〈目的と背景〉 日本の政府開発援助(ODA)の援助額が世界一になって5年目となる1995年には、アジア諸国への出資はその50%以上になっている。保健医療分野においても同様に、1954年以来160以上にのぼるプロジェクトが稼働しそのうち85がアジアで行われている。また、ODAにより海外へ派遣されている4万人以上の専門家のうち、保健医療分野が20%も占めている。 過去40年間、保健医療の分野は様々な発展を遂げてきたが、開発途上国の援助戦略の過去と現在を包括的に再評価することは、供給システムの長所と限界を確認するために緊急に必要とされる。 この論文は、アジアにおける日本の保健医療分野の技術協力の歴史的な検討と分析を行い、日本の援助による開発への潜在的な影響を検討するものである。日本のODAについて多くの報告や研究がなされてるが、そのほとんどは、マクロな政策か個別のプロジェクト検討のどちらかに極端に偏ったものであり、ODAの意思決定過程や日本側の援助プロセスシステムへの影響を見たものはほとんどない。特に当事者以外の第三者の報告書で、保健医療協力に関して書かれたものは少なく、保健医療協力と「開発」の関係について書かれたものはさらに少ない。それに関して書かれたものも、「持続可能性」や「適切な援助技術」に関するもので、日本の実際の社会構造とその意思決定過程等について書かれたものはほとんどない。この論文は、アジアに対するプロジェクト方式の技術援助のプロセスのうち特に、専門家の派遣と医療機材の供給に焦点を当て、日本の保健医療協力体制の「構造」およびその社会学的要因、さらに被援助国の開発への潜在的な「影響」について分析を行った。 〈方法〉 量的データと質的データを組み合わせて分析を行う、いわゆる「triangulation」の方法を用いた。量的データに関しては、すべてJICAなどの開発援助機関から出されている報告や情報をもとにして、日本の対アジア保健医療プロジェクトのデータベースを作成した。統計的な分析は、過去における保健医療技術協力の傾向を見るために行った。プロジェクトのパターンを明らかにするためにJICAの専門家からの情報収集と同時に、数値データからも検討を行った。 質的データには、文献研究、歴史研究により得たものと、現地調査・インタビューをまとめたものを用いた。現地調査・インタビューは、タイ(4)、ネパール(3)、インド(1)で行われた様々なタイプの援助、合計8つの日本の保健医療技術協力プロジェクトに関して行った。それは、In-depth unstructured KAPBインタビューで、ODA全般についてやプロジェクトの選択方法・影響・持続可能性、職務、現地の人達との関係、個人的経験について、JICAの専門家(n=32)、現地のカウンターパート(n=16)、地域民間援助団体(NGO)(n=14)、他国援助機関(n=9)に対して行った。 〈結果と考察〉 「援助」に影響を及ぼす日本側の社会構造は、いくつかの要因が考えられるが、ここでは部門化(compartmentalization)、縦社会および日本の官僚制の3つの主な組織的な要因について取り上げる。第1の部門化は施設中心プロジェクトには適用しやすく、逆に包括的アプローチを必須とするコミュニティを基盤とするプロジェクトは出来にくい状況を生じている。部門化は、担当者が無意識のうちにであるが、潜在的に情報収集や仕事の重複をもたらし、援助プログラムに対して種々の制約を与えている。 研究や医療を中心とする施設中心の援助によって、一般に高度で高価な機器や技術を優先し、機会費用の面から見て被援助国の開発に影響を与えている。またプロジェクトの中で働く人々が複合的集団として働くことに制約を与えている。 加えて、ハイテクや高価なプロジェクトを選択すれば、その持続可能性に不利に働くという潜在的な組織的機能不全 (organizational incompetence)となる可能性もある。 そして、第2の組織的要因は、社会的地位とその関係を基にした縦社会である。部門化と縦社会や文化の慣習によって、その組織内で、何がいつ、どのように話し合われるかが決定される。このようなシステムは、日本国内や日本人の間には有益な社会的指針(ガイドライン)を与えるが、文化相互間の活動の場では、技術援助プロジェクトが、建設的な批判や他の専門家とのネットワークに制限を与え、プロジェクトの生産性を下げる可能性がある。 そして第3は、日本の官僚制に関するものである。日本の官僚制は、どのプロジェクトを採用し、それをどのように動かし発展させるかという点で重要な役割を果たす。たとえば、保健医療における無償資金協力とプロジェクト方式の技術協力との組合せはよく行われるが、それは官僚制の役割と偏りを生む可能性を増大させている。プロジェクトの業績は、支払額をもとに評価される傾向が強いため、資本の大きいプロジェクトや輸入中心のプロジェクトの方がそれに関わった被援助国の官僚のステータスを上げることにつながりやすく、やりがいがあることになる。プロジェクト方式の援助と短期の援助への明らかな選好については、提供側と受け入れ側の両者の官僚の利益と合致している。この合致がまた日本の官僚制と援助方法とのリンクを強化、促進している。それゆえに、コミュニティを基盤とした社会開発を重視した保健医療プロジェクトは影響がでるまで長期を要すること、評価を測定するのが難しいこともあり敬遠される。 日本の国際協力に対する主な主張は、被援助国の主権を尊重するというもので、日本ではこれをもとに開発と技術移転を推し進めている。日本の専門家の間では、保健医療分野では、被援助国に義務を負わせたり、援助国を拘束するような特定の政策はないとよく言われる。これは「政策がないことが最善の政策」という主張に象徴されるように、本質的には尊重しているのであろうが、実際は開発の理想とは異なった方向に動く危険もある。 保健医療技術協力を取り巻く環境を見ると、今後日本以外の国がその支出額を増やす見込みは少なく、従って多国間が協力して保健医療技術協力を促進することが求められると考えられる。そうであるとすると、ここまで述べてきたような日本の社会的構造に根ざす問題の深刻さは、保健医療技術協力を進めるにあたって今後一層大きくなるものと考えられる。 <本研究からの示唆> ここまでの結果及び考察より得られた日本の保健医療技術協力へ示唆しうることは、次の通りである。 1)日本の保健医療技術協力の問題の一つの要因と見られる部門化(compartmentalization)の問題を組織自体の変革で解決することは短期的には容易でないと推測される。そこで、部門化の弊害を小さくするために考えられることは、人事ローテーションの仕組みの変革である。日本国内の通常のローテーションのように2〜3年で部門移動していたのでは、言語や相手国の担当者とのつながりの点等で問題である。従って、ローテーション機関の延長ないしは、こうした問題に配慮した計画的ローテーションの実施が期待される。 2)次の示唆は、予算に関してである。具体的な示唆は2つある。一つは予算の機関を長くすることである。多くの場合、予算は一年単位であるが、保健医療技術協力のプロジェクト機関は他の分野のプログラムより長い傾向があり、1年単位の予算ではプロジェクト執行に支障を来すのは明らかである。もう一つは、予算策定にあたって費用対効果の視点を導入することである。これはいわば当然のことであるが、これまで述べてきたように日本の社会的構造がプロジェクトの「金額」を大きくする方向のバイアスを持つため、費用対効果の視点は現状ではほとんど考慮されていない。この視点からの予算策定が期待される。 3)最後におそらく最も重要で本質的な問題は、「なぜ日本が保健医療分野で援助を提供しているのか、その援助の最終目標が何なのか」ということである。この問いに、哲学的なだけでなく具体的に答えるために、政策決定者、JICAのスタッフ、専門家、官僚、一般の人々の間で一様な同意が得られるまで討論が行われる必要がある。このような理念的な検討なしで保健分野での開発援助は、本質的に有効なものとはなり得ないものと考えられるのである。 |