学位論文要旨



No 112289
著者(漢字) 阿波根,直一
著者(英字)
著者(カナ) アハゴン,ナオカズ
標題(和) 北西太平洋における過去12万年間の生物源粒子の堆積過程
標題(洋) Accumulation of biogenic components in the Northwestern Pacific during the last120kyrs : paleoproductivity versus sedimentation
報告番号 112289
報告番号 甲12289
学位授与日 1997.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3132号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平,朝彦
 東京大学 教授 末広,潔
 東京大学 助教授 中嶋,悟
 東京大学 助教授 多田,隆治
 東京大学 教授 野崎,義行
内容要旨

 近年,極域における氷床ボーリング試料の解析から過去の大気中のCO2濃度が氷期-間氷期サイクルと結びついて変動していたことが明らかにされた(Bernola et al.,1987など).最終氷期(約2万年前)の大気CO2濃度は産業革命前(約280ppmv)の約2/3まで減少していたが,この原因を解く鍵は海洋にあるというのが研究者の一致した意見である.氷期における大気CO2濃度の低下を説明できるのは海洋の生物生産を上げる(生物学的ポンプ)方法と海水のアルカリ度を高くする方法のどちらか,あるいは両方が有力であるが,地質学・地球化学的証拠が不十分で結論には至っていない.

 過去の海洋の生物生産を見積もるには,1)栄養塩指標を用いる(例えばShackleton and Pisias,1985),2)堆積物から過去の粒子フラックスを算出する(例えばSarnthein et al.,1988),という二通りの方法がある.しかし,前者は水塊の影響を強く受けるので現場の生産力を反映しない場合があり,後者は堆積過程や続成過程の影響を受けやすいという欠点がある.本研究では,後者の方法に加えて海洋起源の難溶性天然放射性核種を測定することにより,従来評価されてこなかった堆積過程による影響を評価することを試みた.

 試料は淡青丸KT92-17およびKT93-7航海において伊豆・小笠原海嶺西縁域から採取された計9本の深海底コアのうち,層序が確立し年代推定の精度が高いST.20(30゜22.6’N,138゜38.9’E,水深3280m)を選定し,解析に使用した.

 生物起源粒子の代表としてCaCO3,有機炭素および生物源オパールを定量した.堆積速度はAMS-14C年代,酸素同位体比層序およびコアに挟在する広域火山灰(AT)から推定した.酸素・炭素同位体比の測定には,コアを通じて連続的に産出する浮游性有孔虫Globolotalia inflata(d’Orbigny)を用いた.図.1はCaCO3及び有機炭素の埋積フラックスを求めた結果である。最終氷期の末期(約1万5千年前)にCaCO3,有機炭素フラックスは共に著しく増加している.ところが,ここで得られたCaCO3埋積フラックスは、日本周辺および北西太平洋域のセジメントトラップ実験による沈降粒子束(Tsunogai and Noriki,1991)やリソクライン以浅の石灰質軟泥から得られた埋積フラックス(Broecker and Peng,1982)と同等であり,3000mを超えるコアの採取深度を考えるとかなり大きな値である.そこで,1)表層水中においてCaCO3の生産が増加した,2)深海底におけるCaCO3の保存性が増した,あるいは3)海嶺斜面からの堆積物の供給量が増加した,という3つの可能性について検討する.まず1)および2)についてだが,先に述べたように現在のセジメントトラップ実験の結果等と比較すると,コアで実測された最終氷期の値は生産力の高い高緯度海域や湧昇域と同程度であるが,本研究海域において著しい湧昇の発達は考えにくい.また,同時期に有機炭素のフラックスも著しく増加しているということは必然的に海底でのCaCO3の溶解を伴っていたはずである(例えばArcher,1991).したがって表層でのCaCO3の生産が埋積フラックスのさらに数十パーセントから数倍大きくなければ,この埋積フラックスを説明することができない.また,これまでに復元されてきた北西太平洋域における深海底炭酸塩の保存・溶解パターン(松岡ら,1994)ともタイミングがずれているので,CaCO3の溶解量が埋積フラックスをコントロールしているわけではない.近隣で得られたコアからは重力流による堆積構造なども確認されており,ST.20の場合も斜面域で採取されたこと,一般に堆積速度が速いことを考えると3)による効果、すなわち堆積物の運搬・再移動過程を明らかにすることが重要となる.

 そこで,難溶性天然放射性核種を用いて斜面由来の粒子束の寄与を検討する.230Thは海水中に溶存するウラン(234U)の壊変によって生成し、沈降粒子に吸着して速やかに海水中から取り除かれる(例えばNozaki et al.,1981).230Thの海底面でのフラックスがその生成量に等しいと仮定すると,以下のような水深の関数として表すことができる.

 

 ここでFpは230Thのフラックス(dpm cm-2 kyr-1),zは水深(km)である.コアにおいて測定されるexcess230Th(堆積物中の234U由来の230Thを補正した値)を14C年代あるいは酸素同位体比による層序学的年代を用いて壊変量を補正することにより,堆積時のexcess230Thフラックス(Fa)が計算される.このexcess230Thフラックスが、その生成量(Fp)を上回る場合には海嶺斜面や水平方向からの堆積物の供給を考慮する必要がある.図2はexcess230Thフラックスを堆積速度に対してプロットしたものである.ただしexcess230Thフラックスはその生成量で規格化してある.堆積速度が約4cm/kyrを超えるときには斜面域からの物質の輸送が活発に行われていることを示唆し,堆積速度が18cm/kyrになると斜面由来の粒子束の寄与率は堆積量の最大75%に達する.すなわち,本研究海域における堆積速度の増加は正味の鉛直粒子束の増大によるものではなく,斜面にそって運搬されてきた堆積物の供給量に支配されているといってよい.

 このような再堆積や水平輸送されてきた粒子の存在は古フラックスを推定する際には大きな障害となり得る.ここで,CaCO3もexcess230Thも均等に輸送されてきたものと仮定してCaCO3の埋積フラックスをexcess230Thフラックスで規格化すると,過去12万年を通じて0.2〜0.5gcm-2 kyr-1程度の値となり,むしろ氷期から後氷期にかけての過渡期に増加する傾向がある.この時期には,太平洋を中心に深海底で炭酸塩が溶けにくくなったことが一般に認められており,規格化したCaCO3の埋積フラックスの変動と符号する.

 本地域のような斜面域や大陸縁辺などの海域では埋積フラックスは堆積過程によりシグナルが増幅されており,過大評価につながる危険がある.すなわち,堆積物から得られる古フラックスには慎重な解釈が必要とされることを示唆している.一方,excess230Thによる規格化フラックスは,斜面下のような複雑な堆積場においても正味の古フラックス変動を見積もる上で有効な手法となる.

図1.コアST.20における酸素同位体比,CaCO3埋積フラックスおよび有機炭素埋積フラックス.図2.excess230Thフラックスと堆積速度の関係.海水からの生成率で規格化して表示した.最終氷期末期(15-18kyr BP)には海水からの生成量の4倍以上が堆積している.
審査要旨

 本論文は4つの章から構成されている.

 第1章では,問題の背景と意義について述べてある.まず地球環境変動に対する海洋の役割が述べられ,またその中でも特に生物生産そして物質循環とくに有機物や炭酸塩の堆積物としての沈積の重要性が議論されている.堆積物の記録から有機物や炭酸塩の海底へのフラックスを正確に見積もることは炭素循環の研究にとって極めて大切なこと,それが本論文の課題であることが明快に議論されており,良い導入部であると評価できる.

 第2章では研究材料の採集海域である東部四国海盆周辺の海洋学的な特性について記述するとともに,採取されたピストンコア試料について,綿密な記載がされている.これは,後の地球化学的なデータの解釈の背景となるもので,有用である.さらに,年代軸の設定について,酸素同位体比および加速器質量分析による14C年代測定結果が議論されている.これらについは,矛盾のない精度の良い結果が得られており,年代軸の設定は問題がないことが明瞭である.

 第3章では,砕屑粒子,生物起源オパール,生物起源炭酸塩,有機物などの指標について,沈積量の変動が求められた.これらについては,氷期と間氷期において,大きな差が認められた.沈積量を綿密に検討して結果は,氷期の沈積量の増加は,この海域で予想される生物生産の変動では説明が困難なほど大きいことがわかった.ここでは従来,古海洋学では堆積物から読み取れる沈積量の変動結果を十分な検討を経ずそのまま用いてきた問題点を明瞭に指摘しており,重要な結果である.

 第4章では,さらに上記の問題点を検討するために,トリウムのフラックスを用いてこれを研究した.ここでは,その方法の原理から,この研究での特色について良くまとめてある.さらに測定結果より,氷期の大きな物質の沈積は垂直方向の成分だけでなく大きな水平方向の流れ込みがあること,すなわち氷期には底層流などによる海底にそっての水平の物質移動が大きかったことが示された.これにより遠洋から半遠洋環境と言えども物質の垂直と水平方向からの沈積過程の詳しい検討なくしては堆積物の記録からフラックスを再現することが大変危険であることが結論された.これは,古海洋学における重要な結果と評価できる.

 本論文は地球環境変動の解析の基礎となる十分な内容と成果が含まれており,博士論文として十分評価できる.

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