学位論文要旨



No 112319
著者(漢字) 三宅,苞
著者(英字)
著者(カナ) ミヤケ,シゲル
標題(和) 研究開発における課題解決過程の考察 : 「科学技術と社会(STS)」の視点から
標題(洋)
報告番号 112319
報告番号 甲12319
学位授与日 1997.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第3796号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 岸,輝雄
 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 助教授 橋本,毅彦
 国際基督教大学 教授 村上,陽一郎
内容要旨 §1.課題解決型の研究開発の問題点

 科学技術の研究開発は,国内総生産の数%近くを投資するほどの大規模な社会的営みとなった.と同時に,研究開発のあり方が,これまでの知的追求型から課題解決型へ,言い換えれば,アカデミック型から産業界型へと大きく移ろうとしている.それに伴い課題解決を請け負う研究開発者の「説明の義務・責任(アカウンタビリティ)」も,これまで以上に要求されるようになってきた.

 しかし,その産業界においても,研究開発者がどのように課題を解決し,それをどう説明するかについては,実証的な研究がほとんどなされてこなかった.課題解決過程は,経済学的アプローチである「登頂モデル」(プロジェクト編成による目的達成モデル)で理解されてきた.また工学においては,実験結果とその解析の報告に重点が置かれていた.

§2.「科学技術と社会(STS)」からのアプローチ

 本論はそのような反省に立って「科学技術と社会(STS)」という新しい学際的研究分野に研究の手掛かりを求めた.まず研究のアプローチとして「当該の人物,出来事等を,それらを包み込んでいる全体的な文脈の中に定位することを目指す」(村上陽一郎氏)ところの「正面向き」アプローチを採用した.次にSTSにおける三つのモデルを批判的に検討した上で,事例研究のための概念装置とした.すなわち,解釈の異なる社会集団間の論争を通じて技術は構成されるとする「社会構成モデル」(W.バイカーら),関与者(アクター)が人々の関心を翻訳して社会技術的(ソシオテクニカル)なネットワークをつくることが技術の制作であるとする「翻訳モデル」(B.ラトゥール),および技術の過程とは技術者が意欲と直観に導かれて自然と交渉する過程であるとする「判断力的過程モデル」(三枝博音氏)である.

 観察事例は,1980年頃の日本鉄鋼業における重要課題であった「プロセスの連続化」と「高機能素材の開発」の中から取り上げた.観察は,本論の筆者が所属する鉄鋼メーカー(川崎製鉄)の技術研究所での,当時の研究員など課題解決者への聞き取り,技術レポート,特許,技術論文,作業日誌などによった.

§3.ニオブ添加自動車用鋼板の開発(事例観察I)

 1970年代後半の自動車メーカーからの要求の一つに,「プレス加工性,特に深絞り性に優れたメッキ鋼板の開発」があった.この課題を担当することになった薄板研究室の主任研究員は,それまでの高純度鋼での研究から「少量のニオブを添加した極低炭素鋼なら,急熱焼鈍法で,深絞り性に優れて時効性も少ない鋼板が得られるのではないか」と思い付いた.研究室の中には「ニオブは表面を荒らし,コスト高にもなる」との反対の意見もあったものの,実験規模を半分にすることで合意が得られた.

 その結果をある技術会議で発表したところ,水島工場の管理部から別の目的での工場実験の申し出があった.水島工場での実験結果は予想外によく,一部は超深絞りクラスの値を示した.これらの結果から「今後開発を進めれば,短時間焼鈍で,メッキ鋼板のみならず冷延鋼板も含めて,超深絞り性が得られるかもしれない」という期待が生まれた.

 その結果,当該技術の開発は全社的規模で取り組むべき課題として承認された.研究所では,従来の「超深絞り用鋼板」(商品名:KTSA)を越えるべく,深絞り性,表面性状,延びの改善が進められた.工場では,千葉第3連続焼鈍炉建設の計画の中で,ニオブ添加極低炭素鋼の生産が最大の技術目標として位置づけられた.また製鋼工程での極低炭素化処理や,焼鈍工程での高温通板技術が開発課題となった.その結果,新しいニオブ添加極低炭素鋼は1979年にKTUXという名称で商品化された.また過時効帯なしという点で世界初めての連続焼鈍炉が1988年に稼働した.

 研究の過程で,ニオブの単独添加ではなく,チタンとニオブの複合添加が深絞り用鋼板に適していることが分かった.極低炭素鋼の研究を先行していた競合鉄鋼メーカーでも,同じ頃,別の理由から同じ複合添加の研究に着手した.こうして,深絞り用極低炭素鋼に関しては,各社が類似の,しかし多少異なる添加元素の特許をそれぞれ保有しつつ,互いに開発競争を行うようになった.

§4.急速凝固プロセスの開発(事例観察II)

 柱上トランス等の鉄芯材料として使用される珪素鋼板は,加工上の制約から,3%が従来工程での珪素の添加限界であった.一方,1970年代後半から,より優れた磁気特性を持つ鉄シリコン・ボロン系アモルファス合金が着目されるようになった.

 1978年,東北大の津屋研究室は,急速凝固法を用いることにより,従来工程では製造困難だった高珪素鋼リボン(珪素:4〜10%)の試作に成功したと発表した.急速凝固法はアモルファス合金にも適用可能であったため,技術研究所の珪素鋼研究室長はこの津屋研の発表に注目し,研究員一名を東北大学に一年間留学させた.

 留学終了後,彼は東北大と類似の小型機を用いて,幅10mm,厚み60の6.5%珪素鋼板30gを製板することができた.次に中型機が作製されたが,薄帯のロール巻き付きなどのトラブルが多発し,なかなか薄帯を製板することはできなかった.そして中型機実験開始から約3か月後,幅110mm,厚み150,長さ120mの5.5%珪素鋼板が始めて急速凝固法によって産出された.この思いがけない「大成功」は,通常は実験現場に立ち会うことのない研究所の室長,部長,所長に,直ちに伝えられた.

 しかし急冷法でできた薄帯の品質形状,とくに板厚偏差(最大板厚と最小板厚の差)は,従来の3%珪素鋼板より劣っていたのでその対策が課題となった.その解決策として注湯量速度一定制御やロール形状制御などが導入されたが,それは技術のブラック・ボックス化を進めることになった.

 次に,工程的生産可能な大型機の建設が計画された.大型機の立ち上げ当初は,さまざまな装置上のトラブルが発生したが,やがてコイルへの巻取りも可能となった.板厚偏差は中型機の場合の20%から7%へと低減できるようになった.しかし他社の開発状況などから,板厚偏差のこれ以上の早急な低減は無理であると判断された.そのため,板厚の均一性の要求の厳しい珪素鋼板に代わる品種が求められた.その中で,形状の規格が比較的ゆるい「高クローム系溶接フープ材」が大型機の現状技術レヴェルにあった品種と判断された.このための製板実験が繰り返され,1987年に有償の納入が成された.急速凝固法による念願の商品化が達成され,以後の開発はこの溶接材を中心に行われることになった.

§5.考察

 二つの事例への「正面向き」観察の結果,「登頂モデル」からは説明できない多くの事項が確認された.第一に,課題に対し何を技術対策として当てはめるかは,研究員の間でも解釈の相違があった.また研究員から管理者への報告には政治的判断が付加される場合があった.第二に,目標の達成度は,時間の経過とともに次第に明らかになっていくものでもなく,より不明確になっていく場合もあった.第三に,研究プロジェクトで共有される「技術枠組み」は過程において変化し,課題も変更される場合があった.その課題変更は,特に問題として取り上げられることなく,したがって記録として明示されることもなくなされた.

 以上の観察事実は「説明の義務・責任」に新しい意味を与えるものである.それは,課題解決者は,単に工学的結果のみでなく,その過程での出来事をも,それも政治的,社会的行動も含めて説明すべきであるという点である.これらを説明することで,課題提供者の技術理解が容易になると考える.

 これらの観察事実をもとに,課題解決過程観察のための新しいモデル(「自然・社会との交渉モデル」)を提唱した.すなわち,課題解決とは

 「社会技術的(ソシオテクニカル)なネットワークの中から発生した課題が,研究チームに渡され,研究チームはそれに対し,技術手段による自然との交渉と,関心拡大のための関連社会集団との交渉を繰り返しつつ,新しいネットワークを構築していく過程である」

 とするモデルである.このモデルの有効性の確認は本研究では事例観察の二例に止まったが,他の産業分野への適用も可能である.特に「ポスト・コンペティティブ」段階における企業の過程的研究の体系化がいま必要とされているが,このモデルは,その体系化の有用な概念装置となるであろう.

 最後に村上泰亮氏の議論を援用し,現在の研究開発の「登頂モデル」を支える理念は「開発主義」に属し,一方のSTSの技術論のそれは「保守主義」に属すると論じた.それによって,現在の研究開発の限界性と,STSの今後の研究活動の有効性を展望した.

審査要旨

 本論文は,今日の研究開発が課題解決型へと向かいつつあるという趨勢を踏まえたうえで,課題解決の過程を考察・分析することの重要性を論じたものである.

 具体的に,現代の研究開発は,国内総生産の3%近くを投資するほどの規模になるとと同時に,そのあり方が,これまでの知的探求型から課題解決型へ,いい換えればアカデミック型から産業型へと変わりつつある.それに伴い課題解決を請け負う研究開発者の説明の義務・責任(アカウンタビリティ)が,これまで以上に要求されるようになってきた.しかし研究開発者がどのように課題を解決し,それをどう説明しているかについては,これまで実証的な研究がほとんどなされてこなかった.このような課題解決の過程を考察するモデル(概念装置)としては,わずかに経済学の立場から「登頂モデル(プロジェクト編成による目的達成モデル)」が用いられてきたに過ぎない.そこで本論文では,課題解決過程を考察・分析するために「科学技術と社会(STS)」の立場から,これまで提唱されてきたいくつかのモデルを批判的に検討し,「自然・社会との交渉モデル」という独自のモデルを提示し,具体的な事例に適用することによって,その有効性を検証している.

 本論文は6章からなる.

 第1章は,上記の問題提起と本論文の目的をのべている.

 第2章では,STSの立場に立って,W.E.バイカーとT.ピンチの社会構成モデル,B.ラトゥールの翻訳モデル,三枝博音の判断力的過程モデルを取り上げ,批判的に検討した上で,第4章および第5章での事例研究に用いる「自然・社会との交渉モデル」の概略をまとめている.

 第3章は,本論文で取り上げている日本の鉄鋼技術と同産業の動向と特徴を記述したものであって,第4章以降の前提となるものである.

 第4章は,第2章で提示された独自のモデルによって,筆者が体験したNb添加自動車用鋼板の研究開発事例をどこまで説明できるか,そしてなにが新しい知見として取り出されるかを検証している.その結果,実験データの解釈には研究チーム内でも違いうること、および研究チームの意欲もまた課題解決のスピードや軌跡を決める要因であるということが新たな知見として得られたことを主張している.

 第5章は,二つ目の事例研究として,同じく筆者が体験した薄鋼板鋳造装置の研究開発を事例として取り上げており,研究員は課題解決にあたって自然のみならず関連社会集団とも交渉すること、さらに課題そのものが明示されないまま途中で変更されることがあるということを主張している.

 第6章は,まとめの章であって,二つの事例研究の結果から,課題解決の過程を考察・分析する「自然・社会との交渉モデル」の有効性を主張するとともに,課題解決とは「社会技術的(ソシオテクニカル)なネットワークの中から発生した課題が,研究チームに渡され,研究チームはそれに対して,技術手段による自然との交渉と,関心拡大のための社会集団との交渉を繰り返しつつ,新しいネットワークに置き換えていく過程」であると結論付けている.

 本論文は,課題解決の過程を考察・分析するためのモデルを提唱し,その有効性をある程度検証しいるものの,取り上げた事例と考察結果の一般化の可能性,さらには「自然・社会との交渉」といいつつ,課題そのものの発見なり,なぜその課題が課題となりうるのかという点についてはなにもふれていない.これらは今後補うべき重要な論点である.

 このように重要な論点が必ずしも論じられていないという欠点はあるにしても,本論文の積極的に評価できる点として,以下の四点が挙げらる.第一に,STSの技術論を単に援用しているのではなく,それを批判的に検討し,また三木清、三枝博音ら日本における技術論をも検討の対象としている点である.第二に,事例研究にあって,自らの体験を無批判に書き並べるのではなくて,他産業での事例と比較し,また過程の各段階毎に確認される事項を取出して列挙するなど,客観的観察を行っている点である.第三に,日誌分析の重要性を示すなど,従来の企業における研究開発の分析事例にはない手法を取り入れている点である.第四に,それらの確認事項の中から,特に「技術者の意欲」が技術の構成に重要な役割を果たしており,しかもその意欲の中に政治的交渉も含まれている点を明らかにしたことである.

 日本の産業は積極的な研究開発投資によって,数多くの新製品,新しい知識を生みだし,国際競争力を獲得してきた.これまでになされきた,さまざまな研究開発の過程を考察・分析,比較検討することによって,一つの学問領域として体系化することは,日本の産業にとっても,また国際的にもきわめて重要である.本論文が提唱するモデルは,その体系化のための一つの手段として有効である.

 よって,本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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