本稿は、一九三〇年代上海という場における、メディアと文学の様態をさぐろうとする試みである。メディアも文学も、もとより多様な姿を現しており、包括的な論考は筆者の手に余るが、いくつかの特徴的な事象を取り上げることにより、当時の上海において、メディアと文学がいかなる関係を切り結び、どのようなありようを示していたのかを、概略的に論じたい。 一般にメディアと言われている新聞・雑誌などの道具は、それを使用する人々の感覚と深いところで結びついている。本稿で考察するメディアとは、道具としてのメディアではなく、人々の感覚のありようと結びついているような媒介作用としてのメディアである。考察においては、人が媒介作用に触れるとき最初に接する「ことば」に注目する。媒介作用の質を考えるためにも、ことばのはたらきの分析を論述の要点としたい。 ことばをメディアのはたらきに注目して捉え直す視角を獲得したとき、メディアと文学を結ぶ研究の視角が浮かび上がってくる。文学のことばをメディアのはたらきに注目しながら考えることによって、従来の文学研究とは異なった視角から、新しい文学像を構成することが本稿の発展的な目標である。 論述は大きく二つの部分に分けられる。まず第一部では、一九三〇年代初頭上海におけるメディアの様態を論じる。第一章では、三〇年代を準備した時期と言える一九二〇年におきたメディアの革命的変化を、「国民革命」という政治運動との連動に注意しながら論じる。第二章では、一九三二年に起きた書籍郵便料金値上げ案をめぐる出来事を分析することを通じて、一九三〇年代にはって見せはじめたメディアと政治権力の微妙な対立関係を見てみる。第三章では、一九三二年の「上海事変」を取り上げ、メディアをめぐる営みの基本にある、上海の住民たちの意識を論じ、「敵」とは異なった均質な「われわれ」としての「国民」の意識が上海市民のあいだで普及、深化したことを読みとる。 第一部での論考によってメディアの様態を踏まえたうえで、第二部では、メディアの革命に応えるように営まれた文学の実践を論じる。第四章では、新感覚派小説家穆時英の短編小説を二編取り上げ、彼の小説に刻印されたメディアのはたらきを読みとり、彼がメディア作用の可能性を追求して行った実験を、その限界も含めて論じる。第五章では、穆時英の実験が目指していたことを、現実世界と切り結ぶ問題として、別の形で考えていたように思える瞿秋白の言語理論の内在的論理構成を分析し、メディア時代の新しいことばの可能性を考える。第六章では、瞿秋白とは異なった形で、瞿秋白の目指していた新しいことばを小説化しようと試みた茅盾の小説『子夜』を論じ、変革したメディアにふさわしいメディア的な新しい文学を創造しようとする、穆時英や瞿秋白たちが目指していたことに、『子夜』が一つの実現を与えたことを見る。 そして終章において、メディアのありさまを論じた第一部と、文学の可能性の追求を辿った第二部の論考の交差する問題として、「上海事変」が文学空間に及ぼした作用を論じる。茅盾の小説から、「国民」意識にふさわしい国家、すなわち「国民=国家」への希求を読みとり、そこで希求される「国民=国家」が、メディア的な公共空間と一致していたことを論じる。以上の論考によって、一九三〇年代初頭上海のメディアと文学の様々な営みが向かっていた基底的な方向性を見極めることができるであろう。 |