学位論文要旨



No 112327
著者(漢字) 張,思
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,シ
標題(和) 近代華北農村における農耕上の共同 : 順義県沙井村の搭套慣行を中心に
標題(洋)
報告番号 112327
報告番号 甲12327
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第173号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 尾形,勇
 東京大学 教授 桜井,由躬雄
 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 並木,頼寿
内容要旨

 本稿では、近代即ち1949年までの華北農村における農耕生産上の共同慣行、特に北京市順義県沙井村の「搭套」という農耕上の共同慣行を中心に考察している。

 この問題に関しては、中国人研究者によって作成された農村調査資料のほか、特に南満州鉄道株式会社をはじめとする日本諸機関が華北農村を対象として行った農村実態調査の資料がたくさん保存されており、これらの貴重な資料を駆使して、平野義太郎、戒能通孝、清水盛光、福武直、旗田巍、内山雅生、石田浩などの諸氏を始め、多くの研究成果も蓄積されているのである。しかし、いままでの研究は、共同体が存在するか否かの論争に重点を置き、旧中国農村の農耕上の共同慣行そのものの実態究明については不十分なところがある。筆者は、つい最近沙井村などかつて満鉄が調査した村で再調査を行ったが、旧慣行調査資料の確認、訂正、補足をするほか、農民たちが新たに語った生々しい事実を加え、旧中国農村の搭套等の共同慣行の実像に接近しようと思う。

 この研究は、旧中国農村を対象とするものであるが、それは、現代農村変革の原動力を解明すること、また市場経済社会へと移行しつつある中国農村の現在、及びその未来を理解することに、密接に関わっていると考えている。

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 順義県は北京市に属し、中心部は北京の北東約三十キロの所に位置している。沙井村は順義県城から南西へ二、三キロの県道の傍らにある。一見ごく普通な北方村落だが、日中戦争中に満鉄の調査員たちがたびたびこの村に訪れて、調査を行ったことで有名になっている。のち、この調査から得た資料が「中国農村慣行調査」として刊行され、内外学者の関心を呼んでいる。

 近代華北農村において「相互扶助的な農耕上の共同関係」-本稿では、これを農耕上の共同と呼ぶことにする-は様々な形で普遍的に存在していた。順義県も沙井村も例外ではなく、農業生産においては、「搭套」・「換工」・「幇工」・「代耕」・役畜と農具の「借用」などがあげられる。

 搭套とは、華北農村における古来の農耕上の慣行であり、役畜・農具・人力などを提供しあって共同で耕作を行うという形態である。近代華北農村各地において、搭套と内容・形式を同じくする慣行は普遍的に行われていた。順義県及び河北省北部地方には、搭套のほか、「挿套」・「挿具」という呼称があり、河北省南部地方では、「搭夥」や「搭夥具」などといわれた。山東省中部・西部農村においては、搭套という語を使わず、「合具」・「合夥」と呼んでいる。ちなみに、「合具」という語は、地方の史料文献によれば清代の順治年間(1644〜61年)までさかのぼれる。本稿では搭套という語を便宜的に一般的概念として利用し、以上の各地の同様な農耕上の慣行を包括させた。

 中国語の中に、搭は、「搭夥」、「搭伴」、「搭幇」、「搭当」等の熟語が示すように、一緒に協力する、仲間を組む、相棒をつくるなどのほか、ものを交差させること、、重ねるという意味がある。そして、家畜の体を犁、車と繋ぐ皮革、あるいは縄の器具は中国北方の多くの地域では套といわれる。例えば、「牲口套」、「套具」という風に用いられる。また、套は、動詞として役畜に馬具をつけ車に繋ぐという意味で使われている。

 搭套の語意の由来について、1940年代の調査で多くの沙井村民は「驢馬の体を繋ぐ縄を套という。搭は互いに交わること」と答えている。以上の答えから分かるように、順義県の方言である「搭套」という言葉の起源は実は素朴であり、その二つの漢字のもとの意味そのままで、農耕作業における役畜の共用、人の協力ということを意味しているのである。山東省中部・西部農村の合具も同様に理解してよいと思われる。

 搭套に関する基本的な要素をまとめてみると、(1)共同する両家(又は三家)がそれぞれ役畜を出すこと。 (2)農繁期の播種と収穫の農作業に限って行うこと。 (3)前もって約束があること、という三つの点があげられる。搭套はその名の示すとおり役畜を出し合って共同に使用することを中心とし、共同の両方がそれぞれ各自の役畜を出して始めて成立する。以上の搭套の意味規定からも分かるように、搭套をはじめとする多くの農耕上の共同は、華北農村において普遍的に存在している農家の畜力・労力の不足に対応することによって生まれたと考えられる。このような華北農家の畜力・労力の不足の原因を深く追及すれば、それは華北農村に特徴的な土地所有状況や畑作農法体系などの農業生産の諸条件に直接にかかわっている。したがって、搭套などの農耕上の共同は一時的、或いはどうでもよいというようなことではなく、当農村社会における生産力条件に要求され、農業生産を維持する上で必要不可欠なことである。

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 搭套という農耕慣行は、搭套相手との親和感情および相手の経営規模などの経済条件・搭套の約束、中止と拒否・搭套の規模と持続期間・搭套の工作法などの面においては、当農村社会に生きている様々な規範によって規定されている。それらの規範には明確で鉄則のように従わなければならないものがあれば、曖昧ながらみんなに暗黙に受けられるものもある。

 搭套相手の条件については、双方の親和感情は当然不可欠である。同族・親族といった血縁上の関係は必要条件ではない。また、搭套相手となりうる条件として、互いに親和感情を持つほか、大体同じ経済状況、同等の経営能力、特に耕作畝数がほぼ等しいことは重要な決定要素である。経営状況・経営規模に大きな格差が存在している貧乏人と金持ちの間--沙井村の場合、富農と貧農・雇農の間--には搭套はあり得ないのである。金持ちと貧乏人との間の搭套は存在しないという福武直氏の推測は最近の調査で確認されたほか、当時の沙井村の貧富の対立について筆者も今回の調査で強く印象を受けた。内山雅生氏が沙井村において「一種の貧民救済的機能」、「伝統的温情主義的機能」が存在していたと予測しているが、これらが一定の限度内にのみ存在していると私は考えている。

 沙井村の搭套は、実際に農家の大部分を占めている中農と貧農の間で行われていた。この層の農家では経営地の絶対的な均等を保証することは出来ないが、その差は農家の判断ではあくまで大きいものではなく、相手のために半日か一日、多くて二・三日つぶして労働することは、彼らの損得勘定意識においては許容範囲内であった。無論、こうした一定の日数を越えてしまえば、彼らにとって損となり、受け入れられないものであった。

 搭套しようとする農家はかならず農繁期に入る前にまえもって搭套の期間、方法、内容について相談して約束をする。この約束は口頭で行われるが、いったん成立すると途中で中止したり変更したりすることができない。約束なしに臨時に農繁期に一緒に共同作業をすることがあるが、それは形式、方法、内容上搭套とは一切変わらないと言っても搭套関係とは見なされない。

 殆どの搭套は二戸の農家の間で行われる。三戸の場合もあるが、それ以上に例えば四、五戸か十数戸かで一緒に搭套を行うことはあり得ない。戸数が増えると、互いの土地が多すぎて、短期間で農作業を終えることが出来ないし、個人の都合にも悪いのである。一方、搭套の規模が二・三の農家間に止まり、全村の農家範囲で組織化されたものではないとはいえ、華北多くの農村においては三分の二の農家が普遍的に搭套を行っているということは見逃すことが出来ない。搭套関係は永続なものではない。長いのは十数年も続けることがあるが、普通の場合は二、三年、三、四年である。それ以上続けられない理由として、農家の経済条件の変化が激しいことが挙げられる。

 ***

 沙井村、さらには広大な華北農村においては、搭套のような慣行は農耕上の共同の全てではなく、ほかに、まださまざまな形の農耕上の共同が数多く存在している。これらの共同は、搭套と較べて一時的かつ小規模なものとはいえ、農家経営の維持の上で同様に重要な機能をもっている。

 農繁期にはほとんどの農家は畜力、労力不足の問題に直面する。沙井村の場合、大部分の農家は搭套の方法で何とか補足するが、畜力・労力の相互交換で解決する農家もいる。また、農家が搭套だけではなお畜力や労力が足りない場合も、やはりこの慣行に頼ることになる。したがって、沙井村では、このような畜力・労力の相互交換という農耕上の慣行は搭套に次いでもっともよく行われているのである。この慣行は、一方的な手助けや援助等の慣行と異なり、互いに相手とだいたい同等量の畜力・労力の交換を条件とするのである。村民たちがあげた「換人工」、「換工」、「人換工」、「夥換工」、「以工換」などの呼称は、「換人工」-それは専ら労力と労力の交換についてのみ用いられる-を除き、他は労力と労力の交換のみならず、甲の労力と乙の畜力との交換、及び甲の労力と乙の労力・畜力の交換にも使われている。ただ単に労力を畜力と交換することにも専用の名称があり、それは「換驢工」という。

 沙井村(及び多くの華北農村)には、農繁期の畜力不足に対処するために、「換驢工」のほか、無料の役畜の貸借という農耕上の共同慣行も普遍的に存在している。この慣行は、普通「借用」と呼ばれる。

 いわゆる小農経済とはその基本特徴が個人経営である。同族あるいは分家した父子、兄弟といっても、対等の労力、畜力交換がない訳ではない。同じように対等交換といっても親密な援助がないわけではない。完全な親和感情と完全な対等交換はない。親和感情による援助にも交換があり、交換の中にも「親和感情」がある。労力・畜力の対等交換には、人間、動物の労働量の対等交換という側面もあり、親和感情による交流という側面もある。これに対して、無料の役畜貸借には、労働量の対等交換または他の交換はまずいっさい存在せず、一見して、一方的的受益と見えるが、やはり親和感情の交流という意味がこめられている。異なるのは、援助の一方はただちに相手の交流を求めるのではなく、将来、あるいは他の村民たちから同様の期待するのである。

審査要旨

 本論文は、近代華北農村において広範に行われていた「搭套」と呼ばれる慣行を中心に、同地域における農耕上の共同労働の性格を検討したものである。近代華北農村における農民間の共同関係は、所謂「共同体」理論とも関わって、1940年代の日本による華北農村慣行調査の時期から注目され、議論の焦点となってきた。本論文は、当時の慣行調査を徹底的に読み直すとともに、作者自身が1994年から96年にかけて数次にわたり行った同地域農村における聞き取り調査によって、40年代の農耕上の共同労働の実態を詳細に解明しようと試みている。

 本論文において明らかにされた点は、大略次のようなものである。第一に、「搭套」という語は、狭義には「複数の農家が役畜を出し合って共同で使用する」という明確な定義をもち、単なる役畜の貸し借りや労力援助とははっきり区別される。この慣行は、土中の水分を保持するために耕起・播種作業を一気に行わなければならず、そのためには複数の役畜と数人の共同労働が必須である、という華北乾燥農業の特質に根ざしていた。第二に、搭套を行う階層について見れば、複数の役畜と十分な人手をもち搭套を行う必要のない富裕な農家と、役畜を持たないために搭套を行うことのできない極貧農とを除き、半数以上の農家にとって搭套は農作業上の不可欠の慣行であった。搭套の相手は、自家の提供する畜力・労働力(の機会費用)と相手から得る畜力・労働力・その他農具利用などの便益とを慎重に考慮して選択され、その結果、ほぼ同程度の経営規模を持つ農家に落ち着くことが多かった。血縁関係等よりそうした損益の考慮が優先したが、搭套農家の間に情誼の要素がなかったわけではなく、また、搭套以外の多様な農耕上の共同関係においては、非打算的な無償の援助も、特に貧農間で見ることができる。

 調査資料と聞き取りを通じての間接的な接近ではあるが、搭套慣行の内容をこれほどまでに詳細に解明した研究は、従来なかったといえよう。特に聞き取り調査により、搭套の必要性や、相手の選択、関係の形成解消などのプロセスが掘り下げられている点は、本論文の特徴といえる。その結果、「共同体的互助か利害打算的関係か」といった二者択一的理念論議を越えた実態描写が可能にされた。他地域の同様の慣行との比較、本慣行を含む華北農村の共同行動のあり方の歴史的位置づけ、などにおいては、今後の研究にまつところが多いが、学位論文としての水準に達した労作と評価することができる。

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