学位論文要旨



No 112276
著者(漢字) 楊,維興
著者(英字)
著者(カナ) ヤン,ウイシン
標題(和) ポリオウイルス受容体発現トランスジェニックマウスを用いたポリオウイルスの血液脳関門透過及び組織分布に関する速度論的解析
標題(洋)
報告番号 112276
報告番号 甲12276
学位授与日 1997.01.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第774号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 【はじめに】

 ウイルス感染の特徴として、種特異性と臓器特異性を挙げられる。ウイルスが体内に入って発病に至るまでには、多くの体内動態の支配要因が影響することが考えられ、特に、中枢神経系は、血液脳関門によって循環血液中の種々の基質の移行性が厳密に制御されて、ウイルスの透過性は制限されていることが予想される。ウイルスの感染から発病に至る過程を明らかにするには、これらの体内動態の変動要因を明らかにする必要がある。しかし、薬物速度論の手法を用いてウイルスの体内動態が解明された報告はこれまで見られていない。

 ポリオウイルス(PV)は霊長類に特異的に中枢運動神経の障害を起こすことが古くから知られている。これまでウイルスの種特異性及び体内伝播経路について分子生物学的研究手法を用いた研究行われていたが、しかし、体内伝播経路について詳細な研究は殆どなされていない。ポリオワクチンSabin-1株は極めて安全性が高く、中枢系での増殖性はMahoney株に比べ、非常に低いことが知られている。しかしながら、組織分布性やBBB透過性に関する現象の詳細は現在のところ明らかではなかった。Sabin-1株とMahoney株は構造蛋白であるcapsid蛋白のみならずRNA複製用蛋白質領域の遺伝子配列も異なっており、これらの要因がPVの体内動態に影響を及ぼすことが考えられる。PVの特異的感染機構を知る上で、両株の循環血液中、末梢組織中及び中枢組織中における安定性、分布性、さらに血液脳関門透過性を比較解析することは重要である。そこて、本論文はPVの組織分布におけるポリオウイルス受容体(PVR)の役割、PVの血液脳関門透過性に関するPVR及びウイルスcapsid蛋白が果たす役割、さらにPVの中枢増殖性及び安定性に於けるワクチン株と強毒株間の中枢毒性の違いの支配要因を明らかにすることを目的として、研究を行った結果をまとめた。

【実験方法と結果】

 実験材料として、PVR遺伝子導入トランスジェニックマウス(Tg21)及び対照群としてICRマウスを用いた。PVはMahoney(MMM)、Sabin-1(SSS)、及び組み換えウイルスとしてSSS型のcapsid geneとMMMのnon-capsid geneを持つ株(MSM)、MMM型のcapsid geneとSSS型のnon-capsid geneを持つ株(SMS)を用いた(Fig.1)。

Fig.1 Genome structures of recombinant type 1 polioviruses. The genome structures of the recombinant viruses were shown as a combination of the Mahoney (shadowed boxes)and the Sabin 1(open boxes)sequences.VPg at the 5’end and poly A at the 3’end are indicated by closed circles and wavy lines.Numbers shown above the Mahoney genome represent nucleotlde numbers from the 5’terminus.1.PVの組織分布性

 MMMの末梢組織での見かけの増殖性を検討した。Kp,appを静脈接種後からの時間に対してプロットし、殆ど末梢組織に増殖が見られていないことに対して、筋肉はわずかに増加傾向が見られた。一方、CNS中のウイルス濃度の経時変化は末梢組織と対照的に72時間後ではMMMはCNS各部位において高いKp,appとなることが示された(Fig.2)。

 MSMはMMMに近い濃度変化を示した。MSMはnon-capsid geneがMMMと同一のリコンビナントであることから、中枢での増殖性はnon-capsid geneが重要な影響を与えることを示唆している。同時に、Sabin-1株のcapsidを持つウイルスもMahoney株同様に血液脳関門を透過することを示している。このように、PVは血液から中枢組織へ移行していることが明らかとなった。

Fig.2 Time courses of Kp,app values of poliovirus titers in CNS of Tg mice after intravenous inoculation; panel A: cerebrum; panel B:cerebellum; panel C: brain stem; panel D: spinal cord. The symbols represent the mean ± S.E. of four experiments.Key:(●)MMM;(○)SSS;(△)MSM

 Capsid蛋白を[35S]-メチオニン標識したMMM,SSS,MSMをTg21及びICRに静脈内接種し、5時間後の組織対血液中濃度比(Kp,app)を測定しPV組織分布特異性を調べた(Fig.3)。いずれのウイルスにおいても大脳と小脳は最も値が小さいことが示した。今まで、ウイルスの中枢選択的な感染性は初期分布の中枢組織特異性であることを考えられたが、しかし、この結果から、初期分布過程には中枢選択がないことを明らかになった。さらに、Tg21とICR各臓器に対する分布はほぼ一致しており、初期分布はPVRの影響はないことが示唆された。

Fig.3 Comparlson of Kp,app values of [35S]-methlonlne-labeled pollovirus between Tg and ICR mice; panel A: MMM;panel B:SSS.The symbols represent the mean ± S.E. of three experiments. Dotted line represents Y=X.
2.PVの血液脳関門透過性

 静脈内接種の場合ではLD100は6.4106pfu/mouseで、ウイルスの初期脳内分布は約104pfu/brainであり、この値は脳内接種時のLD100に相当する。この結果から静脈内接種の場合では、見かけ上脳組織へ初期分布したウイルスの大部分が脳内に移行しない限り、中枢毒性が起こらないことを示している。この結果よりPVは効率良くBBBを透過し、中枢組織に移行することが示唆された。それで、[35S]-メチオニン標識したMMM,SSS,MSMの中枢移行性を解析するために、静脈内接種後の血液中とそれぞれの中枢内ウイルス濃度の測定値をもとにintegration plotし、大脳についてPVの透過速度、capsidの役割及びPVRの役割をそれぞれ解析した(Table 1 )。

 MMMについて大脳では0.164l/min/g brainでBBBを透過することが示された。PV粒子の外径は30nmと非常に大きく、この値はBBBの透過速度が非常に小さいアルブミンに比べて100倍以上高いことから、見かけのPVのBBB透過は単なる非特異的な透過や細胞間隙透過では説明できないことを示している。さらに、MMM、SSS、MSMの三者で比較すると殆ど同程度にBBBを透過することが示された。

Table 1 Accumulation rate of poliovirus into the mouse cerebrum

 この結果はワクチン株のSSSも強毒株のMMMと同様に中枢内に移行するということを示しているので、SSSもウイルス血症になった場合には、強毒株MMMと同じ速度でに中枢内へ移行する可能性を示唆している。さらに、MMM,SSSについてICRとTg21間でのBBB透過速度を比較すると、両者はほぼ同じ値である。したがって、PVRがBBB透過性の支配要因ではないことが示唆された。

 Integration plotの結果をサポートするために、capillary depletion法と呼ばれる方法で脳を毛細血管と実質部位に分離し、PVがBBBを透過して脳実質組織部位に到達したことをさらに検討した。または、PVはcapillaryで複製してBBBを透過するか、intactのままで透過するかなど、ウイルスが脳内に入るメカニズムを検討した。capillary depletion法を用い、[35S]-標識したMMM,またはSSSをTg21またはICRマウスに静脈内接種後2時間及び7.5時間後の脳内皮細胞と実質細胞への分布性をRI count及びプラークアッセイで評価した(Fig.4)。実験結果から、いずれのウイルスはparenchymal fractionにrichであることが示唆された。さらに、sucrose gradietion遠心法を用い、Capillary depletion法で得られた実質fractionをsucrose gradietion遠心法を用い、ウイルス粒子の状態を調べた。結果として、大脳に移行したウイルスの大部分はintactのものであることが確認した。以上のことから、PVはintactのままBBBを透過して循環血液から脳実質組織へ移行していることが示唆された。

Fig.4 Time courses of Kp,app values of [35S]-methionine-labeled poliovirus in the brain parenchyma and capillary after intravenous inoculation;panel A and C:Tg mice;panel B and D:ICR mice. Panel A and B:MMM Panel C and D:SSS.The symbols represent the mean ±S.E. of five experiments.Key:(●)parenchyma fraction;(○)capillary fraction
3.PVの中枢増殖性及び安定性

 脳内接種後のLD50値を比較するとSSSのLD50はMMMのLD50の値1000倍以上高く、MMMの毒性はSSSに比べて圧倒的に強いことが示された(Table2)。さらに、MSMとSMSではMSMのLD50がMMMに近いことから、毒性はnon-capsid gene、つまり、ウイルスの増殖性が中枢毒性の最も大きな要因であるというこれまでの考えを一致した。

Table 2 LD50 and approximate minimum LD100 of poliovirus in Tg mouse

 ウイルス粒子は生体内で崩壊することが知られているが、脳内での安定性も見かけの毒性に大きな支配要因となることが考えられ、これらの点について検討した(Fig.5)。Tg21.ICRに脳内接種した後の各ウイルスの脳内濃度の経時変化を測定したところ、Tg21において、MMMはこの場合、非常に速い増殖性を示しているが、SSSの方は見かけ上減少していく結果が得られた。

Fig.5 Comparison of poliovirus titers in the cerebrum after intracerebral Inoculation among MMM,SSS and MSM

 このようにnon-capsid geneに依存した脳内での増殖速度が毒性を支配する最も大きな要因と思われる。さらに、PVRが介しない状態で、すなわちICRマウス用い各ウイルスの脳内安定性を調べた。見かけ上MMMの傾きはSSSより小さく、一方、SSSとMSMの傾きはほぼ等しい値が得られた。MSMとSSSはcapsidが同じであることから、脳内での安定性にはcapsidが支配的であり、Mahoney typeのcapsidがSabin typeに比べて約4倍安定であることが示された。

【結論】

 ポリオウイルス受容体及びウイルスcapsid蛋白はポリオウイルスの組織初期分布過程において関与していないことが分かった。

 ポリオウイルスはポリオウイルス受容体には依存しないで血液脳関門を大部分がintactな形で透過することが明らかになった。ウイルス各株間で血液脳関門透過性に大きな違いはなく、この血液脳関門透過性は中枢毒性の違いの支配要因とはならないことが明らかになった。さらに、この中枢毒性の違いの支配要因としてはnon-capsid geneによる脳内増殖速度の違いが最も重要な役割を果たすことが分かった。

 一方、capsid蛋白はウイルスの脳内での安定性の違いを支配する重要な要因であるが、その安定性の違いはMahoney型のcapsid蛋白はSabin型に比べて約4倍程度安定であることが示唆された。

 本研究はポリオウイルスの中枢選択的感染機構を強毒株と弱毒株間で比較解析することができた。本研究によって、ウイルス感染の予防と治療、さらにはウイルスを利用した脳選択的ドラックデリバリー研究へ有用な知見を与えるものと考えられる。

審査要旨

 ポリオウイルス(PV)は霊長類に特異的に中枢運動神経の障害を起こすことが古くから知られている。これまでウイルスの種特異性について分子生物学的研究手法を用いた研究が行われてきたが、体内伝播経路について詳細な研究は殆どなされていない。本研究はPVの組織分布におけるポリオウイルス受容体(PVR)の役割、PVの血液脳関門(BBB)透過性に関するPVR及びウイルスcapsid蛋白が果たす役割、さらに、ワクチン株と強毒株間の中枢毒性の違いの支配要因を明らかにすることを目的として行われた。

 本研究の実験材料として、PVR遺伝子導入トランスジェニックマウス(Tg21)及び対照群としてICRマウスを用いた。PVはMahoney(MMM)、Sabin-1(SSS)、及び組み換えウイルスとしてSSS型のcapsid geneとMMM型のnon-capsid geneを持つ株(MSM)、MMM型のcapsid geneとSSS型のnon-capsid geneを持つ株(SMS)を用いた。

 始めにウイルスCapsid蛋白を[35S]-メチオニン標識したMMM、SSS、MSMをTg21及びICRに静脈内接種し、5時間後の組織対血液中濃度比(Kp,app)を測定しPVの組織分布特異性を調べた。いずれのウイルスにおいても、他組織に較べて大脳と小脳はKp,appで表される組織分布性が最も小さいことが示された。今まで、ウイルスの中枢選択的な感染性の原因として、初期分布に中枢組織特異性がある可能性も考えられてきたが、今回の結果からこの仮説は否定された。さらに、Tg21とICRの各組織への分布性はほぼ一致しており、初期分布にはPVRの影響はないことが示唆された。

 次に、[35S]-メチオニン標識したMMM,SSS,MSMの中枢移行性を解析するために、静脈内接種後の血液中とそれぞれの中枢神経組織内ウイルス濃度の測定値をもとにintegration plotし、大脳についてPVの透過速度、capsidの役割及びPVRの役割をそれぞれ解析した。MMMについて大脳では0.164l/min/g brainの速度でBBBを透過することが示された。PV粒子の外径は30nmと非常に大きく、またこの値はBBBの透過速度が非常に小さいアルブミンに比べて100倍以上高いことから、PVのBBB透過は単なる非特異的な透過や細胞間隙透過では説明できないことが示された。さらに、MMM、SSS、MSMの三者で比較すると殆ど同程度にBBBを透過することが示された。この結果はワクチン株のSSSも強毒株のMMMと同様に中枢内に移行するということを示している。さらに、MMM、SSSについてICRとTg21間でのBBB透過速度を比較すると、両者はほぼ同じ値を示したことから、PVRがBBB透過性の支配要因でないことが示唆された。次に、capillary depletion法と呼ばれる方法で脳を毛細血管と実質部位に分離し、PVがBBBを透過して脳実質組織部位に到達するかどうかを検討した。また、PVはcapillaryで複製後BBBを透過するのか、intactのままで透過するかなど、ウイルスが脳内に入るメカニズムも検討した。実験結果から、いずれのウイルスも脳実質fractionに90%以上存在することが示唆された。さらに、sucrose density gradient遠心法を用い、実質fraction中のウイルス粒子の状態を調べ、大脳に移行したウイルスの大部分はintactのものであることが確認された。以上のことから、PVはintactのままBBBを透過して循環血液から脳実質組織へ移行していることが実証された。

 ウイルス粒子の脳内での安定性は毒性発現の支配要因となることが考えられるため、最後にこれらの点について検討した。Tg21、ICRに脳内接種した後の各ウイルスの脳内濃度の経時変化を測定したところ、Tg21において、MMMは、非常に速い増殖性を示してたが、SSSの方は見かけ上減少していく結果が得られた。このようにnon-capsid geneに依存した脳内での増殖速度が毒性を支配する最も大きな要因と思われる。さらに、PVRが介しない状態で、すなわちICRマウス用い各ウイルスを脳内に接種後の脳内安定性を調べた。見かけ上MMMの脳内からの消失速度はSSSより小さく安定であることが示され、また、SSSとMSMの消失はほぼ等しい値が得られた。MSMとSSSはcapsidが同じであることから、脳内での安定性にはcapsidが支配的であり、Mahoney typeのcapsidがSabin typeに比べて約4倍安定であることが示された。

 以上、速度論の手法を用いてPVの体内動態が解明された。PVR及びウイルスcapsid蛋白はPVの組織初期分布過程に関与していないことが明らかとなった。PVはPVRには依存しない機構により、大部分がintactな形で血液脳関門を透過することが明らかになった。さらに、PVの中枢毒性の違いの支配要因としてはnon-capsid geneによる脳内増殖速度の違いが最も重要な役割を果たすという結果が得られた。一方、capsid蛋白はウイルスの脳内での安定性の違いを支配する重要な要因であるが、Mahoney型のcapsid蛋白はSabin型に比べて約4倍程度安定であることが示された。本論文はPVの中枢選択的感染機構を強毒株と弱毒株間で比較解析したものであり、PV感染の体内伝播メカニズムに関する基礎的知見を与えるものと考えられ、博士(薬学)の学位を授与するのに値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク