本論文は、東アジア諸国における女性の社会的地位と役割について、その現状および産業化の過程の中での変容の特質を、多数の第一次資料を用いつつ、実証的に分析したものである。欧米において「主婦(house wife)」という女性の役割が誕生し、女性の支配的(ドミナント)な役割となり、さらに女性の社会進出にともなって支配的(ドミナント)な役割であることをやめる一連の歴史的な過程についてはすでに社会学の分野で多くの研究がなされ、また、東アジアについても、欧米のモデルがそのまま当てはまらないこと、おなじ儒教文化圏とはいわれながらも東アジアの内部には国によって大きな差違があることについてすでに広く知られている。しかし、これまでの研究は、厳密な比較という観点からすれば断片的、恣意的な弱みを免れておらず、既婚女子の労働力化の様相を手がかりに実証的に分析することによってこそ、それぞれの社会における女性の地位と役割について体系的・動態的な比較研究をおこなうことができる、これが著者の着眼である。そこで、著者は得意とする朝鮮語・中国語の能力を生かして多岐にわたる統計データを収集・分析し、それにもとづいて各社会の「主婦」のあり方を解明した上で、それらの差違を明らかにする文化的・制度的な説明変数を提出し類型化をおこなうこと、さらに、それらの社会における女性の地位と役割の今後の変容について学問的な検討をおこなうことを本論文の課題としている。 本論文は三部構成をとり、序章と10章から構成されている。 序章では、本論文の着眼と課題について述べつつ、「ジェンダーの比較社会学」という企図と方法を提示している。生物学的な性差(セックス)と区別される社会的性差、すなわちジェンダーについては、ともすれば分析者が自明とする規範やモデルにもとづいて議論されがちであるが、共時的・通時的な分析枠組みに立つ比較の手法を用いることによってはじめて、それぞれの社会のあり方の特殊性と普遍性、およびその説明要因を明らかにすることができるとして、日本のジェンダー問題を解明する上で東アジアの諸社会の比較をおこなう必要性を主張する。 第一章から第三章までの第I部では、分析作業のツールとなる基本概念と歴史的変化の通時的モデルを提出し、さらに東アジアとの対比において問題となる欧米における「主婦」の誕生と変容について概略を述べる。 第一章では、家父長制という概念を本論文の基本概念として採用するための検討がおこなわれる。すなわち、家父長制は社会学などで用いられたときには、Patriarchalismusの訳語であり、特定の家族形態・支配形態をあらわす概念であった。これに対してフェミニズムが用いる家父長制概念は、文化人類学のpatriarchyの延長上にあり、権力を持つ主体の性別に着目したものである。このような多様な含意の有効性・無効性を精査し、本論文の家父長制の定義、すなわち「性と世代に基づいて、権力が不均等に、そして役割が固定的に配分されるような規範と関係の総体」を与える。そして、これを、具体的なデータを扱うに際して必要となる操作的な定義の上位に立つものとして位置づけ、体系的な分析作業を準備する。 第二章では、主婦という既婚女性の地位・役割が多様な社会で生成し、変容する通時間的なプロセスについて分析する際のモデルを検討している。ここでいう主婦とは、「夫の稼ぎに経済的に依存し、生産から分離された家事を担う有配偶女性」であるが、資本主義型の産業化を遂げた社会では、原生的労働関係→近代主婦→現代主婦→主婦の消滅という変化を通時的モデルとして採用することができる。また、社会主義の社会は、原生的労働関係からの脱皮に際して既婚女性の主婦化という戦略を採らず、労働力化を強力に推し進めた。このかぎりで、社会主義下における産業化は家父長制とある程度対立するが、次の脱社会主義化の段階で女性の脱労働力化が進む際には、その社会に固有な性役割規範が強く作用するようになることが明らかにされる。 第三章は、東アジアの家父長制の特色を論ずる上で念頭に置かれるべき、欧米における主婦の生成と変容についての事例を検討している。原生的労働関係から近代主婦の誕生にかけてはイギリス、現代主婦の誕生についてはアメリカ合衆国、主婦の消滅については北欧をそれぞれ典型例として論じつつ、50年代以降M字型であった女性の労働力率が70年代から80年代には多くの国で高原型に変化し、主婦の消滅にいたった様相を経済や雇用のみならず、その社会的・文化的な背景を含めて多角的に分析している。その結果、夫婦と親子という家族内の二つの社会関係のうち、ロマンティックラヴの文化伝統の力によって夫婦関係の比重が大きく、母役割の強調が抑制されるという点をアジアにはみられない欧米の家父長制の特徴として浮き彫りにする。 以上の考察を基礎として、第II部では日本社会における主婦の誕生と変容を分析する。 第四章では、大正期の都市部に住む新中間層の妻として日本の近代主婦が誕生した経緯を、経済・雇用・所得の変化の分析をふまえて明らかにする。日本の初期産業化の段階では、出稼ぎ型の未婚若年層労働が女子賃労働の主力を占めており、近代主婦の誕生を可能にしたのは、工場法ではなく、労働者の生活水準の緩やかな上昇であった。1910年から20年にかけてのこのような変化に対応して、高等女学校を中心に普及した良妻賢母主義が果たした役割は大きい。これは、女は愚かなものであるとする儒教的・封建的な思想を革新する理念であり、日本の近代に固有に形成されに新たな女性の役割規範であることを指摘し、さらに詳細な文献の検証によって、良妻賢母という言葉も日本を発信地として中国や朝鮮半島へと普及していったことを明らかにしている。 第五章は戦後日本において現代主婦、すなわち「再生産労働だけで一日が飽和しないだけの時間的余裕を持つようになった主婦]が誕生し、変容する過程について論じている。1960年代後半以降、電化製品の普及などによる家事負担の軽減、家計支出の増大、若年労働力の逼迫による女子労働市場拡大の必要があり、これらを背景として、男=生産労働、女=再生産労働という役割規範が弛緩し、現代主婦が誕生するにいたった。こうした変化の因果関係は単純ではなく、家事を労働として見いだしてしまう主婦の意識の変化という媒介変数が重要であることがここで指摘される。また、著者はこのような変化の中にあっても変化しなかった面として育児の意味づけをあげ、近代以来の日本に特有な母役割規範の一貫した作用を強調する。1982年には兼業主婦が専業主婦が数の上で上回るようになるが、女子労働力率が出産育児期に下がる構造は維持され、日本では「母」をキーワードとして女性の労働市場での位置できめられる現象が顕著であることを明らかにしている。 第III部は日本以外の東アジアの比較にあてられている。韓国(第六章)、台湾(第七章)、北朝鮮(第八章)、中国(第九章)を順に取り上げ、多様な一次データを当該の文化や社会の十分な理解にもとづいて分析しており、本論文でもオリジナリティの高い部分となっている。 第六章では、韓国において、儒教は社会各層に影響力をもつなど中国や日本とは比較にならない影響力をもつこと、日本と同様、賃金水準の向上によって1970年代後半に近代主婦の誕生が可能な段階にいたったことを指摘した後、引きつづく80年代後半からの現代主婦の段階を中心に分析している。その結果、韓国の性役割規範は、母に限定されるものでなく、女性=家事とする傾向が強く、結婚退職する女性が多く、学歴の上昇が労働力率の上昇をもたらさないこと、女子労働力が低学歴層中心であり、男女間の賃金格差も大きいことなどを明らかにしている。このような分析をふまえて、韓国では、主婦の地位が高くなりやすく、日本以上に主婦の消滅に向かいにくいことを結論として述べる。 第七章では台湾をとりあげ、韓国と対比的に論じている。台湾では既婚女性の就労を促すような伝統的な価値観がみられたが、1970年代の都市部での生活水準の上昇とともに男=生産労働、女=再生産労働という役割規範が芽生え、近代主婦が生まれた。80年代には家電製品の普及、家族規模の縮小、都市化が進展したが、韓国のように向都移動や学歴の上昇が女子労働力率の低下をもたらすことはなく、労働力化が進んだのである。その原因として、台湾の家父長制は中国南方の家族規範を背景としており、母親が子どもから離れて働くことに対して許容的であることを指摘している。ここから、台湾は、女子労働力率はそれほど高くないが、高学歴層の動向などをみるかぎり日本以上に主婦の消滅へと向かいやすい社会であると将来を展望している。 第八章、第九章では、東アジアの社会主義、北朝鮮と中国を扱っている。社会主義化の段階で集団化・国有化と女性の労働力化、託児所の建設が進められるのは、両国に共通している。しかし脱社会主義段階の様相は、それぞれの社会の伝統的な家父長制の影響により大きく異なるのである。第八章では、1960年代後半から始められたマルクス=レーニン主義からの自立・脱却路線を脱社会主義(=金日成化)とよび、その過程を詳しく分析している。この時期、金日成や金正日の母に対する個人崇拝が開始され、そこで強調される女性像は黙って夫に従うといった儒教的な規範と強く共鳴している。国全体が家族国家観のもとに統合される中で、朝鮮社会の伝統的な儒教がその規範として再び顕在化するのである。これに対して中国については(第九章)、改革開放路線にともなって生じた女性政策の転換や80年代後半の「婦女回家」論争などのイデオロギーの揺らぎを紹介している。しかし、新たな就業機会が作り出されるなど、北朝鮮のように表だって儒教的な女性規範が強調されることはなく、台湾程度には既婚女性の就業が続くと結論される。 終章に当たる第十章では、本論文の結論を二点にわけて論じている。ひとつは、韓国、台湾、北朝鮮、中国という東アジア4カ国のジェンダーに関する比較である。この4カ国は、資本主義の台湾と韓国、社会主義の中国と北朝鮮というように、社会体制と民族が2x2で交わっている。資本主義と社会主義とでは、女性の労働力化に著しい違いがみられるが、同じ資本主義であっても台湾と韓国では、台湾では既婚女性の労働力化が進み、主婦の消滅が予想されるのに対して、韓国では、根強い儒教の影響下にあって、主婦という地位の優位は動かしがたい。また、中国と北朝鮮では、女性の労働力化政策を推進しなくなった後に主婦が増大する程度に顕著な違いがあるとこれまでの分析を要約して述べている。かくして、各民族がもつ家父長制の型は社会体制とは独立にそれぞれの社会のジェンダー関係を決定する要素となっていることが明らかに示されている。もうひとつの結論は、日本の家父長制の特徴に関するものである。著者は、現代日本の家族の特質として、欧米と比較すれば夫婦愛の要素が欠如し、その分母性愛が強調されること、また、台湾と比較すれば親族ネットワークが衰退して排他的核家族が成立している点をあげ、女性の就労が進む一方で、産まれた子どもの養育が母親の責任になってしまっている現在の家族制度の矛盾を明らかにしている。著者は、このような矛盾をのりこえる方策として、税制面や年金について主婦を優遇する社会政策を改め、また、既婚女子の労働力化を促して、それを福祉部門で吸収していくという新しいシステムを提唱し、本論文を締めくくっている。 本論文には次のような長所が認められる。第一に、家父長制についての概念の再構築から出発して、それを女子の労働力率という適切な統計指標に結びつけるという分析方法を採用することにより、整合的な枠組みによる堅実な比較研究をおこなった点があげられる。この方法を採用することにより、日本を含む東アジア、さらには欧米諸国の性別役割体系をひとつの視角からとらえ、その差違と同一性を一貫して分析した功績は十分な意義があるといえる。 第二の長所は、地域研究にかかわるものであり、社会体制と民族の異なる4つの社会について、それぞれの文化的背景、戦後の経済発展や社会変動の特徴を網羅的に調査し、必ずしも容易に利用可能とはならない統計資料をも発掘し、比較検討して、それぞれの社会の特質を浮き彫りにした作業は大きな評価に値すると判断される。この作業から、儒教とジェンダーという問題にも批判に十分耐える考察をあたえており、日本の良妻賢母主義の由来と各国での影響などを指摘した点も評価される。 さらに、第三の長所として、各国のジェンダー関係の分析にあたって、経済的説明と文化的説明という二元的な視角を常にバランスよく組み合わせるという手法を採用した点をあげることができる。これによって、資本制と家父長制という異なるシステムが、ある時には協調し、ある時には対立してその時のその社会のジェンダー関係を形成する様相を具体的に分析しており、このことが家父長制という直接には見えない制度の存在を浮き彫りにするのに資するところが大であった。さらに、著者は、これらとは独立に、各時代の意味の体系の揺らぎやズレにも注意深く分析を加えており、ともすれば制度による決定を強調しがちな傾向に組みせず、ある状況制約下における主体の役割や他の選択の可能性にまで研究の枠組みを深めた点は大いに評価に値するといえる。 本論文にも、問題点がないわけではない。まず、第一章の家父長制の定義では役割規範と並んで権力という概念が用いられているが、その含意が以下の分析に際して有効に用いられているとは思えないことがあげられる。そのかぎりで、論文全体をとおして家父長制の存在や機能がいまひとつとらえがたいことは残念である。また、第III部の記述の一部に誤りではないがやや適切さを欠くと思われる箇所や、データによってはさらに精緻な分析が可能であったと思われる箇所もいくつか散見される。さらに、結論の第十章は、日本の社会政策についての分析が不十分であり、提言の内容についても具体性が乏しいことから、やや物足りない結びになっている。 しかしながら、このような疑問や注文も、本論文の基本的な価値を損なうものではない。東アジア諸国のジェンダー関係について一貫した手法でその輪郭を浮かび上がらせた本論文の功績は高く評価でき、学界に対する貢献は十分であることは疑いがない。以上の理由により、本論文は、博士(学術)学位を授与されるに値するものと結論する。 |