学位論文要旨



No 112331
著者(漢字) 鈴木,健二
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ケンジ
標題(和) 日本のナショナリズムとマスメディア : 資本主義・国民国家・マスメディアの相互規定性において
標題(洋)
報告番号 112331
報告番号 甲12331
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第177号
研究科 人文社会系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花田,達朗
 東京大学 助教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 濱田,純一
 東京大学 助教授 姜,尚中
 立命館大学 教授 桂,敬一
内容要旨

 本論は日本のナショナリズムとマスメディアの関係を考察するために、「歴史的分析」の応援を得ながら「社会学的」的観察を試みるものである。ナショナリズムの構築にマスメディアがどう関わっているのか、逆にマスメディアにナショナリズムがいかなる影響を与えているかの研究である。

 本論を進めるにあたって、ひとつの仮説を立てる。資本主義社会を基底とし、ナショナリズムとマスメディアの3者は相互規定をしている、との仮説である。

 ナショナリズムとマスメディアは資本主義社会の成熟過程の中で、質的転換を遂げた。極言すれば、ナショナリズムは「開かれたナショナリズム」から「閉ざされたナショナリズム」(ヴィノック)へ、マスメディアは「民間文筆家たちのジャーナリズム」(ハーバーマス)から中立を標榜する「顔のないジャーナリズム」へ、さらには「欺瞞的文化産業」(ホルクハイマー)へと変わりつつある。が、果たしてそれだけか。ナショナリズムとマスメディアは相互に干渉しながら、大衆を通じて資本主義社会にも影響を与えているのではないか。

 この仮説を明治維新以降の日本にあてはめ、主に新聞の言説をもとに、検証を試みる。さらには戦後の日本のナショナリズムの再構築とマスメディアの関係を描き出す。そしてその中で日本の資本主義社会の構築が帝国主義の華やかな時代に急激に進められたためにひずみを生み、その結果社会と国家の分化が徹底せず、したがって「公共」概念が十分に育たなかったこと、そのことが日本のナショナリズムとマスメディアを特殊なものにしたことを検証する。そしてこの公共概念の構築は戦後も高度成長の中で忘れられ、そゆえに戦後のマスメディアが一見繁栄していながら脆弱であることの原因であると分析する。これが本論の第1の目的である。

 さらに本論は資本主義社会と国民国家の揺らぎの中で、ナショナリズムとマスメディアの将来関係も模索する。

 資本主義社会と国民国家は、いまグローバル(地球規模)とローカル(地方)から挟撃を受け、資本主義社会も国民国家も大きな変化を遂げようとしている。その劇的変化の中で、ナショナリズムもマスメディアもきりもみの状態にある。資本主義社会の成熟化の中でナショナリズムは普遍性を、マスメディアは公共性を失っていったが、新たな激変の中でナショナリズムはどうなっていくのか。またマスメディアが公共性を復権することがあり得るのかどうか。資本主義社会とナショナリズム、マスメディアは相互規定性を持つとの仮説に立つなら、マスメディアはこの激変の中でナショナリズムに何らかの作用を及ぼすことが可能なはずである。これを研究するのが本論の第2の目的である。

審査要旨

 本論文は、日本におけるナショナリズムと言説の生産・流通システムとしてのマスメディアとの関係を、資本主義と国民国家とマスメディアの相互規定性のなかに構造的に捉え、その相関関係の諸相と動態を近代日本の草創期から戦後の現代におよぶ歴史過程を通じて批判的に分析し、その上に立ってジャーナリズムが偏狭なナショナリズムから脱していく道を具体的に論理づけた、きわめて意欲的な研究である。

 そのような構造的視点をもちつつ、日本の近現代を連続性のなかで捉えた本論文は、ジャーナリズム史研究として他に例を見ない成果であり、その視点の独創性、その構想の大きさ、その一貫した批判的実証性において、高く評価すべきものであると判断する。本研究の背後には、新聞記者を職業としてきた筆者のメディア内在的な知識と経験の集積、そしてマスメディアは国民国家を越えられるのかという鮮烈な問題意識があり、それらが膨大な量の文献・資料の渉猟とその批判的吟味と相まって、本論文の内容全体を支えている。

 ただし、その構想の大きさは同時に本論文の学問的完成度への一定の制約となっていることも否定できない。それは相互規定性にあるとされる三つの要素のうち、資本主義の把握が十分に有効な仕方でなされていないことや、資本主義と新聞メディアの関係を捉える上で重要な読者層の形成についての分析が十分なされていないことなどに現れている。しかし、本研究テーマはそもそも超領域的な総合的研究の成果を必要とする性格をもつものであって、一人の研究者が十全にカバーすることが非常に困難なことも明らかである。今後の発展を期待したい。

 以上を綜合してみたとき、本論文は博士論文にふさわしい資格を備えており、合格と判定することができる。

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