学位論文要旨



No 112301
著者(漢字) 林,真理子
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,マリコ
標題(和) ムスカリン受容体各種変異体の発現、精製と試験管内再構成
標題(洋) Expression,purification and in vitro reconstitution of various mutants of muscarinic receptors
報告番号 112301
報告番号 甲12301
学位授与日 1997.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3138号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 講師 飯野,雄一
 東京大学 講師 武藤,裕
内容要旨 【目的】

 ホルモン・神経伝達物質・オータコイドなどの細胞間情報伝達物質の多くは、受容体への結合を介して三量体GTP結合蛋白質(G蛋白質)のGDP-GTP交換を促進する。これにかかわる受容体は、細胞膜を貫通するとみられる疎水性領域を7つもつのが共通の特徴で、数多くが同定されている。G蛋白質共役型受容体の多くは組織中の存在量が少なく、効率の良い精製方法が確立しているものもわずかであるため、その高次構造の研究はほとんど進んでいない。本研究では代表的なG蛋白質共役受容体であるムスカリン性アセチルコリン受容体の高次構造の解明を最終目標として、構造多様性の排除・結晶性の向上を目的とした各種変異体を作成し、バキュロウイルス-Sf9系により発現させ、その性質を明らかにすることを試みた。さらに、簡便で汎用性のある精製法の開発も具体的目標とした。

【方法】

 糖鎖付加による構造多様性の排除を目的として、N末細胞外ドメインのN-グリコシル化のコンセンサス配列を満たすアスパラギン残基をアスパラギン酸に変換した。発現・精製効率の改善を目的として、N末端に対してMycエピトープの融合、シグナルペプチドとFLAGエピトープの融合、ポリヘドリン蛋白質N末11残基の融合を行った。第三細胞内ループ中央部分はリン酸化を受け脱感作に関わる部位でありG蛋白質の活性化には必要がないが、この部分はSf9細胞内プロテアーゼによる切断を受けやすく構造多様性につながるので、これを除去した。C末端側に対しては、C末細胞内ドメインのパルミチル化を受けると推定される457番目のシステイン残基をアラニンに変換することにより除去し、また金属キレートゲルによる精製のためのヒスチジン6残基の融合を行った。これらの単独もしくは重複変異体を発現する組み替え体バキュロウイルスを作成してSf9細胞に発現させた。

【結果・考察】1.m2受容体各種変異体の作製

 構造解析には一般の生化学的解析に較べて大量の精製標品が必要とされ、また解析に必要な時間、受容体が安定であることが要求される。従って受容体の精製出発材料としては、構造解析に好都合な変異体の発現が可能である培養細胞を用いることとし、発現効率の良さ、大量培養のしやすさからバキュロウイルス-Sf9系を選んだ。構造解析の対象としては、ムスカリン性アセチルコリン受容体の5種のサブタイプのうち、バキュロウイルス-Sf9系における発現効率が最も良く、界面活性剤などに対して比較的安定であることから、m2サブタイプを選んだ。

 構造多様性排除や結晶性の向上、発現・精製効率の改善を目的として各種変異体を構築した。作成した変異体はいずれもリガンド結合活性を保持していた。糖鎖付加部位の除去、シグナルペプチドとFLAGエピトープの融合、ヒスチジンタグの融合によっては野生型と比較してバキュロウイルス-Sf9系における発現量の低下はみられなかった。Mycエピトープの融合、ポリヘドリン蛋白質N末11残基の融合、パルミチル化部位の除去によっては発現量が3/4-1/2に低下した。一方、第三細胞内ループを欠失した変異体は発現量が1.2-1.5倍に向上し、しかも細胞内プロテアーゼによる分解を受けにくかった。

 糖鎖付加部位除去変異体をリガンドアフィニティーゲルABT(aminobenztropine)アガロースにより精製した。精製標品をウシ肺より精製したG蛋白質Gi2とともにリン脂質膜に再構成し、アゴニスト刺激によるG蛋白質への[35S〕GTPS結合促進活性、およびグアニンヌクレオチド非存在下での受容体のアゴニスト高親和性結合を調べた。G蛋白質との相互作用活性は野生型受容体と変わらないことが確認できた。

2.m2受容体のパルミチル化

 m2受容体のパルミチル化について変異体を用いて調べた。ロドプシンやアドレナリン受容体はC末端がパルミチル化を受けることが知られている。m2受容体についてもC末端細胞内ドメインのCys457残基がパルミチル化を受けると推定されていた。組み替え体ウイルスを感染させたSf9細胞を[3H]パルミチン酸中で培養したところ、野生型受容体は標識されたが、Cys457をアラニンに変換した変異体は標識されなかった。この結果は、Cys457がm2受容体のパルミチル化部位であることを示す。このパルミチン酸による受容体の標識は、Sf9細胞のアゴニスト刺激により促進された。この脂質修飾の受容体の機能に及ぼす役割を更に調べる目的で、パルミチル化部位の変異体を精製し、その性質をG蛋白質との再構成系で調べた。変異体もアゴニスト存在下でG蛋白質への[35S]GTPS結合を促進したが、その速度は野生型の約1/2に低下していた。また、アゴニストによる[3H]QNB結合阻害曲線はグアニンヌクレオチド非存在下でのアゴニスト高親和性結合の存在を示した。阻害曲線の解析から、変異体では高親和性結合の結合定数に変化がなく、受容体全体に対する高親和性結合の割合が野生型より低下していていることがわかった。また、野生型及び変異型受容体をリン脂質膜に再構成し、G蛋白共役受容体キナーゼによるリン酸化について調べたが、野生型と変異体で変化はなかった。

3.ヒスチジンタグ融合変異体の金属キレートゲルによる精製

 ヒスチジン6残基を融合した受容体を発現させ、その精製方法及び生化学的性質を検討した。ヒスチジンタグによる精製方法は、ヒスチジン残基が金属イオンに配位して結合することを利用して目的蛋白質を金属キレートゲルに結合させ、低pHによるヒスチジン残基の荷電状態の変化、イミダゾールやヒスチジンとの競合、キレーターによる金属イオンの除去などにより溶出するものである。種々の金属イオンを結合させたChelating Sepharoseにより、ヒスチジン6残基を融合した受容体の精製効率を比較した。溶出には低pHや金属イオンの存在が受容体を不安定化することから、イミダゾールを用いた。試みた6種類の金属イオンのうち、Co2+を結合させたゲルを用いた場合最も精製効率が良く、これまで良く用いられてきたNi2+より優れていた。Co2+ゲルを用いて精製した受容体は、ABTアガロースと比較して比活性はやや劣るものの収率がよく、短時間で得ることができた。ヒスチジンタグの融合が受容体の機能に及ぼす影響を調べるため、Sf9細胞に発現させた変異体をABTアガロースにより精製し、リン脂質膜への再構成実験を行って野生型と比較した。G蛋白質への[35S]GTPS結合促進活性、受容体のアゴニスト高親和性結合に変化はなく、ヒスチジン6残基のC末端への融合が受容体とG蛋白質との相互作用に影響を及ぼさないことがわかった。更に、Co2+ゲルを用いて精製した受容体もまたG蛋白質を活性化できることを確認した。ヒスチジンタグとCo2+ゲルを用いる方法はリガンドゲルによる精製法が確立されていない受容体に応用できる。金属キレートゲルによる精製方法は、濃度が高いことが必要とされるが高い比活性は必ずしも要求されない、NMRによる受容体に結合したリガンドのコンフォメーション解析に用いる標品の調製に特に有効な方法である。さらに金属キレートゲルはリガンドゲルと異なりリガンド結合状態のまま受容体を精製できるので、リガンドを結合させて安定化させた状態で扱うことができ、二次元結晶化を行う際の界面活性剤の選択の幅が広がる。

 現在、作製した種々の変異体の中から、糖鎖除去・第三細胞内ループ欠失・ヒスチジンタグ融合変異体を選んで大量発現を行っている。細胞培養系の改善とあわせ、培養1リットルあたり25nmol、0.8mgの受容体が発現し、これから約10nmolの精製標品を得ることが出来る。これを用いることで受容体の二次元結晶化やリガンドのコンフォメーション解析を試みることが可能になった。

審査要旨

 本研究は、代表的なG蛋白質共役受容体であるムスカリン性アセチルコリン受容体の高次構造の解明を最終目標として、構造解析に適した種々の変異体を作成してバキュロウイルス-Sf9系を用いて発現し、それらの生化学的性質を調べたものであり、以下の結果を得ている。

 まず、構造多様性排除や結晶性の向上、発現・精製効率の改善を目的としてムスカリン性アセチルコリン受容体m2サブタイプの各種変異体を構築し、バキュロウイルス-Sf9系で発現させた。作成した変異体はいずれもリガンド結合活性を保持していた。第三細胞内ループを欠失した変異体は発現量が1.2-1.5倍に向上しており、また細胞内プロテアーゼによる分解を受けにくかった。糖鎖付加部位の除去、シグナルペプチドとFLAGエピトープの融合、ヒスチジンタグの融合によっては野生型と比較して発現量は変わらなかった。Mycエピトープの融合、ポリヘドリン蛋白質N末11残基の融合、パルミチル化部位の除去によっては発現量が3/4-1/2に低下した。糖鎖付加部位の除去、ヒスチジンタグの融合、パルミチル化部位の除去を行った変異体については更に詳細な生化学的解析が行なわれた。

 第一に、糖鎖の付加による構造多様性の排除を目的として、N末細胞外ドメインのN-グリコシル化のコンセンサス配列を満たすアスパラギン残基をアスパラギン酸に変換した変異体が作成され、その活性が調べられた。リガンドアフィニティーゲルABT(aminobenztropine)アガロースにより精製したm2受容体標品をウシ肺より精製したG蛋白質Gi2とともにリン脂質膜に再構成し、アゴニスト刺激によるG蛋白質への[35S]GTPgS結合促進活性、およびグアニンヌクレオチド非存在下での受容体のアゴニスト高親和性結合を調べたところ、野生型受容体と変わらないことが確認された。

 第二に、C末端細胞内ドメインのパルミチル化について調べられた。Sf9細胞を[3H]パルミチン酸中で培養すると、野生型受容体は標識されたが、457番目のシステイン残基をアラニンに変換した変異体は標識されず、Cys457がm2受容体のパルミチル化部位であることが示された。パルミチン酸による標識は、Sf9細胞をアゴニスト存在下で培養することにより促進された。精製標品による再構成実験で、変異体もアゴニスト存在下でG蛋白質への[35S]GTPS結合を促進したが、その速度は野生型の約1/2に低下していた。G蛋白共役受容体キナーゼによるリン酸化には野生型と変異体で変化がないことが示された。

 第三に、リガンドゲルに代わる効率よい精製法を求めて、C末端にヒスチジン6残基を融合した受容体を発現させ、その受容体を金属キレートゲルにより精製する方法を検討した。種々の金属イオンを結合させたChelating Sepharoseを用いて、ヒスチジン6残基を融合した受容体の精製効率を比較した。溶出にはイミダゾールを用いた。コバルトイオン(Co2+)を結合させたゲルを用いた場合最も精製効率が良かった。再構成実験により、ヒスチジン6残基のC末端への融合が受容体とG蛋白質との相互作用に影響を及ぼさないこと、Co2+ゲルを用いて精製した受容体もG蛋白質を活性化できることが確認された。ヒスチジンタグとCo2+ゲルを用いる方法はリガンドゲルによる精製法が確立されていない受容体に応用できる。また収率がよく受容体を安定に取り扱うことができるので、高次構造解析に用いる標品の調製に適している。

 以上、本論文はムスカリン受容体の種々の変異体を作成し、バキュロウイルス-Sf9系で発現、精製し、その性質を生化学的に解析したものである。G蛋白質共役型受容体の多くは組織中の存在量が少なく、効率の良い精製方法が確立しているものもわずかであるため、その高次構造の研究はほとんど進んでいない。本研究はG蛋白質共役型受容体の高次構造解析に有用な種々の変異体を作成してその性質を明らかにし、また精製法を開発したもので、学位の授与に値するものと認められる。なお、本研究で述べた結果は芳賀達也との共同研究として公表されているが、殆ど全ての実験は論文提出者によって行われ、結果の解釈・考察の主要部分も論文提出者によって行われた。

UTokyo Repositoryリンク