学位論文要旨



No 112314
著者(漢字) 大月,敏雄
著者(英字)
著者(カナ) オオツキ,トシオ
標題(和) 集合住宅における経年的住環境運営に関する研究
標題(洋)
報告番号 112314
報告番号 甲12314
学位授与日 1997.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3791号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 原,廣司
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 伊藤,毅
内容要旨

 日本における集合住宅居住の歴史は浅く、多くの日本人は2世代、3世代にわたって同じ集合住宅に住まい続けるという居住経験をもっていない。ところが、都市居住者の大半が集合住宅に住まう現状にあるにもかかわらず、集合住宅に長期間住まうということがどういう現象なのかということは、あまり議論されてこなかった。また、従来の建築計画学は、どちらかといえば「新たな環境をつくる」ための研究が主流であったのに対し、「既存の環境をつくりかえる」ための研究はあまり行われてこなかった。しかし、スクラップ・アンド・ビルドという建物の経済サイクルを見直し、質の高い建物を大切に、より長く使い続けるストック型の経済サイクルが主張されつつある中、集合住宅の計画においても、時間軸を考慮した計画が行われなければならなくなりつつある。

 そこで本研究では、こうした問題意識を背景にしつつ、長期間住まい続けられた集合住宅、及び、時間軸を考慮にいれた集合住宅計画を対象として、それぞれの住環境がどのように運営・再構成・再構築されてきたかを経年的に把握し、長年にわたり居住者・居住者組織によって経験・蓄積されてきた住環境運営の実態と、その経年変化の構造を解明することを目的としている。

 「長期間住まい続けられた集合住宅」の対象事例としては、ほぼ70年にわたり居住の用に供してきた戦前に建設された公共集合住宅、つまり以下に示すような、同潤会アパートの5事例、及び、同潤会アパートに先だって建設された鉄筋ブロック造(一部RC造)の東京市営住宅の合計6事例(5地域)をとりあげた。事例の概要は以下のとおりである。

 1.同潤会代官山アパート(RC造36棟、337戸)

 2.同潤会柳島アパート(RC造6棟、192戸)

 3.同潤会清砂通りアパート(RC造16棟、663戸)

 4.同潤会猿江共同住宅及び東町アパート(RC造17棟、294戸及びRC造1棟、18戸)

 5.東京市営古石場住宅(鉄筋ブロック造4棟、RC造1棟、計224戸)

 「時間軸を考慮にいれた集合住宅計画」の対象事例としては、第三世界における「コア・ハウジング」の実践例として、フィリピンのマニラ郊外で活動を続けている、公益建設会社「FREEDOM TO BUILD」による「DELA COSTA LOWINCOME HOUSING PROJECT」をとり上げた。この事例は、フィリピンにおける低所得者層向けのロー・コスト住宅建設事業であり、コア・ハウスによる住宅供給事業である。

 本論の構成は、第1章の序章をはじめとして以下のとおりである。

 まず、第2章では、主として文献調査によって、本研究の対象となる戦前公共集合住宅を集合住宅計画史・住宅政策史的に位置付け、その出発点における位置付けを明らかにした。ここでは、東京における公共的な住宅供給の出発点を、社会事業的な観点から考察し、全国における公営住宅の供給を概観したあとに、同潤会の成立と、直後に成立した不良住宅地区改良事業法によってできた集合住宅を位置付けた。

 第3章では、大正時代から建築界を中心とした住宅改善運動や、民間集合住宅建設運動の足跡をたどりつつ、戦前の集合住宅計画史上に同潤会アパートを位置付け、さらに、これまであまり触れられることのなかった同潤会アパートにおける管理のあり方を探ることを以て、本研究でケーススタディの対象としている戦前公共集合住宅の住環境運営の出発時の位相を明らかにした。

 第4章では、現在人が居住している日本における耐火造の集合住宅の中では、最古のものである東京市営古石場住宅を取り上げ、その経年的住環境運営を論じた。同潤会アパートと比較すると、戦前における住環境の運営方法や、その後の払い下げによる居住者の動向が異なっていることが明らかになったが、70年近く集合住宅としての用に供してきた点や、階段室型を中心とした設計、戦後に払い下げられた点、やその後の住環境運営の方法など同潤会アパートと共通する点も多いことが分かった。

 第5章では、同潤会アパートの中でも面積的に最大規模を誇り、戦前戦後を通じて、青山、江戸川とともに同潤会アパートの代名詞的な存在でもあった代官山アパートの経年的住環境運営を論じた。代官山は、本研究で対象とする事例中、唯一戦災を免れたところであり、調査の過程を通してたくさんの戦前、戦中、戦後すぐの町内会資料の入手が可能となった。これにより、これまであまり知られることのなかった、同潤会アパートにおける戦中生活の様子や、払い下げの様子、さらには居住者組織の詳細にわたる活動の経緯が明らかとなった。

 第6章では、同潤会柳島アパートの経年的住環境運営を論じた。同潤会のアパートメント事業における初年度の事業であり、同潤会による敷地買収が初めて行われたアパートである。本研究の他の事例と比較すると、比較的まとまった整形の土地に「街路型」によって配置されており、下町型のアパートとして典型的である。また、戦災によって躯体のみを残してほぼ全焼している点は、他の下町型のアパートと変わらないが、戦後の払い下げによって土地が一筆共有となっている点が他と異る点である。6つの住棟のうち一つだけが、製薬会社によって1棟ごと買い取られ、最後まで賃貸住宅として経営された点は、「分譲」と「賃貸」によって、どのように住環境の運営の在り方が異るかを知る意味で、貴重な事例である。また、本事例では、悉皆調査により、66年の同アパートの経年的な住環境の運営の在り方をつぶさに記録することができた。

 第7章では、同潤会のアパートメント事業のなかで最大規模の住戸数を誇る清砂通りアパートの経年的住環境運営を論じた。この事例で特徴的なのは、敷地が大きく4つのブロックに分かれており、その間に民有地や学校・公園などがあることである。従って、長期間、人間がそこで居住していく中で、各ブロックごとの特徴が出てくるところがあり、この点が本研究の他の事例と大きく異なっている点である。また、代官山、柳島、猿江といった事例が、そのアパートごとに少数種類の住戸プランをもって設計されているのに対し、清砂通りの場合は、多種多様な住戸プランを擁している。これにより、多様な住戸プランの存在を前提とした住環境の運用がどのようなものであるかを見ることができた。

 第8章では、不良住宅地区改良事業のモデル事業として同潤会により施工された猿江アパートの経年的住環境運営について論じた。不良住宅改良事業という特殊な条件のもとに出発したこの事例が、戦後他のアパートと同様に払い下げられ、現在までに至る様子を記述した。猿江アパートには、附属の社会事業施設である「善隣館」を挟んで東町アパートという、アパートメント事業による集合住宅も建設されている点もこの事例の特徴であり、アパートメント事業と不良住宅改良事業の出発点における違いがその後どのように、住環境運営に影響を与えたのかが分かった。

 第9章では、フィリピンのマニラ首都圏でおこなわれている「中・低所得者層でも入手可能な」「居住者の状況に応じて自ら増築できる」住宅という明確な意図をもって、建設された集合住宅(テラスハウス)の事例をとりあげ、住宅・住環境を居住者が自律的に改変し、それをコントロールしていく仕組みがどのように成立しているのかをみた。日本ではあまり実現していない、「時間とともに住環境が変化し、成長していく」ことをあらかじめ計画の射程に入れた事例として位置づけた。またこの事例を観察することにより、「時間軸を考慮した住環境運営計画」に有用な概念や手法を抽出した。

 第10章では、戦前公共集合住宅における経年的住環境運営を、「戦前の住環境運営」「個々の居住者による住環境形成」「居住者組織による住環境のコントロール」の3つの側面から対比的に考察し、途上国におけるコア・ハウジングにおける住環境運営から抽出したことがらを踏まえた上で、今後の集合住宅計画における経年的住環境運営の在り方を考察している。さらに、従来一般的に行われてきた集合住宅の計画や供給の在り方に対して、居住者のライフステージやライフサイクルにあわせて住空間を改変できることをあらかじめ建設段階から盛り込んだ計画をこえて、既存の住環境を居住者自らが住空間をいかにコントロールし、居住者相互の利害をいかに調整していくべきかという居住サポート計画とも呼ぶべきシステムの必要性を論じた。

審査要旨

 本論文は、日本の近代住宅史上における集合住宅の誕生期の様相を綿密な文献調査により位置付けた上で、東京市及び同潤会によって戦前に建設された現存する集合住宅5事例について、長年にわたる詳細な実測・間取り調査によって居住生活と住環境の変遷過程を住環境運営という視点から明らかにし、それをもとに時間軸を考慮した建築あるいは住居計画のあり方を論じたものである。

 論文は、10章からなる。

 第1章では、本研究の目的・方法について詳述し、次いで各章の分析で使われる用語についての定義を述べている。

 第2章では、多分野にわたる文献調査によって、公共住宅の出発点を社会事業的な観点から考察した上で、関東大震災復興事業としての同潤会の発生と、その直後に成立した不良住宅地区改良法による集合住宅を歴史的に位置付けている。

 第3章では、大正時代にはじまった建築界を中心とした住宅改善運動や、民間集合住宅建設運動の足跡をたどりつつ、住宅計画史上に同潤会アパートを位置付け、さらに、これまであまり触れられることのなかった集合住宅における管理のあり方、つまり住環境運営を解明することをこの研究の骨子としていることを述べ、各研究対象事例の発足当初の姿を描き出している。

 第4章では、現在、居住されている耐火造集合住宅の中で、日本最古の東京市営古石場住宅を取り上げ、その経年的住環境運営の足跡をたどることにより、同潤会アパートにおける住環境運営の特性を相対化して明らかにしている。

 第5章では、同潤会アパートの中で敷地面積が最大であり、同潤会アパートの代名詞的な存在であった代官山アパートの経年的住環境運営を論じている。また、戦中・戦後の町内会資料のつぶさな分析により、同アパートるおける戦中生活、払い下げの状況、さらには居住者組織の活動経緯を詳らかにしている。

 第6章では、同潤会柳島アパートの経年的住環境運営を論じている。この事例では、悉皆調査により、66年にわたる同アパートの経年的な住環境の運営の経緯をつぶさに記録し、階段室、住棟といった数種類のレベルでの住環境運営の重要性を説いている。

 第7章では、同潤会のアパートメント事業のなかで最大規模の住戸数をもつ清砂通りアパートの経年的住環境運営を論じている。ここでは、他の集合住宅の事例が少種類の住戸プランで構成されているのに対し、多種多様な住戸プランを擁しており、その多様な住戸プランの存在を前提とした住環境の運営の経年的変化の実態を明らかにしている。

 第8章では、不良住宅地区改良事業のモデル事業である猿江アパートの経年的住環境運営について論じている。不良住宅改良事業という特殊な条件のもとに出発したこの事例が、戦後他のアパートと同様に払い下げられ、現在に至るまでの様子を記述している。猿江アパートには、付属の社会事業施設である「善隣館」を挟んでアパートメント事業による東町アパートも建設されている点もこの事例の特徴であり、出発点におけるアパートメント事業と不良住宅改良事業の違いがその後どのように、住環境運営に影響を与えたのかを明らかにしている。

 第9章では、フィリピンのマニラ首都圏で行なわれている「居住者の状況に応じて自ら増築できる」住宅という明確な意図をもって建設された集合住宅(テラスハウス)の事例をとりあげ、住環境を居住者が自律的に改変・制御していく仕組みがいかに成立しているのかを実態調査によって明らかにし、日本ではあまり実現していない、「時間とともに住環境が変化・成長していく」ことを予め計画の射程に入れた事例として位置付けた上で、時間軸を考慮した住環境運営計画に有用な概念や手法を抽出している。

 第10章では、戦前公共集合住宅における経年的住環境運営を、「戦前の住環境運営」「個々の居住者による住環境形成」「居住者組織による住環境のコントロール」の三つの側面から対比的に考察し、第9章で抽出した方法論を踏まえ、今後の集合住宅計画における経年的住環境運営の在り方を考察している。さらに、従来一般的に行われてきた集合住宅計画や供給の在り方に対して、居住者の生活状況にあわせて住空間を改変できることを予め建設段階から盛り込んだ計画を更に進展させた方法として、既存の住環境を居住者自らが統御・改変していくという居住サポート計画とも呼ぶべき支援システムの必要性を提案している。

 以上、要するに本論文は長期経過した集合住宅について詳細にわたる歴史的資料の収集・解読と精力的かつ緻密な現地調査によって、経年的住環境運営の構造を解明し、さらにそれを海外の事例によって検証したものであり、今後の集合住宅計画の方途を示した実証的かつ提案的な論文である。

 この成果は、今後重要となる分譲集合住宅の運営計画、ストック型の集合住宅計画、あるいは今後の建築計画学の展開にとって貢献するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54550