学位論文要旨



No 112261
著者(漢字) 佐々木,淳
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ジュン
標題(和) 東京湾における青潮の発生機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 112261
報告番号 甲12261
学位授与日 1996.11.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3782号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 渡邉,晃
 東京大学 助教授 河原,能久
 東京大学 助教授 Dibajnia,Mohammad
内容要旨

 東京湾の湾奥においては夏季になるとしばしば青潮が発生し,魚介類のへい死を引き起こすことから水質上の重要な問題となっている.なかでも,5〜10年に1度の頻度で湾奥沿岸一帯に発生する大規模な青潮は深刻な漁業被害をもたらすため特に重大な問題である.最近では1994年9月中旬に大規模な青潮が発生し,三番瀬のアサリのおよそ90%が死滅する等壊滅的被害をもたらしたが,なぜこのように大規模な青潮が発生したのかは不明である.ところで湾奥沿岸一帯には浚渫跡の窪地が点在しており,この中には青潮水の源である大量の硫化物が存在することが知られている.この水塊と青潮との関連はいくつか指摘されてはいるものの現地観測が不足していることもあって未だはっきりしていない.

 そこでまず,浚渫窪地や航路を含む湾奥全域での硫化物濃度の測定と文献調査から,硫化物の存在している海域を特定しその総量を見積もったところ,浚渫窪地・航路・湾奥平場の内,浚渫窪地の総量が圧倒的に多いことが判明した.このように重要な海域である浚渫窪地において1994年8,9月の2カ月間水質の連続観測をおこなった.観測期間中の8月下旬と9月中旬の2度,青潮を捉えることに成功したが,特に9月の青潮は9年ぶりともいわれる大規模なものであった.観測結果によると9月の青潮時には沖合いから相対的に高密度な水塊が窪地内に流れ込み,窪地内の水塊が押し出されたことが明らかとなったが,これは8月時には見られない現象であった(図1).そのため,9月に大規模な青潮が発生した主要な要因の一つは,高濃度の硫化物を含む窪地内の無酸素水塊が押し出されて湧昇したことであると考えられる.ただし,現地観測では湾奥平場の情報が不足しているために,8月と9月の平場の水塊の湧昇規模の相違等は明らかではない.そこで,この点に関しては数値シミュレーションにより検討する.

図1:風速ベクトルと浚渫窪地における水温の時系列変化(窪地は8m以深)

 従来,数値モデルによる研究は現象を単純化した数値実験によるものがほとんどであり,そのため実際に起こった青潮を再現しておらず実態は不明である.そこで本研究では数値シミュレーションによって,1994年夏季の海況をできるだけ少ない仮定の下に再現することを試みた.実際に発生した青潮を再現する上では初期条件の与え方が重要な問題となるが,本研究では内湾がほぼ一様な状態の混合期で初期条件の与えやすい4月初めに計算を開始し,青潮の発生した9月までの半年間という長期間の計算を行うこととした.このような長期間の計算に耐えうる効率的なアルゴリズムを新なに開発した.

 基礎方程式は座標系において静水圧近似とBoussinesq近似を仮定した3次元のNavier-Stokesの式と連続式,および水温・塩分・硫化物の拡散方程式である.長期間の計算を効率的に行うためには積分時間間隔をできるだけ大きくとり,なおかつ各タイムステップで効率的な計算を行うことが要求される.本研究では積分時間間隔を大きく取るために水位・鉛直拡散項・鉛直移流項を陰差分するsemi-implicit法を提案し,現地観測結果との比較を通して諸係数の推定を行った.具体的には水平方向の運動量式から,例えばx方向に関しては,

 

 が得られる.ここにu,はそれぞれ流速および水位で,その他は既知の係数である.式(1)をuに関する3項対角行列方程式と見てThomas法を適用すれば,

 

 が得られる.ここで連続式を鉛直方向に0〜1まで積分すると次式が得られる.

 

 式(2)を式(3)に代入すると最終的にに関する次のような連立方程式が得られる.

 

 式(4)はSOR法により高速に解け,得られたを式(2)に代入することで流速u,vが得られる.

 さらに浚渫窪地内に別の座標系を設定し平場のモデルに接続することで,浚渫窪地からの湧昇が計算できるように拡張した.また,全体領域を大きな格子で計算した後,それを境界条件として詳細な情報の必要となる湾奥の計算を小さい格子で計算することにより,効率的なシミュレーションができるように工夫した.

 以上の数値モデルを用いてまず,湾奥中央平場の水塊の湧昇過程のシミュレーションを行った.その結果,8月時には最初速やかな湧昇が見られ,その後は急速に規模が縮小するという現象が再現され,9月時には緩やかな湧昇が継続的に続きその結果規模の大きい青潮が発生したことが判明した(図2).また,浚渫窪地内の水塊の湧昇シミュレーションによれば,その湧昇規模は小さいが,しばしば大きな被害が引き起こされる三番瀬や船橋港に高濃度で広がり,しかも長く継続することが明らかとなった(図3).

 これらのことから,9月に大きな被害をもたらした大規模な青潮が発生した原因は,平場水塊の緩やかだが長時間に及ぶ継続的な湧昇と,浚渫窪地内の水塊が湧昇により三番瀬から船橋港周辺へ集積し,それが長期間に渡って継続したことによると考えられる.

図2:8月および9月の青潮発生域図2-a:8月24日0時 2-b:9月14日0時図3:窪地の硫化物を起源とする青潮発生域
審査要旨

 東京湾を始めとする内湾域は,開発利用が容易であるがためにその背後に大都市を抱え,水質を含む自然環境に対する人為的負荷が急激に増大してきた.東京湾においては,産業排水や生活排水が流入することによって富栄養化が進行し,さらに沿岸浅海域の埋立によって水質浄化作用が低下したことと相まって,赤潮や青潮がしばしば発生するという問題が起きている.中でも東京湾における青潮は大規模なものも含み,魚介類などの水産資源に重大な損失を与えるなど,大きな問題となっている.そこで本研究では,現地調査および数値シミュレーションにより東京湾の青潮発生機構を明らかにすることを目的としている.論文は6章から構成され,それぞれの内容は以下のごとくである.

 第1章は序論であり,青潮現象の概説を行うとともに,本研究の概要と構成を述べている.

 第2章においては,青潮に関して得られている既往の知見をとりまとめている.東京湾における貧酸素化現象に関する研究成果をとりまとめ,化学的および生物学的特性を論じた上で,海底に形成された貧・無酸素水塊が青潮を発生させるメカニズムについて知見を述べている.

 第3章においては,青潮の発生機構を明らかにするために行った1993年の現地観測について述べている.まず,青潮水の色の源となる硫化物について,その空間分布を調査した.測定は東京湾奥の15地点において,硫化物濃度等について行った.その結果,航路,浚渫窪地,および平場に分けた場合,浚渫窪地における硫化物の総量が他に比べて2オーダーほども多くなっていることがわかり,大規模な青潮の発生における浚渫窪地の重要性が示唆された.また,1994年の現地調査では,水温,塩分濃度,溶存酸素の鉛直分布の連続観測が行われた.その結果を南風および北風時のそれぞれについて解釈した.南風時には,沖から岸に向かって水温の高い表層水が集積し,低層は逆に岸から沖に向かうという鉛直循環により,表層から8mあたりまでは水温が一様化するが,水深20mを越える浚渫窪地内では低温水塊が維持される.北風が連吹すると高温低密度の表層水が湾口方向に移動するとともに,高塩分高密度の水塊が浚渫窪地内に侵入し,窪地内の無酸素水塊の湧昇を引き起こすと解釈される.このように,青潮発生時の水質の鉛直分布の変化が捉えられ,その発生機構を考察するためのデータが得られた.

 第4章においては,青潮の発生機構を明らかにするための3次元数値モデルについて述べている.まず,既往の数値モデルを概説した上で,本研究モデルについて流れ場の基礎方程式および境界条件を示し,さらに離散化の手法を述べている.続いて,水温場および塩分場の3次元モデルを示した上で,渦動粘性,拡散係数の推定法,スーパーコンピューターのためのチューニング法を述べている.その上で,単純な条件下において数値モデルの検証を行い,その妥当性を確認している.

 第5章においては数値モデルを青潮が発生した1994年の東京湾に適用し,青潮発生域が観測結果と一致することを確認した上で,内部の流動などの特性を議論している.特に,1994年8月の青潮が急速に成長・衰退したのに対し,9月のものは緩やかな湧昇が長く継続したために,継続時間が長かったことなどが明らかになった.

 第6章においては,以上の研究成果をまとめ,結論を述べている.

 以上のごとく,本論文は東京湾における青潮の発生機構について現地観測および数値シミュレーションを通じて明らかにしたものであり,この成果は貴重なものである.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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