学位論文要旨



No 112253
著者(漢字) 山内,啓太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマノウチ,ケイタロウ
標題(和) 妊娠馬と胎子の生殖器官におけるインヒビン/アクチビン遺伝子の発現に関する研究
標題(洋) Studies on the inhibin/activin gene expression in reproductive organs of the pregnant mare and the equine fetus.
報告番号 112253
報告番号 甲12253
学位授与日 1996.10.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1726号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 助教授 東條,英昭
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 哺乳類の妊娠機構において、インヒビン(INH)/アクチビン(ACT)が重要な役割を演じていることについては、これまでに齧歯類、霊長類、偶蹄類で行われてきた研究から明らかであるが、哺乳類の妊娠機構の多様性により、必ずしもその機能を一義的に解釈することは難しい。ウマの妊娠機構を解明することは、奇蹄類に属する動物に多くの未解明な問題が残されている点でも、経済動物としてウマを考えた場合にも重要である。本研究では、ウマの妊娠機構におけるINH/ACTの位置づけという観点から、分子生物学的手法を用いることにより、その役割を明らかにすることを試みた。ウマの妊娠時に見られる特徴的な現象のうち、1)副黄体の導入、2)非浸潤性の上皮絨毛性胎盤の形成、3)胎子胎盤ユニットにおける胎子生殖腺の関与、に特に着目し、ウマ妊娠中の生殖器官(母体卵巣黄体、子宮胎盤、胎子生殖腺)におけるINH/ACTの遺伝子発現とその役割について検討した。

第1章ウマインヒビン/アクチビン遺伝子のクローニング

 第1節では、ウマINH鎖遺伝子のクローニングについて記載した。得られたクローンの1つである、Eq--11の総塩基数は1,286bpで、8bpの5’末端非翻訳領域、367個のアミノ酸(AA)をコードする1,101bpのタンパク質翻訳領域、そしてpoly(A)シグナル(AATAAA)は、終止コドン(TAA)より153bp下流に認められた。推定されるAA配列から、シグナルペプチド切断部位はGly20-Cys21、タンパク質切断の可能部位はArg59-Leu60、Arg63-His64、Arg233-Ser234であると考えられた。

 AA配列からウマ鎖前駆タンパク質の分子量は、39,420Da、Arg233-Ser234部位で切断を受けた場合に産生される成熟鎖の分子量は14,685Daと、それぞれ計算され、そのAA配列は、他の哺乳類のものと高い相同性を示した。さらに、糖鎖修飾を受ける可能性のある部位、Asn148、Asn270は、ウマを含めた7種の哺乳類すべてで保存されていた。

 本実験で得られたウマ鎖前駆体のAA配列に特徴的な点は、他の哺乳類では12個しかないCys残基が、ウマでは13個あった点である。ウマでのみ見られるCys177が、鎖内S-S結合、もしくは鎖間S-S結合に貢献しているかどうかについては、今後のタンパク質工学的手法による解析が必要であると考えられた。

 第2節では、ウマINHA鎖遺伝子のクローニングについて記載した。得られた2つのクローンを合わせて得られた総塩基数は1,479bpで、5’末端59bpの非翻訳領域、426個のAAをコードする1,278bpのタンパク質翻訳領域、そして3’末端の終止コドン(TAG)から113bp下流のpoly(A)シグナル(AATAAA)に至る領域から構成されていた。

 塩基配列から推定されるAA配列をもとに、ウマA鎖前駆タンパク質の分子量を計算すると、47,756Daであった。シグナルペプチド切断部位はSer20-Ser21、成熟A鎖へのプロセシングの際のタンパク質切断部位はArg310-Gly311とそれぞれ予想された。

 ウマA鎖前駆体のAA配列は、他の哺乳類のものと高い相同性を示し、全ての哺乳類と同様に、糖鎖修飾を受ける可能性のある部位として、Asn165が存在していた。また、Cys残基についても、その部位、数のともに他の哺乳類のものと完全に一致していた。

 興味深い知見として、ウマA鎖前駆体のAA残基数は426で、他の哺乳類と比較すると、1つ、もしくは2つの残基が余剰であった。また、従来報告されている成熟A鎖は、哺乳類の種間では100%相同であったが、ウマA鎖成熟タンパク質では、3ヶ所について変異が認められた(His375→Gln375、Met378→Leu378、Ser382→Asn382)。

第2章ウマの妊娠期黄体、および性周期黄体におけるインヒビン/アクチビン遺伝子発現とその意義

 ウマ妊娠期黄体における、INH鎖mRNA発現は、排卵後50時間から94時間後にかけて減少し、妊娠30日目には、ほとんど検出されないレベルになった。しかし、妊娠60日目には、再び排卵後94時間とほぼ同じ程度にまで上昇し、以後妊娠90日目には約半分に減少した。従来、妊娠黄体での鎖mRNAの発現が確認されている動物種は、ヒトを含む霊長類のみである。一方、非妊娠期の黄体(排卵後7日目)における鎖mRNAの発現は、卵胞に比較して極めて低値であった。このことから、ウマでは性周期中においては、INHの産生は卵胞相において優勢であり、黄体相での産生が優勢で、黄体相には卵胞発育が見られない霊長類とは異なっていることが示唆された。また、本実験で観察された、ウマ妊娠黄体内における鎖mRNAの発現動態は、子宮内膜杯からのeCG産生の動態と似ていることから、eCGとINHとの間の正の相関作用が示唆された。

 一方、A鎖mRNAは、RT-PCR-サザン解析により、全ての時期で発現していることが確認された。このことは、ウマ黄体内におけるA鎖mRNAの発現が鎖に比べて低レベルであることを示唆しており、ウマ黄体内では、ACTではなくINHが産生されていること、さらに大部分は鎖の単量体として存在している可能性が考えられた。

 ウマの妊娠期間中におけるプロゲステロン(P)の供給は、一次黄体、二次黄体、胎盤と移行していく。胎盤からのP産生が開始する時期の前に、P産生を保証する機構として二次黄体が導入される。二次黄体の導入の前段階として卵胞の発育が必要であるが、二次黄体形成以後にはもはや卵胞発育は必要でない。この時期の卵胞発育を阻止するためには、血中FSHレベルを低値に維持しておく機構が必要である。eCG分泌により形成された二次黄体にINHの産生が推定されたが、これは、霊長類の性周期黄体と同様、下垂体からのFSH分泌を抑制して卵胞発育を阻止するという合目的的な機能を発揮していると考えられた。

第3章ウマ妊娠子宮におけるインヒビン/アクチビン遺伝子の発現とその意義

 ウマ妊娠期子宮/胎盤におけるINH鎖、およびINH/ACTA鎖mRNAの発現を調べたところ、5つの転写産物の存在が確認され、これらのうち1.5kbのものが最も強く発現していた。一方、鎖のmRNA発現は、調べたいずれの時期にも確認されなかった。これらの結果から、ウマ子宮/胎盤では、ACTが主として産生されていることが示唆された。

 1.5kbのA鎖mRNA発現は、妊娠180日目を境に減少することが判明した。ウマでは妊娠中期の後半で胎盤形成がほぼ終了するとされていることから、ACTがウマ胎盤の形成に関与していることが推察された。

 ウマ子宮/胎盤におけるA鎖mRNAは母体の子宮内膜腺に特異的に発現していた。非妊娠期のウマ子宮では、その発現が認められなかったことから、これは妊娠期に特異的な現象であることが示された。

 子宮内膜腺におけるA鎖の発現は、胎子栄養芽細胞にACTの発現が観察されている霊長類、齧歯類とは異なった結果であり、このような発現部位の違いは、高浸潤性胎盤を形成する霊長類、齧歯類と、低浸潤性胎盤を形成するウマとの、胎盤形成様式の違いを反映していることが推察された。また、ウマ胎盤は妊娠後期には、その維持に不可欠なPの重要な産生源であり、齧歯類では、ACTが胎盤からのP産生を促進する作用を有していることから、ウマにおいても子宮内膜腺由来のACTが、胎盤からのP産生維持に貢献している可能性も考えられた。

第4章ウマ胎子生殖腺におけるインヒビン/アクチビン遺伝子の発現とその意義

 ウマ胎子生殖腺におけるINH鎖mRNAは、妊娠90日目から妊娠300目に至るまで、全ての時期で発現していることがわかった。その相対的な発現量は、妊娠の進行に伴って増加する傾向が観察された。A鎖mRNAは、RT-PCR-サザン解析により、調べた全ての時期で発現していることが確認された。

 妊娠180日目のウマ胎子精巣における鎖mRNAは、精細管を形成しつつある索状構造の周囲を取り囲むように局在していた。これらの細胞は、ヒト胎児精巣で報告されている分布に類似しているところから、未分化なLeydig細胞ではないかと推測された。また、精巣の場所により、精細管内や、組織間質にもその発現が確認されたが、精細管内壁に見られた陽性細胞は、ウマ胎子精巣切片を用いた電子顕微鏡による観察の結果、Sertoli細胞であると思われた。

 妊娠150日目のウマ胎子卵巣では、精巣と異なり特に陽性細胞は局在せず、組織間質に瀰漫性に分布していた。精巣の場合と同様、多くの陽性細胞に共通して認められた細胞学的特徴として、核が比較的大きいことがあげられた。

 以上の結果から、ウマ胎子生殖腺内ではACTではなく、むしろINHが産生されていることが考えられた。ウマ胎子生殖腺の間質細胞は、多量のアンドロゲン(A)合成を行い、産生されたAは胎盤へと移行してエストロゲン(E)に変換されていること(胎子-胎盤ユニット)、さらに、AやEは、INH産生を促進する作用があることから、ウマ胎子生殖腺内での鎖mRNAの発現調節機構には、これらステロイドホルモンが関与していると予想された。また、INHには、卵胞膜細胞や、Leydig細胞のA産生を促進する効果があることから、ウマ胎子生殖腺で産生されるINHは、間質細胞のA産生を促進する作用を有している可能性が示唆された。

審査要旨

 インヒビンは最も最近に単離されたホルモンの1つで,卵胞刺激ホルモン(FSH)分泌を抑制することで雌の卵胞発育,雄の精細管発育を調節する.インヒビンの生理的意味合いは,FSH分泌を促進する作用を持つアクチビンの発見によって一層高まった.アクチビンはインヒビンとともにTGF-遺伝子族に含まれ,さらにインヒビンのホルモン作用は,分子進化の面でより古い細胞成長因子に属するアクチビン受容体に競合することで発揮されることが判ったからである.すなわち,これら相互に関連する2つの分子は生殖系の進化に深く関わることが予想されるところとなった.

 奇蹄類のウマの生殖現象,特に妊娠機構は,研究に多用されている齧歯類,霊長類,偶蹄類と比べてその特殊性が指摘されており,1)妊娠維持に必須なプロジェステロンの産生母地としての副黄体の導入,2)非浸潤性の上皮絨毛性胎盤の形成,3)ステロイド産生母地としての巨大な胎子性腺の存在などはその代表例である.本論文は,これらの特殊な表現型の意義を,アクチビンとインヒビンの遺伝子発現の面から追究して,それらを他の動物種と比較しつつウマの生殖現象の理解を深めようとしたものである.

 論文は4章からなり,1章ではウマアクチビン/インヒビンのAおよびインヒビンのサブユニット遺伝子のcDNAクローニングについて記している.それぞれの翻訳領域全長のクローニングに成功して,以後の実験の基礎を築くともに,既に報告されているものとの比較によって,前者については,ウマではアミノ酸配列の3箇所に変異があること,後者では他の哺乳類では12箇所あるシステイン残基が13箇所あるなどの興味ある発見をしている.

 2章ではウマの妊娠および性周期黄体におけるアクチビン/インヒビン遺伝子発現とその意義を記している.霊長類と齧歯類・偶蹄類の黄体はインヒビン発現の有無が対照的で,これが霊長類の性周期の長さを約1週間長く設定する理由であると考えられているが,本章の結果は示唆に富むもので,性周期黄体はインヒビンの発現の無い齧歯類.偶蹄類タイプであるが,妊娠黄体では時期特異的ではあるがインヒビンが発現し,霊長類タイプであることを見い出している.このような中間的表現型の存在は,霊長類の生殖機構の進化を考える場合にも貴重な知見である.

 3章は妊娠子宮のアクチビン/インヒビン遺伝子発現を述べており,妊娠子宮の子宮内膜腺に特異的にAサブユニットが発現していることを見い出している.これは今まで調べられた浸潤性胎盤組織では胎子栄養芽細胞に発現しているのとは全く異なる分布で,非浸潤性の上皮絨毛性胎盤の形成,或いはウマ胎盤特有の微小胎盤葉の形成と密接な関連のある現象であろうと推論しているが,この作業仮説には説得力があり,将来の研究の発展が期待できる.

 4章は胎子生殖腺のアクチビン/インヒビン遺伝子発現を検討している.サブユニット遺伝子mRNAは調べた全ての時期に発現しており,少なくとも雄では配偶子細胞の産生部位の周辺で強く発現する傾向を認めている.Aについては,その発現は低く,サブユニットは単量体として存在するのか,或いは本研究で検討の対象にしなかったBサブユニットとインヒビンB分子を形成しているのかは今後の検討課題として残された.申請者はウマでは胎子性腺が妊娠維持に必要なステロイド産生の重要な器官に位置付けられたために,配偶子をステロイドの細胞分化促進作用から守る必要が生じ,配偶子の分化の抑制作用をもつインヒビン分子が配偶子細胞の周辺の細胞で発現しているのであろうという興味ある推論を行っている.

 以上の如く,申請者はアクチビン/インヒビン遺伝子発現を妊娠維持に関係する諸器官で検討することによって,ウマの生殖・特性に関して極めて興味のある発見をするとともに,将来につながる数々の作業仮説を提示している.本研究には妊娠サラブレッド10数頭から採材すること,遺伝子解析のためのcDNAのクローニングを独自に行うという極めて困難なステップか含まれおり,全体として極めて到達度の高い論文と評価された.本論文は申請者の実験生物学者としての高い資質をよく推定させるものであり,またその内容は生殖生物学分野で高く評価された.よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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