学位論文要旨



No 112328
著者(漢字) 廖,赤陽
著者(英字) Liao,Chi-Yiang
著者(カナ) リョウ,セキヨウ
標題(和) 長崎華商の組織・経営とその市場ネットワーク : 19世紀末から20世紀前半における東アジア・東南アジア開港場間貿易を中心に
標題(洋)
報告番号 112328
報告番号 甲12328
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第174号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 尾形,勇
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 並木,頼寿
 国際基督教大学 教授 斯波,義信
内容要旨

 本稿は、長崎泰益号という華商の商業書簡や帳簿などの内部経営史料の分析を通して、19世紀後期から20世紀前半における東アジア・東南アジアの開港場間に存在する華商のネットワークの実態を究明するものである。次に、以下の三点にわたって、本稿での問題意識と研究視角とを述べる。

 一.伝統の華僑華人史研究では、近代における華商を西洋商人の関数と見てきた。つまり、華僑経済が西洋勢力によるアジアの資本や労働力市場の支配秩序の下に編入されていく過程を重視していた。近年来、アジアの歴史的連続性や自律性に対する再認識の研究の流れの中で、こうした華商の歴史的位置づけが改めて問われている。

 二.西洋的な企業発展モデルから見れば、華商の家族経営やさ様々な経済・経営活動の至るところに浸透した人的要素は、企業組織や市場の拡大を妨害する前近代的要素としてしか見えないが、しかし、70年代以降のアジア地域における経済成長により、チャンドラーモデルと異なった華人の経営モデルに対する再検討が要請されている。

 三.国民経済の枠では捉えきれない華人の経済活動を検討する有効な方法の一つはネットワーク論である。本稿は、市場と制度という二つの面からネットワークヘの接近をはかった。

 以上の諸課題に対しては、次の各章にわたって検討を加えた。

 序章.問題意識と研究視角

 第一節.問題と視角

 第二節.研究構成と基本資料

 第一部.長崎華商の組織と経営

 第一章.長崎福建華商の組織とそのネットワーク

 緒論.

 第一節.華商の日本進出とその歴史的背景

 第二節.福建会館の組織構成とその成員

 第三節.収支構造から見た福建会館の活動

 第四節.福建会館の規約とその対内・対外関係

 第五節.福建幇華商の商業ネットワーク

 第六節.福建華商の貿易活動の盛衰

 結論.

 第二章.泰益号華商の経営と貿易

 緒論.

 第一節.金門陳氏と泰益号

 第二節.神戸泰益号と長崎本店

 第三節.資金の結合と為替決済の仕組み

 第四節.取引の過程と信用構造

 第五節.泰益号の経営景気動向とその貿易規模

 結論.

 第二部.開港場間市場ネットワーク

 第一章.関門貿易と中日商人

 緒論.

 第一節.近代関門に広げられた歴史空間--変革と伝統

 第二節.関門貿易に携わる--取引の連携と競争

 第三節.ネットワークの交錯--華商・問屋・回漕店・船会社

 第四節.関門市場モデル--三つの結節点

 結論.

 第二章.厦門ネットワーク

 緒論.

 第一節.近代インフラストラクチャーの整備と厦門ネットワークの拡張

 第二節.厦門の華商--多地域の進出と多元化の経営戦略

 第三節.厦門貿易における取引商品構造の分析

 第四節.上海・台湾・香港の中継ルートおよび厦門への直輸出

 第五節.厦門とその内地市場および東南アジア市場

 結論.

 終章.華人史研究の新たなパラダイムを求めて

 第一節.交易ネットワークの地域的広がりとその歴史的連続性

 第二節.ネットワーク的経営モデル

 第三節.華僑・華人研究のバラタイムの転換

 第一部は、華人の社会組織、家族経営、本支店関係、合股や為替決済などの資金結合と移動の仕組み、取引の慣行、信用関係など、制度または人的諸関係にかかわった問題が中心とされ、次の二章から構成されている。

 第一部第一章では、帳簿や議事記録などの内部資料を利用して、長崎華商の組織-福建会館の構造・機能や、その活動の歴史的変容の過程などを究明した。こうした作業は、二つの意味を持っていると考えられる。まず、同会館の膨大な内部資料の整理という基礎作業を通して、これまでにはほとんど行われなかった19世紀末から20世紀前半期における長崎華人社会に関する研究の空白を埋めることである。次に、以上のような基本データの復元作業を土台に、「福建」という媒介によって結ばれた一群の華商が、環境と時代の変遷にいかに柔軟かつ多様的に対応し、さらに自らの社会・文化生態を持続・変容・発展させながら、東アジア・東南アジアにおよぶ広域的ビジネス・ネットワークの機能を維持・拡大させていくのか、という具体かつ零細な歴史像をも描き出した。即ち、商業移民から日本への定着にともなったローカル・コミュニティの形成と、移動の連続した過程にともなったネットワークの外的広がり、という二つの方向の命題から華人の組織を把握したいということである。なお、本章は、長崎福建華商の活動を、前近代から近代に至るまでの華人の日本進出の歴史の全体像の中から捉えており、以下の各章の序論をも兼ねている。

 第一部第二章は、陳氏家族の構成や、崎・神両地の泰益号の家族経営の形態、本支店網の展開とその相互関係の変化、合股関係、融資、決済、取引の過程などを通して、華商の経営や貿易を取りまく人的諸関係の具体的な動き方を究明するものである。

 第二部は、『社会経済史学』および『歴史学研究』に発表した二つの論文を基礎にまとめられたものであり、市場ネットワークの分析を中心として展開されたものである。

 第二部第一章は、門司と下関をひとつの有機的連関性を持つ経済機能地域として捉え、伝統と革新の諸要素の相互作用によって広げられた近代関門の歴史空間の中での、1900〜30年代における中日商人の交易ネットワークの交錯の実態を描き出し、さらに、これらの商人の活動によって編み出された近代関門の市場ネットワークの構造や、華商と日本商人の関係から見た「在来的経営」と「近代的経営」などの日本資本主義発展において内在していた問題を考察した。

 第二部第二章は、厦門の商人とその組織、取引商品の構造などを考察し、そのうえで、厦門と長崎の貿易をめぐって、海域・河川流域・陸域という三つの交易網の接続にから形成された関門・神戸・上海・香港・台湾・中国沿岸開港場、シンガポールなどの、東アジアから東南アジアにおける開港間の交易ネットワークの実態を究明するものである。

 以上の検討を通して、三つの結論が導き出された。

 一.前近代の長い歴史的蓄積をもつ華商の交易ネットワークは、20世紀に至るまで存続していることが確認できた。華商の活動を通して、開港場間の多角的交易回路が形成され、海域・川流域・陸域の三つの貿易網が接続された。この華商の交易ネットワークは、国家や西洋の勢力域圏の枠ではカバーできない自律的一面を持っており、アジアの地域的ダイナミズムを内蔵したシステムとして作動し、地域統合の一つの駆動力として現れていた。

 二.所有と経営の分離、及びタテ方向への集中によりスケール・メリットを実現するチャンドラーモデルに比べて、華商企業組織・経営活動はネットワーク的経営モデルに属している。西洋の大企業、及び対人関係のタテ秩序として現れた日本的経営と違って、ネットワーク的経営はヨコヘの拡散力により範囲的効果を求めることがその大きな特徴の一つである。また、家族経営も含めて、経営活動とかかわった社会諸関係を全体として一つの広義的経営組織を構成している。家族的経営の非持続性は、ネットワークの全体の持続性の構造に組み込まれたものである。ネットワーク的経営を通して、個々の商号のリスクが分散され、一方、投資、信用、人材と情報の交換・共有の領域がともに拡大された。これによって、個々の企業は社会経済の急変動に対応できる高度な機動性と選択性を獲得した。こうした経営パターンは、華商の中小商業のみならず、製造業や財閥企業にも共通している。

 三.19世紀末〜20世紀前半における華商のネットワークのあり方や華人の行動パターンは、現在にいたるまで構造的持続してきた。華僑・華人を特化した研究対象とする従来の華僑・華人研究や個別企業のケーススタディを中心とする経営史学の伝統手法では、アジアないし世界史の巨大な座標における華人の歴史的位置を求めることは難しい。専門分野の「タコ壷」から解放された、科際的学問の仲介領域としての華人史研究がアジアの現状と歴史の両方から要請されている。

審査要旨

 本論文は、19世紀末から20世紀前半に至る長崎華商の泰益号の商業書簡ならびに会計帳簿を克明に分析することによって、その経営組織と経営方法ならびに対外的な商業活動の全体像を明らかにしている。

 本論文の特徴は、これまでの華僑商人の研究を大幅に深めるとともに基本資料が十分に使われており、これまで東アジアを中心とした商業史の研究における華僑商人の役割が十分に位置付けられなかった点に強い反省を加えた点にある。ヨーロッパ商人並びに日本商人の東アジアにおける近代の貿易活動の歴史的基礎をなす華僑商人の商業ネットワークを明らかにした点は高く評価される。とりわけその中でも、福建省厦門を出身地とする泰益号がどのように長崎の華僑商人の団体である福建会館に所属し、その運営に係わってきたかという商業グループの分析が具体的になされている。

 また、これまで長崎商人と厦門、上海、台湾、東南アジアとの関係が明らかにされてきたが、それに加えて、本論文ではこの長崎商人が日本の国内市場、および朝鮮半島市場に対して、門司、下関を市場的な、また金融的な取引関係の拠点として活用していたことを明らかにしている。この門司、下関の中継を経て、国内的には神戸と密接に繋がり、また関東地域へとその商業ネットワークを広げていた。

 このように、従来ややもすれば、日本国内の華僑商人の位置はヨーロッパ商人に付随した周辺的な位置にあったとする分析が多かったことに対して、華僑商人の独自の役割ならびに独自の経営組織が歴史的に示され、かつそれがネットワークとして広がることによって、経営規模を拡大していた。

 今後、各交易都市の歴史的な展開に対応して、アジア各地の華商がどのような対応を行ったか、また経営帳簿から見る資金の移動、商業取引の慣行などより深めていくべき課題はあるが、本論文は泰益号の活動の全体像を明らかにしたものとして、博士号授与に十分値すると判断される。

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