1はじめに 現在までに希ガスをトレーサーとして用いた地球進化史の研究が大いに進められ、地球大気の起源や形成史などに関して重要な情報が提供されてきた。しかし、窒素や二酸化炭素、水といった大気の主要な成分の起源や進化史についてはまだあまり理解が進んでいない。窒素や炭素、水素といった軽元素は比較的化学反応を起こしやすいため、これらの元素をうまく希ガスと組み合わせて利用することで、希ガスだけをトレーサーとして用いた時には見えなかった地球進化の新たな情報を手に入れることができるはずである。 そこで私は窒素をとりあげ、それをトレーサーとしてもちいた地球進化史の研究(「窒素地球化学」)を進めることを目的として研究をおこなってきた。具体的には、窒素地球化学の構築に必要不可欠な窒素の基礎データの取得、(1)気相-液相分配係数(窒素のシリケイトメルトへの溶解度)分析と、(2)鉄メルトーシリケイトメルト間の分配係数の推定、をおこない、さらに地球内部の窒素分布推定の一環として(3)マントル起源の海洋底玄武岩ガラス中に含まれる窒素、アルゴンの分析をおこなった。それらの応用として、(4)海底からのN2/40Arフラックス比を基にした窒素とアルゴンの大気形成モデル計算もおこなった。本文では(1)の窒素の溶解度について述べ、(2)-(4)については付録で紹介する。 表1:地球内部の窒素量とN2/36Ar比2.問題提起:現在の地球の窒素、アルゴン分布 表1に現在推定されている地球の窒素量とN2/36Ar比の主な分布を示した。核にどれだけ窒素、アルゴンが含まれているかわからない。この表で注意して欲しいのは、窒素とアルゴンの存在比(N2/36Ar)がマントル(106)と大気(104)で二桁も異なることである。なぜこのように大きな違いが生じたのか。希ガス(アルゴン)を用いた研究によると、大気は地球史初期に集中的に地球内部から放出されたと考えられている。その時に、窒素とアルゴンは大気、マグマオーシャン、核に分配されたであろう。もし窒素もアルゴンも平衡分配をされたとすれば、各相のN2/36Ar比は気相/液相分配、液相/固相分配、金属/シリケイト分配の分配係数によって決まるはずである。しかし、カギとなるべき窒素の分配データは希ガスに比べてほとんど存在せず、問題解決のためには基礎データの取得が不可欠である。 3.窒素溶解度の既存研究 気相/液相分配係数、すなわちシリケイトメルトへの窒素の溶解度に関しては、2、3の既存研究があるにすぎない。それによると、窒素の溶解度は、非常に酸化的な時と非常に還元的な時とで五桁以上も値が異なる。現在の地球マントルはやや還元的で、FMQバッファ程度であると推定されている。一方、金属鉄が共存していた地球史初期には、さらに還元的であったと考えられている。しかし、マントルの酸化還元度に相当する窒素の溶解度データはなく、還元的条件下での系統的な溶解度分析が必要とされた。 非常に酸化的な条件下で、窒素は玄武岩メルトにN2分子の形で物理的に(化学反応を起こさずに)溶解することが、同位体で窒素ガスにラベルすることで示された(付録参照)。そこで、窒素の溶解機構が還元的条件どのように変化するかについても調べることにした。 図1: 窒素の分配、循環過程の概念図4.実験方法 窒素、希ガス溶解実験は2通りの方法でおこなった。一つ目は常圧炉を使い、出発物質として真空中で加熱、脱ガスさせた玄武岩ガラスを用いた。そのガラスの薄片(約0.8mm厚)を白金網に乗せ、CO、CO2と15N15Nでラベルしたガスを流した炉の中1300-1600℃で融かし、薄いメルト層にガスを溶解させた。酸素分圧は、CO/CO2でfO2=IW-2からIW+10に制御した。「15N15Nでラベルしたガス」とは、希ガス(Ne,Ar)と普通の窒素ガスと15N15Nの混合ガスで、窒素同位体組成は平衡状態(14N14N:14N15N:15N15N=1:r:r2ここでr=15N/14N)になく、大気の組成に比べて15N15Nが約40倍多い。白金網上のメルトは1-10時間の加熱の後急冷し、ガラス状の試料を得た。 二つ目は高圧炉を使った実験で、出発物質としては、酸素分圧制御した雰囲気中(fO2〜10-1,10-6,10-11(atm))、1270℃で融解した玄武岩ガラスのほかに安山岩粉末、ディオプサイド64%-アノーサイト36%混合粉末を用意した。それぞれのガラスの粉末を別々の白金カプセル(内径2.7mm、長さ10〜15mm)に入れ、全圧500-2000bar、1300-1600℃で、圧力媒体である窒素-希ガス(Ar,Ne)混合ガスをメルトに溶解させた(酸素分圧=IW+6)。5-10時間の加熱の後メルトを急冷し、ガラス状のサンプルを得た。高圧装置として、東京工業大学の落下急冷式内熱ガス圧装置(HIP)を利用した。 試料に溶解した窒素と希ガスを段階燃焼法で抽出し、四重極型質量分析器でガス組成と同位体組成を分析した。また、常圧炉内を流れてきたガスも採集して分析し、15N15N分圧をチェックした。溶解度は、合成したガラス中のガス濃度と、メルトと平衡にあった気相中のガス分圧を用いて計算した。 5.結果 窒素、アルゴン、ネオンとも4時間半以内の加熱で溶解平衡に到達することを確認した。 酸素分圧がIW-2-IW+10、温度1300-1600℃、窒素分圧0.5-1000気圧(全圧1-2000気圧)のもとで、窒素の溶解量は窒素分圧に比例し、窒素の溶解度はヘンリーの法則に従うことが確認された(アルゴン、ネオンも同様)。また、窒素、アルゴン、ネオンとも溶解量は酸素分圧にも温度にも依存せず、ほぼ一定であることが明らかになった(図2)。さらに、窒素とアルゴンのメルト中の存在比は、メルトの組成が変化して溶解量が大きく変動しても、ほぼ一定であることがわかった。 常圧で合成した試料から抽出される窒素の同位体組成は、酸素分圧が低いものほど同位体交換が起きて平衡化された同位体組成を示した。 得られた溶解度(ヘンリー定数)は窒素:(0.5-2)×10-9mol/g/atm((0.02-0.06)ppm/atm)、アルゴン:(2-3)×10-9mol/g/atm、ネオン:(7-10)×10-9mol/g/atmであった。溶解度はガスの分子半径が大きいほど(窒素〜アルゴン>ネオン)小さくなるという、希ガスで観察されるものと同じ傾向を示した。 6.考察 窒素溶解量の窒素分圧、酸素分圧、温度に対する依存性の結果はすべてN2分子溶解を支持している。もし、化学的に(例えば窒化して)溶解していたとすると、窒素溶解量は窒素の分圧の平方根、かつ酸素分圧の3/4乗に比例し、温度の上昇とともに減少すると報告されているからである。メルト組成によらず、窒素とアルゴンの溶解量比が一定であることも、窒素とアルゴンのメルト中での捕獲場所が同じであることを支持している。酸素分圧がIW-2-IW+10の範囲において、窒素は玄武岩メルトに物理的に、N2分子の形で溶解していると推定された。 窒素分子間の同位体交換はメルト表面で起きたと考えると、同位体組成の結果をうまく説明ができる。還元的条件下で窒素はメルト表面にN原子として解離吸着するが、メルトに溶解する時にはN2分子に戻ると考えられる。 図2: 窒素の玄武岩メルトへの溶解度の酸素分圧依存性(a)と温度依存性(b)。fO2=IW-2-IW+10、T=1300-1600℃の範囲で、ほとんど一定である。●、○:本実験、×:Fogel(1994)、◇:Marty et al.(1995)。7.N2/36Ar比が分別した原因 実験で得られた窒素とアルゴンの溶解度がfO2>IWでほとんど等しいため、それらの平衡分配で得られるN2/36Ar比は大気とマグマオーシャンで等しくなる。現在観測されている大気(104)とマントル(>106)のN2/36Ar比の二桁もの違いを窒素とアルゴンの平衡分配で説明することはできない。 N2/36Ar比を変えた原因としていくつか候補が挙げられるが、もっとも有力な候補は「不完全核形成」モデルであると考えている。非常に親鉄性の高い元素(Pt,Os,Re...)のマントル中の存在度から、金属鉄も約0.5-1wt%が核形成後のマントルに残っており、やがて酸化されてシリケイトのマントルと混ざり合ったと推定される。マグマオーシャンと平衡にあるこの金属鉄に窒素は約500ppm溶解しうるが、希ガスはほとんど溶解しない(Matsuda et al.,1993)。そのため、「不完全核形成」により窒素とアルゴンの分別が効率良くおこなわれる。さらに、この0.5-1wt%の金属鉄に溶解した500ppmの窒素がマントルに供給されることで、マントル中の推定窒素量(〜1ppm)をうまく説明できる。これも「不完全核形成」を支持していると考えられる。 8.結論 (1)15N15Nでラベルしたガスを実験に使用することで、非常に精度のよい窒素溶解度のデータを得ることができた。 (2)酸素分圧、fO2=IW-2-IW+10、温度T=1300-1600℃の範囲で窒素の溶解度はほぼ一定であること、メルトの組成が変化しても窒素の溶解度はアルゴンの溶解度とほぼ等しいことがわかった。さらに、窒素はN22分子としてシリケイトメルトに溶解することを示した。 (3)この結果から、N2/36Ar比の大気(104)とマントル(>106)の違いを窒素とアルゴンの平衡分配で説明することはできない。N2/36Ar比を変化させうるいろいろな候補の内、「不完全な核形成」モデルがもっとも有力であると考えられる。 |