本論文は、大規模公開会社の経営の適正・健全を確保するため株主が経営者を監視(monitor)するメカニズムとして、株主総会における議決権代理行使のための「委任状勧誘制度」(経営者に対抗して株主側が行うもの)がどの程度に有効かという問題(その制度の可能性と限界)を、類似の機能を持つ「株式公開買付」および「株主提案権」と比較して論じることにより、委任状勧誘制度に固有の一定の意義を認めた上で、日本の委任状勧誘制度に対する法規制の在り方を、アメリカ法との比較を通じて論じたものである。 「序章」においては、次のように問題の所在が述べられる。すなわち、大規模公開会社における経営者の監視・責任追及の制度にはいろいろのものがあるが、(1)株主総会の議決権代理行使のための(株主による)委任状勧誘、(2)株式公開買付、(3)取締役の選任・解任を求めて株主総会でなされる株主提案の三つは、現職経営者から会社支配権を奪う形の当該制度である点において共通する。しかしこの中で、委任状勧誘制度は、経営者側によっても利用される制度であり、とくに日本では、昭和30年前後におきた白木屋事件等以後最近まで、経営者に敵対する株主によってそれが利用されることが殆どなかったため、同制度をめぐる日本の解釈論・立法論は、主に勧誘者が経営者である場合を念頭において行われてきた。これに対し著者は、勧誘者が株主である委任状勧誘には、「一般株主とのコミュニケーション機能」および「経営者に対する監視・懲戒の機能」をあわせ持つ特徴があること、ならびに、この点に着目して最近アメリカで委任状勧誘規則の改正が行われたことにも鑑み、株式公開買付・株主提案権と比較したその経営者監視手段としての特色および制度上の問題点を検討する必要があるとする。 第1編「公開買付と株主提案制度」は、第2編において委任状勧誘制度を論ずるための準備的作業を行うもので、第1章「公開買付」および第2章「株主提案制度」からなる。 第1章「公開買付」では、「公開買付の存在意義とメカニズム上の特徴」および「公開買付に対する経営者の対抗策」の二点を中心に、著者の株式公開買付制度に対する評価が述べられる。 株式公開買付は、株式売買を伴う点が他の二つの経営者監視制度との差異であるが、1980年代に株式公開買付が頻繁に行われたアメリカでは、その存在意義をめぐり、両極端の二説が対立している。第一の「無能経営者仮説」は、効率的資本市場の下では経営者の無能は株価下落の原因となり、無能経営者を排除し会社の潜在力を生かそうとする者からの株式公開買付を招く。したがって同制度は、無能な経営者を更迭し株主等関係者の利益を増進させると積極的に評価するものである。第二の「過小評価株式仮説」は、株式公開買付は、会社支配権市場と資本市場との間に企業評価のズレがある場合に、経営者の有能・無能に関係なく行われ、したがってそれは対象会社の富を買収者に移転させ、経営者、従業員、債権者等ステイクホルダーの利益を侵害する、と評価に慎重な態度をとるものである。著者は、買付者の動機・目的は複合的でありうるし、株式公開買付には善悪二種類あることは否定できないとする。そして経営者監視手段としての株式公開買付のメリットは、買付者にとって失敗時のリスクに比べ成功時の利益が大きい点であるが、他方、デメリットとして、奇襲性・秘密性・迅速性を特徴とすることから「会社民主主義」の理念に反する点、市場原理(プレミアムの額)がすべてを決するから有能な経営者の職も脅かされうる点、経営者の激しい抵抗が必然であり抵抗の口実としてステイクホルダーの利益が強調されると株主の利益が害される可能性がある点等にあり、株式公開買付による経営者監視には、会社法の基本的諸理念と衝突する面があることは否定できないとする。 株式公開買付に対する経営者の対抗策の規制については、著者は、第三者割当増資等経営者の対抗策を厳しく規制しようとする「機関権限の分配秩序説」(わが国で有力)を、株式公開買付に善悪二種類ある以上採用できないと批判する。また対抗策としての「株式持合い」も、株式公開買付がつねに善である保障はなく、経営者が現実に利用しうる対抗策が限られている日本では、必要性を認めざるをえない。そして、株式持合いが悪い公開買付けのみを阻止するように立法政策または解釈論をなすことが課題であるとする。 第2章「株主提案制度」では、日本の株主提案権行使は取締役の選任・解任に係る「選挙提案」が多く、しかも商法特例法上の大会社では、提案株主は会社の総会招集資料を利用し、会社費用で株主に支持を訴えうる制度となっている点が指摘される。これに対しアメリカでは、選挙提案に株主提案権を利用することは認められていない。イギリスおよびドイツでは、選挙提案を認めるものの、日本と異なり、その場合株主に会社の総会招集資料の利用は認められず、株主は自己の費用で委任状を勧誘することを要する。 著者は、選挙提案の形の株主提案を認めず、取締役の選任・解任を求める株主には株式公開買付または委任状勧誘を強制するアメリカ法と、選挙提案の形により株主が無償で会社支配を争いうる日本法(大会社の場合)という対照的な両制度を比較し、日本法には、(1)純粋政策提案の減少、(2)株主による委任状勧誘(情報提供の質・量等の観点からは株主提案に勝る)の消滅、(3)実益の低さ(株主が勝つ可能性が乏しい)という欠点があることを指摘する。そして上記の理由から、現行日本法が認める「会社の総会招集資料を利用する選挙提案」は本来認められるべきではないが、「株式持合い」により株式公開買付、株主の委任状勧誘の成功の見込みの乏しい日本の実態の下では、同制度には経営者を批判する機会の提供としての意義はあるとする。 第2編「委任状勧誘制度」は、第3章「経営者監視手段としての委任状勧誘の可能性と限界」および第4章「日米における委任勧誘に対する法規制」からなる。 第3章「経営者監視手段としての委任状勧誘の可能性と限界」では、従来、アメリカの多くの学説では、株主による委任状勧誘は、経営者監視手段として見た場合、(1)分散した小株主の合理的無関心、フリー・ライド等の集団的行動(collective action)問題がある、(2)大量の株式を保有する機関投資家も、規制の存在、利益相反等のため受身的態度(passivity)をとる、(3)勧誘株主は費用を自己負担し利益は他の株主と分かちあう点で、コスト・ベネフィット的に引き合わない、(4)委任状勧誘で支配権を取得した株主は、恒常的支配権を有するわけではないので、経営の効率化ではなく利益相反取引等により利益を得ようとする可能性がある等の理由で、「非効率的」と評価されてきた点が紹介される。 しかし著者は、それらは主に委任状勧誘者側から見た非効率性にすぎず、一般株主または会社法の基本理念から見れば、株主による委任状勧誘にはメリットもあると主張する。 第一に、株主提案制度と比較すると、株主による委任状勧誘は、(1)会社による総会招集手続に依存しない点で、提案の不当拒絶等の経営者の裁量権濫用の危険がなく、(2)情報開示機能において優れ、(3)費用負担があることにより株主の濫用的利用に対する抑止力がある。そこで著者は、規範論としては、株主提案制度が、少なくとも株主による委任状勧誘の機会を減少させる方向に機能しないようにする必要があると指摘する。 第二に、株式公開買付と比較すると、株主による委任状勧誘は、(1)一般株主に株式を売却するか否かの選択を強圧的に迫ることがなく、むしろ彼らの協力を得て会社支配を取得することから会社民主主義の理念に合致する、(2)敗北した経営者に反撃の機会が与えられるため、経営者の抵抗が相対的に弱く、したがって抵抗に伴う株主利益の危険が緩和される、(3)成功が情報の説得力に係る点で有能な経営者の職を脅かす危険がない等の点で、会社法の基本理念に合致する点がある。 以上の理由から著者は、株主による委任状勧誘制度を「非効率的な経営者監視手段」といいきることはできず、他の制度とならび適切に機能しうるようにすることが、適正な経営者の監視のため重要であると主張する。 第4章「日米における委任状勧誘に対する法規制」において、著者は、日本のこれまでの委任状勧誘に関する法規制をめぐる議論は、総会運営における公正性の確保等「制度運営上の問題」に限られてきたことを批判し、委任状勧誘制度が経営者監視手段として様々な利害関係者にいかなる意味を有するかという「制度論的観点」からの議論が必要であると指摘した上で、その法規制論を展開する。 アメリカでは、株式公開買付の減少と機関投資家の持株規模の拡大を背景に、株主による委任状勧誘の議論は最近さかんになってきたが、そこでは、それが経営者監視手段として有効に機能するには法律的障壁が高すぎると指摘されている。 第一に、連邦証券諸法の関係では、複数の株主(機関投資家等)が議決権を行使する目的で共同して行為することに合意した場合には、SECの解釈によれば、当該株主グループ構成員には,5パーセント・ルールに基づく届出義務、短期売買利益提供義務(グループ構成員の持株割合が10パーセント以上になる場合)、支配株主の責任の法理が及びうる。第二に、独占禁止法の関係でも、共同の議決権行使を合意した複数株主には、単なる投資目的ではないとして、司法省またはFTCへの事前届出義務が生じうる。第三に、各州のいわゆる反テイクオーバー法または各会社が定款上採用するポイズン・ピルは、複数株主が共同の議決権行使を合意した場合にも適用される形に規定されていることが多い。これらは、株主による委任状勧誘を制約する要因であるが、それぞれに存在意義を有しており、直ちに消滅するとは考えられない。 しかしアメリカでは、委任状規則自体については、それが通常の株主活動を制約しているとして、1992年に規則改正が行われた。そこで著者は、「委任状勧誘に対する法規制の厳格化の必要性」、および、「1992年のアメリカの委任状規則改正の意義」という二つの観点を中心に、あるべき委任状勧誘に対する法規制を検討する。 第一の「委任状勧誘に対する法規制の厳格化の必要性」に関し、著者は、株主による委任状勧誘の観点から日米の制度を比較すると、日本の現行法規制の方が、(1)要求される情報開示内容が乏しい、(2)委任状規則の適用範囲が狭い、(3)行政当局への勧誘書類の事前届出が要求されない、(4)株主による株主名簿への接近が容易であるの4点において、アメリカよりも、経営者に対抗して委任状勧誘をしようとする株主にとって有利であると指摘する。そして、それにもかかわらず日本の方が株主による委任状勧誘の頻度が低い事実は、委任状規則が厳格か否かと株主による委任状勧誘が行われるか否かとはさほど関係がないことを示す、と主張する。しかし被勧誘株主の利益保護のため委任状規則を厳格にすることは、やり方次第によっては株主活動を妨害する危険性もあるとして、それに関係するアメリカの1992年改正の検討に移る。 第二の「アメリカにおける1992年の委任状規則の改正」では、アメリカの委任状規則が株主活動を制約している点がクローズアップされた背景には、これまで経営者監視の主要な手段であった株式公開買付が経済事情によるその資金調達の困難化および経営者側の防衛策の広がりにより難しくなったこと、ならびに、株式所有が機関投資家(大株主)に集中した結果それらの者は損失を出さず株式を売却することが困難になった半面、委任状勧誘という形の株主活動が容易になった点にあったこと、が指摘される。 アメリカの1992年の委任状規則の改正は、(1)従来、「勧誘」の概念がきわめて広く、経営者を批判する新聞広告の掲載、株主名簿閲覧のための株主間の協力、株主に議決権の行使につき助言すること等も委任状規則の適用範囲に含まれかねなかった点に関し、勧誘とみなされないための「安全港条項」を設け、かつ、議決権代理行使権限の付与を求めない株主間の通信等への委任状規則の適用除外(届出義務はある)を定め、(2)委任状合戦の際株主がSECへの事前届出を要する書類を減少させる等、株主の委任状制度利用を容易化する措置をいくつか行い、(3)株主が取締役ポストの一部のみに自派の候補者を立てることも認める等、議決権行使の適正を確保する措置をいくつか行った。アメリカでは、(1)は好評であるが、(2)・(3)は株主の利益にとり不十分な改正しかなされなかったと批判されている。なお、日本法には元来こうした規制が存在しない点を、著者は評価する。 最後に、「株主の委任状勧誘における会社法上の問題」として、被勧誘株主の利害にとり重要な(1)虚偽・不実の表示による勧誘、(2)被勧誘株主の指示に反する議決権行使、そして勧誘株主の立場から重要な(3)費用負担、(4)委任状機構の運営の適正が論じられる。 まず(1)・(2)すなわち違法な支配勧誘につき、アメリカでは、州法上は権限開示令状制度(quo warranto)および略式司法審査制度、連邦法上は、明文で定められたSECによる規制のほか、解釈上認められた私的訴権による救済がある。日本に関しては、著者は、(1)・(2)双方につき、会社(経営者側)が勧誘する場合の解釈がそのまま当てはまり、決議取消の原因になるとするが、(1)に関し、立法論として、開示すべき情報を委任状規則で詳細に定めることは、経営者側を利することになりやすいので、採るべきではないと主張する。 次に(3)については、アメリカでは、勧誘費用の当事者負担が原則であり、勧誘株主が費用を会社から償還できるのは、委任状合戦で勝利した場合に、総会の承認を得て、合理的額の範囲でなしうるのみである。日本に関し著者は、アメリカと異なり「選挙提案」を認める日本法の下では、勧誘費用の当事者負担を徹底する理由はなく、立法論としては、勧誘株主の勝敗のいかんに係わりなく、一定の算式に基づき勧誘株主は費用償還を受けうる制度を導入すべきであると主張する。(4)については、アメリカでは州会社法上の選挙検査役制度があるが、日本の場合、現行の総会検査役制度で対処可能であると主張する。 以上が本論文の要旨である。 本論文の長所としては、以下の点があげられる。 第一に、本論文は、大規模公開会社の経営者を株主が更迭する形で会社経営の適正を図ろうとする場合に利用可能な三つの制度を、各制度が様々な利害関係者にとり、それぞれいかなるメリット・デメリットを有するのかという視点から総合的に分析し、その中で委任状勧誘制度のもつ意義を明らかにしようと試みたものであり、その着想は、わが国の会社法研究の上では斬新なものと評価できる。すなわち従来の会社法研究は、個々の制度の詳細な分析を行うものが主で、こうした広い視野からの制度横断的な比較研究は乏しかった。とりわけ本論文が、商法特例法上の大会社において利用可能な書面投票制度と結びついた選挙提案制度が日本独特のものであると指摘し、分析・批判の対象とした点は、従来のわが国の議論の盲点をつくもので、本論文の重要な指摘である。 第二に、本論文は、前述の三つの制度に関する日米比較を、多くのアメリカおよび日本の文献・裁判例等を十分に咀嚼しながら粘り強く行っており、著者による各制度のメリット・デメリットの分析は、大部分、説得的なものである。とくに著者が、「機関権限の分配秩序説」に代表されるような単純な原理論ではなく、現実的な視点からの制度の評価を貫いている点が、分析に説得力を与えている。 第三に、本論文は、全体がしっかりした構想の上に書かれており、それゆえ、細かい複雑な議論が展開されているにもかかわらず、論旨がたどりやすい。記述の点でも、各節の最初に「問題設定」として論点をあらかじめ提示し、末尾に必ず「小括」を入れる等、読者に対する配慮が行き届いている。 他方、本論文には、次のような短所も指摘できる。 第一に、本論文は、前述の三つの制度のメリット・デメリットを分析する部分に比較すると、「株主による委任状勧誘制度」を日本で機能させるには何が必要かという提言の部分に物足りなさを感じさせる。すなわち本論文では、アメリカで株主の活動を阻害してきたと批判され近時改正された委任状規則中の厳しい規制が日本法にはもともと存在しなかったとして日本法に高い評価を与える一方、日本で制度を機能させるための積極的提言としては、勧誘株主が要した費用の会社負担が論じられるにとどまる。費用負担は重要な問題には違いないが、その点の改善のみで日本における株主の委任状勧誘が活性化するとは考えがたい。 著者は、日米比較に基づき、株主による委任状勧誘が多く行われるか否かを決定する主たる要因は委任状規則の厳格さではないと述べているが、まさに、日本において株主の委任状勧誘を機能させるには何が必要かを論じるためには、「株式持合い」等日本特有の株式所有構造等の実態に切り込む必要があったと思われる。もちろん、本論文にも「株式持合い」に言及する部分は多々あり、また、つかみどころのない日本の株式所有の実態は正面から取り扱うには難しい主題であることは事実であるが、この点が本論文の物足りなさの大きな原因である。 第二に、本論文は、経営者を株主が更迭する形のモニタリングを論じているが、その形の経営者に対するモニタリングが、株主代表訴訟、社外取締役といった形のモニタリング制度、いいかえると会社制度全体の中で、どのような位置を占めると著者が考えているのかが、本論文からは必ずしも明らかではない。その点の言及がなされておれば、広い視野からの制度分析という著者の意図は、いっそう明瞭になったと思われる。 しかし、以上のような短所も、本論文の上記のような長所を大きく損なうものではない。本論文は、全体として、株主総会における委任状勧誘制度のみならず、株式公開買付制度および株主提案権制度も含め、株主による経営者の監視(モニタリング)機構の法制度の研究に大きな貢献をするものと評価することができる。したがって、本論文は、博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。 |