学位論文要旨



No 112298
著者(漢字) 佟,暁
著者(英字)
著者(カナ) トン,ショウ
標題(和) Si(111)-×表面の原子配列と電子構造及び表面準位による電気伝導
標題(洋) Atomic and Electronic Structures of Si(111)-× surfaces and Electrical Conduction via Surface-state Band
報告番号 112298
報告番号 甲12298
学位授与日 1997.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3135号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 大塚,洋一
 東京大学 助教授 柿崎,明人
内容要旨

 半導体単結晶表面に金属を蒸着すると通常のバルク結晶に見られない特異な原子配列構造と電子状態が形成される。本研究では、そのような特殊な構造を原子レベルで制御、解析して、通常の状態では現われない特異な電気特性を発見し、その機構の解明し、特に、Si(111)表面上に形成される表面超構造とその表面電気伝導の性質について研究した。Si(111)表面上にあらかじめ1原子層のAgを蒸着し、300℃以上加熱することにより、×-Ag構造を作製した。さらに、この表面にAg、Au、Cu、を1、2原子層程度蒸着し、その途中過程で現われる表面超構造の観察をRHEED(反射高速電子回折)を用いて行い、STM(走査トンネル顕微鏡)により原子レベルの構造の解析を行った。さらに、表面構造の変化に対応して電気伝導を測定した。また、これらの構造の電子状態を調べるために、XPS(X線光電子分光)、ARUPS(角度分解紫外線光電子分光)の測定も行い、表面電気伝導の機構の解明を試みた。

(1)Si(111)-×-Ag表面上へのAg,Au,或いはCuの蒸着過程に於ける表面構造の変化

 低温のSi(111)-×-Ag表面上に0〜1ML原子層のAgを蒸着する過程をRHEEDで観察した結果、表面構造は×-Agから×-Ag、6×6-Ag等に変化することが分かった。×-Ag構造は0.14原子層、6×6-Ag構造は0.18原子層のAg吸着によって形成された。その変化の様子の温度依存性を詳しく調べて表面の状態図を始めて作成し、さらに、構造変化の過程についてSTMでも詳しく観察した。その結果、Agは最初は単原子として×-Ag表面にランダム的に吸着するが、Ag蒸着量の増加に従って、主にステプ端に集中して吸着し、細線になる。次にテラス上にな部分では×-Ag構造の単位胞の3-5倍の間隔毎に二次元核が形成され、その核が成長しながら相互作用によって×-Ag構造が形成された。さらにAgを蒸着すると×-Ag構造が一時的に乱れた構造になり、再び×-Ag構造に戻り、同時に×-Ag構造のドメインの上にAg微粒子が形成された。観察結果に基づいて×-Ag構造の原子配列モデルを提案した(図1)。それは吸着Ag原子は×-AgのAg trimerの中心に乗って、×-Agの単位胞に四つの吸着Ag原子が存在するというモデルである。またドメイン境界の原子配列構造も観察した。さらに、低温でのみ観察される×-Ag表面のSTM像は、他の研究者によって報告されている×-(Ag+Au)表面のSTM像と比べると非常に類似した構造であることを見出した。また、×-Ag表面上にCuを遅い蒸着速度で蒸着すると安定な×-(Ag+Cu)構造が現われることも始めて見出した。

(2)Si(111)-×-Ag表面上へのAg,Au,或いはCu蒸着過程に於ける表面電気伝導の変化

 構造変化に対応する表面電気伝導の変化を四端子法で測定した。その結果、Ag蒸着の場合、表面構造が蒸着量の増加に従って×から、×を経て6×6、さらに×に変化することに対応して、表面電気抵抗が著しく減少、増加、また減少と変化する現象を発見した(図2.(e))。下地の温度と蒸着速度を制御すると、これらの超構造のドメインの大きさや面積比率の蒸着量依存性等が変わり、これに対応して、表面電気抵抗の変化量と蒸着量の依存性も変わった(図2.(c)(d)(f))。また、約190Kに表面を保ったまま蒸着したり、止めたりすると×構造を形成したり、消滅したが、これに対応して表面電気抵抗が減少したり、増加した。このように僅か0.04ML原子層程度の表面超構造の違いによって、電気伝導の変化が著しく影響を受けることを見いだした。又、室温でSi(111)-×-Agの上にAu或いはCuを蒸着した場合にも×-(Ag+Au)や×-(Ag+Cu)構造が現わるが、それに従って、この場合にも表面電気抵抗が著しく減少する現象が観察された(図2.(a)(b))。このように×表面は非常に高い電気伝導を持てるということが分かった。

(3)Si(111)-×-Ag表面上へのAu,或いはCuの蒸着過程に於ける電子状態の変化

 ×-Ag表面にはフェルミ準位を横切って表面電子準位バンド(S1バンド)が存在することをARUPSで確認した。×-(Ag+Au)及び×-(Ag+Cu)についてARUPSを測定した結果、×-(Ag+Au)と×-(Ag+Cu)の電子構造は非常に類似していることが分かった。具体的に、×表面には×-Agの表面S1バンドが残っている、これは×-Agの表面のAgとSiの結合が壊れていないことを意味している。ところが、フェルミ準位付近に新しく分散の大きい電子準位バンド(S*1バンド)が現われていることを見い出した(図3)、S*1バンドのフェルミ波数はS1バンドより大きくなっている。×-(Ag+Au)及び×-(Ag+Cu)についてXPSを用いてSi2p内殻準位シフトを測定した結果、表面空間電荷層は、×-Ag表面でホール蓄積層だった状態から空乏層に変化することが分かった。これはS*1バンドとバルクの価電子バンドがお互いに重なってS*1バンドの電子が空間電荷層に漏れたためであると考えられる。この結果もS1とS*1バンドに占有している電子は吸着原子から提供されたことを意味している。この結論はさらに表面仕事関数の測定結果に支持されている、又Ag4d表面準位シフト量がSi2p内殻準位シフトより小さいので×表面のAg trimerに真空側プラスの電気双極子が存在していることを示唆した.

(4)×表面の表面原子配列構造、表面電子構造、及び表面電気伝導の関連

 ×-Ag表面上にはダンクリンボンドがないので、×構造を形成する吸着原子は表面にどんな様式で結合しているのか今まで明らかでなかった。本研究ではSTM,ARUPS,XPSの実験結果を総合すると、半導体表面に於ける新しいタイプの結合「表面準位共鳴による金属バンド」が形成されていることを提案した。これは吸着原子が表面に於ける反結合準位(S1バンド)と共鳴して、吸着原子からの電子が吸着原子と表面反結合準位に両方に束縛されて、フェルミ準位付近に新しいた表面電子準位バンド(S*1バンド)を形成するのである。

 ×-(Ag+Au)と×-(Ag+Cu)表面のXPSの測定結果は、×-Agと比べて、表面空間電荷層に於ける多数キャアー、つまりホールの濃度が減少していることを意味しており、表面電気伝導が減少するはずだが、電気伝導度の測定結果は全く逆で、この結果はバンド湾曲の立場から説明出来ない異例な実験結果になった(図4)。ARUPSの結果、×-Ag構造が×構造に変わると、フェルミ準位付近にS1バンドの外に、S1バンドに比べて電子のフェルミ波数の大きくなった新しいS*1バンドが出来ていることが明らかになったので、フェルミ準位付近に於ける電子状態密度が増加された(図3)、これは表面電気伝導の増加に寄与すると考えられる。このように表面準位による電気伝導を始めて実験的に見い出した。

図1.(a)はSi(111)一×-Ag表面のSTM像(チップバイアス-1.0eV)である、黒い格子と白い線はそれぞれ×の周期と×単位胞を示す。(b)は×-Ag表面の原子配列模型である、赤い丸は吸着Ag原子を示し、白い丸と黒い丸は各々×構造を構成するAgとSi原子を示す。図2.Si(111)-×-Ag構造の表面に(a)Au(b)Cu,或いは(c)(d)(e)(f)Agを吸着させた過程での表面構造とそれに対応する電気抵抗の変化。図3.Si(111)-×-(Ag+Au)表面からのARUPS。S1×--Ag表面にすでに存在したのバンドだが、S*1は新しい形成されたバンドである。両方でもファルミ準位を横切っている分散の大きい金属バンドである。図4.曲線は空間電荷層を通る表面電気伝導度の表面ファルミ位置依存性を示す。これは抵抗率が20cmのP型SiについてPoisson方程式を解いて計算した結果である。丸はSi(111)-7×7構造に対して×--Ag,×--Ag、(Ag+Au)、(Ag+Cu)の表面電気伝導の増加と各々表面構造のEF位置の実験データを示す。データ点は計算曲線より高い表面電気伝導を示しているが、これは表面準位を介した電気伝導の寄与を意味している。
審査要旨

 半導体単結晶表面に金属を蒸着すると、表面にはバルクには合金を形成しない物質が表面合金として安定化され、特異な原子配列と電子状態が形成される場合がある。このような系のうち金属が吸着したシリコン表面は、これまでの電子回折や光電子分光などにより、その構造と電子状態がかなり詳細に調べられてきた系である。しかしながら、これら表面構造と電子状態が、表面附近での電気伝導にどのように関与しているかについては、これまでは、あまり詳しく研究されていなかった。最近になって、表面にいくつかの種類の金属を蒸着したシリコン(111)面を持つ試料の電気伝導が超高真空中で測定され、金属の膜厚の変化による表面構造変化と電気伝導との関係が議論され始めている。本論文では、貴金属が蒸着されたSi(111)-×銀表面に現われる超構造とその電子状態、さらにこの表面をもつ試料の電気伝導を室温から数10Kまでの範囲で測定し、これらの関係について議論したものである。

 本論文は、5章から構成されている。第1章は序論であり、表面電気伝導についてこれまでの研究がまとめられている。第2章では、反射高速電子回折と走査トンネル顕微鏡(STM)によって、貴金属が蒸着された表面構造を60K程度までの温度域で測定した結果が記述されている。第3章では同じ試料の室温での光電子分光測定により表面電子状態が調べられ、第4章では電気伝導の測定結果が述べられている。第5章は2、3、4章の実験結果に基づいて、構造や電子状態と電気伝導の関係が議論されている。以下に本論文において得られた主な成果を記述する。

 (1)Si(111)-×銀表面にさらに銀が蒸着された表面でどのような超構造が、どの温度域と蒸着量で観測されるかを明らかにした。特に、室温以下で観測される×構造については、STMによる観察を60Kで行い、その原子配列が、金を室温でSi(111)一×銀表面に蒸着した場合に観測される×構造と類似であることを明らかにした。

 (2)Si(111)-×銀表面にさらに金および銅が蒸着された×超構造をもつ表面のフェルミ面附近の電子状態を、室温で角度分解光電子分光より調べ、Si(111)-×銀表面表面固有の表面電子準位バンドに加えて、さらに金や銅が蒸着されたために、新しい表面電子準位バンドが形成されていることを見出した。また、X線光電子分光により、シリコン2p内殻準位シフトを測定し、表面附近のバンド湾曲が金や銅を蒸着したために変化することを明らかにした。

 (3)Si(111)-×銀表面にさらに銀が蒸着された表面をもつ試料の電気抵抗を測定し、×表面超構造が現れる場合には他の構造をもつ場合に比べて試料の抵抗が低いことをみいだした。この表面構造は150K以下で安定であるが、それ以上の温度でも短時間この構造が観測され、それに対応して試料の抵抗も小さくなることをあきらかにした。また、Si(111)-×銀表面に金および銅が蒸着された表面をもつ試料でも、室温で×表面超構造が現れることと対応して、試料の抵抗が他の構造をもつ場合と比べて減少していることをみいだした。

 審査委員会は、これらの研究において、超高真空中における困難な測定が十分注意深く行なわれ、その解析及び考察がおおむね適切な手法でなされていると判断した。現段階では、電気伝導の機構を決定するための十分な測定結果が揃ってはいないが、電子状態と電気伝導との関係を議論するための重要な実験事実を明らかにしたことの意義は大きい。このように、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に相当するものと認めた。

 なお、本研究は、井野正三教授(指導教官)および長谷川修司助教授との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から実験及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと認められた。

UTokyo Repositoryリンク