内容要旨 | | 近年エレクトロクロミックや,フォトエレクトロクロミック効果を示す種々の薄膜が開発され報告されている.これらの薄膜のより高性能化および高機能化のためには界面および膜内における電荷移動プロセスの理解が重要である.機能性薄膜における電荷移動プロセスを調べる上で電位変調法が有効である.電位変調法には,電位変調に伴う電流の変化(インピーダンス法)をモニタする通常のインピーダンス(Z)(Z=△E/△I)及びそのZプロットから計算されたキャパシタンス(C)(C=1/jZ=△Q/△E)だけでなく,膜の酸化還元に伴う種々の物理量をモニタするいわゆるカラーインピーダンス法がある. 本論文では,通常のインピーダンスプロットと,膜の酸化還元に伴う色の変化分をモニタするトランスミッタンス(T)プロット (T=△T/△E:電位変調に対する透過光強度の変化分)を比較検討し、種々のEC薄膜の着色過程を電荷移動プロセスの立場から考察を行った.その結果,電位変調法では得られない新しい情報を得ることができた.さらに,この解析法をいくつかの電極反応が混在している電極系にも適用し,それぞれの電荷移動プロセスを分離して解析することにも成功した. 1.酸化タングステン(WO3)薄膜電極1.1電荷移動プロセスの電位依存性 薄膜電極での電荷移動プロセスを,交流電位摂動による電流および透過光強度の周波数応答から調べた.EC性質を持つWO3薄膜電極では,薄膜のファラディック反応によってその光学的吸収が変化する.したがって,薄膜の光学的な周波数応答からそのファラディック過程のみを選択的にモニタすることが可能である.WO3を透明導電性電極(ITOガラス)に真空蒸着法により被覆した系の電気的応答(C,Zプロット)および633nmでの光学的応答(Tプロット)を各電位で測定することにより,電荷移動プロセスの薄膜の酸化還元状態に対する依存性を調べた.その結果,高周波数域でのインピーダンス挙動は,薄膜の酸化還元状態により大きく変わることがわかった.この高周波数域の挙動は,界面での電荷移動過程に起因するため,膜の導電性の変化は対イオンの膜内への透過過程にも影響を及ぼすことがわかる.また低周波数域でのインピーダンス挙動は,より遅いイオンの移動過程すなわちファラディック過程に対応している.Tプロットの頂点周波数が中心電位に依存しないことから,膜内でのイオンの移動過程は濃度分布による拡散過程であることが明らかになった. 1.2薄膜表面への対イオンの吸着過程 薄膜におけるエレクトロクロミック反応の動的過程は,時定数の異なる二つの緩和過程,すなわち対イオンの膜を構成している粒子表面への吸着過程によるチャージングと,対イオンのバルク中へのインターカレーションによるチャージングから構成されていることが確認されている.図1にそれぞれの膜の酸化状態による電気的応答(Cプロット)を示す.薄膜内への対イオンの注入に伴い二つの半円のうち低周波数のそれのみが大きくなっていることがわかる.また,電気的応答と633nmでの光学的な周波数応答(Tプロット)とは一致しなかった(図2).これらのことからこの薄膜電極の電気二重層の充電および粒子表面への吸着過程が並列に起こり,かつこれらの過程はエレクトロクロミック薄膜の着・消色の発現に関与していないことに起因すると結論できた.このプロセスは図3に示した濡れ電流を考慮した電気的等価回路を用いて表現できることがわかった. 図1.WO3薄膜の酸化状態によるCプロットの変化図2.WO3薄膜の-0.4V(Ag)でのCプロットとTプロット図3.WO3薄膜における電荷移動プロセスを説明する電気的等価回路2.いくつかの電極反応が混在している系2.1溶液中に酸化還元種を含む場合の薄膜電極反応 溶液中に酸化還元種を含んでいるプルシアンブルー(PB)薄膜電極系の電極反応について,酸化還元種の電極反応と膜内での電荷移動プロセスの分離測定を行った.酸化還元種には[Fe(CN)6]3-/4-を用いた.PB薄膜と溶液中の酸化還元種はいずれも[Fe(CN)6]3-/4-の酸化還元であるため,通常の電気的応答からは分離することができない.そこで,酸化還元種の吸収をもたない波長(700nm)での電位変調分光測定からPBのみの電極反応を分離した.図4に[Fe(CN)6]3-/4-水溶液中でのPB薄膜電極の電気的応答(Cプロット)と700nmでの光学的応答(Tプロット)を示す.Cプロットは電極系全体に混在している全ての電極反応をモニタしている.一方,TプロットはPB薄膜のみのファラディック過程を反映するものになる.図5に示す等価回路で解析した結果,溶液中に酸化還元種[Fe(CN)6]3-/4-が存在するとき,PB薄膜のファラディック反応と酸化還元種の酸化還元反応は並列に進んでいることおよび酸化還元種のファラディック反応は薄膜と溶液界面で起きていることがわかった. 図4.PB薄膜電極の0.25V(vs.SCE)における[Fe(CN)6]3-/4-水溶液中でのCプロットと700nmでのTプロット図5.PB薄膜電極の電気的応答と700nmでの光学的応答を説明するモデル2.2多層薄膜電極反応 二酸化マンガン(MnO2)薄膜とプルシアンブルー(PB)薄膜を積層した多層EC薄膜電極系において,各層における電荷移動過程の分離測定を試みた.この多層EC薄膜は透明導電性ガラス(NESA)上に電解重合法により一層ずつ逐次的に作製した.EC性質を持つMnO2とPB薄膜電極はそれぞれ425nm,700nmを中心にブロードな吸収を持っており,その透過光強度は薄膜電極に流れた電気量に比例して変化する.従って,モニタ光としてそれぞれの層の吸収に対応する波長を用いて電位変調分光測定をすれば,各層のみでのファラディック過程を求めることができる.また各層の吸収はブロードであることから550mの波長を用いて系全体の電極反応をモニタすることもできる.図6に薄膜電極の0.3V(vs.SCE)での結果を示す.電気的な周波数応答(Cプロット)と425nmおよび700nmでの光学的な周波数応答は全周波数域で一致していない.これは,425nmおよび700nmでの光学的な周波数応答は多層薄膜電極系全体の電極反応のうちそれぞれ層のみでのファラディック過程を反映するものであるためである.また550nmの周波数応答は電気的応答と一致している.これらの実験データは図7に示す多層薄膜電極系を表わすモデルでほぼ完全にフィッティングできた.すなわち,この多層薄膜電極の電極反応はそれぞれ並列に起きていることがわかった. 図6.(上)多層薄膜電極での電気的応答と各モニタ波長での光学的応答図7.(左)(a)多層薄膜電極における電気移動プロセスと(b)それを表わす電気的等価回路3.導電生高分子薄膜電極 電解重合によって作製したポリピロール(pPy)及びポリ(N-メチルピロール)(pNMePy)薄膜における電荷移動プロセスの相違につい検討を行った.ピロールのN位にメチル基を導入するとそれから得られるポリマーの電子導電率はpPyのそれに比較して3〜6桁も低くなることが報告されている.また,膜内でのイオンの拡散過程は,イオン種や溶媒によって変化することも知られている.図8にpPy膜およびpNMePy膜のPC溶液(1MLiClO4)中でのインピーダンスプロットを示す.いずれの場合も,周波数領域は異なるが,傾き約45゜の直線部分が現われている.これらは,膜内での電子あるいはイオンどちらか一方の移動速度が他方に比べて十分小さいと仮定したモデルから得られる挙動である.一般にはイオンの移動の方が遅いと考えられ,プロットの解析からイオンの拡散係数が求められる.pPy膜におけるClO4-の拡散係数は水溶液及びPC溶液中でほぼ同じ値を示し,溶媒による拡散過程への影響は小さいことがわかった.また,同一イオンの両膜における拡散係数はいずれの場合pNMePy膜の方がpPy膜より3桁程度小さかった.これらの違いは,両膜のポアサイズなどのモルフォロージの差,また対イオンと両膜のポリマー側鎖の間の相好作用の差に起因するものと結論づけた. 図8.(a)pPy/ClO4-膜,(b)pNMePy/ClO4-膜の0.6V(Ag),PC溶液(1MLiClO4)中でのインピーダンス挙動4.まとめ 電位変調法を用いた機能性薄膜電極における電荷移動プロセスについて検討を行った.特に,エレクトロクロミック薄膜において,電位変調法を分光法と組み合わせることにより電極反応に関する新たな情報を得ることができることを示した.すなわち,薄膜のクロミック特性の発現に直接関与している電荷移動プロセスのみの追跡に成功した.また,カラーインピーダンス法を薄膜の酸化還元や溶液中の酸化還元種が混在している系や多層薄膜電極系などにも適用し,より複雑な電荷移動プロセスも分離測定可能であることを示した. |
審査要旨 | | 近年エレクトロクロミック効果を示す種々の薄膜が開発され報告されているが,より高性能化・高機能化のためには薄膜における電荷移動プロセスの理解が重要である。本研究では,通常の電位変調法(インピーダンス法)と膜の酸化還元に伴う色の変化分をモニタする電位変調分光法(カラーインピーダンス法)を用いて,種々のエレクトロクロミック薄膜の着色過程を電荷移動プロセスの立場から考察した。本論文は全8章から成る。以下に各章を簡潔にまとめる。 第1章は序論であり,エレクトロクロミズムの概念やその代表的な材料,またエレクトロクロミック薄膜における電荷移動プロセスの役割について概説を行った。現在までに行われてきた研究を整理し,本研究の目的と位置付けについて述べている。 第2章では,本研究に用いられた測定法について説明している。電位変調法の基礎からエレクトロクロミック薄膜電極の電位変調に伴う色の変化をモニタするカラーインピーダンス法を導いている。これらの測定法から得られる結果の解析法についても述べている。 第3章では,エレクトロクロミック材料として最もよく知られている酸化タングステン(WO3)における電荷移動プロセスの電位依存性について検討した結果が記述されている。薄膜電極における電荷移動プロセスは界面でのそれと膜中での電荷移動過程に分けて考えることができる。前者は膜の酸化状態に応じて大きく変化する。一方,後者は膜のエレクトロクロミック過程の応答速度を決める過程であり,膜の酸化状態に依存しないことがカラーインピーダンス結果から分かった。すなわち,膜内でのイオンの移動過程は濃度分布による拡散過程であることが明らかにされた。 第4章では,WO3薄膜における電荷移動プロセスの中に特に対イオンの薄膜表面への吸着過程を中心に考察を行っている。薄膜電極反応の動的過程は,二つの緩和過程,すなわち,膜を構成している粒子表面への吸着過程によるチャージングと膜中へのインターカレーションによるチャージングから構成されていることが確認された。高周波数領域での電気的応答と光学的応答の不一致から,薄膜電極の電気二重層の充電および粒子表面への吸着過程は並列におこり,かつこれらの過程はエレクトロクロミック薄膜の着・消色の発現に関与していないことが初めて明らかにされた。また低周波数での電気的応答と光学的応答の不一致からEC薄膜電極における漏れ電流の存在も確記された。 以上EC薄膜における着・消色に関与しない電荷移動プロセスを分離測定した結果は,よりEC効率のよい薄膜の設計を目指す定量的評価への指針となることが示されている。 第5章では,プルシアンブルー(PB)薄膜電極系を用い,二つの電極反応が混在している場合の電荷移動プロセスを分離測定し,その結果を記述している。溶液中に酸化還元種が含まれている場合,通常の電気化学的測定では両電極反応の分離測定は不可能である。すなわち,電気的応答は電極系全体に混在している全ての電極反応をモニタしたものである。一方,本研究で用いた光学的応答はPB薄膜のファラディック過程のみを反映するものである。この結果,系に混在している二つのファラディック過程を分離することに成功した。さらに,この電極系を表わす等価回路で解析した結果,溶液中の酸化還元種の酸化還元反応はPB薄膜のファラディック反応と並列に進んでいること,またその反応は薄膜/溶液の界面で起きていることが明らかにされた。 第6章では,多層薄膜電極反応の電荷移動プロセスを分離測定した結果について述べている。EC性質を持つMnO2とPB薄膜電極はそれぞれ425nm,700nmを中心にブロードな吸収を持っており,その透過光強度は薄膜電極に流れた電気量に比例して変化する。従って,モニタ光としてそれぞれの層の吸収に対応する波長を用いて電位変調分光測定をすれば,各層におけるファラディック過程を求めることができる。さらに,それぞれの層での吸収はブロードであるため550nmの波長を用いて測定すると系全体の電極反応をモニタすることも可能であった。また多層薄膜電極系を表わす等価回路を用いた解析から両膜におけるファラディック反応は多層薄膜電極の二重構造にも関わらず逐次的ではなく並列的に起きていることが明らかにされた。 この5,6章では,実際にデバイス化されたEC薄膜系の場合などのような複雑な系で起きている電荷移動プロセスを簡単に分離し,より直接的な情報を提案することが可能となり,デバイスへの応用の見地から非常に興味深い。 第7章では,導電性高分子薄膜電極系における置換基および対イオン(Cl-,ClO4-)の電荷移動プロセスへの影響についてポリピロールおよびポリ-N-メチルピロールを用いて検討されている。ピロールのN位に置換基(メチル基)を導入するとそれから得れれるポリマーの電子導電率は3〜6桁も低下する。また,膜内でのイオンの拡散過程は,イオン種や溶液によって変化することも知られている。得られたプロットの解析から各イオンの拡散係数を定量的に求めている。ポリピロールお膜におけるClO4-の拡散係数は水溶液及びPC溶液中でほぼ同じ値を示し,溶媒による拡散過程への影響は小さいことが分かった。また,同一イオンの両膜における拡散係数はいずれの場合ポリ-N-メチルピロールの方がポリピロールより3桁程度小さかった。これらの違いは,両膜のポアサイズなどのモルフォロージの差,また対イオンと両膜のポリマー側鎖の間の相互作用の差に起因するものと結論づけている。 第8章は,全体の総括と今後の提案である。 以上をまとめると,本研究の結果は,新しい電位変調分光測定手法を用いて機能性薄膜の電荷移動プロセスを明らかにしたもので,基礎,応用いずれの見地からも高く評価でき,よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |