化細胞)が樹立された。

 博士論文の主な目的はある脳の特別な領域のクローンを樹立し、それらの細胞の遺伝子構成、分化様式、及びその機能を明らかにする事とする。

 第一章は、ラットの胎子海馬より神経前駆細胞を取り出して、レトロウイルスベクター:V-mycを導入して不死化操作を行った。細胞増殖の条件により未分化の形態および分化形態を示した。これらの細胞を位相差顕微鏡、蛍光抗体法、リバース・トランスクリプターゼ=ポリメラーゼ連鎖反応法(RT-PCR)により検索した。これらの株化細胞は分化誘導剤:ジブチルサイクリックAMP(dcAMP)、レチノイン酸(RA)、神経増殖因子(NGF)に良く反応した。株化細胞のあるものは、アミノ酸分析や蛍光抗体法によりGABA陽性やアセチルコリン陽性を示した。またこれらの細胞は蛍光抗体法によりニューロンフィラメント(神経細胞繊維)陽性を示した。さらにNGFに反応した細胞の一株は低親和性NGF-レセプターを蛍光抗体法で示した。GABA陽性株化細胞に対しグルタミン酸を作用させたところ神経細胞の変性が観察された。細胞変性は、グリシンを追加することにより増強された。ここにおいて確立された方法は、GABA陽性株やアセチルコリン陽性株を用いた様々な研究:分化、増殖、変性等を可能にした。

 第二章においては、これらの不死化操作をプリオン病の研究において活用した。プリオン蛋白は病原性プリオン蛋白(PrPsc)と非病原性プリオン蛋白(PrPc)とに分類される。PrPcはヒトを含め、ほとんどの動物が持っており、最近は酵素にもみられるという。非病原性プリオンは膜タンパク質の一種であるが、生理機能は不明である。外からPrPscが細胞に入り込むとPrPscが鋳型になり、PrPcをPrPscに変化させ、神経細胞の機能障害(痴呆)を起こすと考えられる。現在、ヒトと動物のPrPscは異なると考えられているが、ヒトの異常プリオンによる病気として、クロイツフェルト・ヤコブ病、クールー(ニューギニアにおける運動障害、痴呆症)が報告されている。

 我々はジーンターゲティングにより、プリオン遺伝子を欠失させたマウスを入手し,それらのマウスの胎子脳を用いて神経細胞の不死化を行った。その結果、20種の細胞株が得られたので、この株をプリオン細胞株と命名する。レトコウイルスベクター:SV40T抗原遺伝子を用いて不死化操作を行った。プリオンレス細胞にプリオン遺伝子の欠失していることはPCRによって確認した。一方プリオン遺伝子の欠失させる以前のマウスを用いても不死化操作を行いプリオン遺伝子を有する株化細胞(野生細胞)を得た。20株のプリオンレス細胞株の中からRT-PCRによる神経原線維陽性細胞、および形態上の変化を指標として5株を選び、実験に供した。プリオンレス細胞も野生細胞も神経細胞の形態を示した。両者ともFCS培養では、分化細胞の形態を示さなかった。野生細胞をジブチルサイクリックAMPで培養すると蛍光抗体法で神経原線維陽性細胞に分化した。それに対し、プリオンレス細胞はdcAMPに反応せず、蛍光抗体法でも神経原線維陽性を示さなかった。

 以上の成績から、プリオン蛋白は細胞膜において、増殖刺激剤の作用を促進させることが示唆された。

 第三章は、不死化されたプリオンレス細胞株(HpL2-1,HpL3-1,HpL3-4,HpL4-2)およびもとのマウスの野生型細胞株(HW8,HW9)の性状をin vitroで解析した。

 海馬由来のプリオンレス細胞株および野生型細胞株について、2項目について検討した。(1)海馬野生型細胞株の培養に用いられている無血清培地によって、プリオンレス細胞株は培養されるか(2)細胞分化を促進させる薬剤により、プリオンレス細胞株は野生型細胞株と同様に分化し得るか、である。分化促進剤は、様々な機構により細胞株を分化させる。例えばレチノイン酸は細胞内cAMPレベルを上昇させ,シグナル伝達系を促進させ、その結果神経芽種細胞株を分化させる。シグナル伝達系は、今の所、神経細胞の分化に重要な役割を担うと考えられている。通常の神経芽腫細胞株のcAMPは非常に低レベルであることが知られ、これが細胞株を未分化状態にさせていると考えられている。したがって、この実験ではdcAMP、RA、フォルボールエステル(phorbol 12-myristate,13-acetate PMA):protein kinase C活性化因子を神経細胞分化促進剤として用いた。PrPの細胞分化における役割を明らかにするため、プリオンレス細胞株および野生細胞株に分化促進剤を投与し、in vitroにおける性状変化を解析した。

 本章では、dcAMP処理によりプリオンレス細胞株も野生細胞株も同様に分化し形態変化を起こすことが明らかにされた。しかもプリオンレス細胞において、より急激な形態変化が見られた。一方、プリオンレス細胞は、無血清培地では増殖せず、FCS含有培地から無血清培地に移された後に、急激な細胞の死滅が見られた。無血清培地へ移行後16時間後に細胞の死滅が見られ、48時間後までに50%以上の細胞の死滅および分解した。死滅細胞をHE染色で観察したところ、核濃縮および核膜へのクロマチンの凝集が観察された。

 今回の実験において、シグナル伝達系とプリオン蛋白の間に何らかの関連が有ることが示唆された。神経突起の伸長は、細胞分化・増殖に必須であり、この過程においてプリオンレス細胞は、突起の伸長が少数である。したがってPrPcは、細胞突起の伸長に重要な役割を担うことが考えられる。この章で樹立されたプリオンレス細胞株と野生型細胞株は今後の生化学及び分子生物学の研究に重要な材料を提供したと考えられる。

審査要旨

 脳神経組織は成熟すると多種・多様の神経細胞・グリア細胞から構成される。これらの多様な分化細胞は全て胎子の前駆細胞が源となっている。これらの多様な分化細胞の相互作用を明らかにすることは非常に困難であり、それらの多様な細胞そのものを不死化して、限られた種類の神経細胞の機能を解析する必要が有る。この方法が確立されてはじめて、神経細胞の相互作用が分子レベルで明らかにされよう。その様な理由から、種々の神経組織の培養が試みられている。しかし、これらの培養法は種々の細胞が混合されて居り、ある特種な神経細胞を充分に集められない欠点が有る。ある特種な機能や性状を持った細胞を大量に回収できて初めて、その後の分子生物学や分子遺伝学の研究が可能となる。

 これらの問題を解決する一つの方法として神経細胞の不死化操作が挙げられる。申請者はその方法として、癌遺伝子を導入したレトロウイルスベクターを合成し、神経幹細胞に導入することによる不死化を行った。この方法は最近の数年間に発達して来た方法で、様々な神経細胞およびグリア細胞のクローン(株化細胞)が樹立された。

 博士論文の主な目的はある脳の特別な領域のクローンを樹立し、それらの細胞の遺伝子構成、分化様式、及びその機能を明らかにする事である。

 第一章は、ラットの胎子海馬より神経前駆細胞を取り出して、レトロウイルスベクター:V-mycを導入して不死化操作を行った。細胞増殖の条件により未分化の形態および分化形態を示した。これらの細胞を位相差顕微鏡、蛍光抗体法、リバース・トランスクリプターゼ=ポリメラーゼ連鎖反応法(RT・PCR)により検索した。

 第二章においては、これらの不死化操作をプリオン病の研究において活用した。プリオン蛋白は病原性プリオン蛋白(PrPsc)と非病原性プリオン蛋白(PrPc)とに分類される。PrPcはヒトを含め、ほとんどの動物が持っており、最近は酵素にもみられるという。非病原性プリオンは膜タンパク質の一種であるが、生理機能は不明である。外からPrPscが細胞に入り込むとPrPscが鋳型になり、PrPcをPrPscに変化させ、神経細胞の機能障害(痴呆)を起こすと考えられる。現在、ヒトと動物のPrPscは異なると考えられているが、ヒトの異常プリオンによる病気として、クロイツフェルト・ヤコブ病、クールー(ニューギニアにおける運動障害、痴呆症)が報告されている。

 申請者はジーンターゲティングにより、プリオン遺伝子を欠失させたマウスを入手し、それらのマウスの胎子脳を用いて神経細胞の不死化を行った。

 第三章は、不死化されたプリオンレス細胞株(HpL2-1、HpL3-1、HpL3-4、HpL4-2)およびもとのマウスの野生型細胞株(HW8、HW9)の性状をin vitroで解析した。

 海馬由来のプリオンレス細胞株および野生型細胞株について、2項目について検討した。(1)海馬野生型細胞株の培養に用いられている無血清培地によって、プリオンレス細胞株は培養されるか(2)細胞分化を促進させる薬剤により、プリオンレス細胞株は野生型細胞株と同様に分化し得るか、である。分化促進剤は、様々な機構により細胞株を分化させる。例えばレチノイン酸は細胞内cAMPレベルを上昇させ、シグナル伝達系を促進させ、その結果神経芽腫細胞株を分化させる。シグナル伝達系は、今の所、神経細胞の分化に重要な役割を担うと考えられている。通常の神経芽腫細胞株のcAMPは非常に低レベルであることが知られ、これが細胞株を未分化状態にさせていると考えられている。したがって、この実験ではdcAMP、RA、フォルボールエステル(phorbol 12-myristate 13-acetate,PMA):protein kinase C活性化因子を神経細胞分化促進剤として用いた。PrPの細胞分化における役割を明らかにするため、プリオンレス細胞株および野生細胞株に分化促進剤を投与し、in vitroにおける性状変化を解析した。

 本章では、ImMdcAMP処理によりプリオンレス細胞株も野生細胞株も同様に分化し形態変化を起こすことが明らかにされた。しかもプリオンレス細胞において、より急激な形態変化が見られた。一方、プリオンレス細胞は、無血清培地では増殖せず、FCS含有培地から無血清培地に移された後に、急激な細胞の死滅が見られた。無血清培地へ移行後16時間後に細胞の死滅が見られ、48時間後までに50%以上の細胞の死滅および分解した。死滅細胞をHE染色で観察したところ、核濃縮および核膜へのクロマチンの凝集が観察された。

 本研究は、世界で最初に不死化プリオンレス神経細胞株を樹立したものである。このことにより、プリオン蛋白のin vitroにおける研究が飛躍的に進展することが期待される。本内容は科学技術庁及び日本ウイルス学会においても常に高い評価を受けている。従って、審査委員一同、申請者は博士(獣医学)の資格を充分に有するものと判断した。

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