学位論文要旨



No 112259
著者(漢字) 佐伯,孝弘
著者(英字)
著者(カナ) サエキ,タカヒロ
標題(和) 浮世草子気質物の研究
標題(洋)
報告番号 112259
報告番号 甲12259
学位授与日 1996.11.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第162号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 助教授 長島,弘明
内容要旨

 『子息気質』刊行以降の浮世草子のうち、

 (A)気質題

 (B)(1)短編集、(2)一定の身分・職業や芸道という枠組、(3)主人公は町人層、(4)三都の今が舞台、(5)対照や誇張の手法を多用、(6)主人公は現実が見えず周囲と軋轢、(7)主人公の偏執・逸脱を笑う笑い話

 上の(A)、または(B)のうち(1)(2)(7)を中心とする幾つかの要素を満たす作品を、「気質物」と称する。

 本稿は、其磧の『子息気質』・『娘容気』・『親仁形気』の気質物の祖型となった3作や、南嶺・秋成・亀友らの後続気質物について、手法・素材・文章等を検討し、それぞれの作品の価値や気質物の小説史上の意義を考察する。気質物の研究は西鶴作品の享受の実態や、浮世草子と後続文学の関係を知る上でも、重要である。

 其磧の気質物には西鶴からの剽窃が非常に多く、従来作品の大きな瑕瑾とされて来た。しかし、其磧自身としては、そこに積極的な趣向としての意図があったと考えられる。即ち、文章の上では、西鶴の諸作の文章を巧妙に組み合わせるレトリックを見せる。構成の上では、話の前半部で文辞を借りる典拠を、後半部で筋立てを大きく転じて見せるという、「わやく」(=悪戯)と言っても良い趣向を講じている。殊更に西鶴の文辞をそのまま取るのには、自らのかかるレトリックや趣向を読者に示唆する狙いがあったのだろう。

 従来演劇との関連を指摘されることのなかった『娘容気』にも、近松に大きく拠りかかって構成を成す章が存在するなど、演劇よりの影響が認められる。なお、近松を取る際にも、話の顛末を逆転させている。

 気質物と咄との関係は深い。『娘容気』は刊行直前に急遽増補がなされたが、その際全体の統一を崩してまで、噺本的な話を挿入している。『子息気質』・『娘容気』・『親仁形気』の3作に亘って、モチーフの上で噺本と相似する。気質物の主人公の造型は、噺本のモチーフ分類で言えば、性癖譚や状況愚人譚に当たる。加えて、文章への、辻咄等の話芸の影響も想定される。噺本は、気質物創出のための柱の1つであった。

 其磧の文章は、口語調に徹する会話文の多用が特色。登場人物の心理・感情を活写すべく、細かな配慮が加えられている。役者評判記や演劇(特に歌舞伎)、話芸などが、其磧の文体へ影響を与えたとも考えられる。

 『親仁形気』は、気質物中、最も現実感を伴う作。普遍的な老人像や世態をある程度形象し得た、気質物の代表作である。佳作たる理由を、典拠利用の態度から説明することができる。趣向に走る意識が減じて、文も想も自然な作となったのである。

 秋成が自作の気質物に込めた"新しさ"は、先行作には見られぬ人物造型の広がりと、凝った趣向の二つに要約できよう。前者は『妾形気』のお春・藤野の2編の話、後者は「和訳太郎」のペンネームが、如実に示している。秋成は、(1)作中詐欺譚の形で描かれる「わやく」、(2)挿絵に仕組まれる「わやく」、(3)典拠に対する「わやく」、(4)モデルへの「わやく」、(5)読者への「わやく」、と実に複雑な趣向を講じている。秋成の「わやく」は、世相批判の"毒"を持つものであった。

 『妾形気』のお春の編の、未だ指摘のなかった典拠を二、三紹介する。とりわけ怪異小説『和漢乗合船』は、利用の度合いが大きく、『雨月物語』とも関連する。『雨月』以前の段階で既に秋成に怪異志向があったことを、具体的に示すものとして重要である。

 亀友の作は、微温性・日常性が特色。『赤鳥帽子都気質』が、気質物らしい佳作。世態・心理描写の妙味があるものの、凡策も多く、浮世草子衰退の流れを止めることはできなかった。

 総じて、気質物の果たした意義は、西鶴の"人心"への関心と描写を受け継ぎ、後続の文学への橋渡しをしたことにあろう。

審査要旨

 本論文は、江島其磧の『世間子息気質』(1715年)に始まる浮世草子気質物について、歴史的な展開を視野に収めつつ、その特質を論じたものである。

 従来、其磧の気質物は西鶴の文章の剽窃が多いとされ、低い評価しか与えられてこなかったが、佐伯論文は、西鶴の剽窃と見えるものが、実は前半では西鶴の構想に沿いながら、後半でそれを逆転させ、対照と誇張によって笑いを誘う気質物の意図的な方法であることを論証している。また、気質物のモチーフが噺本と一致し、さらに『世間娘容気』などでは歌舞伎・浄瑠璃等の演劇の利用が見られるなど、気質物の方法が、小説のみならず、同時代の芸能から大きな影響を受けていることを明らかにする。其磧以後の気質物については、多田南嶺・上田秋成・永井堂亀友を例に、其磧作には見られなかったモデルの利用、哀切な話柄の挿入、土俗性・怪異性の強化、また地方読者への配慮などを指摘して、気質物のテーマ的な変質と、洒落本・読本等の後続の小説ジャンルとの接近を指摘する。

 気質物固有の方法の全体を明らかにするためには、対照的な時代物の方法との比較が必要となるなど、さらに考察を深めるべき余地はあるが、西鶴亜流という評価が先行し、検討が等閑にされてきた気質物の方法を、個別の作品に即して具体的に明らかにしたところに、本論文の大きな意義がある。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するものと判断する。

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