学位論文要旨



No 112315
著者(漢字) 村田,あが
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,アガ
標題(和) 家相文献を中心とする江戸時代の家相説の展開の研究
標題(洋)
報告番号 112315
報告番号 甲12315
学位授与日 1997.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3792号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨 1.江戸時代の家相説

 江戸時代後期に流行した家相説とは、主に、住まいの様々な事象について方位別の吉凶判断を下すことにより住み手の禍福を左右するというものであるが、当時の家相文献を詳しく読むと、占いだけではなく住まいの敷地選定から間取り、庭造りに至るまでの様々な知識が盛り込まれており、江戸時代の住まいに関する資料的な価値が高いことが分かる。家相説は現在では迷信の一つとして疎まれているが、家相説関連の既往研究には、建築の分野では家相文献の書誌的な研究や、大工技術の研究・間取り図の変遷の研究から家相説に言及するものなどがある。建築以外の分野では、民俗学や地理学の研究に、家相説の存在を指摘するものがある。

 江戸時代における住まい造りの際の、住み手側からの視点や要求、普請の時に介在した禁忌について記した家相文献の内容を、詳しく分析する建築の分野における研究は少ない。本研究では、江戸時代の家相文献を読み解くことにより、家相説の展開を明らかにした。

2.江戸時代の家相文献

 江戸時代には、数多くの家相文献及び関連分野としての相法、陰陽道、易学、暦などの文献が刊行されており、又、写本として残されたものもある。関連分野の文献を資料から拾うと、その数は江戸時代を通して500点ほどになる。(この中で、家相文献は凡そ180点である。)江戸時代後期に全体の65.4%が世に出ており、文化、文政、天保年間に多く著された。当初は秘伝として存在した文献が、元禄期の印刷、出版の隆盛を受けて刊本として出され、庶民の間に流布したものと考えられる。

 本論では、論者がこれまでに細かく目を通した20点余りの文献の内、比較的その内容がまとまっており、家相説全般を網羅しているもの6点(『家相図解』、『家相図説大全』、『相宅小鑑』、『家相図解全書』、『家相秘伝集』、『方鑑口訣書』)を選び内容の分析に用いた。巷間に流布した主要6文献である。

 家相文献の構成は、発端で家相説の必然性や大意を述べ、住まうに適した環境の選択と地形、地質について説き、敷地形状の張り欠け、門戸、住まいの外形の形状による方位別吉凶を言い、主屋以外の敷地内の諸要素(土蔵や祠、離れ座敷や茶室、厩など)に言及する。次に間取りや畳数の吉凶、竃、厠、神棚、仏壇などの場所と向き、井戸の位置、庭を構成する諸要素の吉凶判断をし、樹木や中庭に言及する。最後に鬼門説や樹木に関する禁忌を述べて終わるものが一般的である。この他にも暦との関連性を説くものもある。

3.家相文献の著者の系統

 家相文献を著者別に見ると、流派の存在が明らかになる。松浦東鶏が創設した松浦一派には、東鶏、琴鶴、国祐らがいる。一派の家相文献は計47点が世に出ており、これは著者名が判明している家相文献の25%強に相当する。東鶏は寛政から文政頃の人であり、浪花高槻の藩士の息子であったが、陰陽道に志し家相を見るようになった。これを甥の琴鶴(天保頃の人)が継ぎ、発展させている。他には摂州高槻の神谷古暦(明和、安永の頃の人)が始祖の古暦派がある。門人には、大田錦城、荒井尭民らなど儒学者、漢学者がいる。家相文献は中国舶載の漢籍を典拠としているため、これらの文献に触れ、読み解くことのできる立場の人が家相文献をも著していたことが分かる。

4.家相文献の内容1)住まい像

 家相考鑑の対象とした住まい像は、規模も住み手の身分、職業も様々であり、住まいの設定も多岐に渡る。基本的には庶民の町中の住まいを対象としているが、二間ほどの町屋から藩士の館まで、様々なケースに対応している。

2)中心の取り方

 家相文献では、方位判断の起点となる中心の取り方が重要視される。方位は、多くは乾兌離震巽坎艮坤の八方位か、十干十二支に方位を配当した二十四方位と中央が用いられる。中心の取り方は、「家主の居間奥居間を元として」考え、そこを中心とする見方が多い。

3)方位別吉凶判断

 敷地の張り・欠け、門戸の位置など、様々な事象に対する方位別の吉凶判断を見ると、艮と坤が凶の方位であることが分かる。艮坤中を「三所」、井竃厠を「三備」といい、家相考鑑上問題とすることが多い。特に艮は平安後期から鬼門として忌避される方角である。鬼門の忌避は江戸時代の家相説独自のものではなく、平安末期から見られる住まいの空間における方位の禁忌である。

4)畳間取り

 隣り合う部屋の畳間取りの相互関係も、江戸時代の家相説の特徴の一つである。これは、畳数に五行の木火土金水を当てはめ、それらの「相生・相剋」を判断基準に、隣り合う部屋の畳数を決定するというものである。畳間取りに関する吉凶判断は家相説独自のものである。なお、この畳間取りを吉に整えた例として「吉宅図」を巻末に載せる家相文献もある。中庭を配して日照通風を計り、公私の別、表と奥の別に配慮した平面構成である。

5)庭の扱い

 家相文献は、庭の造り方にも多く言及する。築山や池泉水の配置に始まり、手水鉢や遣り水、石灯籠などの方位別吉凶を説き、中庭、樹木について語る。築山の配置は順当に座敷前などを良しとし、他は相者により意見は区々である。中庭は日照を第一義とし、植樹を避けよと言う。又、軒先の大樹や育ちやすい樹木を植えることを忌む。

6)家相判断で望まれるもの

 吉凶判断の内容を分析すると、凶の判断の数は吉の凡そ2倍あり、その内容も凶の方が具体的で種類も多い。吉凶を併せて見ると、家僕や忠臣が増え、家業が繁栄し、子孫繁栄、血脈相続が望まれるという「お家安泰」が謳われ、個人レベルでは疾病、病難を忌避するということが分かる。

7)家相考鑑の仕事

 家相考鑑の仕事には、出張客の訪問を待つ場合の二通りがあり、具体的には図面を見て指図をし;朱を入れる、或いは図面を引くという作業をする。他流派の相者の見た図面を見直す場合もある。又、家相相者の職域は、兵法家、大工、陰陽家、神道や茶道の家の人、鷹匠らとは重ならないように配慮する姿勢が見られる。庭に祠を造る際にも、詳しくは神道の人に聞くようにと言い、祠の位置の方位別の吉凶の指示をするにとどめる。

5.家相文献の背景1)舶載書『営造宅経』

 家相文献が典拠としたものは漢籍が多く、中でも『黄帝宅経』と『営造宅経』が頻繁に引用される。『黄帝宅経』は、古代中国神話時代の黄帝に仮託される書であるが、おそらくは中国戦国時代の頃の編纂と考えられている。風水説の陽宅・陰宅の説明と、その修造時期の暦による吉凶が主であり、江戸時代の家相説との共通項目は、樹木や、敷地における建物の配置の善し悪し程度である。つまり『黄帝宅経』は多く引用されているものの、中国の古典籍から引いているという権威付けに用いられる場合が多く、むしろ具体的に影響を与えたものは、次の『営造宅経』である。

 『営造宅経』は、『居家必用』という中国の元、明、清の時代に民間に流布した生活の書の中に納められている、住まい造りに関する吉凶を記したものである。目次には、屋舎、楼、庁堂、庭軒、房室、門戸、井竃、天井、窓、溝涜、厠の11項目が並び、江戸時代の家相文献と酷似している。本文は、四神相応の地を良しとする敷地選定法に始まり、続いて敷地の形状や高低による吉凶に触れるなど、家相文献の発端の部分と同様である。11の項目は、中国民居の四合院をモデルにしているとはいえ、その内容は特に門戸と、井竃、厠の項目に関する指摘が多い点も家相説に酷似する。

2)風水説・陰陽道の影響

 江戸時代の家相文献の記述から、古代中国の天文地理の観測や陰陽五行説に起源を持つ風水説の影響を追うと、先の四神相応や「気」の概念があることが分かる。「地気」という言葉もあり、土地や地面を有情のものとする風水説の基本概念が活かされていることが窺える。

 陰陽五行説は我が国に7世紀に導入されて以来、都の敷地選定に四神相応が応用されたり、都の鬼門封じの寺院建立に用いられたりして発展した。平安期以降は、貴族の住まいにおける生活に影響を与え、方忌み、方違えの習俗を生んだ。江戸時代の家相説に直接影響を与えた例を探したが、鎌倉、室町期の文献からは、この方忌み、方違えや殿舎の鬼門欠きの他は、竃神の信仰程度しか見あたらない。一方、鬼門説は平安後期以降盛んであり、文献にも頻出する。

3)建築書『愚子見記』

 延宝8年(1680)頃に成立したとされる建築書『愚子見記』にも、家相説及び住まいの方位と空間に関する記述がある。「造屋篇」では、高低差を考慮した敷地の形状別の吉凶や、四神相応、敷地の形状による吉凶を図示している。他には東北方向を特に忌む説や、門を開ける方位と門の大きさに関する言及、敷地を碁盤目状に分割して吉凶を定める例などがあるが、家相説と似ているものの細部では多少異なる見解が述べられている点が興味深い。

6.家相説の展開と展望

 以上のように、江戸時代の家相説は、7世紀に導入された陰陽五行説を踏まえ、平安後期以降の庭造りや鬼門説の内容を取り入れ、方忌み、方違えを習合した住まいの空間における禁忌の概念をベースにし、具体的には江戸時代に中国から舶載された『営造宅経』の構成を基に、一部畳間取りなどの日本独自のものを加えるなどの過程を経て複雑なものになったということが本研究により明らかになった。今回は江戸時代を中心に見たが、今後は、鎌倉から室町時代にかけての状況を更に精査することにより江戸以前の状況を解明すると共に、各地に残る家相図面などの調査を通して、家相説の具体的な展開についても明らかにしたい。

審査要旨

 本論文は江戸時代において多数出版された家相文献を精査し、その内容を分析、江戸時代を通して家相説がどのように展開したかを跡づけたものである。

 論文はまづ江戸時代の家相説の実態がどのようなものであったかを、当時の他の占いなどの実態ともあわせて概観し、その起源を考察している。陰陽道に基ずく方位観と禁忌は長い歴史を持っており、家相説の背景にはとくにその中の陰陽五行説が重要な位置を占めていること、また同じく中国からもたらされた風水説も大きく影響していることが、さまざまな実例から論証されている。ただこうした内容上、思想上の関連は指摘出来るものの、江戸時代の家相説の直接の機縁となるような存在は認めにくいというのが現在の段階での結論となっている。すなわちすでに中国などから風水説や陰陽道など、家相判断の基礎となるような内容はもたらされていたものの、この風土における家相説の大流行のきっかけとなったのは、元、明以降の中国における居宅の経営についての書籍の舶載では無いかという推論が、それら書籍の内容の日本の家相説との酷似から行われている。なかでも、『居家必用』に収録の『営造宅経』は、和刻も行われており、この影響がきわめて大であることが指摘されているが、これはこれまで審らかでなかった江戸時代の家相説の起源を考えるうえで貴重な考察と言えよう。論文はさらに刊本および写本の形で現存する江戸時代の家相関係文献をリストアップし、それらの作者の系統及び出自、版元などについての考察を行っている。

 ついで論文は多数の家相関係文献のなかから、典型的なもので内容としてもまとまりがあると認められる『家相図解』、『家相図説大全』、『相宅小鑑』、『家相図解全書』、『家相秘伝集』、『方鑑口訣書』の六書を選び、これらの内容を詳しく分析している。とくに家相判定に重要な鍵となる家の中心をどのように判定するか、また各方位がどのように解釈され、どのような機能の空間に割り当てられるかが考察され、さらに門戸門口の寸法の吉凶の判断、部屋の畳数についての同じく吉凶の判断がどのように行われたかが考察されている。またこれらの著作の記述を主たる手がかりとして、家相考鑑を業とする者たちが、実際にどのような形で営業を行っていたか、またその際にどのような姿勢をとったかなどを考察し、建物に関わるということで家相見者と関係の深い大工棟梁や茶道の師範、あるいは神主寺僧などと互いに相争わないように配慮しているという興味深い結論を引き出している。また家相文献が典拠としたものについて中国及び日本の各分野の書籍について考察を行い、とくに中国の文献については、たんに『黄帝宅経』にとどまらない広範な書籍が対象となっていることを明らかにし、歴史書、地理書、天文書、農書など、さまざまな分野の書物が引用されている実態を明らかにしている。さらに建物に付随する形で取り扱われる庭の問題を採り上げ、その禁忌の内容を考察し、すでに『作庭記』に現れているのと同じものが家相書にも認められることを指摘している。

 論文はさらに家相文献以外の同時代の書物に現れる家相説についての言及を考察し、『愚子見記』の記述と一般家相書の内容との比較対照、家相説の流行のありさまとそれに対する批判者の存在、鬼門についての人々の捉え方など、多数の広範の分野の書物の博捜によって、たんに家相文献を分析するのみでは知り得ない部分の補強を行っている。これは家相説が当時一般にどのような形で迎えられていたかを知るうえで、まことに興味深い内容を持っている。論文はさらにその最後に、論文提出者がすでに公刊した前記6文献についての現代語訳と論考16編を収録しており、これらは新しく執筆された主文とあわせて、江戸時代の家相説の全貌を知るための貴重な資料となっている。

 以上見てきたように、本論文はこれまで俗説として建築の立場からは研究の対象とされることの少なかった家相説を正面から採り上げ、その実態と内容を審らかにしたうえ、詳細な分析によってその起源についても新しい知見を開き、今後の研究の発展に資するところが大きいと認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク