学位論文要旨



No 112318
著者(漢字) 橋詰,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ハシヅメ,ナオキ
標題(和) 有機結晶を用いた光導波路型第2高調波発生素子に関する研究
標題(洋)
報告番号 112318
報告番号 甲12318
学位授与日 1997.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3795号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 清水,富士夫
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 黒田,和男
内容要旨

 高密度光記録の分野において,小型のコヒーレント青色光源の開発は長年の重要な研究課題である。これには無機非線形光学結晶を用いたSHGによる波長変換素子が実用に近いと考えられており,世界中の数多くのグループで活発な研究・開発が行われている。様々な素子形態や位相整合方式が提案されてはいるが,一般に言えるのは,温度や基本波波長の許容度と変換効率を両立させるのは極めて難しいということである。この問題を乗り越えるためには,極めて大きいSHG性能指数を持つ有機非線形光学材料を利用して必要な素子長を短縮すれば,結果的に波長等の許容幅が広まってより現実的であると考えることができる。

 本研究は半導体レーザ光の高効率波長変換を目的とした有機非線形光導波路の作製および高効率SHGの実現を目標とし,実験・理論両面から取り組んだ。非線形光学材料の中でも有機非線形光学結晶は,巨大な光学非線形性を有する点,そして有機材料一般として極めて多様な材料が存在する点,の二つの大きな利点を持っており,材料として極めて大きなポテンシャルを有している。一方で有機結晶には多くの弱点も存在することがこれまでの研究で明らかにされてきたが,中でも我々が重要視するのは,試料や素子作製のための加工技術の未熟さであり,これが現在のところ一番大きな障壁となっている。しかしながら,有機結晶の持つ極めて高い潜在能力を十分に引き出してやるには,素子作製のための基礎技術の蓄積が将来のためにも絶対に必要であると言えよう。そこで本研究では,高効率波長変換に向けての指針をしつかりと見据えながら,有機結晶を用いた"物作り"の側面により主眼をおいた。

 本論文のテーマは大きく4つあり,それぞれの要旨を以下に述べる。

図1:Cerenkov SHGに関与する干渉効果.1-2:縦方向位相整合,1-3:横方向位相不整合,1-4:逆進波干渉,1-5:Fabry-Perot干渉.1.Cerenkov放射型SHGの理論解析

 Cerenkov放射型SHGとは,非線形光導波路に基本波を入射したとき,導波方向を軸とするコーン状に第2高調波が放射される現象であり,一般には厳しいSHG位相整合条件が大いに緩和されるという利点から実用デバイスへの応用が盛んに研究されてきた。本研究ではこのCerenkov放射型SHGを理論的に厳密に解析し,従来あまり明確な形では示されていなかったCerenkov SHGの性質・特徴を物理的考察と数値計算により詳細に調べた。厚さD,幅W,長さLの対称導波路における変換の場合,Cerenkov SHGの変換効率は以下の式で表される。

 

 ここではそれぞれ基本波,第2高調波のパワー,dは非線形光学定数,は基本波導波モードの実効膜厚と実効屈折率,は高調波に対する基板の屈折率,はCerenkov角,R,R’は導波層での多重反射効果を表す項,Sは重なり積分である。理論解析の結果,Cerenkov SHG変換効率には図1に示すような縦方向位相整合,横方向位相不整合,逆進波干渉,Fabry-Perot干渉の4種の干渉効果が影響することを見出し,それぞれを最適化することが必要であることがわかった。中でも横方向位相不整合の影響は大きく,基本波導波モードと第2高調波放射モードの重なり積分を最適化し,横方向の位相整合を達成することが高効率波長変換に必要不可欠である。そのためには,d定数の非対角成分が大きく,適切な複屈折を有する非線形光学材料を使うことが望まれる。

図2:(a)MBANPリブ型導波路,(b)DMNPストリップ型導波路の作製プロセス
2.有機非線形光学結晶を用いたチャンネル導波路SHG素子

 有機非線形光学結晶を用いた導波路型波長変換素子の研究は,特に高度な素子作製技術を必要としない光ファイバ型素子を対象としたものが主流であった。一方で,薄膜単結晶をベースとしたチャンネル導波路型素子は,素子形態のフレキシビリティーが大きいという利点があるにもかかわらず,これまでその作製についての研究は極めて手薄な状況であった。本研究では有機非線形光学結晶としてMBANP(d22=36pm/V)とDMNP(d32=90pm/V)を選び,そのチャンネル導波路化およびCerenkov SHG変換効率の向上に取り組んだ。SHG変換効率は基本波のパワー密度に比例するので,光が局所的により強く閉じ込められるチャンネル導波路の作製は高効率波長変換素子の実現にも必要不可欠である。

 MBANP,DMNPそれぞれの導波路についてその作製プロセス模式図を図2に示す。

 MBANPではあらかじめ溝状に加工したガラス基板上に単結晶薄膜を成長させることにより厚さ約1m,幅2〜10m,長さ2mmのリブ型導波路を初めて作製した。その偏光顕微鏡写真を図3に示す。作製したMBANPリブ型導波路を用いて波長870nmの半導体レーザ光のSHGを行ない,基本波入力15mWに対して6nWというほぼ理論通りの第2高調波出力を得,青色光を肉眼で観測することに成功した。

 DMNPでは水溶性無機レジストHPAと反応性イオンビームエッチングを組み合わせたプロセスで直接加工することによりストリップ型導波路を作製した。各サイズはMBANPの場合と同様である。その偏光顕微鏡写真を図4に示す。波長870nmの半導体レーザ光の基本波入力8mWに対して244pWの青色第2高調波出力を得た。結晶性と結合効率の問題のため,得られたパワーは理論予測より2桁以上低いものであった。

3.有機非線形光学結晶とポリイミドを用いた擬似位相整合SHG素子

 光導波路を利用したSHG素子では,無機強誘電体のドメイン反転により非線形光学定数dを変調する擬似位相整合(QPM)が現在主流となっているが,有機結晶への適用例は極めて少ない。しかし,ドメイン反転よりは効率が落ちるものの,溝状に加工した線形な基板上に有機非線形光学結晶を成長させることにより,線形領域と非線形領域が交互に並んだグレーティング構造(線形/非線形ヘテロ構造)が実現可能であり,有機結晶の巨大なd定数を利用した高効率のQPM-SHGが期待できる。そこで本研究では,図5の模式図で表されるような,非線形の有機結晶と線形材料を交互に並べた周期構造を有する擬似位相整合導波路素子の作製に取り組んだ。有機結晶としてはMBANPとDMNPを選び,また,線形材料として今回初めて6FDA/PMDA-TFDB系フッ素化ポリイミド共重合体なる高分子材料を導入した。フッ素化ポリイミドは可視光の透過率が高く,耐熱性,耐薬品性に優れており,本研究の手法は広く有機結晶一般に適応可能な,汎用性の高いものである。

図3:MBANPリプ導波路図4:DMNPストリップ型導波路図5:QPM素子の概念図図6:QPM素子作製プロセス

 素子作製プロセスの概要は図6の通りである。作製したMBANP/ポリイミドQPMスラブ導波路(周期20m)の偏光顕微鏡写真を図7に,断面の走査型電子顕微鏡(SEM)写真を図8に示す。有機結晶とポリイミドは確かに交互に並んでおり,線形/非線形ヘテロ構造が実現されている。

図7:MBANP/ポリイミドQPMスラブ導波路の偏光顕微鏡写真図8:MBANP/ポリイミドQPMスラブ導波路のSEM写真

 続いてTi:サファイアレーザを光源としたQPM-SHG実験を行った。DMNP/ポリイミドQPM導波路で第2高調波波長427nmの擬似位相整合を観測した。残念ながら結晶の吸収と昇華性,クラック,入射結合効率等の問題により,変換効率は非常に低い値にとどまった。

4.多層構造におけるSHGの理論

 擬似位相整合や光導波路などの多層構造におけるSHGの厳密な理論解析は,境界の数が増えるにしたがい指数関数的にその複雑さが増し,現実的ではない。この問題のシステマティックな計算を試みた研究ではBethuneによるトランスファー・マトリクス法が唯一であったが,この方法では非線形分極を計算に取り入れるために非線形Fresnel係数によって決まる新たなマトリクスが導入されており,そのため計算が複雑になってしまい,また,物理的直感で捉えにくいのが難点であった。本研究では解くべき非斉次波動方程式

 

 の解を従来の様に特別解(free wave)と斉次解(driven wavc)の和ではなく,境界の影響を取り除いた"素"のままの電場と境界を通した寄与を集めた電場との和で表すことにより,Green関数解析とトランスファー・マトリクス法を組み合わせ,厳密かつシステマティックな多層構造におけるSHG解析法を新たに構築した。この手法の基礎となっているのは分極シートからの電気双極子放射と線形のFresnel係数であり,発生した第2高調波が多層膜中を各境界で反射・屈折しながら伝播する様子を物理的に明瞭に捉えることができる。また,この手法は十分な一般性を有しているので,任意の数の境界を持つ多層膜に関しても容易に計算することができる。本研究の解析法のアウトラインを図9に示す。この手法の有用性を証明するため,GaP-AlP系多層膜からの反射SHGについて実験と理論の比較を行ない,両者が非常に良く一致することを見出した。

図9:多層膜SHG解析法のアウトライン

 本研究では,残念ながら変換効率の点では当初の目論見通りの結果は得られなかったが,まだまだ未成熟の有機結晶素子化技術の分野において,本研究で新たに開発した素子作製技術の数々は,有機プロセスのための基礎技術の蓄積に大いに貢献したと自負するものである。

審査要旨

 本論文は「有機結晶を用いた光導波路型第2高調波発生素子に関する研究」と題し、半導体レーザ光の高効率波長変換を目的とした有機非線形光導波路の作製および高効率光第2高調波発生(Second-Harmonic Generation:SHG)の実現を目標として、実験・理論両面から取り組んだ研究をまとめたものである。

 高密度光記録の分野において、小型のコヒーレント青色光源の開発は長年の重要な研究課題であり、非線形光学結晶を用いたSHGによる波長変換が有力な手法の一つであると考えられている。非線形光学材料の中でも有機結晶は巨大な光学非線形性と材料の多様性という二つの大きな利点を持っているが、素子作製のための加工技術が未熟であるために、現状ではせっかくの高い性能が十分活かされていない。本論文は様々な形態の導波路素子に対応できる加工技術の蓄積を第一の目的とし、最終的には半導体レーザ光の高効率波長変換によりコンパクトな短波長コヒーレント光源の実現を目指したものである。

 本論文は6章より構成されている。

 第1章「序論」では、波長変換による青色光発生に関する研究の背景および期待される用途を概説し、従来の研究との対比で本研究の動機と目的および特長について述べている。

 第2章「Cerenkov放射型SHGの理論解析」では、Cerenkov放射型SHGの理論解析を厳密な形で行い、物理的意味のわかりやすいSHG変換効率の一般表式を導出することに成功している。この結果に基づき、従来あまり明確な形では示されていなかったCerenkov放射型SHGの性質・特徴を物理的考察と数値計算により詳細に調べている。理論解析を基にCerenkov放射型SHG高効率化の指針を検討した結果、Cerenkov放射型SHGの高効率化には重なり積分と多重反射干渉の最適化が必要不可欠であり、複屈折位相整合可能な材料を使用するのが望ましいとの結論を導いている。

 第3章[有機非線形光学結晶を用いたチャンネル導波路SHG素子」では、大きな非線型光学定数を有する有機結晶MBANPとDMNPについてそのチャンネル導波路化に取り組んでいる。MBANPでは基板ガラスをあらかじめ溝状に加工する手法でリブ型導波路を、また、DMNPでは水溶性無機フォトレジストとドライエッチングによる有機結晶の直接加工でストリップ型導波路を作製することに成功している。さらに、これらを用いてCerenkov放射型SHGによる半導体レーザ光の波長変換に取り組み,基本波のチャンネル閉じ込め効果を実験的に確認するとともに、MBANPではほぼ理論通りの変換効率を得ることに成功している。

 第4章「有機非線形光学結晶とポリイミドを用いた擬似位相整合SHG素子」では、有機結晶で実現可能な疑似位相整合導波路の一つの形態として、有機結晶とフッ素化ポリイミドが交互にならんだ周期構造を持つ疑似位相整合SHG素子の作製に取り組んでいる。フッ素化ポリイミドは熱や薬品に強く可視光の透過率が高いという利点を持っているので、この手法は広範囲の有機結晶に適用可能な、汎用性の高い疑似位相整合素子作製法であるのが特長である。さらに、導波路理論に基づいて設計し作製したDMNP/ポリイミド疑似位相整合素子を用いてTi:サファイアレーザを光源としたSHG実験を行ない、擬似位相整合の観測に成功している。

 第5章「多層構造におけるSHGの理論」では、グリーン関数解析とトランスファー・マトリクス法に基づいた、厳密でかつシステマティックな、多層構造における光高調波発生解析法を構築している。この手法は層が多数ある場合でも厳密な解を求めることができ、またその物理を直感的に捉えやすいという利点を持つ。また、本解析法はコンピュータープログラミングに適しており、特に非常に多くの境界を有する系に対して強力な道具となる。論文では計算方法の詳細を紹介するとともに、簡単な3層スラブ構造への適用例を示し、さらに、GaP-AlP系多層膜からの反射SHGについて実験データと理論を比較し、この手法の有用性を明らかにしている。

 第6章では本論文全体のまとめと今後の課題について述べている。

 以上のように、本研究は半導体レーザ光の高効率波長変換を目的として、有機非線形光学結晶を実用レベルの導波路型SHG素子に加工する新規技術の開発に取り組み、その結果、汎用性の高いチャンネル導波路および擬似位相整合導波路作製法を開発し、また、Cerenkov放射型SHGおよび多層膜構造におけるSHGに関して物理的考察が容易で適用範囲の広い理論を構築するという成果をあげている。本研究の結果は、従来加工技術が未熟であった有機結晶を実用デバイスへと適用する道をひらき、高性能波長変換素子への応用を通じて光記録・光情報処理などの分野へのインパクトが大きく、物理工学への貢献が大である。よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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