学位論文要旨



No 112293
著者(漢字) 大杉,覚
著者(英字)
著者(カナ) オオスギ,サトル
標題(和) 現代日本の医療政策 : 制度選択と<不決定>形成
標題(洋)
報告番号 112293
報告番号 甲12293
学位授与日 1997.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第92号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,彌
 東京大学 教授 松原,望
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 助教授 加藤,淳子
 東京大学 教授 森田,朗
内容要旨

 わが国の医療システムは,戦後(他の先進諸国に比べて)比較的容易に国民皆保険を達成することで公平な医療サービスへのアクセスを実現し,また,平均寿命や乳幼児死亡率といった代表的マクロ指標においても世界的に最高水準を誇る成果面での"信頼"を獲得した.その一方で,生活の質やアメニティなどの視点からは医療現場や医療サービスが提供されるプロセスをめぐっては依然として"不満"が渦巻き,1980年代以降の医療費抑制策の下では一層その感が強まっている.本稿は,こうしたわが国の医療政策をめぐる問題状況に対し,医療政策体系を構成する医療供給政策と医療財政政策の間に断層が生じ,優位な位置を占めた医療財政政策が限定された医療供給政策の機能を代替することになったのではないかという仮説を政策論的視角から検証することを目的とする.

 序論では,問題状況を分析対象として定式化する準備作業として,まず第1に,医療システムを把握する基本構図を医療財政政策および医療供給政策それぞれの領域について提示する.ことに,これまで政策分析の対象として取り上げられることがきわめて少なかった医療供給政策に関して,医療機関から見たサービス対象である「患者」財が共同資源的性質を持つことに着目し.地域レベルにおける共同資源体系をめぐる分析手法を導入した点の理論的貢献を強調しておきたい.序論の準備作業の第2には,問題状況を明確化する概念装置として,「新しい制度論」を援用しつつ,一般理論として従来とは異なる切り口をもって政策決定分析に新生面をもたらす有用な概念である,<不決定>概念を導入した点である.<不決定>とは簡約的に述べれば,政策プログラムの決定内容が大枠で合意を見たとしても,利害関係が交錯するために,実際には確固たる決定を下すことができず,先送り・棚上げ・差し戻しといった状態におかれてしまうことを指しており,本稿の随所でこの概念が適用されることになる.

 さて,本論第1章では,国政レベルで医療政策体系の断層が決定的となり,医療供給政策が機能的に限定される経緯を占領統治期から国民皆保険体制到達前夜までの時期に焦点を当てて考察する.(a)終戦直後の絶対的医療サービス窮乏状態の中で医療供給の主翼を担った国立病院の役割が厳しい財政状況の下で特別会計制度の導入や地方移譲計画および都道府県公営中心主義への移行などといった政策的制約を受けたこと,(b)GHQによって提起された医薬分業問題が関係アクター間の厳しい政治的対立状況に晒され,占領統治の終了とともに結果的に<不決定>状況に陥ったこと,また,(c)新医療費体系といった枠組みをめぐる議論を枢軸に医療費問題が厚生省,保険者,そしてことに日本医師会など診療側の最大の焦点となり,診療報酬の改定をめぐる議論に健保法改正などを絡めた政治過程が医療政策の中心課題となったこと,などから,戦後今日に至るわが国医療制度の骨格を決定づける実質的な"体制選択"が,医療保険など医療財政政策が優位を占め,医療機関の計画的配置に関する医療供給政策が十全に展開しえないかたちで終結したことを示す.

 第2章では,国民皆保険が進捗する過程を東京都特別区における国保実施プログラムをめぐる執行過程を事例として取り上げて分析を加える.本章には三つの意図が込められている.一つは,地方自治体を保険者とする国保を事例対象とすることで地方レベルにおける医療保険制度の政治行政的意味合いを考える恰好の素材となることである.通常国政レベルで検討される医療財政政策の主柱である医療保険制度も,国民皆保険達成過程においては地方の動向に左右されていたことを知ることができる.もう一つは,プログラム達成過程が地方レベルに根ざしていたことにも由来するように,マクロな政策効果が期待され国政レベルで決定を見る医療保険政策も,その政策機能を制約する政治構造は地方レベルに連なっていることを示すことである.そして三つ目には,医療財政政策に関する制度から派生した医療政策をめぐる政治権力関係が地域医療供給政策にまでおよぶ契機ともなった点を浮き彫りにできることである.

 第3章では,第1章を受けて再び国政レベルにおける医療財政政策における政治行政過程と医療供給政策をめぐる政策過程の<不決定>形成の様相を,国民皆保険が達成されたのちの1960年代から1970年代初頭という高度経済成長期を通じて追跡する.まず第1に,診療報酬改定を中心とした医療財政政策の政治過程は,武見日医体制の下で確立された"総辞退カード"に象徴される圧力団体的振る舞いによってその表層が粉飾されつつも,日医の政治的資源は地域レベルの医師会に担保されてきたことから,水面下においては,医療経済構造の変容(ことに政策的な診療所中心主義から病院中心主義への転換の反映)とともにその政治構造と日医の実際の政治行動とが乖離しつつあったのではないかという点を,"総辞退カード"が現実に総辞退へと発展した1971年事件の分析を通じて明らかにする.第2に,本章後半部では,とくに本稿が仮定する「医療政策体系を構成する医療供給政策と医療財政政策の間に断層が生じ,優位な位置を占めた医療財政政策が限定された医療供給政策の機能を代替することになったのではないか」という仮説の検証に充てられる.(a)医療財政政策における日医の圧力団体的性格に対する評価が虚実混合するものであったとしても,著しく政治的傾斜を見た医療財政政策のいわば余波を受ける形で医療供給政策の展開が制約されたのではないか,(b)診療報酬制度自体に医療供給政策を代替するような医療機関行動を誘導する制度的インセンティブが内在化されているのではないか,が主要な論点である.本章の結論として,医療法改正による公的病床規制や民間医療機関向け金融公庫の設置など,それまでの公立病院中心主義から一転して私立医療機関中心主義へと,医療供給政策は「跛行的」展開という<不決定>状況を余儀なくされた一方で,医療機関の地域的偏在が進行した点などを例証に診療報酬制度など医療財政政策は医療供給政策に本来的に期待されたような役割を完全代替したわけではない点を指摘する.

 そして,第3章で検証されたように国政レベルで医療供給政策が<不決定>状況に陥ったことによって,医療サービスが供給される現場ともいえる地方レベルに対して,いかなる影響がもたらされたかを検討するのが第4章である.一つは,第2章で述べた国保実施時の「覚書」が前提条件となって政治的に争点化した美濃部都政下における都立病院政策を素材にして,公的医療機関の拡張に対する地域レベルでの医師会の抵抗運動とその帰結について省察を加える.ここでは.公的医療機関の拡張は地域医療資源体系への新規参入によって地元医師会の既得権益が侵されるという単なるシェア配分の問題にとどまらず,その規模の大きさから地域医療資源体系の管理者としての地位を公的医療機関が占める意図が込められていることが重要である.地域医師会の運動が,単なる抵抗から医師会病院など共同利用施設の自主運営に乗り出すといった,いわば弁証手段として資源体系を自己組織化し自己統治を指向する試みへと戦略的に対応したこと,そしてそうした行動は専門職団体としての統治への意志の主要な表現であることを指摘する.もう一つは,公的医療機関のみならず私的医療機関についても,「適正配置」を掲げて新規開業の自主規制を行うことで市場参入を阻止しようとする地域レベルにおける医師会のネガティブな行動を描写する.加えて.これらネガティブな行動のうちにも,ルール形成など創造的側面が指摘されるのだが,そうした試みにも限界があったことを指摘しつつ,こうした限界が各地域主体(医師会,地方自治体,住民など)によって認識されることを通じて,地方自治体や医師会といった地域レベルで機能的に断片化された諸アクターが次第に機能連携を模索する可能性が切り開かれていく様相をも射程に包摂する.

 最後に,再び国政レベルに視点を移し,1971年保険医総辞退事件後の動きを詳細に追うと,政策過程の表層を覆う個々の事件から医療政策体系のあり方に変容がもたらされる兆候が次第に看取されるようになる.したがって,第5章では,実際に1980年代前半期に構造的な権力関係や医療政策体系に訪れた転機を政治行政学的視点から分析することが目的となる.しかし,長年にわたる<不決定>状況の中で課題が山積した医療保険制度や診療報酬制度をめぐる諸論点のいわば合流点として改革の歯車が大きく回転された1983年老人保健法制定とそれ以降の政策展開を分析するとき,こうした制度転換によって,本稿で指摘する医療政策体系の断層状態あるいは医療財政政策と医療供給政策の間の代替的性格が解消されたわけではなかった点が明らかとなる.さらに,医療機関の機能分類などが診療報酬制度に取り込まれ医療財政政策の代替的性格が強化されていく一方で,内実のともなわない医療計画が医療法改正によって導入されるなど,むしろ,より強固に断層状態が押し広げられてきたのではないかという指摘が可能であることを示す.

 以上,本稿は戦後医療政策の形成過程=制度選択に内在する問題性を,国政レベルにとどめず,地域レベルでの動向に注意を払いつつ明らかにした.通常一枚岩に結束を固める圧力団体としてのみ捉えられがちな医師会の政治資源が地域レベルに蓄積されている点に着目し,地域医師会が地域レベルの機能的統治において発揮しうる可能性と限界を確認する作業は,今日政府間関係での事務権限の配分を中心とした地方分権論議が盛り上がりを見せる中で、地域主体の「下から」の地方自治のあり方を問う射程をも有する議論であることが終章で示される.

審査要旨

 本論文は,これまでほとんど未開拓な研究領域であったわが国の医療政策について、その政策過程のダイナミズムや行政官僚制の対応の変化を実証的に分析したものである。戦後日本の医療政策は、国民皆保険体制の達成過程やそれ以降の政策展開で行使された政策手段という観点から見ると、主として医療財政政策によるミニマムな医療保障の底上げに対する政策的合意をいかに確保するかということに重点が置かれ、反面、医療供給面において整合的な政策措置がとられたとは認め難いのではないか、これが著者の着眼点である。そこで、著者は、医療政策体系を構成する医療供給政策と医療財政政策との間に断層が生じ、優位な位置を占めた医療財政政策が医療供給政策の機能を代替することになったのではないかとしいう仮説を立て、これを政策論的視角から検証することをもって、本論文の主たる課題としている。

 本論文は序論と6章から構成されている。

 まず序論は、問題状況の輪郭を描き、それへの接近手法を提示している。著者は、まず、医療システムを把握する基本構図を財政と供給という二つの領域について検討し、医療供給政策に関して、医療機関から見たサービス対象である「患者」が共同資源的性質をもつことに着目し、地域レベルにおける共同資源体系をめぐる分析手法を導入する。これによって、しばしば地域レベルで「患者」の獲得をめぐって過剰なまでに医療機関相互間で競合関係を繰り広げる状況を一種の「共有地の悲劇」に相当するものと見ている。また、著者は、「新たな制度主義」を援用しつつ「不決定」という概念を導入する。不決定とは、決定内容である政策プログラムの因果連関の構成について合意を見たとしても、利害関係が交錯するために、「決定」の着地点をどこにするかについて目指した駆け引きがまとまらず「決定」が下されないまま浮遊し、先送り・棚上げ・差し戻しなどと表現される事態が起こることを指している。本論文では随所でこの概念が適用されるとしている。

 第1章「医療政策の"体制選択"」では、国政レベルで医療政策体系の断層が決定的になり、医療供給政策が機能的に限定される経緯を、占領統治期から国民皆保険体制到達前夜までの時期に焦点を当てて考察する。戦後今日に至るわが国の医療制度の骨格を決定づける実質的な「体制選択」においては医療保険などの医療財政政策が優位を占め、医療機関の計画的配置に関する医療供給政策が十分に展開し得なかったのである。

 「皆保険への道標」と題する第2章では、国民皆保険が進捗する過程を東京都特別区における国保実施プログラムを巡る執行過程を事例として取り上げ分析を加える。著者によれば、通常国政レベルで検討される医療財政政策の主柱である医療保険制度も、国民皆保険達成過程においては地方レベルの動向に左右されたという。そして、医療財政政策に関する制度から派生した医療政策を巡る政治権力関係が地域医療供給政策にまで及ぶ契機ともなった点が浮き彫りにされる。

 「政治的傾斜と断層の強化」と題する第3章は本論文の中心的部分を成している。ここで、著者は、国政レベルにおける医療財政政策における政治行政過程と医療供給政策を巡る政策過程の「不決定」形成の様相を、国民皆保険が達成された後の1960年代から1970年代初頭という高度経済成長期を通じて追跡する。前半では、「総辞退カード」が現実に保険医総辞退へと発展した1971事件の分析を通じて、診療報酬改定を中心とした医療財政政策の政治過程が、武見日医体制の下で確立された「総辞退カード」に象徴される圧力団体的な振る舞いによってその表層が粉飾されつつも、日医の政治的資源が地域レベルの医師会に担保されていたことから、水面下においては、診療所中心主義から病院中心主義への転換と日医の実際の政治行動とが乖離しつつあったことを明らかにしている。後半部は本論分の主要な仮説の検証に当てられる。すなわち、著しく政治的傾斜を見た医療財政政策のいわば余波を受ける形で医療供給政策の展開が制約されたのではないか、また、診療報酬制度自体に医療供給政策を代替するような医療機関行動を誘導する制度的インセンティヴが内在化されていたのではないかを検証している。医療法改正による公的病床規制や民間医療機関向け金融公庫の設置など、それまでの公立病院中心主義から一転して私立医療機関中心主義へと、医療供給政策が「不決定」状況を積み重ね「跛行的」展開を余儀なくされた一方で、医療機関の地域的偏在が進行した点などを例証し、診療報酬制度などの医療財政政策は医療供給政策に本来的に期待された役割を十分には代替したわけではないことが明らかにされる。

 第4章は「地域医療資源をめぐる自己統治の作法」と題され、国政レベルで医療供給政策が「不決定」状況に陥ったことによって、医療サービスが供給される現場ともいえる地方レベルに対して、いかなる影響がもたらされたかを検討している。著者は、第一に、美濃部都政下における都立病院政策を素材にして、公的医療機関の拡張に対する地域レベルでの医師会の抵抗運動とその帰結について検討を加え、公的医療機関の拡張は地域医療資源体系への新規参入によって地元医師会の既得権益が侵されるという単なるシェア配分の問題にとどまらず、その規模の大きさから地域医療資源体系の管理者としての地位を公的医療機関が占めようとする意図が込められていたとしている。そして、地域医師会の運動が、単なる抵抗から医師会病院など共同利用施設も自主運営に乗り出すといった、資源体系を組織化し自己統治を指向する試みへと戦略的に対応したこと、そうした行動は専門職団体としての統治への意志を表わしたものであったとしている。第二に、公的医療機関のみならず私的医療機関についても、「適正配置」を掲げる新規開業に自主規制を行うことで市場参入を阻止しようとする地域レベルにおける医師会のネガティヴな行動を描写する。加えて、これらネガティヴな行動のうちにも、ルール形成など創造的な側面をもっていたが、そうした試みにも限界があったことを指摘しつつ、そうした限界の認識を通じ、地方自治体や医師会などが次第に機能連携を模索する可能性が切り開かれていく様相をも描いている。第3に、再び国政レベルに視点を移し、1971年保険医総辞退事件後の動きを詳細に追い、政策過程の表層を覆う個々の事件から医療政策体系のあり方に変容がもたらされる兆候が次第に看取されるようになったとする。

 そこで、著者は、第5章を「地域医療政策の空洞化」と題し、実際に1980年代前半期に構造的な権力関係や医療政策体系に訪れた転機を政治行政学的な視点から分析することに当てるのである。長年にわたる「不決定」状況の中で課題が山積した医療保険制度や診療報酬制度を巡る諸論点のいわば合流点として改革の歯車が大きく回転された1983年老人保健法制定とそれ以降の政策展開を分析するとき、こうした制度転換によって、本論文で指摘する医療政策体系の断層状態あるいは医療財政政策と医療供給政策間の代替的性格が解消されたわけではなかった点が明らかにされる。しかも、医療機関の機能分類などが診療報酬制度に取り込まれ医療財政政策の代替的性格が強化されていく一方で、内実の伴わない医療計画が医療法改正によって導入されるなど、むしろ、断層状態はより一層押し広げられたのではないか指摘する。こうして、著者は、序論で示された問題状況へと回帰し、各章を通じた分析と検証によって本論文の課題への解答を提示する。

 終章では、著者は、通常一枚岩に結束を固める圧力団体としてのみ捉えがちな医師会の政治資源が地域レベルに蓄積されている点に着目して、地域医師会が地域レベルの機能的統治において発揮しうる可能性と限界を確認する作業は、今日政府間関係での事務権限の配分を中心とした地方分権論議が盛り上がりを見せる中で、地域主体の「下から」の自治のあり方を問う射程をも有する議論であることを示唆している。

 本論文には次のような長所が認められる。第1に、戦後初期に医療政策体系に断層が生じ、さらに、1960年代以降の医療政策体系の特徴として、医療供給政策そのものが歪んだ「跛行」的性格を負わされ、また、本来医療供給政策が果たすべき役割のかなりの部分が「代替」的に医療財政政策によって担われてきたことを見事に明らかにした点である。これは、この未開拓な政策分野の研究におけるパイオニア的な知見である。ある政策領域における行政官庁と政策対象との関係に関わる側面と、政策遂行手段として財政に関係する側面という二つの側面が、行政官庁の縦割り主義やその他諸々の要因で政策展開の進捗状況にズレをみせる。著者は、これを「断層」と概念化し、こうした「断層」状況を生み出す構造的な問題性を尖鋭に認識する手法を開発したといえる。

 第2に、このように「断層」から派生した「跛行」あるいは「代替」という医療政策体系を特徴づける状況が1960年代を通じて拡大・強化されていく過程を記述するうえで,日本医師会の政治行動を理念型として抽出した"総辞退カード"という概念装置を導入した点も重要である。"総辞退カード"概念の効用の一つは、そこに日医の集団内部メカニズムである拒否権発動抑制-内部統制という機能が込められていたことを明らかにしたことである。確かに"総辞退カード"の短期的目的がとりわけ診療報酬改定に対する医業界の要求を政治行政過程に反映させることであったにしても、他方で、"総辞退カード"には、個人開業医中心の日医に対抗して次々と病院団体が旗揚げし分裂・統合を繰り返すという業界内部の政治的多元化状況や日医の政治力に対する危機意識を背景とし、政治的実践に向けて組織動員を図ることによって日医の統合力の維持と医業界における地位の低落傾向に歯止めをかけようという長期的意味合いが織り込まれていたのである。しかも、1980年代の医療費抑制策に見られる医療政策の転換の一つの要因として日医の政治力低下を指摘する議論がこれまで多い中で、その要因やそれに伴う医療政策過程における権力構造の転換の具体的経緯が十分に解明されることがなかったのだが、これらの疑問は"総辞退カード"に着目することによって説明可能なものとなったといえる。

 第3に、公立病院等の建設をめぐる地元医師会と地方自治体との対立、あるいは「適正配置」に名を借りた医師会による恣意的な開業自主規制など、地域レベルで排除の論理が全国的に波及していく有様や、よりポジティブには医師会病院の自己組織化の経緯など、地域レベルにおける自己統治の様相を具体的事例を通して分析し、こうした地域レベルでの一連の事象が国政レベルでの"総辞退カード"の発動を含む一連の政策過程といかにリンクしていたのか、を明らかにした点も評価に値する。これによって、これまでのいわゆる圧力団体論では必ずしも注目されなかった圧力団体の内部構成に関する生態を多面的に解明することに成功したといえるからである。

 本論文の構成上の特色は、医療政策体系の断層を被説明項とし、「中央地方関係」及び「専門家自治をめぐる二つの側面」という二つの事項を説明変数として措定している点である。「中央地方関係」について、政策の立案・形成・実施といった政策経路として措定される中央省庁と地方自治体との政府間関係に加えて、こうした政府間関係に密着して構成される政府外のいわゆる利益集団の中央地方関係、具体的には、日本医師会-都道府県医師会-地区医師会という利益集団内関係及び政府間関係と利益集団内関係との絡みあいが明らかにされた。このように医療政策体系を分析するにあたって、分析対象を国政レベルにのみ限定せず、中央地方間の政策実施構造にまで射程を延ばした点も本論文の長所である。これによって、これまで全く見過ごされてきた医療政策における中央地方関係へ新たな光が当てられることになったからである。「専門家自治の二つの側面」については、「政府介入と医療専門家の自治との相克」という視点のもとで、医師の専門家集団の自治を、自律性と自己統治という二つの側面から捉えている。医師や医療機関が共同資源的性格をもつ「患者」」の獲得をめぐって過剰なまでに競合を繰り広げる状況を避けて効率的な資源配分をいかにして確保するか、というのが医療供給システムの重要な課題となるが、これが専門家集団内の解決に委ねられるときに、個々の成員の利害と集団全体の利害との緊張関係が問われ、自己統治をめぐる問題がいかに先鋭化するかを明らかにした点も重要である。これらが第4の長所である。

 最後に、これらの被説明項と説明変数を結びつけ,政策過程の視点から分析するために「不決定」という政策分析に有効な一般概念を提唱した点も高く評価される。この概念は,政策プログラムが目的・手段の連鎖構造として意味づけられるという因果連関の仮説から成立していることと、そのような政策プログラムの決定をめぐっては、その「決定」に引き続き展開される様々なアクターの行為に対して影響を与えるように解釈される可能性が常にあるという戦略的要素が不断に存在すること、という「決定」の二重性に着目したものであって、こうした二つの異なるレベルの解釈が密接に連関しながらも現実の政策過程においてズレを見せる現象を広く捉えうる可能性を開いたといえる。これと関連し、新制度論に依拠しながら「制度引照」という概念を提唱した点も注目に値する。制度引照とは、ある次元の制度=アリーナにアクセス可能であることから獲得した権威や情報を、別の次元の制度=アリーナでの交渉資源として利用することを意味しており、この概念を用いて「中央地方関係」および「政府介入と医療専門家の自治との相克」というモチーフのもとで展開される複数の政策過程を関連づけて観察することで「不決定」が生じる契機を見極めることが可能となったからである。

 本論文にも問題点がないわけではない。理論的には、不決定が実際になにを意味しているか、そのタイプの違いによって、同じ不決定といっても効果がも違ってくるのではないか、この点での考察が不十分である感は免れないのではないか。また、新制度論を援用し「制度引照」という興味深い概念を提示しているが、ある制度引照の選択がアクターにとって有利になる場合も不利になる場合もあるのではないか、この点でもさらに深い考察があってもよかったのではないか。政策及び政策過程の分析では、医療政策体系の「断層」は明確になったが、それでは、その供給政策と財政政策のあるべき姿はどう捉えられるのか。両者の間にゆがみをもたらしたものは、中央政府の公共政策決定の枠組み自体にあるのではないか、医療政策体系の「断層」をもっと広い文脈に置いてみる必要もあるのではないか。また、終章は、いささか物足りない結びとなっており、高齢社会の到来を踏まえ、著者なりに保健・福祉との関係を射程に入れた医療政策のあり方について展望的な考察があってもよかったのではないか。

 しかしながら、これらの疑問点及び注文も、本論文の基本的は価値を損なうものではない。わが国の医療政策の仕組みがどのように成り立っているのかを、資料に埋没せず論点を明示にしつつ仮説検証を通じて明らかにしたことは高く評価できる。医療政策の本格的な研究は本論文をもって嚆矢とするといってよく、本論文の学界に対する貢献はきわめて大きいことは疑い得ない。以上の理由により、本論文は、博士(学術)学位を授与されるのに値するものと結論する。

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