審査要旨 | | インヒビンは最も最近に単離されたホルモンの1つで,卵胞刺激ホルモン(FSH)分泌を抑制することで雌の卵胞発育,雄の精細管発育を調節する.インヒビンの生理的意味合いは,FSH分泌を促進する作用を持つアクチビンの発見によって一層高まった.アクチビンはインヒビンとともにTGF-遺伝子族に含まれ,さらにインヒビンのホルモン作用は,分子進化の面でより古い細胞成長因子に属するアクチビン受容体に競合することで発揮されることが判ったからである.すなわち,これら相互に関連する2つの分子は生殖系の進化に深く関わることが予想されるところとなった. 奇蹄類のウマの生殖現象,特に妊娠機構は,研究に多用されている齧歯類,霊長類,偶蹄類と比べてその特殊性が指摘されており,1)妊娠維持に必須なプロジェステロンの産生母地としての副黄体の導入,2)非浸潤性の上皮絨毛性胎盤の形成,3)ステロイド産生母地としての巨大な胎子性腺の存在などはその代表例である.本論文は,これらの特殊な表現型の意義を,アクチビンとインヒビンの遺伝子発現の面から追究して,それらを他の動物種と比較しつつウマの生殖現象の理解を深めようとしたものである. 論文は4章からなり,1章ではウマアクチビン/インヒビンのAおよびインヒビンのサブユニット遺伝子のcDNAクローニングについて記している.それぞれの翻訳領域全長のクローニングに成功して,以後の実験の基礎を築くともに,既に報告されているものとの比較によって,前者については,ウマではアミノ酸配列の3箇所に変異があること,後者では他の哺乳類では12箇所あるシステイン残基が13箇所あるなどの興味ある発見をしている. 2章ではウマの妊娠および性周期黄体におけるアクチビン/インヒビン遺伝子発現とその意義を記している.霊長類と齧歯類・偶蹄類の黄体はインヒビン発現の有無が対照的で,これが霊長類の性周期の長さを約1週間長く設定する理由であると考えられているが,本章の結果は示唆に富むもので,性周期黄体はインヒビンの発現の無い齧歯類.偶蹄類タイプであるが,妊娠黄体では時期特異的ではあるがインヒビンが発現し,霊長類タイプであることを見い出している.このような中間的表現型の存在は,霊長類の生殖機構の進化を考える場合にも貴重な知見である. 3章は妊娠子宮のアクチビン/インヒビン遺伝子発現を述べており,妊娠子宮の子宮内膜腺に特異的にAサブユニットが発現していることを見い出している.これは今まで調べられた浸潤性胎盤組織では胎子栄養芽細胞に発現しているのとは全く異なる分布で,非浸潤性の上皮絨毛性胎盤の形成,或いはウマ胎盤特有の微小胎盤葉の形成と密接な関連のある現象であろうと推論しているが,この作業仮説には説得力があり,将来の研究の発展が期待できる. 4章は胎子生殖腺のアクチビン/インヒビン遺伝子発現を検討している.サブユニット遺伝子mRNAは調べた全ての時期に発現しており,少なくとも雄では配偶子細胞の産生部位の周辺で強く発現する傾向を認めている.Aについては,その発現は低く,サブユニットは単量体として存在するのか,或いは本研究で検討の対象にしなかったBサブユニットとインヒビンB分子を形成しているのかは今後の検討課題として残された.申請者はウマでは胎子性腺が妊娠維持に必要なステロイド産生の重要な器官に位置付けられたために,配偶子をステロイドの細胞分化促進作用から守る必要が生じ,配偶子の分化の抑制作用をもつインヒビン分子が配偶子細胞の周辺の細胞で発現しているのであろうという興味ある推論を行っている. 以上の如く,申請者はアクチビン/インヒビン遺伝子発現を妊娠維持に関係する諸器官で検討することによって,ウマの生殖・特性に関して極めて興味のある発見をするとともに,将来につながる数々の作業仮説を提示している.本研究には妊娠サラブレッド10数頭から採材すること,遺伝子解析のためのcDNAのクローニングを独自に行うという極めて困難なステップか含まれおり,全体として極めて到達度の高い論文と評価された.本論文は申請者の実験生物学者としての高い資質をよく推定させるものであり,またその内容は生殖生物学分野で高く評価された.よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた. |