学位論文要旨



No 112251
著者(漢字) 土居,満寿美
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,マスミ
標題(和) ピェートロ・ベンボ研究 : その文学理論と詩作について
標題(洋)
報告番号 112251
報告番号 甲12251
学位授与日 1996.10.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第161号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長神,悟
 東京大学 助教授 浦,一章
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 片山,英男
内容要旨

 本論文は16世紀イタリアにおけるペトラルキズモ(ペトラルカ風抒情詩)研究として企図されたものであり、この傾向を代表する文学者ピエートロ・ベンボ(1470-1547)の文学活動のうちペトラルキズモに直接・間接に関連のある事項について考察する。

 第1部ではペトラルカ風恋愛抒情詩とプラトン風哲学を融合した恋愛論書「アゾラーニ」(1505年初版)について論ずる。「アゾラーニ」は人文主義的な反恋愛論が主流を占めていた当時においては画期的な作品であり、その頃最も前衛的な思想だったフィレンツェ・プラトン主義を援用してペトラルカ風恋愛の哲学的裏付けとしながら天なる神を志向する真の愛を説く、いわば愛の明るい面を強調する書物であった。しかし「アゾラーニ」の著述はフィレンツェ・プラトン主義の愛の哲学を純正な形で継承しているとは言い難く、ベンボなりの誤解やこじつけのみならず、プラトン風の見解やスコラ哲学・アリストテレス的な議論を混ぜ合わせたその内容はモデルであるキケロの「トゥスクルム談論」の上をゆく折衷主義の観を呈している。ところで、ベンボが当時の習慣に相違して「アゾラーニ」をラテン語ではなく俗語で著わしたのは、ギリシア語ではなくラテン語(自国語)によって哲学的著述を行ったキケロの精神を踏襲したものである。我々は、カスティリオーネの「宮廷人」の登場人物「ベンボ」が新プラトン主義的を奉じながら愛を賞揚していること惑わされて、「アゾラーニ」の著者ベンボは新プラトン主義的な愛の哲学を主張していると錯覚してはならない。ましてや、ベンボの言語学的プラトン主義に固執するのは望まれざる誤謬の元である。「アゾラーニ」の魅力はベンボの怪しげなプラトン主義や哲学的議論の精密さにではなく、舞台背景のアーゾロの庭園の爽々しさや、初期ボッカッチョ風の俗語散文と折々に歌われるペトラルカ風抒情詩の中に求められるべきであろう。

 第2部ではジャンフランチェスコ・ピコとベンボの間に交された書簡形式の論争「模倣論」(1512-13年)を取り上げる。古代人対現代人論争にも一脈通ずるところのある模倣論論争であるが、書き方のイデアと溢れ出す創造力を信頼して複数の良き模範の模倣を説くピコに反対して、ベンボは唯一の模範、それも最高級の模範を模倣することが文章の上達のための最良の近道であると主張する。ベンボの意見は経験と試行錯誤の繰り返しの後に形成されたものであり、自分の独創性を過信して先人を模倣しないことがいかに徒労であり、一流ではない作家を模倣することがいかに有害であるかを回想している。彼の議論で注目すべきは、内容の模倣と文体の模倣を(イタリア)文学史上初めて明確に区別して論じたことであり、実際、文体の美質、形式の美しさを重視した彼は、十数年後の主著「俗語論」(1525)において、文章を言葉の響きの美として捉えた「荘重さ」と「軽妙さ」の二つの理念を強調することになるのである。ところで、「模倣論」において彼がラテン語の最高級の模範として推薦するのは散文のキケロと韻文のウェルギリウスであるが、唯一・最高の模範の模倣を説いたベンボは「俗語論」においても同様に、イタリア語韻文においてはペトラルカ、散文においてはボッカッチョを唯一の模範として推奨する。かようにして、ベンボのキケロ主義とペトラルキズモは同じ理念の上に展開することになる。ベンボの模倣理論と「荘重さ」と「軽妙さ」を強調する文体理念が当時のイタリア文化にいかに大きな影響を及ぼしたかは、美術史・音楽史の分野でもベンボ関係の研究が成り立つことを見ても窺い知られる。

 らペトラルカ風の詩作に励み、その一部が「アゾラーニ」に組み込まれている。「アゾラーニ」当時のベンボは独創的な詩形の案出をも試みたが、そのペトラルカ風の作風は既に大体完成の域に達しており、ベンボの模倣=競合技術の巧妙さを絶賛する研究も出ている。ベンボの俗語詩は、自ら説くところの模倣理論にたがわず文体・作風の点では完全無欠のペトラルキズモを具現しており、イタリアのペトラルキズモは彼の「詩集」が公刊された1530年に始まると言われている。しかし、詩想の乏しさや深い内面性の欠如などのゆえに、全体としてペトラルカには遠く及ばない結果に終わっている。言葉の意味と響き(音楽性)を分離してもっぱら後者の美を追求したベンボにおいては、それは当然の帰結だったのである。

審査要旨

 論文「ピエートロ・ベンボ研究-その文学理論と詩作について」は,別冊参考史料,付録を含めて全3巻,総ページ数800を優にうわまわる浩瀚な論文である.論文の表題に掲げられたベンボ(1470年生-1547年歿)は,文学理論家・文法家・文献学者・歴史家・詩人などの多彩な側面をもった作家で,古典作家(とりわけ韻文のペトラルカ,散文のボッカッチョ)とその言語の規範化におおいに貢献した重要な人物であるが,論文はこの作家の「アゾロの談論」(1505年初版,伊語作品),「模倣論」(1514年初版,羅語作品),「詩集」(1530年初版,伊語作品)を主たる研究対象とし,全体としてペトラルキズムのひとつの形成過程-それは結局ベンボの影響力によってイタリアのペトラルキズムの形成過程につらなっていく-を克明に跡づけている.

 韻文散文混淆体の作品,「アゾロの談論(アゾラーニ)」の散文部分の分析にあてられた第一部では,ベンボに影響したさまざまな要因が議論の爼上にのせられているが,とりわけこの作家の新プラトン主義思想の実質が問題とされ,フィチーノの議論やカスティリオーネの「宮廷人」の登場人物ベンボの口に帰されている教説との綿密な比較を通じて,ベンボ本人の哲学理解はどちらかというと浅薄で,素材の大きな部分がペトラルカに由来していることを詳細に明らかにしている.「模倣論」の試訳を含む第二部は,「俗語論」(1525年初版)をも視野に置きながら,卓越した複数の作家を模倣するのではなく,最高の作家ひとりを手本とすべしとするベンボの議論の全貌を明らかにし,「模倣論」に関する主要な研究動向を丹念に跡づけている.第二部の文学理論の検討に対応して,ベンボの詩作の実践を問題とした第三部では「アゾロの談論」以前の詩,「アゾロの談論」に含まれた詩,「詩集」に収録された詩の三段階に分けて詩形の観点から分析をすすめ,スペイン詩の影響をとり入れながら独自の詩形を模索した第一段階,ひとりの最高作家ペトラルカの模倣がほぼ完成した第二段階,ペトラルカふう詩人の名声とペトラルキズムの流行を揺るぎないものとした第三段階とそれぞれの特徴を実例に即して説得的に捉え,あわせてペトラルカとベンボの詩人としての資質の違いをも精密に論じている.論文の各部において文献的博搜の成果が十二分に発揮された力作である.

 ただし,史料の細部の解釈に関しては,問題なしとはしない.また,先行諸研究の成果を論文執筆者独自の観点から捉えかえしているかという点にも,決して小さくはない問題を残している(とりわけ第二部).

 しかしながら,このような欠陥は議論の展開の大筋には影響を及ぼさない範囲にとどまっており,論文[ピエートロ・ベンボ研究-その文学理論と詩作について」を起点とした,今後のベンボ研究,16世紀ペトラルキズム研究(ひいては,根底にあるペトラルカの研究)の大いなる発展が期待できよう.よって,審査委員会は本論が「博士(文学)」の学位に十分値するとの結論に達した.

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