学位論文要旨



No 112316
著者(漢字) 平岡,憲人
著者(英字)
著者(カナ) ヒラオカ,ノリト
標題(和) ファジィ推論を利用した降雨類型化システムの開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 112316
報告番号 甲12316
学位授与日 1997.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3793号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 市川,新
 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 助教授 浅見,泰司
内容要旨

 現在、広域での雨水流出抑制に適した、下水道制御手法が求められている。下水道実時間制御は、その解決策であると考えられているものの、長時間・多地点の降雨予測などの不確かな情報や流出にもとづいて、無数にちかい制御の選択肢をしぼりこまなければならない。しぼりこみ手法のひとつに、日本で「型紙制御」フランスで「シナリオ制御」とよばれる制御手法がある。対象とする降雨(入力降雨)をあらかじめ選んでおいた代表的な降雨(代表降雨)に類型化し、類型化した代表降雨(類型)についてあらかじめ決めておいた操作方法をあてはめる手法である。この制御手法にふくまれる、降雨を類型化するプロセスは、経験的な判断が必要なものである。これまで、このプロセスをコンピュータで模擬するのに適した技術がなかった。

 本論文では、シナリオ制御における意志決定を支援するため、ファジィ推論で熟練操作員の知識を表現し、推論結果を操作員に提供する「降雨類型化システム」を開発した。開発対象としては、シナリオ制御で先行するフランスのSeine-Saint-Denis県(SSD県)を選んだ。

 本論文の2章では、ファジィ推論を水文・水資源分野に応用する手法を整理し、開発の基礎知識とした。ファジィ推論は、メンバーシップ関数(MSF)で曖昧さを表し、かつその論理的・定量的演算で推論する技術である。既存の技術では解決できない非線形性があるものの、熟練者ならば解決できるプロセスに適用しやすい。但し、熟練者の知識をファジィ推論に加工する決定的な方法がないため、日本における事例を中心に、水文・水資源分野におけるファジィ推論の応用の実態を調査し、次の事を明らかにした。

 ・ファジィ推論は、ポンプ吐出量やダム放流量の決定、流量や降雨量等の予測、天候判定に応用・実用化されていること

 ・2〜5程度の前件部変数、数〜数十のルールで推論していること

 ・複数のファジィ推論や、ファジィ推論とシミュレーション技術などを組みあわせ、より複雑な知識・システムに適用していること

 ・Mamdani法あるいは後件部を前件部の関数で表す菅野法により演算するものが多いこと

 ・日立のポンプ制御などで用いている、各パターンへの帰属度の順序を基に入力データがどのパターンに帰属しているかを推論する、菅野法を応用した演算が、降雨類型化の参考になること。

 ・雨水ポンプの制御では、操作員が意志決定へ介入しやすくするため、状況判断と制御量決定を分離して操作員が代行可能にしたり、状況判断のみをファジィ推論で表せば実用的であること。

 3章では、SSD県において降雨類型化にファジィ推論が適用出来るかどうか評価した。SSD県は、仏パリ近郊の自治体で240km2の流域を4流域にわけ、80万m3の貯留池を750kmの幹線下水道でネットワーク化し、主として流域内・流域間でどのように貯留・排水するかという観点で雨水流出制御している。そのため、地域内には、無人化された合計110の水門・ポンプ場(ローカル局)があり、中央にいる数人一組の操作員が、実時間で各流域の降雨予測などをもとに広域的な貯留・排水の戦略をたて、複数のローカル局に(同時に)制御指令をおくり制御していた。同県は現在、この操作員の意志決定をより安全におこなうため「シナリオ制御」をとりいれた「シナリオ型支援システム」の開発をすすめている。

 このシステムは、類型に対してあらかじめ決められた、最高3時間先までどのローカル局にどのような制御指令をいつだせばよいのかという制御指令のスケジュールを、水位等流出情報とともに、操作員に提供できる。操作員は、流域間の排水を調節したり閉鎖管渠を回避するよう、制御指令スケジュール等を修正して待機し、降雨中に、類型と降雨実績との差などにもとづきさらに修正し、ローカル局を制御して広域的な流出抑制をおこなう。降雨の類型化は操作員がおこなっているが、熟練操作員は、降雨を「安全な」代表降雨に類型化できるものの、すべての操作員ができるわけではなく、熟練者は24時間常に待機せねばならなかった。過去にSSD県は、降雨類型化プロセスをエキスパートシステムで表し、類型結果を操作員へ提供しようとしたが、類型結果が操作員の感覚とあわず、実用化できないでいた。そこで、本論文では、このシステムにおける「降雨類型化」を開発の対象とした。ファジィ推論は、獲得した知識をより論理的かつ定量的に表現するに適していること、降雨類型は状況判断であり制御決定そのものでないため、操作員の意志決定への介入を阻害しないことなどから、ファジィ推論をもちい開発することとした。

 4章では、降雨類型化システムを設計した。本論文では、現地見学、同県での制御経験が豊富でシナリオ型支援システムについても熟知している熟練操作員やシステム開発担当者との討議、熟練者の類型結果を参考にすることで知識獲得した。SSD県における代表降雨はすでに選定されており、25個のハイエトグラフからなる。知識獲得にあたり、もっとも議論になったのは、代表降雨の分布についてで、降雨量・降雨継続時間の組み合わせで概略が作成され、さらに異なるピークをもつハイエトグラフが追加されいること、しかしそのピークの追加方法には一貫性がないものもあることが明らかになった。

図表

 本システムは、これらの知識をもとに、指標やメンバーシップ関数(MSF)、演算方法などについて議論をかさねながら試作を繰り返し、操作員の類型結果と一致するよう開発した。最終的に、次のように知識を表している。降雨量・降雨継続時間・ピーク強度・ピーク継続時間の4つの指標で降雨の特性を表す。降雨の指標値をもとめ、代表降雨の指標値の分布をもとに指標の定義域をMSFに分割し、さらに詳細な知識やピーク分布の非線形性をMSFに反映する。降雨量では、安全な制御ができるよう非対称の台形でMSFを表した。降雨継続時間では、操作員の類型の傾向からMSFを修正した。ピーク強度では、ピーク直前に管内貯留が発生しないよう修正した。ピーク継続時間では、降雨継続時間のMSFをもとにさらに管内貯留を生じないよう修正した。このように定義したMSFと代表降雨の指標値を対応させ、各代表降雨の特徴を表しておく。そして、入力降雨の指標値を各代表降雨に対応したMSFに代入して指標毎に帰属度もとめ、それを線形結合して各入力降雨への帰属度合い(総括帰属度)をもとめ、総括帰属度の順序をもとに入力降雨の類型をきめるものである。なお、降雨開始時刻は降雨継続時間の開始時刻で与える。

 線形結合で総括帰属度を求める結果、かけ離れた指標値をもつ代表降雨を選び出す可能性があるため、本システムでは降雨を降雨量の大小・降雨継続時間の長短を組み合わせた4つのシリーズをMSFで定義し、そのシリーズ毎に線形結合の係数を定義している。

 5章では、本システムをSSD県で観測された実降雨へ適用し評価を行った。まず、104のハイエトグラフに適用し、2人の操作員の類型結果と比較した。2人の操作員の類型結果は58%のハイエトグラフで類型が一致し降雨開始時刻の差が10分以内であった。そして、2人の操作員の類型結果と本システムの類型結果を比較したところ、72%のハイエトグラフで操作員と同じ類型で降雨開始時刻の差10分以内の結果がえられ、17%で操作員の類型結果よりも降雨量で5mm多いあるいは降雨継続時間で2倍以内のものでその差は小さく、また、該当流域で浸水を発生させるものでなかった。平均降雨強度4mm/h程度の降雨(10%)では操作員よりも降雨量の少ない代表降雨を選ぶことがあるが、これらの降雨は浸水を発生させるものではない。降雨中盤以降にピークをもつ降雨では類型結果の1・2位を併用すれば、対処できる。これらより、本システムの類型結果は、類型結果の1位または1・2位を併用すれば、実用上問題のないレベルにあることが分かった。SSD県からも良好であるとの評価をえた。

 そこで、本システムの類型結果が操作員の類型結果にかわりうるとみなし、さらに、本システムを同県の45の予測をふくんだ時系列のハイエトグラフに適用しその結果を調べた。14の降雨で、実質的に制御を開始する降雨開始後30分以降、本システムの類型結果は変化しなかった。31の降雨では、降雨予測が変化するのにつれて降雨中に類型が変化するが、シナリオ型支援システムでは、操作員が制御指令スケジュールの修正をおこなうことができる。ただし、このうち、10降雨では当初の予測よりも降雨量が多かった。これらでは、制御指令スケジュールを動的に変化させることができるか、今後流出シミュレーションなどにより定量的に検証してゆく必要がある。

 SSD県では、本研究をふまえ、さらなる類型結果の精度向上をはかるため、代表降雨のピーク分布を廃止した新代表降雨を選定した。また、本システムはアーキテクチャの変更なく新代表降雨に適用できた。このことから本システムには汎用性があることも確認できた。またSSD県は、本システムを日常的に利用しながら、最終的な実証作業を計画しており、これまでのような双方向のやりとりで本システムの信頼性を向上させ、本システムを実用化できると考える。これにより、従来フランスで解決できなかった降雨類型化を解決でき、ひいては広域下水道実時間制御の実用性を高めることから、本論文で開発したシステムおよびその開発手法は、広域での雨水流出抑制に適した下水道制御手法の研究において、工学的にも、また実用性という観点からも、寄与するところが大きい。

審査要旨

 本研究は、下水道制御に必要な降雨の類型化をファジィ推論を用いて行うシステムを開発し、その作成過程を通じて、降雨の類型化に関する諸問題の解明を行ったものである。

 対象地域はフランス国セーヌサンドニ県であり、そこで現在開発中の「シナリオ型下水道制御システム」の基本部分である降雨類型化システムを作成した。このシステムは、入力降雨を同県で予め定められている25の「代表降雨」に類型化し、代表降雨毎に定められている操作スケジュールを実施するものである。在来この類型化は同県の技術者(熟練操作員)の経験的判断によって行われていたものであるが、熟練操作員が24時間勤務を強いられること、将来の交代に当たって後継者の養成が困難なことから、コンピューターシステムによる類型化システムが必要となってきた。同県ではエキスパートシステムによる熟練操作員の代替システムの開発を行ってきたが、成功せず、その代替案の作成が要望されていたものである。

 日本の水文学および下水道の分野では完全とはいえないまでもファジィ推論が適用されたり、その導入が検討されていることから、本論文において、その実態とその問題点を明らかにするために、日本各地の事例研究と、ポンプ制御にファジィ推論を用いている技術者との討論を通じて、類型化システムの基本アーキテクチャーの確立を図った。

 ついで、対象とするセーヌサンドニ県において、その下水道制御を行っている熟練操作員とその補助操作員等と討論し、彼らの類型化に関する「知識」を習得し、それをプロダクションルールで記述し、その演算に必要な指標に関するメンバーシップ関数を設定した。ここでは、各降雨毎に、総降雨量、降雨継続時間、ピーク降雨強度、ピーク継続時間の4つの指標をとり、代表降雨の指標値を中心としたファジィ分割を行った。

 実際の降雨(入力降雨)の指標値を計算し、各代表降雨に対して指標ごとの従属度(グレード)を計算する。こうして指標値ごとのグレードを持つファジィベクトルが求められる。このファジィベクトルの線形結合を取ることにより、入力降雨の総括帰属度が求められる。このようにして各代表降雨ごとに総括帰属度がえられたら、その中の最大の総括帰属度を持つ代表降雨に入力降雨が類型化されたものと定義した。

 しかし、線形結合を取ることにより、いくつかの降雨では、全く異なる代表降雨に類型化してしまうことがある。そこでそのような欠点を除くために、総降雨量と降雨継続時間をそれぞれ2つの領域に分け、合計4つのシリーズに分けて、線形結合の係数を変えることとした。すなわち2段のファジィ推論を行う構造である。

 以上の操作を行うことにより、任意の降雨を類型化することが出来る。この類型化の精度を評価するために、セーヌサンドニ県の操作員による類型化結果と照合したところ、104の降雨中80降雨について本システムは操作員の類型と同じ結果を示したので、本システムは充分「操作員の代行」となりうることが明らかになった。

 さらにこのシステムを「予測を含んだ降雨」群を対象に類型化を行った。これはこのシステムを実用に供することを想定したものである。ポンプ等の制御施設を実際に運転するのは、降雨開始後30分後なので、その時の類型と降雨終了後の類型とを比較し、同じ類型である場合には、この類型化システムは充分実用的であると判断したためである。その結果45降雨中14降雨のみが類型を継続していたに過ぎなかった。これは本システムの構造上の問題もあるが、それ以上に予測の精度に係わる問題が多く、もし、予測精度が向上すれば、本システムの実用化はさらに増すものと考えられた。なお、類型が変化しても新しい情報に応じて操作員が制御を変更することが可能なので、「操作員への一情報として」本システムが利用出来ることが明かとなった。

 なお、このような新しい類型システムを提案したことと、その過程での類型に関する討論から、セーヌサンドニ県では代表降雨の見直しを行った。その変更の主な点はピークをなくし、降雨継続時間中一定のハイエトグラフグラフにしたことである。本研究の成果に対応したものであり、本システムが工学的に充分機能したことを示すものである。

 なお、新しい代表降雨に対しても本システムは基本アーキテクチャーを変更する事なく対応することが本論文で示されている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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