現在まで物理学は、新しい実験手法の出現によって、しばしばその発展を支えられてきた。今回、現在物理学で特に大きな問題となっている、ニュートリノの質量や、超対称性理論、宇宙暗黒物質の問題といった複数の分野に跨った問題の解決に利用することを目的として極低温を利用した新型の放射線検出器を開発した。 この論文では、検出器の基本的性能と長期安定性についての詳細な結果を示し、この検出器が十分実用になるものであることを示し、さらにこれを用いて行なった二重陽電子放出の一過程である106Cdの+/EC崩壊の半減期の測定とその結果について述べる。 開発に成功した極低温熱量計型粒子検出器は、その原理上、一般にボロメーターと呼ばれる。この新しいボロメーターは、放射線の吸収体結晶とセンサーであるサーミスターから構成され、放射線が吸収体に入射した際与えるエネルギーを、吸収体の温度上昇としてとらえ、それを高感度のサーミスターで検出する。温度変化を大きくするために、吸収体の熱容量を出来るだけ小さくしてやるためにボロメーターを希釈冷凍機を用いて数十mKの極低温で動作させている。これにより、吸収体の熱容量はデバイの法則に従い、温度の3乗で小さくなり、わずかのエネルギーの入射によっても温度が比較的大きく変化する。この新型の検出器の特徴は、検出するエネルギーの最小単位がフォノンであることである。電離を利用している一般の放射線検出器の電子-ホール対の素励起に比べて、熱励起されるフォノンのエネルギーは非常に小さい。これは検出器のエネルギー分解能の向上につながる。また、今までの検出器が不得手としていた、中性の粒子と原子核の相互作用を効率良く検出することが出来る。 この新型の検出器は、ニュートリノの質量を高感度に検証する二重ベーター崩壊の実験や、宇宙暗黒物質の有力候補であるニュートラリーノを直接検出する実験に最適の検出器と考えている。今回、CdTeを吸収体としたボロメーターを製作し、ボロメーターの最初の応用として二重陽電子放出の現象を検証した。この現象は、二重ベーター崩壊と同様にニュートリノのマヨラナ性や、質量あるいは右巻きのカレントを高感度に検証する。 ボロメーターの開発においては、高感度のサーミスターを製作する所から開始した。ゲルマニウムは、適当な量の不純物をドープすることにより、極低温でvariable-range hopping conductionと呼ばれる、温度に非常に敏感な伝導を示す様になる。これを利用して高感度のサーミスターを製作した。ただしこの伝導は、非常にドーピング濃度に敏感なので、高純度のゲルマニウムに中性子を照射し、その原子核転換を利用して濃度を調整しつつ、試料全体に一様なドーピングを行なった。 この製作したサーミスターに、CdTe単結晶の吸収体を接着し、ボロメーターを製作した。製作したボロメーターを、0.6MeV-1.7MeVの各種較正用線源を用い検出器としての性能を検査した。図1,2に検出器の較正例として60Coのエネルギースペクトルと、ボロメーターの出力の波高と入射エネルギーの関係を示す。60Coから放出される1.1,1.3MeVの線に対応する2つの光電吸収ピークと、それぞれのコンプトン端がはっきりと見られる。これらのピークよりエネルギー分解能24keV(FWHM)を確認した。また、入射エネルギーに対する応答に対しても、バイアス電流によらず、非常に良い線形性を持つことを確認することが出来た。また図2に示すように、ボロメーターは、粒子の様な重粒子に対しても線と同様の応答を示すことを確認した。これは既存の検出器と根本的に異なる性質であり熱量計型検出器の大きな特徴を示している。 検出器の安定性を確認するために、長期間の連続運転を行なった。図3に較正用線源を用いて確認した検出器の安定性を示す。その際、自作した低バックグラウンド希釈冷凍機の動作も試験し、検出器の熱浴になっている混合器部分の温度が±1mKで安定に動作することを確認した。さらに、ボロメーター自体と、希釈冷凍機の熱浴との熱的な結合は弱いため、検出器は熱浴の温度変化に依存せず、長期間の運転に対し非常に安定に動作することも確認した。 一連の検出器の試験の後、CdTeボロメーターを用いて106Cdの二重陽電子放出の探索を行なった。ニュートリノがマヨラナ粒子であり、有限の質量を持っているか、あるいは弱い相互作用に右巻きのカレントが混入しいてる場合、ニュートリノを放出しない二重陽電子放出が起こることが予想される。この場合、放出される電子のエネルギーが単色になるために、エネルギースペクトル上ピークを形成し、明らかな特徴を生じる。現在の所、ニュートリノの放出の有無に関わらず、いかなるモードの二重陽電子放出も実験的に観測されてはいない。予想される二重陽電子放出を起こす確率は、崩壊のQ-valueに依存している。従って、Q-valueの大きな106Cdがこの現象を検証するのに最適な原子核であると考えている。また、陽電子を2つ放出するモード(++)より、陽電子崩壊と電子捕獲を同時に起こす現象(+/EC)の方が、予想される崩壊率が大きいので、探索に適している。さらに、理論的には、二重陽電子放出は二重ベーター崩壊と比較して、ニュートリノ質量よりも右巻きのカレントの混入に対し、より高感度であると考えられている。 しかしながら、今までは、二重陽電子放出を起こす可能性のある原子核を含んだ良い検出器が存在しないことから、陽電子が試料中に放出された後、対消滅を起こすことにより発生する511keVの線だけを頼りに二重陽電子放出を検証していた。しかし、この方法の最大の欠点は、最初に放出される陽電子のエネルギーがわからないため、二重陽電子放出が生じたとしても、それが0モードなのか、2モードなのか解らないことである。さらに511keVの線は、自然界のバックグラウンド中に非常に高い割合で存在するために、探索できる半減期に限界があることである。 今回106Cdを含んだ高感度な検出器として、0.5グラムのCdTe単結晶を吸収体としたボロメーターを製作した。これにより放出される陽電子を直接検証することが出来るようになり、今回実際に106Cdの0+/ECモードを初めて直接探索した。 測定は1995年9月3日から1996年3月1日の間に行なった。この間、数回の停電や断水のため実験は3回に分けて行なった。また検出器の安定性を確認するために、二重陽電子放出の測定と検出器の較正を交互に行なった。それ以外に希釈冷凍機のベース温度をモニターすることによっても、検出器の安定性を確かめている。二重陽電子放出の測定時間は3回の実験を合わせて1440時間である。得られたエネルギースペクトルの例として、3回目の実験のスペクトルを図4に示す。もし、ニュートリノがマヨラナ粒子であり有限の質量を持つ証拠である0+/EC崩壊が生じていると、図中の矢印の所にピークが生じる。しかしながら最小自乗法による解析により0+/EC崩壊は、0eventと無矛盾であり、今回の実験から崩壊の上限値を得た。これより、106Cdの0+/EC崩壊の半減期の下限値として1.4×1016年(95%CL)を得た。この結果は最初のボロメーターを用いた、106Cdの0+/EC崩壊の直接探索として重要である。ただし、今回の実験は地上で行なわれたため、宇宙線のバックグラウンドの彰響を受け、得られた半減期の下限値は、511keVの線による間接実験に比べて1桁程度制限が緩いものになっている。しかしながら、これは検出器を地下実験室に移設することにより簡単に解決することが出来る。それよりも注目したいのは、この様な高感度の新しい検出器の開発に成功することにより、陽電子のエネルギーを直接検証するといった、今までにない二重陽電子放出の実検を可能にした点である。これにより将来、検出器の大型化や、マルチモジュール化、そして今回の論文中で新しく提案した、陽電子が放出された時作られる511keVの線との同時計測を行なう方法等を導入することにより、二重陽電子放出の半減期の探索を大幅に改良出来るようになる。また、ボロメーターは吸収体を変更することにより、簡単に他の原子核についても検証することが可能である。出来るだけ多くの原子核について二重陽電子放出を検証することは、原子核のモデルによる結果の不定性を取り除く上で重要である。 今回の結果は、新しい検出器ボロメーターを使用した二重陽電子放出の新しい探索方法に道を開いた物であり、ボロメーターの素粒子・原子核実験への応用可能性を実証したものである。 図1:開発に成功したCdTeボロメーターで測定した60Coのエネルギースペクトル。図2:CdTeボロメーターの出力と入射エネルギーの関係。図3:長期運転に対するボロメーターの安定性。図4:106Cdの二重陽電子放出の探索。二重陽電子放出が起こっていると、エネルギースペクトル中、矢印の所にピークが生じる。 |