学位論文要旨



No 112250
著者(漢字) 李,惠英
著者(英字)
著者(カナ) リ,ケイエイ
標題(和) 慧苑撰『続華厳略疏刊定記』の基礎的研究
標題(洋)
報告番号 112250
報告番号 甲12250
学位授与日 1996.10.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第160号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 教授 江島,惠教
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 教授 池田,知久
 東京大学 教授 丘山,新
内容要旨

 華厳教学とは『華厳経』に基づいて、中国固有の思想の長さにわたる歴史的展開の影響を受けて形成された思想である。従って華厳教学の思想が形成されていく過程で、各教学者が『華厳経』を解釈するに当たって、根本的な立場に関しても、更に実践方向づけに関しても、それぞれの時代環境に応じた多くの相違が認められるのである。華厳教学は杜順、智儼、法蔵と展開し、法蔵において大成されるにいたった。しかし、法蔵の弟子慧苑を経て、澄観に至る間、著しく変貌していった。

 本論文は慧苑の『八十華厳』注釈書、『続華厳略疏刊定記』(以下『刊定記』と略す)を依拠とし、上述の問題の一端を究明することを意図している。その際、以下の諸点に注意を払いつつ論を進めた。(1)『刊定記』の原貌はいかなるものであるのか。(2)慧苑はいかなる立場において法蔵を引き継いで『八十華厳』を註釈したのか。(3)『刊定記』における慧苑の註釈の根底にある基本思想は何であるのか、以上の三点である。

 以上の課題に基づいて論述された本論文は、二篇五章十五節から成る。第一篇は慧苑の伝記の解明とテキストの検討である。第二篇「華厳経観の基本構造-法蔵から慧苑へ-」は、本論文の中核をなすものである。その中、第一章「釈経上の引用とその特色」は、課題の(1)の究明を目標として、釈経の方法とその特色から慧苑における『華厳経』の受容を検討した。第二章「華厳経の基本的立場と構成」は課題の(2)の究明を目標とし、『刊定記』における『華厳経』の構成とその基本的立場を明らかにしたものである。第三章「教法と機根」は『刊定記』における慧苑の註釈の根底にある基本思想は何であるのかという課題の(3)を究明したものである。その中、第一節は慧苑の教判思想を考察したものである。第二節は慧苑の機根の捉え方、及び彼の論じた仏と衆生の関係について検討したものである。第三節は法蔵の宗趣論との比較から慧苑の華厳経観を探究したものである。第四節は教体論から問題点をしぼり、法蔵から慧苑への華厳経観を探究したものである。第五節は十玄の思想の特色より法蔵から慧苑への華厳経観の変遷を探究したものである。

 そして、本論文において次の三点がわかった。(1)法蔵は「法尓」ないし無尽なる縁起という立場において『華厳経』を捉えた。従って、「機感」からみても法蔵は中心を「仏」に置く。これに対し、慧苑は重点を「衆生」に置く。(2)教判についても、法蔵は教法の位置づけのために五教十宗の教判を設けた。これにに対し、慧苑は衆生の機根に対応した教判を設定した。(3)華厳経観については、法蔵は一乗別教の立場において、縁起に基づき、重々無尽なる円融無礙の華厳経観を築き上げた。これに対し、慧苑は実教大乗の立場において、真如に基づき、その体、相、用を以て理事円融、自在無礙の華厳経観を主張した、という三点である。ただし、五教十宗のほかに、法蔵は『起信論義記』と『入楞伽心玄義』において如来蔵縁起宗と実相宗を最上位に位置づけた四宗の教判も立てている。これは、慧苑へと展開する教判思想を法蔵が一方においてすでに準備していたことを示していよう。

審査要旨

 中国・唐代のいわゆる「開元の治」の時代を生きた仏教者慧苑は、華厳教学の大成者法蔵(643-712)の弟子の一人であり、法蔵の教学を変革した人物として知られる。しかし、まさにその変革のゆえに、後代、華厳宗の祖統の正系から除かれることになった。またこのことが大きな要因となって、関係資料は多く残されず、研究も十分には行われてこなかった。本論文「慧苑撰『続華厳略疏刊定記』の基礎的研究」は、そのような中にあって、かれの主著『続華厳略疏刊定記』(『刊定記』と略称)16巻(ただし、巻6・7・12・16を欠く)に焦点を絞り、同書の歴史文献としての、また宗教文献としての性格を明らかにするとともに、そこから浮かび上がってくる慧苑の思想の基本的特徴を解明しようと試みたものである。

 著者は、本研究において『刊定記』の現存する諸巻に丁寧に目を通し、これまで気づかれなかった、あるいは無視されてきた重要な諸点(引用される「本疏」の問題、梵本の参照の仕方の問題など)を真摯に検討して、学界に貢献する一定の成果を挙げている。また、主に法蔵との比較を通じて、慧苑の華厳経観の基本構造を提示することに成功している。中でも、慧苑の華厳思想が衆生に視座を置く「機感説」の色合いを強くもつことを明確にしたことは特筆されよう。残された課題は少なくないが、本論文が華厳思想史研究に新知見を加えたことは確かであり、博士(文学)の学位に価する成果であると認められる。

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