本論文は江戸時代において多数出版された家相文献を精査し、その内容を分析、江戸時代を通して家相説がどのように展開したかを跡づけたものである。 論文はまづ江戸時代の家相説の実態がどのようなものであったかを、当時の他の占いなどの実態ともあわせて概観し、その起源を考察している。陰陽道に基ずく方位観と禁忌は長い歴史を持っており、家相説の背景にはとくにその中の陰陽五行説が重要な位置を占めていること、また同じく中国からもたらされた風水説も大きく影響していることが、さまざまな実例から論証されている。ただこうした内容上、思想上の関連は指摘出来るものの、江戸時代の家相説の直接の機縁となるような存在は認めにくいというのが現在の段階での結論となっている。すなわちすでに中国などから風水説や陰陽道など、家相判断の基礎となるような内容はもたらされていたものの、この風土における家相説の大流行のきっかけとなったのは、元、明以降の中国における居宅の経営についての書籍の舶載では無いかという推論が、それら書籍の内容の日本の家相説との酷似から行われている。なかでも、『居家必用』に収録の『営造宅経』は、和刻も行われており、この影響がきわめて大であることが指摘されているが、これはこれまで審らかでなかった江戸時代の家相説の起源を考えるうえで貴重な考察と言えよう。論文はさらに刊本および写本の形で現存する江戸時代の家相関係文献をリストアップし、それらの作者の系統及び出自、版元などについての考察を行っている。 ついで論文は多数の家相関係文献のなかから、典型的なもので内容としてもまとまりがあると認められる『家相図解』、『家相図説大全』、『相宅小鑑』、『家相図解全書』、『家相秘伝集』、『方鑑口訣書』の六書を選び、これらの内容を詳しく分析している。とくに家相判定に重要な鍵となる家の中心をどのように判定するか、また各方位がどのように解釈され、どのような機能の空間に割り当てられるかが考察され、さらに門戸門口の寸法の吉凶の判断、部屋の畳数についての同じく吉凶の判断がどのように行われたかが考察されている。またこれらの著作の記述を主たる手がかりとして、家相考鑑を業とする者たちが、実際にどのような形で営業を行っていたか、またその際にどのような姿勢をとったかなどを考察し、建物に関わるということで家相見者と関係の深い大工棟梁や茶道の師範、あるいは神主寺僧などと互いに相争わないように配慮しているという興味深い結論を引き出している。また家相文献が典拠としたものについて中国及び日本の各分野の書籍について考察を行い、とくに中国の文献については、たんに『黄帝宅経』にとどまらない広範な書籍が対象となっていることを明らかにし、歴史書、地理書、天文書、農書など、さまざまな分野の書物が引用されている実態を明らかにしている。さらに建物に付随する形で取り扱われる庭の問題を採り上げ、その禁忌の内容を考察し、すでに『作庭記』に現れているのと同じものが家相書にも認められることを指摘している。 論文はさらに家相文献以外の同時代の書物に現れる家相説についての言及を考察し、『愚子見記』の記述と一般家相書の内容との比較対照、家相説の流行のありさまとそれに対する批判者の存在、鬼門についての人々の捉え方など、多数の広範の分野の書物の博捜によって、たんに家相文献を分析するのみでは知り得ない部分の補強を行っている。これは家相説が当時一般にどのような形で迎えられていたかを知るうえで、まことに興味深い内容を持っている。論文はさらにその最後に、論文提出者がすでに公刊した前記6文献についての現代語訳と論考16編を収録しており、これらは新しく執筆された主文とあわせて、江戸時代の家相説の全貌を知るための貴重な資料となっている。 以上見てきたように、本論文はこれまで俗説として建築の立場からは研究の対象とされることの少なかった家相説を正面から採り上げ、その実態と内容を審らかにしたうえ、詳細な分析によってその起源についても新しい知見を開き、今後の研究の発展に資するところが大きいと認められる。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |