学位論文要旨



No 112304
著者(漢字) 望月,康弘
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,ヤスヒロ
標題(和) 培養細胞を用いたリポフスシン生成機構に関する研究
標題(洋) Lipofuscin Formation Using Culture Cells as a Simple Model
報告番号 112304
報告番号 甲12304
学位授与日 1997.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3141号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 平野,哲也
 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨

 動物の老化のメカニズムについて考える場合、分裂によって補われない神経細胞や心筋細胞等の加齢変化は、たいへん示唆に富む現象を含んでいると考えられる。リポフスシンは動物の加齢に伴って細胞内に蓄積する自家蛍光物質であり、蛍光顕微鏡下に黄色の顆粒として観察され、組織化学的な染色性や電子顕微鏡による検討から、二次リソソームに蓄積すると考えられている。リポフスシン自体は生理的に不活性な物質であるとされているが、分裂終了細胞での蓄積が顕著であることから、その生成機構を解明することによって老化のメカニズムの一端が明らかになる可能性がある。リポフスシンの生成機構について、動物にビタミンE欠乏食を与え続けると、リポフスシン様の蛍光物質が生成してくることから酸化反応が関係していると考えられている。近年、老化を引き起こす原因として活性酸素による傷害がクローズアップされてきているため、リポフスシンが酸化傷害によって生じるという考え方は、そのような説と合致しているかのようにもみえる。しかし、老化のみならず様々な活性酸素が原因と考えられる病気等においても、その直接的な関与が明らかにされたものは未だにない。また、in vitroで単に脂質を酸化することによってリポフスシンは生成しない。その一方でリソソーム酵素の活性を阻害することによっても、リポフスシン様の蛍光物質が生成することが報告されている。従って、今のところリポフスシンの生成に、抗酸化活性と蛋白質分解活性の低下が関係している可能性が高いと考えられるが、その両者が関係するのか、またはどちらか一方しか関係しないのかは明確ではない。そこで私は分裂終了細胞の老化のメカニズムを明らかにする目的で、リポフスシンの生成機構について研究することにした。

 まず、リポフスシンについて研究していく上で、それを同定する方法が問題となった。リポフスシンは未だに単離精製されておらず、その化学的な構成成分は不明であるため明確な定義が存在しない。例えば、様々な薬剤処理あるいは病気において、リポフスシン様の蛍光物質が蓄積することが報告されているが、老化過程で蓄積するリポフスシンとの関係は明らかではない。リポフスシンは脂肪染色に陽性であり、老齢動物の臓器の脂質抽出液中に蛍光が観察されるため、生化学的にはそれがリポフスシンによる蛍光であるとされ、その蛍光スペクトルによる同定が試みられてきた。ところがそのピークは450nm付近の青色の波長域にあり、蛍光顕微鏡で観察されるリポフスシンの黄色の自家蛍光とは一致しない。これに対してEldred等は、この矛盾が蛍光検出器の波長による感度の偏りによるものであり、検出器の感度補正を行えば矛盾のないスペクトルが得られることを、目の色素上皮細胞のリポフスシンについて報告していた。そこでラットの脳と副腎から脂溶性物質を抽出し補正蛍光スペクトルを測定した。さらに非脂溶性物質についてもSDSで完全に可溶化し測定した。しかし、脳でも副腎でも青い自家蛍光によって、リポフスシンに特異的なピークは検出されなかった。そこで、組織切片を用いてリポフスシンの補正蛍光スペクトルを顕微分光蛍光光度計によって直接測定した。その結果、蛍光顕微鏡で観察されるリポフスシンの蛍光と矛盾しないスペクトルが脳と副腎において得られた。脳のリポフスシンは明るい黄白色であり、そのスペクトルには540-570nmに大きなピークと480-520nm、620-660nmに小さな肩があった。副腎のリポフスシンはくすんだオレンジ色であり、640-660nmに大きなピークと530-580nmに肩があった。以上の結果から、顕微分光蛍光光度計で補正蛍光スペクトルを測定することによって、リポフスシンの蛍光波長を明らかにできることが分かった。また、脳と副腎のリポフスシンの補正蛍光スペクトルの比較から、リポフスシンはいくつかの蛍光物質の集団からなり、それらの割合によって蛍光の色が組織ごとに特徴づけられる可能性が示唆された。

 リポフスシンを同定する方法が明らかとなったので、次にリポフスシンを短期間で蓄積するモデル系の検索を行った。リポフスシン生成機構を研究するにあたってマウス・ラットなどの老齢個体を用いると、一つの実験を行うのに数年の年月を要してしまう。従ってリポフスシンを短期間で蓄積する培養細胞系で実験する方が効率的であると考えられた。いくつかの株細胞についてリポフスシンの蓄積を調べた結果、マウス・ニューロブラストーマとラット・グリオーマのハイブリッド細胞であるNG108-15細胞が神経細胞様に分化する際、顕著にリポフスシン様蛍光物質を蓄積することを発見した。そこで、NG108-15細胞に蓄積するリポフスシン様蛍光物質とラットの脳のリポフスシンとの相同性について調べた。NG108-15細胞のリポフスシン様蛍光物質を含む顆粒は、PAS染色と酸性フォスファターゼ染色に対して陽性であったことから、脳のリポフスシンと同様リソソームに局在することが分かった。また、NG108-15細胞のリポフスシン様蛍光物質の補正蛍光スペクトルは、脳のものと全く同じではないもののそのピークの一部が一致した。以上の結果から、NG108-15細胞に蓄積するリポフスシン様蛍光物質は脳のリポフスシンとまったく同じものではないが相同なものと考えられた。NG108-15細胞が脳の神経細胞と全く同じように老化し、リポフスシン様蛍光物質を生成しているとは考え難いが、短期間に個体老化と共通ないくつかの変化が起こって蛍光物質を生成している可能性は非常に高い。そこで、この細胞をリポフスシン生成機構のモデル系とし研究に用いることにした。

 まず、これまでにリポフスシンの蓄積に影響があるとされる薬剤を培地に添加し、細胞分化に伴う蛍光物質の蓄積に影響があるか否かを検討した。その結果、酸化反応に関連した薬剤には何の効果もみられず、チオールプロテアーゼの阻害剤であるロイペプチンとE-64のみが顕著に蛍光物質の蓄積を促進した。そこで、リソソームの主なチオールプロテアーゼであるカテプシンB、C、Lの活性を測定した。当初それらの活性は細胞が分化するにつれて低下すると予想されたが、むしろ有意に増加していた。また、細胞全体の蛋白質量も分化にともなって増加しており、その増加はE-64を培地に添加することによってさらに顕著となった。以上の結果から、NG108-15細胞では神経細胞様に分化するにつれてプロテアーゼ活性の上昇を上回る分解されるべき蛋白質の増加がおこり、分解され残ったものがリソソーム内に蓄積した結果、蛍光顆粒として観察されるものと考えられた。また、脳と副腎のリポフスシンと、NG108-15細胞に蓄積するリポフスシン様蛍光物質の補正蛍光スペクトルの比較から、蛋白質分解系の効率の低下だけでは、リポフスシンと完全に一致する蛍光物質は生成しない事が示された。SohalとBrunkは心筋細胞が培養に伴ってリポフスシン様の蛍光物質を蓄積することを見いだし、その生成機構についていくつかの検討をくわえている。培養心筋細胞では酸化剤によって蛍光物質が増し、抗酸化剤でその蓄積が抑制される。このことから彼等は、リポフスシンが生体物質の酸化によって生じると主張している。以上のことを考慮するとリポフスシンには幾つかの生成機構が存在すると考えられる。本研究で、蛋白質分解系の不均衡によって生じるリポフスシン様蛍光物質の蛍光スペクトルを明らかにした。従って今後の研究で、酸化傷害のみによって生成するリポフスシン様蛍光物質の補正蛍光スペクトルに大変興味がもたれる。一般的に蛋白質分解活性は加齢に伴って低下すると考えられているが、脳のリソソームのプロテアーゼ活性は加齢に伴って変化しないか、部位によってはむしろ上昇すると報告されている。従って実際の脳の老化においても、蛋白質分解系の酵素活性の低下よりもむしろ基質の増加が起って、リポフスシンを蓄積してしまっている可能性がある。

 本研究において、脳と副腎のリポフスシンの蛍光スペクトルを明らかにした。今後、加齢以外の要因で蓄積するリポフスシン様蛍光物質についてもその蛍光スペクトルを明らかにすることは、それらの蛍光物質を分類する意味でも、リポフスシンとの異同について検討する上でも重要であると考えられる。また、リポフスシンが脂質過酸化物であって、老化に伴う酸化傷害の蓄積の証であると考えるには、まだ解決されなければならない問題が多く、蛋白質分解活性との関係も考慮されなければならない。本研究で得られた結果から、リポフスシンの生成機構には幾つかあって、それぞれの生成する蛍光物質の色は異なり、それらの割合によってリポフスシンの蛍光の色が異なることが示唆された。

審査要旨

 老化は動物が成長した後に退行していく過程であり、古くから人々の関心を集めてきた。最近では医療技術の進歩によって人の寿命が飛躍的に伸び、先進国では高齢化社会を迎えようとしているため、さらに社会的な関心ももたれるようになってきている。リポフスシンの蓄積は動物の代表的な老化兆候であり、その生成機構に関する研究は老化機構解明の糸口となる可能性がある。

 本研究は培養細胞に蓄積するリポフスシン様蛍光物質の生成機構を解明することによって、生体の老化におけるリポフスシンの生成機構に迫ろうと試みたものである。

 先ず一章においてリポフスシンの蛍光特性について明らかにしている。最初にこれまでのリポフスシン研究で行われてきたように動物の組織を単純に可溶化した場合、脳と副腎では目の色素上皮細胞のリポフスシンでの報告とは異なり、蛍光検出機の波長依存的な感度の補正を行っても顕微鏡観察の結果と一致したスペクトルは得られない事を示している。その上で、組織切片上のリポフスシンの蛍光スペクトルを測定し、顕微鏡観察と矛盾しない蛍光スペクトルを得ている。脳のリポフスシンは明るい黄白色であり、そのスペクトルには540-570nmに大きなピークと480-520nm、620-660nmに小さな肩があった。副腎のリポフスシンはくすんだオレンジ色であり、640-660nmに大きなピークと530-580nmに肩があった。さらにそれらの比較から、リポフスシンがいくつかの蛍光物質によって構成され、その構成比が組織によって異なることによってその色が異なることを推察している。

 二章においては、リポフスシン研究に有用であると考えられる株化培養細胞を用いたモデル系を検索している。リポフスシンを短期間に蓄積する株化培養細胞を用いたモデル系は、リポフスシン生成機構のみならずその他のリポフスシン研究にも有用であると考えられる。NG108-15細胞での細胞分化にともなうリポフスシン様蛍光物質の蓄積はこれまでに報告が無く、株化培養細胞が神経細胞様に分化することによってリポフスシンを蓄積するようになるのでは、という発想から発見した初めての実験系である。NG108-15細胞に蓄積するリポフスシン様蛍光物質とリポフスシンとの相同性について、これまでに報告されているリポフスシンの特徴と一章で明らかにした脳のリポフスシンの蛍光特性との比較等も交えて検討を加えている。

 三章では、二章で発見した株化培養細胞によるリポフスシン蓄積モデルを用いてリポフスシン生成機構について研究している。これまでにリポフスシンの蓄積に影響があるとされる薬剤を培地に添加し、細胞分化に伴う蛍光物質の蓄積に影響があるか否かを検討した。その結果、酸化反応に関連した薬剤には何の効果もみられず、チオールプロテアーゼの阻害剤であるロイペプチンとE-64のみが顕著に蛍光物質の蓄積を促進した。そこで、リソソームの主なチオールプロテアーゼであるカテプシンB、C、Lの活性を測定した。当初それらの活性は細胞が分化するにつれて低下すると予想されたが、むしろ有意に増加していた。また、細胞全体の蛋白質量も分化にともなって増加しており、その増加はE-64を培地に添加することによってさらに顕著となった。以上の結果から、NG108-15細胞では神経細胞様に分化するにつれてプロテアーゼ活性の上昇を上回る分解されるべき蛋白質の増加がおこり、分解され残ったものがリソソーム内に蓄積した結果、蛍光顆粒として観察されるものと考察している。

 今後、加齢以外の要因で蓄積するリポフスシン様蛍光物質についてもその蛍光スペクトルを明らかにすることは、それらの蛍光物質を分類する意味でも、リポフスシンとの異同について検討する上でも重要であると考えられる。また、リポフスシンが脂質過酸化物であって、老化に伴う酸化傷害の蓄積の証であると考えるには、まだ解決されなければならない問題が多く、蛋白質分解活性との関係も考慮されなければならないであろう。これまでのリポフスシン生成機構についての研究は、様々な薬剤処理の効果からそれを推測してきたに過ぎず、実際の生成機構については何一つ明らかにしていない。本研究で行ったように、先ず単純な培養細胞系のリポフスシン生成機構を一つ一つ明らかにしていくことは、その生体での解明への近道となるのかもしれない。

 以上の研究によって本論文提出者、望月康弘は博士の学位を受ける資格があるものと認める。なお印刷公表論文は共著であるが、全て第一著者であり、かつ全ての論文において本論文提出者が主として研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士の学位を授与できると認める。

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