審査要旨 | | 論文「ピエートロ・ベンボ研究-その文学理論と詩作について」は,別冊参考史料,付録を含めて全3巻,総ページ数800を優にうわまわる浩瀚な論文である.論文の表題に掲げられたベンボ(1470年生-1547年歿)は,文学理論家・文法家・文献学者・歴史家・詩人などの多彩な側面をもった作家で,古典作家(とりわけ韻文のペトラルカ,散文のボッカッチョ)とその言語の規範化におおいに貢献した重要な人物であるが,論文はこの作家の「アゾロの談論」(1505年初版,伊語作品),「模倣論」(1514年初版,羅語作品),「詩集」(1530年初版,伊語作品)を主たる研究対象とし,全体としてペトラルキズムのひとつの形成過程-それは結局ベンボの影響力によってイタリアのペトラルキズムの形成過程につらなっていく-を克明に跡づけている. 韻文散文混淆体の作品,「アゾロの談論(アゾラーニ)」の散文部分の分析にあてられた第一部では,ベンボに影響したさまざまな要因が議論の爼上にのせられているが,とりわけこの作家の新プラトン主義思想の実質が問題とされ,フィチーノの議論やカスティリオーネの「宮廷人」の登場人物ベンボの口に帰されている教説との綿密な比較を通じて,ベンボ本人の哲学理解はどちらかというと浅薄で,素材の大きな部分がペトラルカに由来していることを詳細に明らかにしている.「模倣論」の試訳を含む第二部は,「俗語論」(1525年初版)をも視野に置きながら,卓越した複数の作家を模倣するのではなく,最高の作家ひとりを手本とすべしとするベンボの議論の全貌を明らかにし,「模倣論」に関する主要な研究動向を丹念に跡づけている.第二部の文学理論の検討に対応して,ベンボの詩作の実践を問題とした第三部では「アゾロの談論」以前の詩,「アゾロの談論」に含まれた詩,「詩集」に収録された詩の三段階に分けて詩形の観点から分析をすすめ,スペイン詩の影響をとり入れながら独自の詩形を模索した第一段階,ひとりの最高作家ペトラルカの模倣がほぼ完成した第二段階,ペトラルカふう詩人の名声とペトラルキズムの流行を揺るぎないものとした第三段階とそれぞれの特徴を実例に即して説得的に捉え,あわせてペトラルカとベンボの詩人としての資質の違いをも精密に論じている.論文の各部において文献的博搜の成果が十二分に発揮された力作である. ただし,史料の細部の解釈に関しては,問題なしとはしない.また,先行諸研究の成果を論文執筆者独自の観点から捉えかえしているかという点にも,決して小さくはない問題を残している(とりわけ第二部). しかしながら,このような欠陥は議論の展開の大筋には影響を及ぼさない範囲にとどまっており,論文[ピエートロ・ベンボ研究-その文学理論と詩作について」を起点とした,今後のベンボ研究,16世紀ペトラルキズム研究(ひいては,根底にあるペトラルカの研究)の大いなる発展が期待できよう.よって,審査委員会は本論が「博士(文学)」の学位に十分値するとの結論に達した. |