学位論文要旨



No 112267
著者(漢字) 入野,智久
著者(英字) Irino,Tomohisa
著者(カナ) イリノ,トモヒサ
標題(和) 過去20万年間における日本海ODP797地点堆積物への黄砂(風成塵)寄与率の定量およびそのフラックス変動の復元
標題(洋) Quantification of Kosa (aeolian dust)contribution to the sediments and reconstruction of its flux variation at ODP site 797,the Japan sea during the last 200 ky
報告番号 112267
報告番号 甲12267
学位授与日 1996.11.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3127号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 多田,隆治
 東京大学 教授 歌田,実
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 助教授 中嶋,悟
内容要旨 1.はじめに

 風成塵(黄砂)のフラックスや粒度は、各々供給源の気候(特に乾燥度)や偏西風帯の強度を反映すると考えられている。また、大気を経由して陸から海への物質輸送は海洋の生物地化学サイクルに大きな影響を与え得る。過去の風成塵(黄砂)に関しては、従来、遠洋性堆積物中の砕屑物が全て黄砂であるという前提に基づいて、そのフラックスや粒度変動が研究されてきたが、Olivarez et al.(1991)は、遠洋性堆積物中にも黄砂以外の起源を持つ砕屑物の寄与が無視できないことを指摘した。一方、Porter and An(1995)は、中国内陸部黄土高原の風成土壌中に含まれる石英の粒度が千年オーダーで変動することを示し、北半球の気候が千年オーダーで大きく変動した可能性を指摘した。更に、Tada et al.(1995)は、日本海堆積物に見られる明暗縞が、この千年オーダーの気候変動に対応した海洋変動を記録している可能性を指摘した。

 したがって、このような千年オーダーの気候変動記録と海洋変動記録を直接結びつけて解析を行うには、海洋底堆積物に含まれる黄砂およびそれ以外の起源を持つ砕屑物の堆積物への寄与率を正確に推定し、それらの粒度およびフラックスの時間変動を高精度で復元することが必要である。

 そこで本研究では、比較的堆積速度の高い日本海のODP797地点半遠洋性堆積物を用いて、堆積物中に含まれる黄砂の寄与率を正しく見積もる統計的手法を確立し、その時間変動を復元することを目的とし研究を行った。日本海は黄砂供給源であるアジア内陸乾燥地域の風下に位置し、供給源からの距離も約2000kmしか離れていないために、黄砂フラックスが大きく、粒度組成の変化も顕著であることが期待される。また797地点の堆積物は現在までに確立した高精度層序により、比較的堆積速度が速く、コアの欠落や擾乱もほとんどないことが分かっているので、黄砂、島弧起源砕宵物をはじめとする構成物の寄分率の変動が、従来の研究よりも高い時間精度(数千年オーダー)で復元できる。さらに、ほぼ連続したGRAPE densityデータを利用して、フラックスの算出が可能である。

2.試料と分析・解析手法

 本研究では、797地点から約1000年間隔で採取された過去20万年分の堆積物試料を用いている。これらの試料に対し、XRFによる主要元素組成の定量、アルカリ溶解法による生物源シリカ量(bioSiO2)の定量、炭酸塩炭素量の定量、XRDによる砕屑性鉱物の定量分析を行った。また、10試料を選んで、砂・シルト・粘土の各粒度フラクションに粒度分画を行い、シルト・粘土フラクションについては各々鉱物・化学組成および生物源シリカ量を求め、粒径の違いによる鉱物化学組成の特徴を検討した。更に、試料に含まれる砕屑物端成分(例えば黄砂)を分別・定量するために、主要元素組成値を用いたQモード因子分析を行った。また、抽出された因子の鉱物組成の特徴を評価するために、鉱物組成値と試料中の各因子(端成分)の含有量との間の重回帰分析を行った。

3.統計解析とその結果

 全ての試料について全ての元素組成値を用いた因子分析:まず最初に、SiO2,TiO2,Al2O3,Fe2O3,MnO,MgO,CaO,Na2O,K2O,P2O5及びLOI(灼熱減量)の全ての元素組成値について、全224試料を用いてQモード因子分析を行った。その結果得られた各主成分解と、それらにより説明される分散から、これらの堆積物の元素組成値の全分散は5つの因子により98.8%まで説明されることが分かった。そこで、5因子抽出の条件下で再び因子分析・バリマックス回転を行い、抽出された因子を因子A〜Eと名付けた。また、バリマックス解に基づく各試料における各因子の因子負荷量とXRDで得られた鉱物組成値の間で重回帰分析を行った。その結果、得られた各因子の鉱物化学組成の特徴から、因子Aは砕屑物、因子Bは生物源及び砕屑性石灰質物質、因子Cは生物源シリカおよび火山性砕屑物あるいは非晶質砕屑物、因子Dはpyriteなど還元環境続成生成物、因子Eは結晶度の低いMn炭酸塩または堆積物表層付近のMn酸化水酸化物を表すと解釈された。

 砕屑物起源元素を用いた因子分析による砕屑物端成分化学組成の推定:前述のように、全ての試料について全ての元素組成値を用いて行なった因子分析では、砕屑物を明確に表す因子は1つ(因子A)しか抽出出来ず、砕屑物の一部は他の相関の強い成分を表す因子に含まれてしまう(因子B、C)。従って、この方法では砕屑物自体の組成差を識別して端成分の一つとして含まれるであろう黄砂の組成を推定し、その寄与率を求めることはできない。

 そこで、生物源物質や続成生成物に強く関わると考えられる元素Fe2O3,MnO,CaO,P2O5を除き、砕屑物を表すと考えられる因子Aおよび砕屑物を含むと考えられる因子Cに対してのみ大きく寄与する元素TiO2,Al2O3,MgO,Na2O,K2Oを砕屑物に関わる元素として選んだ。また、ここで用いる全試料についてbioSiO2が独立に求められているため、全岩のSiO2値からbioSiO2値を差し引くことによって、砕屑物に含まれるSiO2(detSiO2)の含有量を求めた。detSiO2を含めた6元素の組成値を用いて、再度Qモード因子分析を行った。これら6元素の含有量の合計によって、堆積物に含まれる砕屑物のおよそ9割を説明することができる。

 因子分析を再度行うに先立ち、detSiO2,TiO2,Al2O3,MgO,Na2O,K2Oの6元素組成値を合計して100%になるように規格化した。これによって、選んだ6元素以外の元素組成値の増減によって生み出される見かけの相関関係を排除することができる。また、因子分析の結果を、100%に規格化された因子の寄与率(端成分含有率)および各因子の元素組成値に計算し直すことができる。また、因子分析は抽出しようとする端成分の元素組成が一定であるという仮定に基づいているので、検鏡結果に基づき顕著に火山ガラスを含むと認定された10試料および苦灰石の寄与によってMgOに富んだ1試料を除外した。残りの213試料について6元素組成値を規格化したのちQモード因子分析を行って主成分解を求めた結果、4つの因子で全分散の98.7%を説明できることが分かった。そこで4因子を抽出することにし、再び因子分析、およびバリマックス回転を行った。

 得られたバリマックス解が表わす元素組成は、因子4の組成値が負となるものであった。ここでは、因子分析を通して砕屑物端成分の元素組成と寄与率を求めることを目的としているので、端成分の元素組成や含有率が負であることは受け入れられない。そこで、Leinen and Pisias(1984)が行ったように、全試料組成平均値とバリマックス解とをふくむ平面内で因子の斜交回転を行い、端成分の元素組成と含有率が負にならない因子の元素組成範囲を求めた。

 砕屑性因子の鉱物組成:抽出された砕屑物端成分の鉱物組成を検討するために、鉱物組成値に対する各因子の寄与率の重回帰分析を行った。各因子に対する各鉱物の重回帰係数が各因子の鉱物組成を表すならば、その値は0または正である必要がある。因子分析の際の斜交回転範囲がこの制約も満たすべきであるとすると、砕屑物端成分の元素組成および鉱物組成は更に限定できる。解析の結果、各因子の鉱物組成を正にできる解は非常に狭い組成範囲しか取り得ないことが明らかとなった。また各因子の鉱物組成の特徴として、因子1、4は石英、長石、角閃石などに富み、因子2、3は、"非晶質砕屑物"に富む。また、因子3、4は、比較的粘土鉱物が少なく、因子1、2は、比較的粘土鉱物に富むことが明らかになった。

 各因子の粒度組成:粒度分画した10試料について、それらのシルト・粘土フラクションの化学組成値から、上で抽出された砕屑物端成分の各粒度フラクションにおける含有量を計算することができる。その結果を用いて、逆に各砕屑物端成分のシルト/粘土比を求めることができる。その比を求めた結果、因子1・2は粘土質、因子3・4はシルト質であることが明らかになった。

4.各因子の鉱物化学組成からみた砕屑物端成分の起源

 因子1〜4に対して推定された元素組成を、文献値に基づいた中央アジアの黄土や日本に飛来した黄砂における元素組成、および日本への風成堆積が始まる以前と考えられる後期中新世〜鮮新世の島弧側陸棚泥質堆積物や代表的第四紀テフラの元素組成と比較した。この結果、黄砂や浮遊塵のデータの示す元素組成が、因子1と因子4の足しあわせによってほぼ説明できることが明らかになった。これに因子1、4の粒度および鉱物学的特徴を考え合わせると、因子1、4は、それぞれ黄砂の細粒成分、粗粒成分と考えられる。一方、島弧起源泥質堆積物および島弧起源テフラのなす元素組成範囲は、因子2と因子3の足しあわせで説明される組成範囲とほぼ重なっており、因子2、3は島弧起源であると考えられる。これに、因子2、3の粒度および鉱物学的特徴を考えると、因子2、3は、それぞれ島弧起源砕屑物の細粒成分、粗粒成分と考えられる。

 以上の結果をもとに、因子分析によって抽出された砕屑物端成分の砕屑物中の寄与率を用いて、因子1+因子4を黄砂フラクション、因子4/(因子1+因子4)を黄砂の粒径インデックス(KGI)、因子3/(因子2十因子3)を島弧起源砕屑物の粒径インデックス(AGI)と定義した。

5.黄砂フラクション・KGI・AGIの過去20万年間の変動

 797地点において復元された黄砂フラクションは氷期に高く、間氷期に低い。また、千年オーダーで振幅の大きい変動を示す。一方、KGIは氷期-間氷期サイクルとはやや異なった万年オーダーの変動を示し、中国の黄土高原でレスが発達したときに粗く、土壌が形成されたときに細かい傾向がある。また、KGIも千年オーダーの振幅の大きい変動を示す。AGIは、氷期に粗く、間氷期に細かい傾向がある。これも又、千年オーダーの変動を示すがその振幅は小さい。黄砂フラクションの千年オーダーの極小値は、KGIの極小値と同位相か、あるいはKGIの極小値が約2千年遅れて現れる。一方、黄砂フラクションの極小値の位置は必ずAGIの極大値と一致する。

 粗粒島弧起源砕屑物の変動の振幅が、黄砂フラクションの変動の振幅と相補的であり、かつ粗粒島弧起源砕屑物の変動の極大に必ずAGIの極大を伴うことから、この様な千年オーダーの黄砂フラクションの変動は粗粒島弧起源砕屑物フラックスの変動に起因する可能性がある。KGIの変動は、中国内陸部の乾燥域の拡大縮小による黄砂供給源の東縁からの距離の変化か、あるいは偏西風強度の変動によって制御されていると考えられる。一方、AGIの変動は、日本海の密度成層が強化されることによる密度躍層に沿った砕屑物の懸濁態側方輸送の強化、あるいは日本列島での降水量変化による河川流出砕屑物量の変動によって説明できる。

6.過去20万年間の黄砂フラックスの変動

 先に求められた、黄砂フラクションに、各試料における堆積速度、乾燥かさ比重、砕屑物含有量をかけることにより黄砂フラックスを計算することができる。

 計算された黄砂フラックスは、完新世には約0.8g/cm2/kyで、現世の実測値(鈴木・角皆,1987)と一致する。このことは、本研究におけるフラックス推定の妥当性を示す。また、氷期最寒期に2.5から3g/cm2/kyで、それ以外の時代の0.8から1.7g/cm2/kyという値の2から3倍である。このことは、氷期最寒期に黄砂供給源の面積が拡大したことを示唆する。また、同様に計算された島弧起源砕屑物フラックスは、氷期最寒期に2から2.3g/cm2/kyと高く、最終間氷期では1.7g/cm2/kyと中位で、それ以外の時期には0.9から1.1g/cm2/kyと低い。氷期最寒期に島弧起源砕屑物フラックスが高いのは、おそらく日本海の密度成層が強化されることによって、密度躍層に沿った砕屑物の懸濁態輸送が強化されたことによるものであろう。一方、間氷期に島弧起源砕屑物フラックスが比較的高いのは、日本列島での降水量増加による河川流出砕屑物量の増加を反映すると考えられる。

審査要旨

 本論文は16章から構成されている.序章では,遠洋堆積物中に含まれる風成塵の粒度や堆積速度が持つ古気候学的意味について簡単な解説がなされ,従来の研究,特に堆積物中の風成塵含有量推定のために広く用いられていた手法の問題点が指摘されている.第2〜4章では,試料採取地点の海洋学的・気候学的位置付け,試料堆積物の特徴,年代について簡単に解説されている.第5章では,試料の主要元素・鉱物組成,生物源オパールなどの定量分析法に関する記述がなされてる.これら分析法自体は既に確立した手法であるが,論文提出者は,分析機器の立ち上げや精度向上のための工夫にかなりの労力を費やしており,その詳細がAppendixに記述されている.第6,7章では,堆積物試料の乾燥かさ比重および砕屑物含有量の推定法について簡単に解説されている.第8,9,10章では,砕屑物の主要元素組成からそれを構成する複数の端成分の組成および含有量を統計的に推定するためのQモード因子分析・Varimax回転・因子軸の斜交回転の手法,抽出された因子(=端成分)の鉱物組成を推定するための重回帰分析法,抽出された因子のシルト/粘土比(=粒度指標)を推定するための手法に関する解説が各々なされている.第11章では,鉱物・元素組成,生物源オパールなどの分析結果が示され,第12章では,それら分析値に基づいた因子抽出,端成分の元素・鉱物・粒度組成の推定結果が詳しく記述されている.ここで論文提出者は,因子分析を2回繰り返す方法を提案している.即ち,第1回目の因子分析で砕屑物のみに強く寄与する元素Al,Ti,Mg,K,Naおよび砕屑性Siの選び出しを行ない,次に選び出された砕屑性の6元素を用いて2回目の因子分析を行なって4つの因子(砕屑物端成分)を抽出し,因子に対して各鉱物含有量を重回帰する事により各因子の鉱物組成を推定する.そして,重心とVarimax解を含む平面内で因子軸の斜交回転を行ない,推定された各因子の元素・鉱物組成,各試料における各因子の含有率が全て0または正という条件を満たす解の範囲を求めている.第13章においては,この様に推定された各因子の元素・鉱物・粒度組成を考え得る供給源物質の組成と比較する事により,各因子の起源の推定を行なっている.その結果,4つの因子は各々,粗粒黄砂,細粒黄砂,粗粒島弧起源砕屑物,細粒島弧起源砕屑物に対応することが推定され,古気候指標として,全砕屑物中の黄砂起源粒子含有率,全黄砂粒子中の粗粒黄砂粒子含有率(KGI),全島弧起源砕屑物中の粗粒島弧起源粒子含有率(AGI)を定義している.第14章では,これら古気候指標の過去20万年間の変動の復元を行ない,黄砂起源粒子含有率,KGIが氷期に高く,間氷期に低い傾向を持つ事,氷期-間氷期に対応した変化に加えて,数千年スケールの短い周期で大きな振幅の変動が存在する事,それらが近年グリーンランドなどで見出された突然かつ急激な気候変動と対応している事などを明らかにしている.更に第15章では,日本海への黄砂の堆積速度とその時代変化を計算し,現在の黄砂堆積速度がおよそ1g/cm2/kyである事,この値が最終氷期にはおよそ3倍あった事,この様な高い値は氷期全般に見られる訳でなく,極相期に限られる事などが明らかにされている.第16章では,論文全体のまとめが簡潔に記述されている.

 本論文は,堆積物の主要元素組成のうち,砕屑物に主に由来する元素を選び出し,それらのみを用いて因子分析・因子軸の斜交回転を行なう事により,1)現実的な砕屑物端成分組成を統計的に推定する事に成功した点,2)試料の因子負荷と鉱物・粒度組成の間で重回帰分析を行なう事により各因子の鉱物組成を,更には各因子の粒度組成を定量的に推定した点で独創的である.この手法は,単に日本海堆積物に留まらず,広く砕屑物一般の供給源及び複数の供給源の寄与を定量的に推定するに有効と考えられる.更に,3)こうして得られた結果を想定され得る端成分の元素・鉱物・粒度的特徴と比較する事により,各因子の起源を推定し,砕屑物中の黄砂含有量および黄砂の粒度指標を求め,それらの時代変化を過去20万年に渡り詳細に復元した点も独創的である.この結果は,最近問題になっている突然かつ急激な気候変動に応答して,アジア内陸部や日本海の気候・海洋環境がどの様に変動したかに関する具体的な知見を与えるものであり,古気候学的にもその意義は大きい.

 なお,本論文の後半部分(主として第14,15章)は,多田隆治との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行なったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54547