学位論文要旨



No 112274
著者(漢字) ジッタイ,ニクン
著者(英字) JITTHAI,NIGOON
著者(カナ) ジッタイ,ニクン
標題(和) 性風俗産業に従事する来日タイ人女性のHIV/AIDSに関する知識、予防行動および客との関わりに関する研究
標題(洋)
報告番号 112274
報告番号 甲12274
学位授与日 1996.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1134号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 丸井,英二
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
内容要旨 諸言

 厚生省エイズサーベイランス委員会の報告によれば、1995年12月の時点で、日本における異性間性的接触によるHIV感染者・エイズ患者数は1,079人に達した。そのうち最も感染報告数の多い集団は日本人男性及び性風俗産業に従事する来日タイ人女性(以下TFCSW)(全体の約4割ずつ)である。これはタイ国内での感染者の増加、特にCSWの間の爆発的なHIV感染拡大の影響であると言われており、最近では日本においてもTFCSWに対する疫学調査がしばしば行われている。しかし、この集団と客との間の感染媒介に対する予防対策に必要となる具体的な情報、すなわちHIV感染に対する予防行動や客との関わりおよびその環境などについての詳細な把握は現在に至るまで行われていない。本研究では、TFCSWの生活および仕事に関するこうした具体的な情報を把握し、それに基づいてこの集団と日本人男性客のためのHIV感染予防対策を検討することを主な目的とした。

対象と方法

 本研究の対象者は日本のHIV感染者およびエイズ患者の約3分の2が報告された地域である東京都内および関東・甲信地方においてスナックやバーのホステス、街娼などとして売春を行っているTFCSWである。調査の方法はsemi-sturcturedinterviewという面接方法および調査票による調査であり、対象者の抽出は主にsnowball samplingというnon-random方法によって行われた。本調査は1993年11月から1994年3月にかけて行われた。

結果

 最終的に87名の回答者が得られ、分析の結果は以下の通りである。

1)属性および来日前の生活について

 対象者の70%が20歳代に集中しており、平均年齢は25.5歳(17-38歳)であった。半数以上は小学校程度(未終了者も含む)の学歴を持ち、来日直前の職業は多くの場合店員、家政婦、作業員などを含む広義の労働者または使用人であった。来日したときまでに、性風俗産業に従事したことがある者は全体の26%であった。

2)来日後の生活背景

 対象者全員は短期在留資格(90日間の観光ビザ)によって来日し、調査した時点の平均滞日期間は2年前後であり、ほぼ全員が不法滞在者となっていた。およそ7割の者が日本語を少ししか理解できないと答えており、暇なときに家でくつろぐことが多いと答えた者は半数であった。

3)HIV/AIDSに関する知識および情報源

 8-9割以上の者が、HIV感染経路や予防法などの仕事に直接関係のある知識をもっており、仕事に直接関係ない項目に関する知識は比較的低かった。彼女達のHIV/AIDSに関する主な情報源は、来日前のタイのマスコミやポスター、パンフレット、学校などであったが、来日後の主な情報源はテレビおよび同僚であった。

4)HIV抗体の血液検査について

 全体の74%がこの1年間定期的に受検しているが、そのうち少なくとも3カ月に1回受検している者は78%(全体の58%)であった。定期的に検査を受けていない者の理由は「経営者が連れて行ってくれないから、検査する場所が分からない」ということや「検査費用がない」、「来日して日が浅い」、「自分が健康なので受ける必要がない」ということなどであった。

5)売春行動の実態および客との関わりについて

 一週間あたりの平均客数は約6人(0-70人)であり、仕事のとき必ずコンドームを使用する者は32%であった。また、60%の者は客がコンドームを使用するように「毎回あるいはほとんど毎回」頼んでおり、コンドーム使用を依頼する主な動機は「エイズヘの恐怖感」であった。それに対し、84%の客がコンドーム使用の依頼に応じてくれたが、その内訳をみると「しぶしぶ応じる」という客が半数以上であり、実際に常にコンドームを使用できる者はいつも客にコンドーム使用を依頼している者であった。また、コンドーム使用を依頼しない理由や依頼しても客が応じてくれない理由として彼女達が認識しているのは、多くの場合、客がコンドーム使用を好まないことであった。

考察

 今回の調査の対象者数は87名にとどまったが、様々な状況で働くTFCSWにアクセスすることができ、結果はおおむね先行研究で得られた知見と矛盾するものではなく、一定の信頼性を持っているものと考えられる。また、本研究の結果に基づいて、TFCSWおよび客に対するHIV感染予防対策が以下のように検討された。

1)TFCSWのためのHIV感染予防対策について(1)HIV抗体検査について

 TFCSWがより検査を受けやすくするために、非政府機関において感染予防のための系統だっだ相談を含む「匿名・無料」検査が示唆される。

(2)TFCSWへの予防教育の活動について

 コンドーム使用の依頼などに関する支援やHIV教育の内容を伝えるのに、出張相談及び街頭キャンペーン(out-reach)という方法によって、能動的な教育機会を持つことで同僚教育(peer education)の介入的な方法が一番効果的であると考えられる。

2)客および経営者へのHIV/AIDSに関する意識・予防教育の取り組み

 客および経営者のHIV/AIDSに関する意識は、対象者の感染予防行動に影響していると推定されるため、客および経営者へのHIV/AIDSに関する意識・予防教育を取り組まない限り、対象者と客との間のHIV感染予防は効果的に行うことは困難である。取り組みの方法としては「スナック協会」などを通じて、TFCSWと同様に能動的な教育機会を持ち、経営者や客に働きかけてゆくことが必要であると考えられる。

審査要旨

 本研究は、性風俗産業に従事する来日タイ人女性(TFCSW)および客となる日本人男性の間のエイズ予防対策について検討するため、TFCSWの性行動の実態および客となる日本人男性との関わりを中心に詳細に把握することを目的としたものである。対象者と同国人である著者の対象者への面接によって得た主な結果と、それに基づく考察及び結論は、次のようなものであった。

1)来日の背景;

 対象者の多くは20歳代の独身者であり、半数以上が小学校卒業までの学歴である。仕事の仲介料として、8割以上が経営者に350-400万円の借金を返済しなければならない。また、来日直前に性風俗産業に従事していた者はごく少ないが、来日時点までに従事する経験があった者は全体の約4分の1であった。この結果は、来日タイ人女性の間のHIV感染率(約3%)は、タイ国内の性産業従事者の感染率(約20%)より低いという実態の説明になりうると示唆された。

2)来日後の生活;

 対象者は約2年前後日本に滞在しており、日本語を十分に理解できず、暇なときに外出する者は3割以下である。また、約3分の2は2-22人(平均6人)のTFCSW同士で同居している。以上から、この集団に対するエイズ予防キャンペーン活動の方法は、出張相談(out-reach)や同僚教育(peer education)が、一番適していることが示唆された。

3)HIV/AIDSに関する知識及び情報源;

 8-9割以上の者が自分の職業に関連したHIV感染予防のための必要不可欠な知識は持っているが、仕事と直接関係のない知識をも持ち合わせるものはそれほど高くなかった。したがって、今後の予防教育内容には、より詳しいHIV/AIDSに関する情報を盛り込む必要があると考えられた。また、彼女達の主な情報源は来日前には、タイでのマスコミやポスター、パンフレットなどであるが、来日後の情報源は日本のテレビ及びタイ人の同僚であり、これからも日本における同僚教育は効果的な方法であることが示唆された。

4)HIV抗体検査の受検;

 74%が定期的に検査を受けており、8割弱は少なくとも3ヶ月に1回受検している。検査を受けない者の理由の多くは、経営者から受検できる場所の情報が得られないことである。この結果から、不法滞在者である多くの来日外国人が訪ねやすく、しかも系統だった相談を含む匿名・無料の検査を提供すること、および経営者にエイズに関する情報を提供することが必要であると考えられた。

5)売春行動の実態;

 1週間に相手をする客の数は平均6人程度であるが、個人差が大きく、15人以上というケースも7%ほどある。また、60%がいつも客にコンドーム使用を依頼しているが、実際に常時コンドームを使用できる者は3割強である。しかし、客にコンドーム使用を頼めば多く(84%)の客が応じてくれるが、その内訳をみると「しぶしぶ使う」という客が半数もいる。またコンドーム使用を頼まない理由や、頼んでも客が応じてくれない理由として彼女達が主に認識しているのは、客がコンドーム使用を好まないということである。より安全な性行為を行うためには、客側の協力が必要であることから、買春する日本人男性客に対しても、無防備な性行為に対する危険性及びHIV感染に対する認識を高める対策が必要であると考えられた。

 以上、本論文の意義については、審査員全員が認めており、特にニクン・ジッタイ氏が対象者に直接面接を行い、既存の研究を超えたことを評価し、学位の授与に値するものと判断した。

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