本論文はドイツ語の「完了形」と呼ばれる完了分詞とhabenないしseinの助動詞により構成される構文(以下助動詞により「haben完了形構文」あるいは「sein完了形構文」。両方の構文を言うときは単に「完了形構文」)がドイツ語の歴史的発展の中においてどのように変化してきたかを探ることにより完了形構文の機能を明らかにすることを目標とするものである。 これまでに現代ドイツ語における完了形構文について書かれた数多くの先行研究を検討すると、様々な疑問が浮かび上がってくる。それをまとめると、次の5点になる。1)現代ドイツ語においては原則的には完了形構文は全ての動詞と共起可能なはずであるが、実際には状態を現す動詞との共起が統計的に少ないのはなぜか。2)現代ドイツ語の完了形構文は主として時間的先行関係を現すと解釈できる場合と主として過去のあるできごとから生じた状態を現すと解釈できる場合があり、その意味機能については意見が分かれているが、完了形構文の意味機能はどのように捉えれば最も適切か。3)ドイツにおける伝統的学校文法では完了形構文の諸形式(直接法・接続法の現在・過去完了形)は動詞の形態変化の体系の中に位置づけられてきたが、近年では完了形構文を動詞形態の体系の一範躊としてではなく、形態に即して独立して存在する(完了の助動詞+完了分詞という)一つの構文として捉える考え方が広まってきている。完了形に属する諸形式の形態上の平行性は意味機能における平行性を反映するものであるのか。4)完了形構文と表層的には全く同じ構造をとりながら、意味的に動作主としての主語を持たず、これまでの研究において受動態体系のなかに位置づけられてきた構文がある。haben完了形構文についてはhabenを助動詞とする与格受動構文が、sein完了形構文についてはいわゆる状態受動構文がそうした関係に立つ。そうした諸構文と完了形構文はどのように区別されるべきか。5)完了形構文の助動詞は意味的な違いに基づきhabenになる場合とseinになる場合があるが、この両者の関係はどのようになっているか。(第1章) こういった疑問はこれまでに用いられてきた文法記述法自体の問題から生じる疑問であり、適切な記述法を用いれば解決すると考えられる。問題は、1)記述に用いられる文法範躊がラテン文法の影響から完全に脱していないことと2)構文の歴史的発展についての知見が軽視されていることである。本論文ではこうした問題を避け、完了形構文を適切に捉えるため、コーパスに基づいた調査から出発するという方法を採用する。コーパスはドイツ語の様々な歴史的発展段階からとった5つのテクストより構成する。(第2章) コーパスから具体的資料を採集し、まず完了形構文がどのような動詞と共起するかについて分析すると、完了形構文はその発達の最も初期の段階では極めて一部の動詞としか共起しなかったが、時代が進むにつれ完了形構文と共に用いられる動詞の種類が増えていくという良く知られていることが本論文のために作られたコーパスからの資料にもあてはまることが明らかになった。また、それに加えて完了形構文の共起制限の歴史的変化がhaben完了形構文であれsein完了形構文であれある一つの共通した傾向が見られることも解った。それは現代ドイツ語においても発展の初期の段階において完了形構文と共に用いられていた動詞と意味的性質を共にする動詞が頻度の上では最も多く見られ、後の発展段階になってはじめて用いられるようになった動詞は現代語においても依然として使用頻度が低いということである。(第3章) 次にhaben完了形構文の意味機能がどのような歴史的変遷を経たかについて観察すると、構文の用法が初期の段階ではかなり一貫していたのが時間が立つにつれ段階的に様々な用法が出てきたことがわかる。なお、こうした変化は決して急激に起こることはなく、必ず段階的である。haben完了形構文は古高ドイツ語の段階では基本的に「主語が受益者の意味役割を担うある出来事の結果の状態」を現していたことがかなりはっきりと確認できる。ところが、時代が進むにつれて構文の表現する領域が広がっていき、それと同時にかつての意味機能がそれほどはっきりとはしなくなっていく。中高ドイツ語の段階では「過去の出来事の結果の状態」という性格はかなり残っているが、主語の受益者としての性格はかなり弱くなる。初期新高ドイツ語になると「結果の状態」という側面も弱くなり、しだいに時間的先行関係を現すために用いられることが多くなっていく。この傾向は現代ドイツ語に近づくにつれ強まっていくが、一方では古高ドイツ語以来見られる性格が完全に失われたわけではなく、古い時代に見られた用法も見られる。(第4章) 一方、sein完了形構文についても同様の発展が見られる。古高ドイツ語の段階においてはこの構文は「主語が被動者の意味役割を担うある出来事の結果の状態」を現していたと考えられる。これもhabenを助動詞とする構文同様、初期の段階ではかなりはっきりしていた意味機能が時間の経過と共にはっきりしなくなっていき、構文が担う表現の範囲が広がっていく。habenを助動詞とする完了形構文に比較して意味の変化が起こるのは遅いが、初期新高ドイツ語の段階ではすでにかなり結果構文としての性格が薄くなってしまっている。そしてその後の変化においてもやはり時間的先行関係を表現するために用いられることが多くなっていくが、古くから見られる用法もまた残っている。habenを助動詞とする構文同様、こうした変化は必ず段階的にしか見られない。(第5章) こうした完了形構文の発達の観察結果を検討すると、冒頭に挙げた5つの疑問についての回答が得られる。まず、1)についてであるが、現代ドイツ語において完了形構文と共に頻度の上で最も多く見られる動詞が初期の段階において完了形構文と共に用いられていた動詞と同じ意味的性質を持つものであり、後の発展段階になってはじめて用いられるようになった動詞は頻度が低いという事実から、完了形構文の共起制限の歴史的変化は共起可能な動詞の種類が線的、漸時的に拡大していく過程であると想像される。本来完了形構文とともには用いられていなかった状態を現す動詞の類が現代語においてもあまり見られないのはこうした経過の結果であるだろう。また、2)については、完了形構文が用法の上で初期には比較的ばらつきのない振る舞いを見せていたのが時間が経過するにつれ様々な用法を得ていくわけであるが、その歴史的変化の過程において変化が急激に起こることは決してなく、1)の共起制限の変化同様あくまで漸時的なものであったということを考えると、意味機能の変化は本来かなりはっきりしていた意味機能がしだいに希薄化し、現すことのできる範囲が拡大していく過程であったと思われる。古くから見られる用法が現代ドイツ語でも失われたわけではなく、いまだに見られることもこれを支持する。1)で述べたように、現代ドイツ語でも共起制限の点では完了形構文はかなり初期の段階の性質を保っていると考えられるが、こうしたことを考え合わせると、現代ドイツ語でも完了形構文の意味機能は根本的なところでは最も初期の段階と同様「結果の状態」を現す性質が中心であり、その他の用法は2次的に派生すると考えるべきだろうと思われる。こうしたことから、3)については完了形構文は動詞の単なる一変化形態ではなく、独自の一貫した意味機能を持った独立した固有の構文と見なすべきであろう。4)に関しては、haben完了形構文とhabenを助動詞とする与格受動構文の間には歴史的発展の上で明確な区別ができないことが資料の調査から明らかになった。seinを助動詞にする構文もまた同様に、表層的に同じ構造になる状態受動構文と区別しがたい。むしろ表層的に同じ構造の文を「完了形」と「受動態」に分類することがそもそもドイツ語固有の体系とは無関係なラテン文法の影響と考えるべきだろう。haben完了形構文とsein完了形構文はそれぞれ同じ助動詞と完了分詞から構成される受動態的な構文と同じ範中に属するものとして、区別して考える方がより適切であると思われる。最後の5)については今述べた考察から、haben完了形構文とsein完了形構文の関係としてではなく、2つの独立した構文のそれぞれの構文の意味機能に基づく関係であると考えられる。(第6章) 最後に全体のまとめとしてこれまで完了形構文として扱われてきた完了分詞と助動詞haben及びseinによって構成される構文がドイツ語の動詞体系の中でどこに位置づけられるかという問題を扱うが、古高ドイツ語においては、この両構文はwerdenを助動詞とする完了分詞構文とともにある事柄の「結果」に関して様々な角度から表現する「結果構文」体系に属すると考えられる。そしてその体系内部では主語にどのような意味役割が与えられるか、また「結果の状態」が現されるか、「結果の状態の発生」が現されるかによってこれら3構文が区別されると考えられる。時代が進むにつれ完了分詞構文の結果構文的性格は希薄になり、完了分詞構文の体系は「受動構文」体系に変化すると思われる。そして現代に至るにつれbekommenを助動詞とする構文が加わり、主語の被動者性の高さ及び「状態」が現されるか「行為」が現されるかにより区別される4構文による体系になっていくと考えられるであろう。(第7章) |